「!!!!!!!」
声なき咆哮を発したバーサーカーの左手から木魚が投げ付けられる。
一般的な木魚は大きくても直径三十センチだが、アルトリアの記憶が確かであれば柳洞寺の木魚は特注品の代物でその直径は六十センチを優に超える筈。
それがサーヴァントの怪力で投げ付けられれば、もはや凶器を通り越して立派な兵器。
しかもバーサーカーの能力で支配されていれば、それの脅威は更に跳ね上がる。
バーサーカーの魔力に支配された其れは不気味な唸りを上げて違える事無く、アルトリアに狙いを定める。
当然だが、それを受ける筋合いは無いアルトリアはロンゴミニアドの刺突でバーサーカー目掛けて木魚を突き返した。
その狙いは正確無比でバーサーカーが投じたそれ以上の速度でバーサーカーに迫り来るが、それを容易く回避、本堂の壁を破壊音を撒き散らしながら貫通、裏手まで吹っ飛んで行ったが、アルトリアはそれに気を掛けている余裕は無い。
「!!!!」
怨嗟の咆哮を撒き散らしながらバーサーカーが跳躍、丸太を両手で構え直し、アルトリアの脳天を叩き潰す、若しくは押し潰そうと振り下ろすが、丸太は虚しく空を切り地面へと叩きつけられる。
その危機を主よりも先に察知したドゥン・スタリオンも跳躍、バーサーカーと空中で交錯する形で回避した事で生じた結果だった。
だが、バーサーカーは着地するや、身体を反転させつつ丸太を振り回す。
振り回された丸太の先にはドゥン・スタリオンの横っ腹があり、このままでは叩き落されるか腹を丸太で抉り落とされるかが末路。
いくらドゥン・スタリオンが名馬であるとは言え、空中で方向転換出来る筈が無い。
かと言って魔力放出で更に上昇しようにも出来ない。
それをやればバーサーカーが・・・彼が丸太を砲弾の如く撃ち出すのは目に見えている。
ならば・・・
瞬時に決断を下すやアルトリアはドゥン・スタリオンから飛び降り、着地した時にはその手に聖剣を携えたアルトリアに戻っていた。
同時にドゥン・スタリオンの姿は霞のように消え失せ丸太は再び宙を切る。
「!!!!!」
交わされてしまったバーサーカーだったが、その闘志は衰える所か、むしろ更に燃え滾り、丸太を戦斧か大槌のように構え直すや満身創痍の外見から想像もつかない速度で跳躍、アルトリアの顔面をもぎ取ろうと言わんばかりに横に振り回す。
それをアルトリアは寸での所で回避するとお返しとばかりに下から斬り捨てようと振り上げる。
だが、バーサーカーもただで受ける筈もなく、空振りに終わった丸太を支柱のように立てるや、それを支えにして自身が跳躍、アルトリアの剣はバーサーカーの鎧、そして兜を掠めるだけの結果に終わる。
それにひるむ事無く反対側に着地するや自分の身体ごと丸太を回転させて再び死の暴風がアルトリアに襲い掛かる。
それを受け止める事、捌く事がどれだけ愚かな事か理解していたアルトリアはバーサーカーから距離を置くべく後方に跳躍する。
ある程度距離を空けられバーサーカーも一足飛びでは間合いに入る事は不可能だと理解したのか直ぐには突っ込まず、そのまま睨み合いに入る。
先程まで狂気に支配されていたとは思えないほどの冷静沈着なバーサーカーにアルトリアは苦い表情を浮べる。
(どれだけ狂気に、憎悪に支配されていようとも貴方は・・・)
そう思うともはや抑えられなくなった。
「・・・その様な偽りの得物で私が討てると思ったのか・・・そうだとすれば私も随分と舐められたものですね。確かに貴様は・・・いえ、貴方は私が知る中でも最強の誉れ高く、そして騎士の中の騎士。その貴方からしてみれば私など容易な敵なのでしょうが、その程度の代物で私を討ち取れるのだと見下されていたとは・・・」
その言葉に今まで蚊帳の外だったセイバーが反応を示した。
「どう言う事だ!貴様、あのバーサーカーの正体を知っているのか!!」
その言葉にアルトリアは信じられない、その感情を露にした。
「まさか、彼の正体に気付いていないと言うのか?他ならぬ貴様が?」
「な、何だと?気付いていないとはどういう意味だ!」
セイバーはアルトリアから向けられる怒りというよりは呆れの視線にむっとしながら返事を返す。
そしてその返事だけでアルトリアはセイバーが本気でバーサーカーの正体に気付いていない、若しくはかつての自分のように気付いていない振りをしているのだと言う事を理解した。
「・・・そうですか・・・気付いていないのかそれとも気付きたくないのかは判りませんが・・・どちらであったとしても他ならぬ私や貴様が眼を背けてどうすると言うのか!私も貴様も彼の事からは誰よりも逃げてはならないと言うのに!」
「に、逃げる?だとそれはどう言う意味だ!」
「こう言う事ですよ」
そう言うとアルトリアはバーサーカーに再び視線を向ける。
「私の事が憎いか!であればその兜を取り素顔を晒すが良い!私を滅ぼしたいと思うか!ならば貴方の真の宝具で私に向かってくるが良い!私に絶望を見せたいか!ならばむき出しの貴方の姿を見せ付けるが良い!私が本来背負わねばならなかった罪を浴びたその御身を!」
アルトリアの一喝に今一度、飛びかかろうとしていたバーサーカーの動きが停止した。
いや、停止しただけではない、構えを解くと、丸太を放り捨てた。
紙くずのように投げ捨てられた丸太は柳洞時本堂の屋根を突き破り本堂は修復不可能なほど状況に追い込まれた。
徒手となったバーサーカーだが、新たな武器を手にする気配は無い。
と、バーサーカーの全身が震え始める。
「??」
「・・・」
全身が震え砕けかけた鎧にひびが走り、それが金属同士のぶつかり合う音を無数に発し続ける。
同時に兜の奥から別の音が耳に届けられる。
軋む音にも唸り声にも、若しくは啜り泣きにも聞こえるその音を
「・・・笑い声??」
セイバーがそう呟いた時全身に悪寒が走る。
彼女の直感が最大限の悲鳴を上げていた。
『あの狂戦士の正体に関心を示すべきではなかった』と。
『どのような手段を用いてでもあの狂戦士は速やかに葬るべきだった』と。
だが、もはや時は巻き戻らない。
全身を覆っていた黒き霧がバーサーカーに吸い込まれるように消え失せその姿を露わにしていく。
セイバーの表情に恐怖が表れる。
アルトリアの表情に苦渋のそれが見て取れる。
士郎の手による破壊の跡が痛々しいが無事な部分を見ればわかる。
その鎧が当時において最高の技術と最高の匠によって生み出された最高の鎧なのだと。
その鎧に無数に付けられた数多の疵が身に着けた者の武勇と武勲を無言の内に証明する理想の戦化粧を。
その様な最高の鎧に理想の疵をつけ、戦場を駆けた騎士をセイバーは知っていた。
だが、彼である筈が無い。
あってはならない。
騎士としての忠節を、武勇を極めた理想の騎士である筈の彼。
そんな彼があのような姿に堕ちる筈が無い。
目の前の現実を必死に否定しようとするセイバーを嘲笑う様に完全に黒き霧が消えてなくなりバーサーカーの手には鞘に納められた一振りの剣が握られている。
「ぁ・・・ぁぁぁぁぁ・・・」
幼子のように首を横に振って現実を否定しようと躍起になる。
だが、そんな無駄な足掻きで現実が覆る筈もない。
まるでセイバーに、アルトリアに見せ付けるように剣はゆっくりと引き抜かれた。
その剣に刻まれた精霊文字は自分達が握る聖剣と同じ人ならざるものが鍛え上げた神造兵器である事の証。
静かに夜を照らす月の光を反射する刀身はまるで波一つない静かな湖面の如く。
その剣の名をセイバーが、アルトリアが知らぬ筈が無い。
『無毀なる湖光(アロンダイト)』、当世最高にして最強を誇ったある騎士に『完璧な騎士』の名声と共に贈られた名剣。
その剣こそが彼が何者であるのかを万の言葉をもってしても足りぬほど満天下に指し示す証拠に他ならない。
「違う・・・違う・・・貴方である筈が・・・」
『無毀なる湖光(アロンダイト)』の存在を見て尚もそれを否定しようとしたセイバーだったが、
「・・・ヴァ・・・ガァァァ・・・」
憎悪と殺意の満ち満ちたバーサーカーの唸り声が引き金となったのか、兜がアルトリアによって斬り付けた所から真っ二つに割れた。
その黒髪は間違いなく彼だった。
だが、あの面容は何だ?
かつて数多の貴婦人を魅了し虜にした麗しき美青年の面影は欠片もない。
憎悪と狂気に支配され見るもおぞましき凶貌を晒しその視線は紛れもない憤怒と殺意を、そして『無毀なる湖光(アロンダイト)』の切っ先をアルトリアへと向けていた。
主君に決して向けてはならぬそれを向けられたアルトリアは悲嘆に染め上げられながらも決して眼を逸らさない。
一方、向けられていない筈のセイバーはその素顔を見てしまった瞬間、今まで一度も重さを感じた事の無かった鎧の重さに押し潰されるように膝を突いていた。
それほど恨まれていたのか・・・憎まれていたのか・・・狂気に堕ちるほどに深く重く。
両の眼から大粒の涙が零れ落ちる。
その手から常勝を誇った聖剣がするりと零れ落ち地面へと落下する。
そして澄んだ音を立てた時、セイバーの闘志は完全に折れた。
「そんなにも・・・私が憎かったのか・・・私を恨むのか・・・教えてくれ・・・頼む・・・頼むから教えてくれ!!サー・ランスロット!我が朋友よ!!」
セイバーの悲鳴にも似た慟哭が引き金となったのかバーサーカーは地を蹴り駆け出す。
ただし、失意のどん底に沈むセイバーには眼もくれずアルトリア目掛けて突撃を敢行した。
「ヴァァァァァァァガァァァァァァ!」
抑える事なき憎悪を、抑える必要もない殺意を総身に・・・爪先から『無毀なる湖光(アロンダイト)』の切っ先にまで滾らせ、それでも収まらぬのか咆哮しながら。
一方のアルトリアは苦渋の表情を崩す事無く、だが聖剣を握るその手は緩む所かむしろ力の限り握り締め、バーサーカーの突撃を真っ向から迎え撃つ。
そして二振りの神造兵器がぶつかり合い鍔迫り合いをはじめた。
セイバーの悲嘆の叫びを士郎も確かに聞いた。
「サー・ランスロット?それがバーサーカーの真名?」
今回の聖杯戦争の中でただ一人、その正体が完全に不明であったバーサーカーの真名に思わず声を出す。
しかし、今までのバーサーカーの戦いぶりを思い返してみれば、ランスロットの伝承と重なっている。
友の名誉を汚さぬ為正体を隠して馬上試合に臨んだ逸話は、姿をステータスすら隠蔽する能力に。
謀略によって己が得物無きまま敵刃が迫る絶体絶命の危機においてはあろう事か棒切れ一つのみでそれを打破してのけた無双の武錬はあらゆるものを己の宝具に変えていく能力と重なる。
しかし、ランスロットと言えば円卓最強を誇る『湖の騎士』、サーヴァントとして召喚されるのであればそのクラスはセイバーが妥当である筈、それがあろう事かバーサーカーとして呼ばれるとは・・・
だが、士郎にランスロットがバーサーカーとして顕現した理由に言及する余裕は無い。
『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』一本のみとなったランサーの攻勢は激しく二槍であった頃を凌駕している。
だが、それも当然と言えば当然。
槍の真骨頂は何かと問われれば突きに他ならない。
狙点は狭いが速度は剣に比べれば圧倒的に速い。
苛烈な刺突の数々を士郎は夫婦剣の数の利で捌いているが、それも心許なくなってきた。
ランサーの実力もそうだが、それだけではない。
アルトリアが一気に決着をつけるべく解き放ったロンゴミニアドの負荷は軽くは無い。
凛、ルヴィア、桜、イリヤ、カレンは戦闘を停止して、独立行動でのこちらからの魔力供給を停止しているからこの程度の消耗で済んでいるが、長期戦となればどうなるかは不明。
ならばここで決着をつける。
そう決断を下すや、士郎は躊躇い無くランサーに肉薄すべく刃幕の中に飛び込む。
次々とランサーの刺突が士郎の身体を切り裂き真紅の霧が舞うが、致命傷となる一撃だけを対処しているが故にどれも傷は浅い。
更に刃幕の密度を増して士郎を退けようとするランサーだが、それでも士郎の歩を止めるには値しない。
数秒にも満たぬ苛烈な攻防の末に遂に士郎は刃幕を突破、懐に飛び込むや夫婦剣でランサーを斬り捨てんと振るう。
だが、ランサーも歴戦の勇士、これでおとなしく斬り捨てられる訳もなく、紙一重で回避、槍の刺突の有効距離を取り直し渾身の一撃を回避され硬直している士郎目掛けて自身の繰り出しうる最速の一撃を繰り出す。
狙いは士郎の喉笛。
それをかわしきれないと判断したのか咄嗟に夫婦剣を交差させて受け止める。
しばし拮抗していたように思われたが、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』が押し勝った。
ひびが入ると同時に澄んだ音を立てて夫婦剣は粉砕される。
だが、肝心の士郎は受け止めていた時間を無駄にせず咄嗟に回避してのけた。
苛烈な攻防は振り出しに戻り好機を逃し悔しがっていると思われた士郎の口元に小さく笑みが浮かぶ。
そしてその笑みを視界に捉えたランサーは、背筋に悪寒を覚えていた。
その時根拠も無くランサーは確信を抱いていた。
自分は・・・致命的なまでに士郎の術中に嵌ってしまったと。
「ヴァァァァァガァァァァ!!」
「・・・っ!」
一方、バーサーカーとアルトリアの鍔迫り合いは互いに一歩も退かぬ拮抗状態を保ち続けている。
その気になればまだまだ鍔迫り合いを続けられるが士郎の疲弊を考えればそれも出来る筈も無い。
「おおおおお!!」
魔力を一瞬だけ放出する事で拮抗を一時的に崩し、その勢いのままバーサーカーに蹴りを加えて距離を取る。
更に魔力を放出する推進力をも利用する事で、バーサーカーは吹っ飛びその目論見は成功した。
本堂の壁へと突っ込みそれを破壊しながら本堂の闇に飲み込まれたバーサーカーをアルトリアは油断なく警戒を続ける。
やはりバーサーカー・・・いや、ランスロットは強敵だ。
自分が参戦した聖杯戦争、そして士郎と共に駆け抜けたかの大戦争でアルトリアはランスロットをかろうじて退けている。
だが、それも前者は思わぬ幸運を掴んだ(おそらく魔力切れによって生じた隙をついた)不本意なものであり、後者は多くの仲間と聖剣の力を借り受けての勝利、自分一人の力で勝ち取ってと言う勝利は生前も含めてもただの一度も無い。
それを恥だとか屈辱だとはアルトリアは思わない。
むしろその様な無双の騎士と同じ時代で生きた事を今でも誇りだと誉れだと思っている。
だが、現状ではそれが仇となっている。
短期決戦はやはり無謀だと今の鍔迫り合いと再認識したアルトリアは不本意極まりない持久戦を選択した。
(シロウ、すいません)
奥歯を食い縛り改めて剣を握り締めると同時に
「ヴァァァァァ!ガァァァァァ!」
バーサーカーが猛獣の如き勢いで再びアルトリアに襲い掛かる。
本堂をもはや修復不可能なほどの大きな破壊痕を残しながら。
「おおおおお!」
アルトリアも自身の感情を胸の奥に仕舞い込み地を蹴りバーサーカーを迎え撃つ。
再びぶつかり合う二振りの聖剣、そこから再び激しき死闘が再開される。
そんな激しくも見る者全てを魅了させる一騎打ちを尻目にセイバーは絶望を全身で表現しているような面持ちで未だ膝をついていた。
その瞳にも力は無く光も無い。
ただただ呆然と二人の騎士の死闘に眼を向けているだけだった。
彼の怨嗟を見るたびその悔恨は大きくなる。
セイバーには心当たりがあった。
何故ランスロットが自分に恨みを向けるのか、憎しみをぶつけようとするのか。
ランスロット・・・円卓最強の『湖の騎士』であり、円卓崩壊のきっかけを作り出した『裏切りの騎士』。
全ては彼が、一人の女性と恋に落ちた事から始まった。
それも不義の恋・・・夫のいる女性との恋を、しかもその相手は自らが仕える主君の妃ギネヴィア。
その問答無用の不忠をセイバーは不忠だとも不義だとも思わなかった。
そもそも自分は女、実質は同性婚の矛盾、苦汁を自分は妃に押し付けてしまった事への後ろめたさと、何よりも相手がランスロットである事の安堵の方が大きかった。
だが、結局はその秘密は白日の下に晒され、セイバーはギネヴィアを処断するしか術は無くなり、ランスロットはギネヴィアを救う為王を、国を裏切り、円卓は崩れ始めた。
それを恨んでいる、憎んでいる。
ギネヴィアに汚名を被せ苦しめたかつての国を、自分を貶めた自分を。
でなければあれほどの怒りを、怨恨を、憎悪を向ける筈がない。
「ヴァァァァ!ガァァァァ!」
崩れていく・・・今まで自分が誇りとしてきた事が、誉れだと信じてきたものが、バーサーカーの咆哮を聞く度に。
「・・・も・・・う・・・やめて・・・くれ・・・」
流れる涙を止める事も出来ず掠れた声でセイバーは懇願する。
だが、誰の耳にも入らない。
「やめ・・・止めて・・・止めてくれ・・・もう・・・もう・・・もう止めろぉぉぉぉ!」
懇願の声が絶叫となっても止まらない、止める事はできない
この時のセイバーは完全に誰からも相手にされぬ、そんな存在だった。
一方・・・
「ぁぁぁぁぁ・・・」
大声を上げず・・・正確には声を上げる余力すら完全に無くした雁夜がのた打ち回っていた。
魔術回路所か爪の先端まで絞り上げるような激痛が原因だった。
本来であれば周囲に響くほどの悲鳴と絶叫を上げてもおかしくないほどのそれだったが、今の雁夜は満身創痍の上に実際に死人だった。
痛みすら雁夜の意識を覚醒させるには及ばず、僅かに認識できる苦痛に呻き声を上げていた。
何が起こったのかは判らない。
だが何が原因なのかは今の雁夜でも判る。
バーサーカー、己のサーヴァントと言っておきながらマスターである自分の足を引っ張る事しか出来ぬあの狂戦士がまた自分の都合も考えず暴れまわっているに違いない。
そんなバーサーカーへの憤りの声を上げようとしたが雁夜の口からは苦悶の呻き声しか出せれない。
「ぁぁぁぁぁぁ・・・」
この苦痛が永遠に続くものなのかとそう考えすらもした。
だが・・・不意に雁夜の意識が覚醒する。
一体どれ位苦しんでいたのかは判らない、数秒か数分か、若しくは数十分だったのかも知れないが時間の感覚もあいまいな雁夜には判らない。
だが、一つだけはっきりと判っている事があった。
あれほど自身を苛んでいた苦痛が止んでいる。
「・・・・ぁ??」
どう言う事なのか全く理解出来なかった。
理解出来ないまでも身体は何をするべきなのかわかっていたのか
「・・・ト・・・キィ・・・オォ・・・ミィィィ・・・」
再び這いずりながら時臣らの下へと向かう雁夜。
そんなある意味本能のみで動いているからこそだろう、雁夜は気付く事がなかった。
雁夜の手に刻まれた令呪・・・残り二画であった筈のそれが何時の間にか一画になっている事に・・・
境内で行われている二つの戦い・・・士郎とランサー、アルトリアとバーサーカーの戦い、その終わりは双方共に唐突だった。
ランサーは自分が士郎の術中に嵌ったことを直感で理解した。
したのだが、何に嵌ったのかがまるで判らない。
判らないのだが、それでも距離を取るべく後退しようとした時、ランサーは士郎の術中が何であるのかそれを理解した。
砕けた事で魔力へと戻っていく夫婦剣のはずなのに実際消えていくのは一本、もう一本は未だ消えようとしない。
いや・・・士郎の手と砕けた剣の破片、そして片割れの夫婦剣で良く判らなかったが、何時の間にか一本変わっている。
そしてあれは紛れも無い・・・
次の瞬間、士郎はその折れた剣を逆手に持ち直すやランサーの懐に三度潜り込み、
「これで・・・終わりだディルムッド」
柄をランサーに押し付けるやその真名を解放する。
「小なる激情(ベガルタ!)」
同時に柄からあふれ出た魔力が一本の槍となってランサーの胸部に風穴を開けて柄諸共消滅、ランサーの手からは『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』が離れ、それは数秒宙を舞い、地面に転がっていく。
それに釣られる様にランサーもまた宙を舞いそして倒れた。
そんなランサーを士郎は起こす。
胴体の中心部分に大きく穿たれた穴、それは内臓や動脈、静脈を消し飛ばし、ずたずたに切り刻んだ惨劇を過不足無く見せ付けており誰が見ても致命傷だった。
それでも心臓が被害を免れたのは奇跡的だったが、それでも長くはない。
「ぅぅぅ・・・は、ははは・・・流石ですな・・・エミヤ殿・・・あの一瞬で・・・ベガルタに投影し・・・直し・・・俺の手で・・・ベガルタをはか・・・っ!」
ランサーの口から弱々しい賞賛ではなく鮮血が吐き出される。
「・・・一気に決着をつけるにはこれしかなかったからな・・・」
それにと呟きかけて士郎は口を噤む。
士郎が口に仕掛けた事、それは士郎だけの自己満足に過ぎない事を理解していたからだ。
そう・・・『せめてディルムッドに騎士としての最期だけは与えてやりたい』・・・
アルトリアが経験した聖杯戦争でディルムッドは騎士としての末期を与えられる事無く無念を抱き消滅していった。
切嗣の手法が間違いだったとは思わない。
だが、ディルムッドの無念を思えば平静でいられないのもまた事実だった。
だからこそこの聖杯戦争では彼に相応しき最期だけは与えたかった。
自分勝手な考えだと自覚していてもそう願った。
そんな士郎の内心など理解しているのかランサーは弱々しくも満足した笑みを浮べた。
見ればランサーの足は消滅し始めている。
「・・・感謝に堪えません・・・俺に・・・このような素晴らしき・・・末期を与えて頂き・・・感謝しま・・・」
その言葉が終わるか否かのタイミングでランサーは光の粒子となり消滅した。
『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』も主を追うように消滅する。
「・・・フィオナ騎士団、輝ける貌のディルムッド・オディナ・・・討ち取ったり」
静かに士郎はそう呟いた。
それがディルムッドに対するせめてもの鎮魂の言葉であるかのように。
士郎とランサーの戦いの結末が互いに武錬と知略を尽くした事によるものだとするならば、アルトリアとバーサーカーのそれは唐突、この言葉をもってしてもまだ足りないと言う他無いほど突然に訪れた。
数合打ち合い続け、再び距離を取るアルトリアとバーサーカー。
純粋な技量ではランスロットに分がある、しかし、アルトリアは魔力放出によるブーストでその差をカバー、総じて互角の勝負を演じてきた。
しかし、まずいとしか言い様が無い。
これでは長期戦になる事は必定。
そうなれば自分が追い詰められるのは明白だった。
であれば・・・強引であろうとも拮抗を崩し、そこに光明を見出す!
「はぁぁぁぁ!」
「ヴァァァァァガァァァァァ!!」
片や決意の、もう一方は狂乱の咆哮を口から発すると計ったように地を蹴り駆ける。
そして、お互いに剣を振りかぶったその瞬間バーサーカーの動きが止まった。
前触れなど何も無いそれは、ビデオの一時停止の如きあまりにも突然の急停止だった。
「え?」
アルトリアですら予想もしていなかったこの事態に勢いのついた一閃は止まらず止められず無防備に棒立ちとなったバーサーカーの鎧を砕き、肉体を斬り裂き遂には両断した。
斬り裂かれたバーサーカーはしばし剣を振り上げた体勢で硬直していたがやがてアロンダイトを手放すと大の字に地面に倒れ付す。
「!!」
事が終わった後ようやく事態を飲み込んだアルトリアの表情が愕然と呆然を無い混ざったそれに変わった。
「ランス!!」
悲鳴のような声でバーサーカーを抱き起こす。
「何故だ!何故!何故!」
絶叫に等しい声で問い質すアルトリア。
それも無理らしからぬ事だろう。
これはまさしく自身が参戦した聖杯戦争での再現に他ならなかったから。
だが、このような結末を再現させた原因は全く異なっていた。
前回ではマスターである雁夜の魔力切れによるものであったのだが、今回は苦悶に悶えていた雁夜が生存の本能・・・もしくは執念に従って令呪でバーサーカーに命じたが故だった。
『バーサーカー止まれ』と・・・
単純な命令であるが故にその効果は絶大だった。
「答えろ!ランス!何故だ!何故!」
「・・・王よ・・・」
と、悲痛な声でランスロットに問い掛け続けるアルトリアの耳に静かな聴きなれた声が聞こえてきた。
バーサーカーの顔を見るとその表情は穏やかで静かな・・・それはまさしく『湖の騎士』の誉れ高き頃のランスロット佇まいだった。
消滅は避けられぬ事となったが故に狂化スキルから解き放たれた為だった。
「ランス・・・」
何時の間にかセイバーがバーサーカーの元に駆け寄っている。
その表情に覇気も闘志も感じられない。
バーサーカーの正体を知った事でそれらは跡形も無く消滅してしまった様子だった。
「・・・王よ・・・全く持って私は・・・愚かで度し難い。一体幾度貴方に不忠を働けば気が済むのか・・・」
「!、そ、それは!!」
否定しようとするセイバーの言葉に重なるように
「その通りだ。ランス、あなたは愚かな不忠の騎士だ」
アルトリアはランスロットの言葉を肯定した。
「!!何を!」
セイバーの憤慨の声を無視してアルトリアは続ける。
「貴方とギネヴィアの不義の恋、それが円卓を割り、ブリテンを崩壊に導いた。そして死しても尚、私に対する私的な怨恨で狂い、私に剣を向けた。誰がどう見ても今の貴方は不忠の騎士だ。円卓に汚泥を塗った裏切り者だ」
「・・・はい・・・その通りです・・・」
アルトリアの残酷な弾劾の数々をランスロットは顔色一つ変えず、むしろどこか安堵したような表情でそれを受け入れる。
一方ランスロットへの弾劾に我慢が出来なかったのはセイバーだった。
「!!貴様ぁぁぁ」
アルトリアの顔面を力の限りに殴り付けた。
周囲に鈍い音が響き渡り、アルトリアの左頬は腫れ上がり、口の端からは血が一筋垂れる。
だが、アルトリアの表情は何も変わらない。
セイバーに殴られた事にも全く頓着する事無くランスロットを見つめ続ける。
「・・・しかし、同時に私は貴方に謝らねばならない。ランス、すまなかった」
そう言って抱きかかえたまま、頭を下げた。
「お、王よ??何故・・・!!」
信じがたいように言葉を発しようとしたランスロットだが、アルトリアの顔を見た時言葉を失った。
アルトリアの瞳から一筋の涙が零れ落ちていた。
「ランスよ、確かに貴方は円卓の、ブリテン崩壊の導火線を作った。しかし、それに火をつけたのはこの私だ。私は・・・貴方とギネヴィアの関係をアグラヴェインの告発の前から知っていたのだから」
懺悔にも似た声とその内容にランスロットは驚愕に顔を歪めた。
「・・・愚かであったのは私も同様だったと言う事だランス。いや、愚かさで言うならば私の方がより深くより重い。何故ならば私は知っていながらそれを放置した。いや、それどころか内心ではそれを擁護すらしていた。今の貴方であれば知っている筈だ、私が男であると偽っていた事を」
「・・・はい・・・」
「それによって苦しめられた彼女を私は救済する事は出来なかった。その彼女の救済となったのは貴方だった。それを知った時私は心の底から安堵した。貴方であればギネヴィアを影で支え救いとなってくれる筈だと確信すら抱いていた」
そこでアルトリアの表情が変わる。
そこには深い後悔しかなかった。
「私が純粋な私人であったならばそれも良かっただろう。だが、私は王と言う国を治める機械だった。そうであると言うならば、私は知った時に貴方とギネヴィアを罰せなければならなかった」
「な、何だと!何故罰せねばならぬのだ!」
思わず口を挟んだセイバーの抗議に淡々と答える。
「それが王だからだ。王はその身を捧げ国の民の繁栄を願い、国の不正を正すシステムであらねばならない・・・違うか?」
その言葉にセイバーは声を失った。
それは聖杯問答でライダーに対して言った事だった。
それを否定すると言う事は自分の行き方も否定すると言う事だった。
「王妃と言う王の所有物に手を出したそれは紛れもない重罪。その時点で王はその不忠者を処断せねばならなかった筈。だが、私はそれをしなかった。王として人の生き方を捨てた筈の私はあの時だけは人の感情を優先した。優先してしまった!王としての生き方をあの時は最も貫かねばならなかった筈だったのに!!」
アルトリアの懺悔じみた独白にセイバーもランスロットも口を挟む事が出来なくなった。
「・・・王である私自身が処断を下したとすれば貴方もギネヴィアも納得したでだろうし、それによる犠牲も最小限で済んだ筈だった。またどうしても処断したくないのであれば、貴方達と協議して一芝居打ってでも円満な解決を図れることも出来たかもしれない」
例えばギネヴィアと離縁し彼女をランスロットの元へと降嫁させる、ギネヴィアを表向きは死んだと公表して姿を隠してもらいほとぼりが冷めるのを見計らって身元などを偽ってランスロットと改めて婚姻を結んでもらうなど、手段はいくらでもあるだろうし、不本意だが、マーリンの手を借りれば成功の算段は更に高まっただろう。
しかし、アルトリアはそうしなかった。
己が胸にだけ納めて置けば良いのだと、大丈夫だと自分に言い聞かせ見て見ぬ振りを続けた。
「・・・結局の所私がしたのは事態を大きくし、重くさせ取り返しのつかない所にまで追い詰めてしまっただけだった。その後は言うまでも無い。アグラヴェインが貴方達の不義の告発をした事で破滅の導火線に火がつけられ、アグラヴェイン、ガヘレス、ガレスは貴方の手で殺害された。いや、あの三人もまた私が殺したも同然だ」
「王よ・・・それは・・・」
「違わない。ランス、私が殺したも同然なのだ。真実を直視する事から逃れその責を貴方とギネヴィアに押し付けた卑怯者である私が。すなわち私もまた貴方と共犯なのだ・・・だからランス」
そう言ってアルトリアはランスロットの手を握る。
「自分を許せとは言わない。私にそのような事を言う資格は欠片も無いのだから。だが!だが・・・頼む、せめてせめてブリテンの誉れであった自分を否定しないでくれ・・・騎士の中の騎士であった自分だけは認めてやってくれ・・・」
しばし、呆然とアルトリアを見つめるランスロットだったが、いよいよ消滅を始めた時、彼もまた一筋の涙を流した。
「・・・王よ・・・我らが円卓の導よ・・・我が身の断罪のみならず・・・そのようなお言葉まで・・・なんと言う・・・」
その言葉は最期まで語られる事は無かった。
ランスロットの身体は光に包まれ、その直後粒子となり、完全に消滅した。
アルトリアとセイバー、二人のアーサー王によって看取られるという望外の恩賞を賜って。