「・・・な・・・に・・・?」

士郎からの問い掛けに時臣は何故か言葉を失った。

時臣自身も判らないがとにかくどう言う事なのか理解出来なかった。

だが、それを時臣は士郎の意味不明な言動によるものだと納得させた。

「ははは、何を言い出すかと思えばおかしな事をエクスキューター、私は一言一句違える事無く君の問いに答えたではないか」

どこかおどけた様子で言う時臣であったが、その表情は引き攣り、口から漏れ出た笑い声もどこか作り笑いの印象が拭えない。

「いいや、あんたは答えているようで全てを答えていない。俺の問いを意識してなのか曲解して答えをはぐらかせた。俺があんたに問うたのは『何故遠坂桜を間桐家に養子に出したのか?』であって『何故遠坂桜を魔術師の家に養子に出したのか?』ではない」

そんな時臣に士郎ははぐらかす事無く直球で問い掛けた。

「っ・・・」

士郎の問い掛けに時臣は口を噤む。

明らかに動揺した様子の時臣に気付かぬ振りをして士郎は語を繋げた。

「・・・今回の聖杯戦争の手腕見事なものだったよ。積極的に戦線に出ていなかったがその反面、あんたは戦略面では俺達を常に翻弄していた」

アサシン陣営と手を組み、アサシン消滅の狂言を仕組んでアサシンに行動の自由を与え、おそらくは敵陣営の諜報活動に利用し、キャスター陣営の暴走を食い止める為と言う名目の元キャスター討伐令を発令させる事に成功、そして監督役殺害犯への懲罰と言うこれ以上無い大義名分の下対エクスキューター連合の発足・・・今回の聖杯戦争では全ての局面で他陣営よりも有利な状況を作り上げ続け、敵ながら戦略で自分達の有利な状況に運び続けるその手腕は実に見事だった。

だからこそこの一件に関しては疑惑だけが募る。

何故ならば・・・

「そんなあんたが、遠坂桜の問題を六年・・・いや、間桐に養女に出すまでなら五年間だな。何故、そんな大問題を長い間放置していたのかが気になるんだ」

きっかけは開戦前、舞耶からこの世界の桜が間桐に養子として迎え入れられた事を聞いた事だった。

自分が生きていた世界でもそう言った事が検討されていた事を知っていた士郎はそれが実現されたのかという程度の認識だったのだが、好奇心と切嗣が冬木に到着するまでの間の暇を潰す意味合いが重なったのかこの件に関する調査報告を舞耶の許可を得て確認したのだが、そこで不審を抱いた。

桜が産まれてから間桐に養女に出すまでの実に五年間、時臣はこの問題に何の動きを見せていなかった。

水面下で動いていたのだろうとその時は判断したのだが、どうにも腑に落ちない。

そこで舞耶に無理を言って時計塔に潜ませている諜報員に更なる調査を頼み、その結果が届いたのが今日の昼過ぎ。

切嗣の休息中の合間にそれに目を通した士郎は自分が抱いていた不審が疑惑に昇格した。

桜が産まれてから間桐へ養女として出すまで水面下でもその様な動きは一切無かったと報告されていた。

つまり桜は五年間完全に見放されていた状態であったと言う事だ。

だが、それは先刻時臣が言っていた事と矛盾する。

明らかに表情を引き攣らせる時臣を無視して士郎は言葉を続ける。

「遠坂時臣、あんたほどの高名な魔術師であれば他の魔術師との人脈もあるはずだ。それを利用すれば諸手を挙げて養子を歓迎する家があったって不思議じゃない。そうしても良い筈だったのに、あんたはそうはしなかった。間桐が養女として迎え入れてくれたがそれはあくまでも結果論、もしかしたら間桐は彼女を迎え入れず、さっき言っていた最悪の事態が起こっていたかもしれない。今回の聖杯戦争での先読みの鋭さと遠坂桜に関する鈍い足取り、とてもではないが同一人物とは思えないんだが」

「・・・ははっ、なるほどそれは確かに一理ある。何故桜の問題をそこまで先延ばしにしていたのか、その答えは単純明快だ。最初から間桐に迎えさせてもらう事が決定していた為だ。間桐に後継者は無くこのままでは間桐の血は途絶える所まで追い詰められていた。聖杯戦争に無関係な家であればどうでも良い。だが、間桐は冬木の地に聖杯を降ろす為に必要な家。途絶えてしまえばこの地に聖杯を降ろす事は出来ない。万が一そうなった場合遠坂、間桐、アインツベルンは相互に助け合う事を盟約として掲げているのだ。君も聖杯が降臨しないのは困るだろう。だから」

「なるほどなじゃあ、何で直ぐに間桐へ養女に出さなかったんだ?」

時臣の言葉を士郎の疑問が断ち切る。

「養子に送る事が既に決定していた。間桐の血が途絶える瀬戸際まで追い詰められていた。それなら、産まれて直ぐに間桐に引き渡しても良かった筈だ。様々な手続きや折衝で時間が掛かったとしても一年が良い所。だが、あんたは結局五年間も遠坂桜を手元に置いた。それは何故なんだ?」

時臣が言っていた『間桐が途絶えれば聖杯が降ろせない』は時臣の虚偽である事は知っていたが、あえてそれは黙っておく。

「それにだ・・・あんたの言い分を聞いていると聖杯戦争に参戦する事がそのまま魔術師としての栄光に直結している事が確定しているように聞こえる。そうとは限らない事を今しがた無様な末路を辿った生きた実例を目の当たりにしている筈、何よりも遠坂時臣、あんたほどの先見を見据えられる魔術師であればとっくに知り尽くしている筈、なのに何故この件に関してだけはそこまで楽観的なものの見方をしているんだ?」

立て続けの問い掛けに更に表情を歪ませ、言葉に詰まる時臣。

しばしの沈黙が周囲を支配していたがやがて

「・・・随分と回りくどい事をしているようだが・・・詰まる所貴様は何が言いたいのだ?エクスキューター」

偽りの友好的な空気を破棄するかのような敵意をむき出しにした声が時臣の口から発せられた。

「回りくどいも何も無い。俺はただ先程の問いの答えが欲しいだけだ」

それに対する士郎は柳に風と言わんばかりに時臣の詰問を涼しい顔で受け流す。

「そうか・・・でははっきりと言ってやろう!桜を養子として送ったのは桜の魔術師としての未来を開かせ、自分の人生を自分の意思と力で進ませる為だ!間桐を選んだのは聖杯戦争を途絶えさせる訳にはいかぬ事、そして聖杯戦争が魔術師としての栄光と名声を得る事が出来る最短距離だから間桐を選んだ!それ以上でもそれ以下でもない!」

そんな士郎の態度に思う所があったのか声を荒げ感情をむき出しにして声の限り叫ぶ時臣。

その姿に遠坂の家訓『常に優雅たれ』を順守してきた姿は何処にもない。

ここで終わらせてしまえば、士郎はそれ以上追求する事も無くそこで話を打ち切り、その場を立ち去っただろう。

いや、現に士郎はその言葉を聞くと静かに

「そうか」

と呟くと、一つだけ頷き時臣に背を見せその場を立ち去ろうとしていた。

士郎自身が言っていたように、これはあくまでも個人的な疑問を尋ねただけ。

それだけの事に過ぎないのだから。

しかし、この時何故か興奮しきっていた時臣は自分を更に追い詰める言葉を自らの口で発してしまった。

「待て!先程から聞いていれば色々と私に難癖を付け、侮辱してくれたが、そこまで要らぬ疑いをかけたならば貴様は何故私が間桐へ桜を養女に出したのか何らかの予測があるのだろう!それを言ってから立ち去って貰おうか!」

その言葉に士郎の動きが止まった。

再び時臣と向かい合った士郎は静かに問う。

「あるにはあるが、こいつは推察の上に下衆の勘ぐりに過ぎないがそれでもか?」

「構わん!」

時臣の断言に返って来たのは

「そうか・・・じゃあ言わせて貰おうか・・・俺としては、あんたは間桐に恩を売る為、若しくは間桐を遠坂に取り込む土台作りだと思っていた」

躊躇も容赦も無い士郎の言葉だった。

「遠坂桜が産まれて五年の間、間桐からの養子縁組の要請があるまで一切動きを見せなかった。まるで間桐が養子を欲するまで待っていた様に」

時臣が愕然とした表情のまま立ち竦んでいる。

「考えてみれば当然か、あんたから養子縁組を申し込んだのと間桐から養子縁組を希望したのでは意味合いが大きく違う。間桐はあんたに恩義を感じ頭が上がらなくなる。普通ならば」

間桐側が普通かはわからないがと付け加えてから士郎は続ける。

「仮に恩義を感じなかったとしてもそれでよかった。遠坂の家の人間が間桐の後継者として入り込むという事が現状では何よりも重要な事だからな。このまま遠坂桜が間桐桜として次の間桐の当主となれば事実上遠坂が間桐を傀儡とする事も不可能じゃない」

「馬鹿馬鹿しい、桜は間桐に迎えさせたことであの子と遠坂の縁は途絶えている。妄言も良い所だ」

時臣が士郎の仮説を一蹴する。

が、士郎は動揺した様子も無く自身の仮説を続ける。

「縁が途切れていたとしても血の繋がりは途絶えた訳じゃない。あんたは何代も先の事を見越して血筋から間桐を支配しようとした。そして」

そこで我慢の限界だったのだろう、時臣が憤怒の表情で士郎の言葉を遮った。

「っ!!もう良い!もう十分だ!確かに下衆の勘ぐりだな!不愉快極まりない!」

一方の士郎に動揺の色は微塵も無い。

「そうだろうな。あくまでも現状俺が知っている情報から導き出した仮説。そこに証拠なんて一つも無い。あんたが言った事だぞ。推察でも下衆の勘ぐりでも構わないと」

冷静な指摘に声を詰まらせる。

「だが、俺の推察で不快にさせたのは事実。それに関しては謝罪する。すまなかった」

そう言って士郎は静かに頭を下げる。

その姿に多少は頭が冷えたのか時臣は冷静さを取り戻す。

「いや、私も少々熱くなり過ぎたようだ。それと・・・最後に二つ聞かせてくれ。何故桜の事を個人的であるにしても疑問として抱いた?そして仮に・・・そう仮にだエクスキューター、お前の予測通りであったとしてそれがどうしたというのだ?お前に何の関わりも得もあるまい?何故そこまで拘る?」

「・・・最初の問いは俺も少々遠坂にも縁がある。それだけさ」

「縁?・・・まさか、あの二人は・・・」

士郎の傍らに寄り添っていた凛、桜の面影を強く残した二人の姿が思い浮かぶ。

「それはあんたの想像に任せるさ。二つ目の問いについては確かに関わりも得も無いが・・・強いて言えばそうだな・・・少々卑怯に感じたって所か」

「卑怯・・・だと?何処が卑怯だと言うのだ」

「相手に反論させにくい理由だけを全面に押し出して相手の異論を封じ込んでいる、そんな所だよ。そんなに自分の考えに自信を持っているのならば堂々と言えば良かったんだよ『遠坂桜への親としての愛情と魔術師としての利益、それを両立させた結果が間桐に養女に出した理由』だと。なのにあんたは親の愛情だけを全面に押し出し、盾にした。それが俺には卑怯に感じた。それだけだ」

士郎の言葉に時臣はこれ以上無いほど表情を引き攣らせて声も無く立ち竦む。

そんな時臣に士郎は問うべき事を全て問うたのか

「遠坂時臣、こちらの不躾な問いに答えてくれた事心から感謝する」

そう言って深々と頭を下げると時臣に背を向け山門から柳洞寺を後にする。

一方の時臣はただただ、その背が見えなくなるまで見続ける事しか出来なかった。









それから二時間後、時臣の姿は遠坂邸では無く教会の一室にいた。

その表情は常の時臣に似合わぬ悄然としたものだった。

遠坂の家訓を誰よりも尊び、実践すべく努力に努力を重ね、一の課題に余裕と優雅をもって十の結果で応えて来た彼に似つかわしくない。

それもその筈、時臣は先刻の士郎の言葉に打ちのめされていた。

(私が・・・桜への愛情を盾にして逃げているだと・・・)

士郎が最後に口にしたあの指摘は時臣が今日まで抱いていた自信を大きく揺るがしていた。

桜を間桐に出したのは士郎に言っていたように、親として理不尽な災厄から身を護る術を得る為と『始まりの御三家』の一つに養女として出す事で凛と同じスタートライン・・・根源への到達の名誉に至る為の最短距離だからと思い、そんな自分の考えを信じて送り出した。

であれば士郎の言葉など単なる世迷言、妄言と一蹴出来る筈だった・・・筈だったのに・・・

気がつけば士郎の言葉が脳裏を渦巻き続ける。

(何故だ・・・奴はこちらの事情など何一つ知らぬ筈・・・そんな奴の言葉など無視すれば良い。忘れてしまえば良い・・・なのに・・・何故・・・気がつけば奴の言葉を思い出すんだ)

気が付けばソファーから立ち上がり神経質そうに部屋の中を歩き回る。

『相手に反論させにくい理由だけを全面に押し出して相手の異論を封じ込んでいる、そんな所だよ』

(違う・・・違う・・・違う、違う違う違う違う違う)

士郎の言葉が甦る度にその表情が憤りに満ちていく。

『なのにあんたは親の愛情だけを全面に押し出し、盾にした』

「違う!!」

この場にいない士郎の言葉に反論するように声を荒げ、苛立ち混じりに壁を殴り付ける。

やり場の無い苛立ちを声と行動に出した事で少しは気が紛れたのか大きく息を吐き出した後、改めてソファーに腰を落ち着かせる。

だが、暫くするとまたイライラした表情を浮べる。

先程からこれを繰り返した事で壁を殴りすぎたのか時臣の拳は左右両方とも真っ赤になっている。

そして何度目かになるか判らないがその苛立ちに操られる様に立ち上がろうとした時、ドアがノックされた。

「失礼します」

ドアを開けて入ってきたのは綺礼。

「ああ、綺礼か。事後処理ご苦労だった」

全幅の信頼を寄せる事実上の腹心の姿を見て形だけとは言え笑顔を浮べる。

「私は父の創り上げたレールで旗振りをしていただけ、特に苦労はありません。むしろ労を労うべきであるのは私のような若輩者の指示に従ってくれるスタッフの方です」

「謙遜する必要は無い。璃正神父のシステムを短時間で掌握した手腕、スタッフ達の信頼を獲得した人望どれも、これも君が培ってきた実績だ」

「・・・恐縮です」

賞賛の言葉に深々と頭を上げる。

それから今回、柳洞寺で行われた戦いの事後処理を説明する。

「なるほどエクスキューター陣営が引き起こしたあの地震を利用すると言う事か」

「はい、あくまでも原因不明の地震によって柳洞寺は全壊したと今スタッフが柳洞寺関係者に催眠暗示を刷り込ませます。幸い・・・というのも不謹慎ですが、ニュースでもこの地震が速報で伝わっています。隠蔽は程なく完了するかと。尚関係者各位に関しては後、一週間は冬木から離れてもらいます」

「そうか」

綺礼の報告に満足そうに頷く時臣。

「時臣師・・・今回は残念でした」

と、綺礼がやや言いにくそうにそんな事を口にする。

そんな弟子の言葉に時臣は声を荒げる事も無く

「いや、今回の事は失敗するべくして失敗した事だ。愚かしくも小手先の手段に頼り過ぎていた。いくら相手が未知の脅威であるとしてもだ」

素直に自分の非を認め、他者に責任転嫁しない。

それだけでもケイネスとは器の差は明白だった。

と、今度は時臣が言いにくそうに、と言うよりは口にしたくない話題を口にした。

口にしたくも無いが話題を避ける訳にはいかない。

「それと・・・あの男は・・・どうした?」

それだけで綺礼は誰の事を言っているのか判ったのか説明に淀みは無い。

「搬送先の病院で意識を取り戻しましたが、やはり意味不明の言語を並べるだけで意思の疎通は不可能だと判断しました。一時的な応急処置を行い、容態が安定した時点でソフィアリ家のご令嬢共々イギリスに送還します。尚、この一件に関しては教会経由で時計塔に連絡済です。例の拳銃の鑑定が終わり次第その結果も送ります」

「そうか・・・それとソフィアリ家のご令嬢は?」

「既にスタッフが事情を説明した後、冬木を出てこちらが手配したホテルへ向かわせています」

「判った。何から何までご苦労だったな綺礼」

「恐縮です」

再度の労いの言葉に改めて頭を下げて感謝の意を表す。

「後・・・時臣師」

「?どうした」

「間桐雁夜が来ています・・・」

その言葉に眉を顰める。

「雁夜だと?サーヴァントも失い今頃何の・・・ああ、あの約束か」

「はい、成功、失敗に関わらずそれがエクスキューター討伐に参加する唯一つの条件でしたので」









時臣がそれを聞いたのは昨日、連合も無事に組まれ、アインツベルン経由でエクスキューター陣営に出頭要請を送った前後だった。

「何?雁夜が?」

「はい、連合の参加を容認しましたが、その代わり条件を提示しました」

綺礼の言葉に眉を潜める。

「・・・本来であれば条件を出せるような立場で無いと言うのに、随分と厚顔無恥なものだな。で、その条件と言うのは?」

「それが・・・エクスキューターの問題が片付いた時点で時臣師との決闘を申し込んでいます」

「は?」

全く想定していなかった事に思わず素で返した。

つい先日完膚なきまでに叩きのめされた筈なのに、それに懲りずまた自分に戦いを挑もうと言うのか?

よほど自信があるのか、現実を見ていないのか、それとも秘策があるのか・・・

「綺礼・・・雁夜の奴は正気なのか?」

思わず尋ねた時臣に綺礼は生真面目に

「本気でした」

ただ一言だけを返した。

「・・・そうか、せっかく助かった命を直ぐに粗末にするか・・・まあ良い。そんなに死を望むのならそれを叶えてやろう。それが奴へのせめての情けだ」









「判った。で、奴は?」

「礼拝堂で待たせています。そこで決闘を執り行います」

時臣が教会にいた最大の理由がこれだった。

遠坂邸では時臣に有利すぎるし、雁夜の如き雑魚にそれは大人気なさ過ぎる。

かと言って間桐邸で雁夜に有利にさせるに値する価値があるとも思えない。

そこで、中立地で会うこの教会を決闘の場所に選び、立会人として綺礼を指名した上で執り行う事を取り決めたのだ。

「そうか、手間を掛けさせるな綺礼。このような児戯にもならぬ事を」

「お気になさらぬようお願いします」

労いの言葉にも生真面目に一礼する綺礼に満足そうな笑みを浮べるとソファーに立てかけていたステッキを持って立ち上がる。

「では・・・引導を渡してやるとしよう。何時までもこのようなつまらぬ事に構っている余裕は無いのだからな」

そう、時臣にとって雁夜との決闘は試練でも障害でも無い、ちょっとしたお遊戯に過ぎない。

そのような事に時間を掛けている訳にはいかない。

聖杯戦争もいよいよ大詰め、敵陣営、特に対エクスキューター陣営の戦略を練り直りと、やる事は山ほどある。

直ぐに決着をつけるべく礼拝堂に向かう時臣とそれに続く綺礼。

確かに時臣にとって雁夜との決闘は本来関心を向ける価値も無いそれこそ小石一つでありちょっとした段差であるに過ぎなかった。

だが・・・人は些細な小石にでも躓く時は躓くし、当たり所が悪ければちょっとした段差でも死ぬ。

そんな当たり前な事に時臣は気付いていなかった。

そう・・・背中を押してわざと転ばせる者以外は・・・









礼拝堂に入るとそこには

「とぉ・・・きぃ・・・おぉ・・・みぃ・・・」

幽鬼そんな表現が似つかわしい雁夜が時臣を待っていた。

服も顔も土に塗れぼろぼろ、自力で立つ事もままならないのか信徒席の背もたれを支えにして漸く立っている、そんな有様だった。

立っているだけでも疲弊するのか吐き出す呼吸は荒く、吹けば飛ぶほどその姿は弱々しい。

普通に考えれば決闘など論外、歩く事も出来ぬほど衰弱した有様であったが、時臣をにらみつけるその眼光は死んでいなかった。

いや、むしろあらゆる負の感情をくべたかのように、先日よりも強くそしておぞましく輝き、さながら鬼火のような背筋を凍て付かせる恐怖をも感じる。

だが、それはあくまでも一般人の話、歴戦の魔術師である時臣には子供だましよりもお粗末なものにしか見えない。

「・・・」

「・・・」

互いに言葉は不要だった。

片やこのような愚物と語るべき言葉はもはや持ち合わせておらず、片や語るべき怨嗟は数え切れないほど持ち合わせていたが、言葉を発する余力が既に無く、その様な余裕があるならば憎き敵を殺すエネルギーに変えているかのようだった。

不愉快そのものといわんばかりにステッキを構え、攻撃態勢に入る時臣に対して、雁夜は最後の『翅刃虫』を解き放ち時臣の喉笛を引き裂かんと飛翔する。

時臣としては先日と同じく防御陣で『翅刃虫』を焼き払い返す刀で雁夜を焼き尽くしても良かった。

だが、何も無いビルの屋上と違いここは教会の礼拝室、防御陣を展開してしまえば信徒席や床が延焼してしまう。

ここを焼いてしまうのは本意ではない。

ならばピンポイントで『翅刃虫』のみを焼き払った後雁夜を教会の外に叩き出してから始末をつけてしまおうと術式を呼び起こす。

そして蟲を焼き払おうとしたまさにその瞬間

「・・・残念です。もう少し私の意表をつく行動を取っていれば生き永らえたかも知れなかったのに・・・時臣師」

聞き慣れた声なのに、初めて聞く陰鬱な低い声が背後から聞こえてきたと思った瞬間、背中に凄まじい衝撃が走り、同時に生木が折れる嫌な音と鈍痛が全身を駆け巡る。

背骨が折れた・・・と言うよりは粉砕したと妙な確信を抱きながら一体誰がと振り向こうとするが、今度は首元に鋭い痛みが走り、鮮血が迸る。

視界が休息に暗く狭くなる中それでも背後を振り向いた時臣の眼に映ったのは・・・

(あれは・・・誰だ?)

そこにいたのは紛れも無く彼である筈なのに・・・時臣が知る彼とは似ても似つかない・・・暗イ・・・悦に・・・満チタ笑みを・・・ウ・・・カ・・・ベタ・・・

何もかも訳も判らず・・・おそらくは自分が死んだことすらも理解する事が出来ず、追いつかず、時臣が仰向けに倒れた時には既に死んでいた。

今回の聖杯戦争をリードし、戦略面で常に優位に立ち、本来であれば勝者に最も近い存在であった筈の魔術師の死は実にあっけなかった。









時臣の死を見届けた綺礼は既に礼拝堂を後にしていた。

背後にいた綺礼に警戒する事も無く無防備な背中をみせていた時臣に容赦無く打ち込んだ拳は正確に時臣の背骨を粉々に打ち砕き、雁夜に時臣を殺させる絶好のお膳立てをしてやった。

まかりなりにも師である時臣を砕いた拳をまじまじとだが、何の感慨も無く見つめる。

黒鍵を突き刺して直接殺してやっても良かった。

だが、今回はあくまでも綺礼は黒子、傍目には雁夜が時臣を殺害した、そう見えていなければならない。

「・・・人が死ぬと言うのはあっけないものだな・・・」

そう呟きながら綺礼の脳裏を去来するのは同じ礼拝堂で死んでいた父の亡骸。

あの時自分が何を思い、願ったのか綺礼は薄々だが自覚していた。

それを完全に自覚した時自分は本当の意味で生まれ変わるのだろう。

不思議な事に恐怖は何も感じられない。

それどころかその時を誰よりも心待ちにしている自分がいた。

数日前から考えられない程変わり果てた我が身を省みながら、綺礼は礼拝堂裏の司祭室に入る。

礼拝堂とは壁で仕切られているにも関わらず

「ぎゃははははははっ!」

歓喜というよりは狂喜じみた雁夜の笑い声がクリアに聞こえてくる。

さらに司祭室の壁の一角に掛けられていたカーテンを捲ると、そこだけがガラスの板がはめ込まれており、礼拝堂の様子が丸見えである。

だが、礼拝堂からはただの鏡にしか見えず、更に照明の具合で遠目からだと存在すら確認出来ないだろう。

礼拝堂と司祭室、二つの部屋を区切る壁は実は間仕切りの役目しか果たしておらず、音声はこちらに筒抜けになっているのに加えて数年前、璃正が防犯上の理由からマジックミラーを設置した事で司祭室から礼拝堂の様子は丸見えになっていた。

「さて・・・」

マジックミラーに向かい合うように椅子を用意するとそこに腰掛ける。

向こうでは雁夜がまさしく我が世の春のように歓喜に沸いている。

「まあ・・・今は喜ぶがいいさ。一分も経たずにそれは崩壊するのだから」

そう言いながら寛ぐ様に深く椅子にもたれかかる。

その視線の先には未だ破滅が直ぐそこにまで迫っている事に気付かない雁夜と、時臣が殺される瞬間を目の当たりにして、入口で呆然と立ち尽くす葵の姿。

言峰綺礼が初めて創作した喜悲劇、その本番が始まった。

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