その頃柳洞寺境内では・・・

士郎と連合との苛烈な戦闘の真っ只中にあった。

「はぁあぁあああ!」

セイバーの剣戟を最小限の剣捌きで受け流し、

「ふっ!」

ランサーの二槍は『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』に対する処理を最優先にして『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』はほとんど捨て置いている。

無論致命傷に繋がりかねないものは回避なり受け流す事に徹しているが。

そして思い出したようにと言うか常時降り注いでいる

「いい加減滅びよ贋作者(フェイカー)!我の下した決定に背くと言うのか!」

アーチャーの原典宝具の爆撃を軽快に回避し続ける。

威力は連合に参画したサーヴァントの中でも最大規模を誇るが何せ精度が悪い。

本来であれば精密な射撃も可能であるはずだが、先刻の挑発と侮辱に加えて自分の正当な断罪(アーチャー主観)を拒否し続ける士郎に怒りを爆発させ、士郎の肉体を四散させなければ気が済まなくなっている。

アインツベルンの城でケイネスが切嗣に抱いた感情と態度、ついでに攻撃を更に数十倍にスケールアップさせた、そう言えば判りやすいかも知れない。

であるのでセイバー、ランサーとの白兵戦に比べれば幾分楽なほうに入る。

むしろたまったものではないのはセイバー、ランサーであろう。

敵味方関係ないそれに巻き込まれかけた事、この短時間で既に二十回に届きつつあり、それによってセイバー、ランサーがエクスキューターの攻撃を妨害されている有様だった。

距離を取りたくても攻めたてられているはずの士郎が積極的に懐に潜り込む為士郎とアーチャー、双方に注意を払わなくてはならなかった。

「アーチャー!!貴様いい加減しろ!エクスキューターを討ち取る邪魔をするな!」

業を煮やしたセイバーがアーチャーを睨み付けて罵声を飛ばすが、それに対する返答はセイバーに対する攻撃だった。

「申し付けた筈だ。娼婦!我の許しなく我を見上げる罪を犯すなと!」

もはや誰が味方で誰が敵なのか全くわからない混沌とした情勢に突入していた。

そんな中、戦闘に加わっていないのは、士郎の猛攻で未だ行動が回復していないバーサーカー、そして・・・上空で戦況を見守るライダーだった。

「な、なあ・・・ライダー」

と、おずおずとウェイバーが声を掛ける。

「ん?何だ坊主」

そう応えるライダーの声は実に気だるげで一見するとやる気が無さそうに感じる。

しかし、その眼光は真逆で一秒所か一瞬の隙すら見逃さぬと言わんばかりに戦況を見守っているのはウェイバーでも判った。

「いや、戦いが始まってからここに居座っているけど・・・お前参戦しないつもりなのかよ?」

「今は出来ん」

「今は?」

「ああ、エクスキューターの奴め。乱戦をあえて演じておる」

「へっ?あえて?」

「ああ、良く見てみろ。ランサーと小娘が突っ込むよりも多く、自分から突っ込んでいるだろう?」

見てみれば確かにセイバーとランサーに士郎に肉薄するよりも、士郎が二人に接近している回数が多い。

前者を一とするならば、後者は三と見れば良い。

そんな状況でライダーが突撃を敢行すればどうなるのかウェイバーでも判る。

士郎共々セイバー、ランサーをも巻き込むのは火を見るよりも明らかだ。

更にライダーが介入する機会を難しくしているのはアーチャーの無差別爆撃で、それが最悪のタイミングでかち合えば、同士討ちで連合壊滅と言う悲惨な可能性すら出て来る。

それ故に動かない、正確には動く事が出来ない。

それを理解しているランサーは時折確認するように、同情するような視線を向けられるのだが、セイバーはと言えば憎憎しげな眼光を浴びせてくる。

それでも罵声を浴びせないのは、迂闊にライダーが突っ込めば混乱に拍車がかかる事を理解している為だろう。

この状況にウェイバーは本気で頭を抱えたくなった。

セイバー、アーチャーは戦意過剰で横の連携は皆無、互いに足を引っ張り合っているならばまだしも連合全体の連携を破壊し尽くしている。

ランサーはかろうじて冷静に戦線を維持しているが、ウェイバーの眼から見ても積極的とは思えない。

そしてバーサーカーは士郎の猛攻によるダメージがまだ抜け切れないのか動く事も出来ず、自分達は乱戦の状況では動くに動けない。

対エクスキューター連合を謳っているがその実はてんでバラバラ、それぞれが自分勝手に戦っているだけの代物、空中分解していないのが不思議な位の惨状だ。

「なあ・・・ライダー、どうしてこうなったんだろうな・・・」

力の無い呟きにライダーの返答は単純明快だった。

「そんなの金ぴかのマスターとあそこの馬鹿娘の所為だろ」









ライダーがここにいない時臣と馬鹿娘ことセイバーに全責任を押し付けたのには無論理由がある。

時間はエクスキューター連合が全員集結した直後まで遡る。

「ところで金ぴかのマスター、大事な事を聞き忘れておったのだが」

と『神威の車輪(ゴルティアス・ホイール)』が着陸するや御者台から降り立ったライダーが時臣に声を掛ける。

「今回のエクスキューター討伐、総指揮官は貴様と思えば良いのか?」

その問い掛けに時臣は自信を漲らせた佇まいで

「ええ、征服王イスカンダル。本来ここに集った陣営には上下関係は無いのですが、今の私は一マスターである以上に冬木の管理人(セカンドオーナー)です。その関係で恐縮ですが」

そこでライダーが遮る。

「あ~つまりは貴様が指揮官なのだな?では貴様に尋ねる?副指揮官、若しくは前線司令官は誰を据えるつもりだ?」

「??おっしゃる意味が良く判りませんが」

ライダーの問い掛けに本気で意味が判らないと言わんばかりの時臣の態度に眼光も表情も険しくする。

「もっと判りやすく言ってやろうか?要するにだ。貴様が指揮を取れなくなった場合、我らは誰の指揮で戦えばよいのかと聞いているのだ」

その言葉にランサーや舞耶が同意するように頷く。

確かに戦力面ではエクスキューター陣営に対して圧倒的なそれを手に入れている。

しかし、その戦力を効率的に運用するには司令官の存在が必要不可欠、その事をライダーは決戦を前に確認しようといていた。

しかし、時臣の口から出た言葉は

「何を仰るのかと思えば偉大なる征服王のお言葉とは思えませんな。戦力は既に上回り戦場においても我々の絶対有利に整えています。指揮官を整えずとも勝敗はもはや決しています」

「・・・つまり何か?貴様、そういったものは据えぬと抜かす気か?」

時臣の言葉にライダーの眼光が五割増で険しくなったが、横から

「遠坂の言う通りではないか征服王。今我々は非道を犯したエクスキューター打倒で一致団結している。司令官を置かずとも不安は一点も無いはずだ」

セイバーがしたり顔で口を挟んできた。

その言葉に賛同の意を露にしているのは時臣とケイネスのみでウェイバーは言葉を失い、ライダーは怒りと呆れ、そして僅かな憐れみの色を浮かべ、ランサーは愕然とした後、セイバーにどこか冷めた視線を、アイリスフィールは失望を露に、舞耶に至ってはその労も惜しいと言わんばかりに感情を動かす事も無かった。

「・・・判った。では貴様が指揮を取れぬ場合こちらは勝手にやらせてもらう」

そう言ってその身を翻し『神威の車輪(ゴルティアス・ホイール)』の元に戻って行った。

「お、おい・・・ライダー良いのかよ。そんなあっさりと」

ライダーがこうもあっけなく引き下がったのを見てウェイバーが声を掛ける。

「仕方あるまい。金ぴかのマスターに加えてあの馬鹿娘までが不要だと言っておるのだからな」

そういうライダーの声には何の感情も感じぬ機械のような声だった。

「で、でも・・・僕のようなド素人でも判るぞ。遠坂とセイバーの言い分が滅茶苦茶な事は」

「まあセオリーを無視しておる事は間違いないがあながち滅茶苦茶と言うほどでもないがな」

「へ?どういう意味だよ?」

「考えてみよ。余を含めた面子を統括出来るような奴がここにいるか?」

その言葉にウェイバーは改めて連合に参画した陣営を思い出す。

「・・・無理だ」

最初に思い浮かんだアーチャーだけでウェイバーは断念した。

あの誇り高いと傲慢が紙一重のあれを令呪なしで指揮するなど、想像すら拒否したくなる。

ライダーは傲慢と言うか我が侭放題のように見えて、それとなく自分をしっかりと立ててくれているがあのアーチャーにはそれすらないのだから。

唯一の解決案はアーチャー自身を指揮官に据えることだが、それも難しいだろう。

ランサー、バーサーカー、ライダーはともかく、セイバーが激しく反発する事は必至でアーチャーもセイバーを慮る事をする筈が無い。

「だろう?それに・・・口には出してはおらんかったが、金ぴかのマスターはおそらく恐れておる」

「恐れる?それって何に?」

「他の陣営のマスター、ないしサーヴァントが指揮権を持つ事さ」

「??なんで恐れるんだよ?」

いまいちピンと来ていないウェイバーにライダーは説明を惜しむ事をしなかった

「このエクスキューター連合が聖杯戦争の戦局において出汁にされる事をな」

「???」

意味深長なライダーの物言いにウェイバーは首を傾げる。

だが、程なくしてライダーの言葉の意味を理解した。

仮に自分が時臣の代わりに指揮官となった場合どういう風な運用をするだろうか?

おそらくだが、エクスキューター陣営討伐後に再開される聖杯戦争の事を考えてライダーを温存させ他の陣営・・・特にアーチャーを酷使しようとするだろう。

アーチャーが自分の言う事を聞くか聞かないかはこの際問題ではない。

問題は他陣営のマスターが指揮をと執る場合自分のサーヴァントを温存させて他陣営を消耗、あわよくば退場に追い込もうとする意思が働かないかどうかと言う事だ。

指揮を執るのがサーヴァントであっても油断は出来ない、マスターの意を汲んでその様に推し進める可能性が高い。

人間としては善良と言ってもよいウェイバーですらそう考えるのだから、他のマスターがどう考えるかなど直ぐに判る。

「でも・・・遠坂はどうなんだよ?あいつだってアーチャーのマスターだから・・・」

「あ奴には建前がある。管理人(セカンドオーナー)だったか?その立場を前面に押し出して総指揮官の立場を手にしたのだ、迂闊な事は出来まい。それにマスターだからと言え、あの金ぴかが他人の言う事を素直に聞くような玉か?」

「あ~・・・」

間が抜けた納得の声を漏らす。

「ま、ともかく、向こうがあそこまで自信満々に言ってのけたのだ、それならばお手並みを拝見させてもらうだけの事さ。仮に混乱した時にはその責任を金ぴかのマスターと馬鹿娘に取ってもらうだけの事。余や坊主、貴様に出来る事は無いさ」









時間は戻る。

事態はライダーの予見していた通りの事態となっている。

自信満々に不安などないと言い放ったセイバーが不安要素の一つとなっている事は皮肉以外の何者でもない。

だが、受けて立っている士郎も楽ではない。

セイバー、ランサーを相手取り白兵戦を挑み、ひっきりなしに降り注ぐアーチャーの爆撃を回避し続けると言う神経をすり減らすと言うよりも削り取られるレベルの苦行に、息は荒い。

だが、ここで、止める訳にもいかない。

そんな事をしてしまえば、セイバーらの猛攻に加えて遊兵にしていたライダーが戦線に加わる。

そうなれば士郎に勝ち目はない。

ライダーを封じる事でようやく時間稼ぎが出来ているのだからこそ無茶を承知で吶喊を続けている。

そもそもこれも状況が好転までの時間稼ぎに過ぎない。

そして何よりもそんな無理はそうも長くは続かないだろう。

(大分きつくなって来た・・・爺さん急いでくれ)

士郎は胸中で呟くが念話で急かす様な愚行はしない。

切嗣も今は自分と同じ位、若しくはそれ以上の苦行の真っ最中なのだろうから。









ほぼ同時刻、円蔵山麓では切嗣が山肌を疾走していた。

疾走と書いたが、斜面の為速度は思ったよりも出ず体力も消耗するので流石の切嗣も肩で息をしている。

だが、切嗣も士郎と同じように歩を止めるわけには行かなかった。

何しろ・・・

背後から猛烈な殺気を感じ取った切嗣は咄嗟に近くの木に身を隠す。

同時に今まで切嗣が走っていたルート上に黒鍵が何本も突き刺さる。

更に隠れている木にも突き刺さったので直ぐに移動を開始する。

(しつこい!)

咄嗟にキャレコで後方に乱射、牽制するがそれを意に介さぬと精度の高い投擲が返されてくる。

山肌を転がるように回避しつつ体勢を立て直して逃走を再開する。

それでもしつこい追撃に懐から手榴弾を取り出しピンを引き抜いて後ろに投擲。

それと同時に木の密集ポイントに潜り込む。

数秒後、爆発の轟音を聞きながら切嗣は呼吸を整え、少しでも体力の回復に努める。

先程から衝撃と破片をランダムに投擲しているので迂闊な接近は出来ないと思ったのか追っ手が近寄る気配はない。

切嗣が何故にここまで死に物狂いの逃避行を続けているのか?

それを知るには時間を戻さなくてはならない。

時臣らの包囲網を奇策で突破した切嗣は足がもつれそうになる斜面をものともせずに疾走を続ける。

と、何かが風を切る音を切嗣の聴覚が捕らえる。

それを聞いた瞬間本能で、

「・・・(固有時制御・・・二倍速)」

地面を蹴って横っ飛びする。

地面に叩きつけられながら直ぐに起き上がると同時に鈍い音を立てて長剣が地面に二本突き刺さった。

あのまま走っていたとしたら切嗣の背中をそれが貫いていたはずだった。

実物を見るのは始めてであるが切嗣はこれが何なのか知っている。

代行者が使う投擲用の長剣、黒鍵だ。

それと同時に闇から黒衣の僧衣が姿を現す。

その手には黒鍵を左右2本づつ指に挟み込んで。

その姿を認めた切嗣は左手にキャレコを右手にコンテンダーをそれぞれ握り締め臨戦態勢に入る。

そして数メートルほどで歩は止まり、

「・・・」

「・・・」

双方共に緊張感を抱きながら対峙する。

衛宮切嗣、そして言峰綺礼。

本来の歴史であれば終局直前でようやく対峙する事になった二人は今この地で初めて直接合間見える事になった。









「・・・衛宮切嗣、だな」

口火を切ったのは意外にも綺礼だった。

いや、綺礼にとっては意外でもなんでもない。

綺礼にとってこの状況こそ、最も待ち望んでいたことだった。

だからこそ彼は時臣の補佐以外には興味も関心も抱かなかったこの聖杯戦争に身を投じたのだから。

それに対して

「・・・」

相手の意図が全く見えない切嗣は無言で返す。

両手の銃の引き金には指が掛かっておりその気になればいつでも火を吹くはずなのだが、それをしない。

事実上連合側に与している綺礼がこうして攻撃もせず自分の前に姿を現したという不気味さもあるが、最大の理由はやはり舞耶の伝言だろう。

こうして直に対面してみてわかった。

似ている、と切嗣は実感した。

顔立ちではない、その眼光に込められたものや身にまとう空気がかつての・・・士郎を呼ぶ直前の自分と酷似していた。

返答が無い事に綺礼は落胆しない。

世間話する為にここにいる訳ではないし、する気もないのでいきなり本題に入る。

「・・・衛宮切嗣、貴様は何の為に聖杯戦争に身を投じた?この戦いに何を見出した?あらゆる場所で何処にあるのか、どのような形かもわからぬ答えを孤独に求め続けた貴様は聖杯戦争にどのような答えを見つけたと言うのか?」

切嗣の銃を握る両手が強張る。

うっかり引き金を引く危険を考えて指を離したほどだ。

舞耶が警告を出した意味がようやく判った。

この男はかつての自分に似た生き方をしていたのだと。

求められぬ答えを求め、自分が生まれて来た意味を問い続け、あらゆる方法でその回答を得ようとした。

切嗣が血みどろの戦いで求めたのに対し、綺礼は己の研鑽に求道の道を見つけたのだと。

だが・・・何かが違う、そう直感も働いていた。

切嗣と綺礼二人の生き方は似ているのに何かが違う。

微妙なと言うよりは本当に微細な差異を感じ取っていた。

だからなのだろう、切嗣は今の自分でなく、かつての自分になりきって綺礼に返答を返す。

その差異が何なのかを知る為に。

それは結論としてそれは最大の誤りであったのだが、それを知る術は切嗣には無かった。

「・・・ただ、この世の誰もが幸福であって欲しいと、誰一人として涙を流して欲しくない世界を唯ひたすらに求め続けた」

その独白を綺礼はどこか愕然とした表情で聞き入っている。

「だからこそ、多数を救い少数を切り捨て親であろうとも、友であろうとも一個の命として扱ってきた。だが、所詮、一人の力では限界がある、限度がある。だからこそ聖杯を求めた万物の願望器を。それを使いあらゆる争いをこの世から抹消させる。愛しき者をその生贄としたとしても」









その言葉を聞いた時、綺礼は目の前の男が何を言っているのか理解する事が出来なかった。

切嗣の独白を最初は困惑を抱きながら聞き入っていたが、それは混乱に成長し、最後には綺礼の思考が完全に停止した。

多数を救い少数を切り捨てる?

聖杯をもってあらゆる争いを抹消する?

ケイネスやウェイバーのように魔術師としての名声の為に聖杯を求めるより遥かに理想的であるが故に理解出来ない。

雁夜のように、桜を救うただそれだけの為に聖杯を求めるよりも多くの人を救う事だとしても承知出来ない。

時臣のような根源に至る為よりは現実的であっても、承服出来ない。

綺礼はこの時切嗣の正気すら疑った。

「・・・正気か貴様は」

その語尾には苛立ちの色が含まれていた。

「本気だとも」

それに対する切嗣の声は迷いの無い静かなものだった。

その声だけで綺礼は切嗣の言葉が一言一句真実なのだと言う事を理解した。

理解してしまった。

戸惑いは苛立ちに変化しつつあった。

「貴様は今言ったな?親であろうと友であろうと平等に一個の命として扱ったと。では貴様にとって大切なものが少数に加わったのであればそれすら切り捨てるというのか?」

綺礼は切嗣に否定して欲しかったのか、どこか縋る様な声で問いかけた。

それに対する切嗣の答えは当然と言えば当然の

「ああ、誰がいたとしても少数を切り捨てて多数が救われるならばそれを執行する」

淀みの無い声に綺礼の中の戸惑いは消え失せ苛立ちに取って変わった。

そして苛立ちは怒りへと昇華しようとしていた。

「・・・衛宮切嗣、貴様は知っているのか?貴様の妻が聖杯の器の担い手である事を」

「ああ」

「それを知って尚も妻を捧げると言うのか」

「その通りだ」

迷いも何も無い声だった。

心身ともにかつての自分になりきっていなければ、とてもではないが耐え切れないそれを切嗣は口にする。

「・・・つまりは貴様にとっては、あのホムンクルスの女は理想の為の都合の良い道具と言うわけか?口先で信用させて良い様に利用してきたと」

「そう取るのが当然だろうさ」

綺礼の怒りが篭り始めた声に切嗣は淡々と受け答える。

内心ではどうしてこれ程の怒りを相手が覚えているのかそれに対する仮説を構築しながら。

「彼女を犠牲にしない術も探った、求めた。だが、それは叶わぬ夢だった。ならば彼女を・・・アイリの犠牲を無駄にしない方法を取る。それだけが彼女に出来る」

「・・・もう良い」

切嗣の声を綺礼が遮る。

この声には純粋な怒りと憎悪が溢れかえっていたにも関わらず平坦で静かで・・・恐ろしいほど低かった。

そのトーンこそが綺礼の心境を如実に表していた。

「良く判った・・・嫌と言うほど判った・・・貴様と言う愚か者が何であるのかが」

次の瞬間躊躇いも無く綺礼は右手の黒鍵を投げ放った。

喉元と眉間へ何の躊躇いの無い必殺の一投だったが、突然の奇襲を前に切嗣は慌てず騒がず

「・・・(固有時制御・・・二倍速)」

回避してのけてから懐から手榴弾を投擲する。

先刻の破片手榴弾のことが脳裏に過ぎったのだろう、舌打ちしながら斜面を駆け下り蹲る綺礼の頭上で再び爆発が起こる。

暫くして起き上がり、駆け上るが既に切嗣の姿は消え失せていた。

どうやら今度は衝撃手榴弾を投じたらしく、周囲の木に痕は一切ついていない。

「逃がすか・・・」

そう呟き疾走する綺礼の胸中は純粋な怒りに満ちていた。

ほんの数分前までの期待は見事なまでに裏切られ、残ったのは失望だった、憤怒だった。

自分と切嗣が同じであると思っていた自分が果てしなく愚かだった。

確かに酷似していた。

二人とも求めても得られぬ答えを追い求め果てしない求道の道を歩み続けていた。

だが、そこに至るまでの行程は致命的に違っていた。

自分は唯一つの答えが判らず、それを手にしたくて歩み続けてきたのに対して、切嗣は目の前に良き答えがあるにも関わらず、より良き答えを求めてそれをゴミのように捨てて行っただけだった。

切嗣は自分の虚無を理解し恐れ警戒はしていただろう。

だが、あの男は知らない、知る筈が無い、答えを知らぬのに答えを求めて彷徨うと言う事の意味を。

それがどれほどの虚しさであるのかを。

そして答えを求め欲する叫びがどれだけ切実なのかを。

切嗣の答えは間接的に綺礼の人生を侮辱し見下し、嘲笑するに値するものだった。

それを見逃せるほど綺礼は甘くも優しくもない。

切嗣を串刺しにしなければ気がすまない。

切嗣を八つ裂きにしなければこの怒りは収まらない。

切嗣の・・・奴が理想の拠り所としている聖杯を奴の目の前で破壊し奴の絶望する姿を見てみたい。

怒りに身を任せた衝動に身を委ねた綺礼は駆け出す。

切嗣を、独り善がりな理想を現実に押し付けようとする愚者を処断する為に。

一方手榴弾で足止めをした後、再び逃走を開始した切嗣は綺礼が抱く虚無の奥深さを、そして自分との差異を改めて理解していた。

あの男の虚無が深いのも当然だった。

あの男には到達点というものが存在していない。

かつての自分は遠く、険しく聖杯と言う奇跡に縋らなければ成し遂げられぬ代物であるが、それでも『全ての人が悲しむ事無く苦しむ事の無い世界』と言う到達点が存在していた。

その為に親しき者を、愛おしき人を切り捨てたがそれでも、それを理想の為の犠牲だと割り切って(今ではそれはとんでもない愚行だと理解している)先を進む事が出来た。

しかし、あの男にはそれが無い。

到達点を目指そうにもそもそもその到達点が何処なのか?何なのか?如何すれば良いのか?

何ひとつとして判っていない。

暗闇で視覚、聴覚を封じられ、その状態で彷徨っているのと同じ状態だ。

その中で綺礼はどれほどの苦悩を抱き苦闘しながら、それを得られぬ絶望を味わい続けたと言うのか?

他人事で今は敵であるにも関わらず、切嗣は思わず綺礼に同情をしたくなるほどそれは険しい道のりだったはずだ。

だとすれば到達点を見出しており、更に手を伸ばせば手に入れられるものを容易く捨てていった切嗣に綺礼がどのような感情を抱くのか手に取るように判った。

そして自分をどうするかも

それを証明するように後方から猛烈な速度で獣のような殺気が接近してくる。

咄嗟に振り返りざまキャレコを乱射する。

その乱射を諸共せず黒鍵が襲い掛かる。

それをキャレコの弾幕が弾き飛ばす。

ここから文字通り命を賭した撤退戦が幕を上げた。









時間軸を戻す。

一先ず綺礼の足止めに成功した切嗣は、大きく酸素を取り込みながら少しでも体力の回復を図る。

(それにしても・・・)

呼吸が整ってきた所で切嗣の手はキャレコのマガジンを交換しながらもその思考は冷静に現状把握に努め始めた。

綺礼の追撃はまさしく凄まじく、キャレコと手榴弾を交えた足止めが無ければとっくに自分は死んでいた。

少なくとも現状は無傷ではいられなかっただろう。

しかし・・・妙な違和感を抱いていた。

追撃は苛烈であるが、逃げるだけの余裕を持たせているようなそんな気がしてならない。

何よりも・・・

(誘導されているような・・・いや、明らかに・・・)

先程から綺礼の追撃は切嗣を仕留めると言うよりも、切嗣の逃げ道を制限するようなものに変わっている。

間違いなく切嗣をどこかに誘い込むつもりだろう。

そしてそこには時臣らが待ち構えている。

(進めば更に連合の思惑通り、かと言って戻ろうにも)

綺礼という名の鬼がいる。

もはや綺礼は自分を殺す事に躊躇う事は無い。

進むも戻るも地獄に等しい状況で切嗣は進むしかなかった。

そんな決断を待ち焦がれていたように黒鍵の風切る音が耳を捕え、ぎりぎりで回避。

直ぐに走り始めるが、数分して、その追撃がぴたりと止まった。

そこは池のほとりで、切嗣の事前調査では確か柳洞寺の裏手の筈だった。

どうも逃走を続けている内に半周したらしい。

(ここが目的地か・・・)

時臣らの奇襲を、警戒しながら何気なく左足を後ろに下げた瞬間、切嗣の全身を悪寒が走る。

「・・・(固有時制御・・・二倍速)」

躊躇う事無く前方へと地面を蹴りつけて転がると同時に切嗣がいた場所に紅蓮の火柱が立ち上っていた。

「こいつは・・・がっ!」

突然左足に鋭い痛みが走る。

見れば左足をあの蟲が引き千切っている。

咄嗟にナイフを取り出すと、甲羅の隙間に寸分の狂い無く突き刺して切り裂いた。

蟲を始末してから直ぐに左足の状況を確認する。

脛部分を引き千切られたというよりは、食い千切られたと言った方が正しい傷は大きくは無いがかなり深い。

直ぐにベルトに通しているポーチから携帯用医療キットを取り出すと傷口をガーゼで覆い包帯を巻き粘着テープで固定した後止血帯で止血を行う。

応急手当を済ませると直ぐに立ち上がるが、左足に走る激痛に眉を顰める。

歩くのはかなり無理をすれば可能だが、走るとなれば傷口が広がる覚悟をしなくてはならないだろうし何より、もはや長距離を走る事は不可能だ。

つまりはここで敵を迎撃するしかない。

改めて切嗣は周囲を見渡す。

池と草むらがあるだけで身を隠す場所などある筈が無い。

つまりは迎撃する地点としては最悪なポイント。

そんな切嗣を嘲笑うように

「雁夜も良い仕事をするな。衛宮切嗣もはやここまでだな」

勝利を確信した声と自信にみちた笑みを浮べた時臣が、

「はっ、しぶといドブネズミも万策尽きたな」

『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を従えたケイネスが復讐を心待ちにした残忍な笑みで、

「・・・」

背後から無表情の綺礼が黒鍵を構えながら切嗣を完全に包囲した。

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