時臣が何故か妻の実家に足を向けたのはエクスキューター討伐の準備が完全に済んだ夕方近くの事だった。

事前に連絡を入れていたので時臣が来訪した時、門前には凛がいた。

そういう風に指示したのは時臣であるが、それを差し引いても時臣は門から先に入る気は毛頭ない。

今の自分は聖杯を手にせんと欲するマスター、その身には殺意と闘志と覇気が漲っている。

その状態の自分が妻の実家とは言え、今は魔術と縁も所縁も無い場所にいたずらに足を踏み入ってはならないとの判断だった。

そんな自分を尊敬と憧憬の入り混じった視線を見上げる凛の表情は、どこか緊張を帯びていた。

用件は何を言っていなかったが、聖杯戦争と言う一大決戦に身を投じている父が、その最中に主戦場である冬木を抜け出してここに訪れあまつさえ自分を名指しで指名するのだ、どう考えてもただ事ではない。

実の所ここを訪れる予定は時臣にはなかった。

次に愛しい妻に娘に会うのは聖杯を手にし、根源の道を獲得した時だと己に誓約していたにも関わらず、それを反故にしたにはやはり暗殺された璃正の存在がある。

自惚れ、そう言われれば反論のしようも無いが、時臣はあの時まで自分が死ぬと言う未来図は思考の水平線の彼方まで存在はしなかった。

それだけ自分の戦略、アーチャーの戦力、何よりも監督役である璃正の後ろ盾に絶対的な信頼を置いていたのだが、璃正の死は改めてだが時臣に物事に絶対は無いと言う事を突き付けた。

無論自分の優位が無くなった訳ではない。

だが、万に、億に、兆に一つの可能性で自分が志半ばで逝く事を想像してしまったのも事実であり、それが時臣に己の誓約に背いてまでここを訪れさせた最大の理由だった。

だが、実際こうして娘の前に立つ何を言っていいのか判らない。

せめて凛が口火を切ってくれれば正直助かるのだが凛はと言えば

「・・・」

無言で父の言葉を待ち続けている。

よく見ればその身体は小刻みに震えており、極度の緊張が未だ幼い少女の身体を蝕んでいる事は疑いようの無い。

そんな娘を安心させようと思ったのか時臣は片膝を突き娘と視線を合わせると静かに口を開く。

開いてしまえば後は容易い、遠坂の当主としての心構えに始まり家宝の取り扱い、大師父の伝承、工房の管理その他諸々・・・

時臣は簡潔にだが要点は外さずに凛へと言い含めるように伝えていく。

それに対して凛は父が自分と同じ目線になった事には少々面食らったようだったが、時臣が口を開くと一言一句聞き逃すまいと耳を傾け続ける。

この少女は判っているのだ、父から告げられた言葉の数々は遠坂の後継者として認められたと言う何よりの証拠だと言う事を。

だからこそ最初の緊張など嘘のように消え去り、父へ曇りなき信頼と敬愛を向け続ける。

そんな娘の姿勢を時臣は誇らしげに見つめる。

時臣にとって凛は・・・そして養女として出してしまったが為にもはや自分の娘と呼ぶ事の出来ぬ桜もまた紛れもない宝だった。

魔術師としての優れた才覚に重きを置いている側面も否定しないが、それでも時臣は彼なりに娘達を愛している。

それは今でも変わらない、絶対の真実だった。

だが、そんな曇りなき信頼に満ちた視線を向けられている内に時臣に一抹の悔恨の念が過ぎる。

己が優れた魔術の師であることは胸を張って誇れる。

しかし、自分は凛にとって誇れる父親なのだろうか?

もしも・・・本当に万が一の事態が起こってしまった時、それは凛が自分と言う導き手を永遠に失い、時臣よりもはるかに苦しく険しい道のりに放り出されてしまう事を意味する。

そうなった時にも自分は娘達に誇れる父親としてあれるのだろうか・・・

そんな堂々巡りの思考を突然

「ひゃっ!」

凛の短い悲鳴が遮った。

はっと我に返ると、自分の手が凛の頭に乗せられている。

どうやら不安、悔恨、希望・・・悲喜交々の感情に操られるがままに無意識に凛の頭を撫でていた様だった。

突然の事で驚いた声を出した凛だったが、その後は心から嬉しそうに頬を緩め、されるがままに身を委ね、時臣に視線を向け続ける。

そこには一分子の不安も不信も無い純粋な信頼と敬愛に満ちている。

その視線を見つめている内に時臣は自分の内に存在する不安も悔恨も跡形も無く消え失せるのを自覚した。

そうだ、我が娘に侘びなど必要ない。

己亡き後の道のりを案ずる事も無い。

もはや凛は自らの意思で進むべき道を見据え、己の足で歩む決意を固めている。

迷う事は弱さである事を時臣は凛の眼差しから改めて教えられた。

そんな娘に父として時臣が見せる姿があるとすればそれはただ一つ、遠坂を背負い堂々と先を進む背中を見せる事に他ならない。

ならば凛に向ける言葉は決まっている。

「凛、聖杯が現れたならば何が何でも手に入れろ。遠坂の・・・いや、魔術師であろうと志すならばそれは義務なのだから」

時臣の言葉にしっかりと頷く凛の姿を時臣は誇らしさを抱く。

時臣自身が亡き父より家督を継いだ時よりも強く大きな喜びと誇りを噛み締めながら、もう一度だけ撫でてやると

「最後に・・・協会には成人になるまでに精々貸しを作っておけ。それ以外の差配はお前に一任する・・・ではこれで行くが、後の事は問題ないな?」

立ち上がりながらの父の問い掛けに

「はい、勝利をお祈りしていますお父様」

娘は迷いも不安もなく答えた。

それに頷き、視線を上げると何時の間にか玄関に葵が立っていた。

夫婦の間に言葉は必要ない

交し合った視線で互いの思いを交し合う。

それを見届けると時臣は愛おしい妻と娘に背を向けてその場を立ち去った。

その背中は紛れもない遠坂を背負い未踏の地を制覇せんとする誇り高き魔術師の背中だった。

この時の時臣には絶対の勝利の自信に満ち溢れており、葵は必ず時臣は自分達の元に帰ってきてくれると信頼を寄せていた・

だが・・・そんな夫と妻の先にあまりに、そうあまりにも残酷かつ悲劇的な運命が待ち構えているなど・・・ある脚本を描きつつあった男とそれを心待ちにしている存在以外知るよしもない事だった。









時間を大きく遡る。

昼時のとある雑木林では・・・

「おお!坊主、この鰻玉弁当か?中々美味いではないか!何ゆえに昨日はあのような嘘をついておったのだ!」

「うるさいなぁ、僕にはまずく感じただけだよ」

ライダーとウェイバーがコンビニ弁当を食っていた。

深夜の奇妙な軽食を終わらせてから、十二時を回っている事に気付いたウェイバーは早速臨戦態勢に入ろうとしたがライダーが異議を唱えた。

「坊主そんなに焦る事もない。さっきも言ったがエクスキューターを討つならば万全の体勢を整えるはずだろう。それまでは休む事に専念するがいい。余もここで可能な限り魔力を回復させる」

ライダーに促され、カイロを交換してから寝袋に潜り込み再び眠り(ライダーが魔力補給を再開した事で強制的に眠らされた)、眼を覚ました時には正午前だった。

我ながら良く寝たもんだと呆れながら、ウェイバーは昨夜と同じく栄養ドリンクを水代わりに残った栄養食を食べてから、財布を取り出すとコンビニへ向かおうとした。

何しろ今食べた栄養食で昨日買い込んだ食料は栄養ドリンク六本を残して底をついてしまった。

昼食を兼ねて非常食も買い込もうとしたのだが、それにライダーが『余も飯を食いたい』とダダをこね始めた。

まあ現界できるようになれば当然言うだろうなと予測出来ていたし、食事をすれば微々たる物だが回復の足しになるだろうと判断したウェイバーは、表面上は渋々了解し昨日と同じコンビニに向かうとハンバーガーとミックスサンドを二つずつ、幕の内弁当と鰻玉弁当、そして栄養食を一気に八本買い込み、自動販売機でコーヒーを二本買い込んでから雑木林に舞い戻りライダーと食事を囲む事にした。

ちなみに内訳はウェイバーは幕の内弁当とコーヒーに対して、ライダーは鰻玉弁当とハンバーガー、ミックスサンド、コーヒーである。

「で、ライダーお前結局どれくらい回復出来たんだ」

食事も終わり、ゴミを袋にまとめてからウェイバーは肝心要の事を尋ねた。

何しろこの為にウェイバーは丸一日ここにいたのだから。

「そうだな・・・召喚されてすぐを百とすれば現状は四十から四十五と言った所か」

「・・・それ位かよ」

ライダーの返答に落胆の溜め息を吐くウェイバー。

無論だが、それは自分に向けた落胆だ。

未熟な自分が考えうる手段を全て動員してライダーの回復に全力を注いだ筈だったのだが、結果としては半分すら回復出来なかった事に自己嫌悪に陥りそうになったが

「いやいや、坊主貴様は良くやってくれた。何しろ昨日は最悪で三を切っていてな。流石にこのままだと消滅は避けられぬかと内心冷や冷やものだったぞ。それを僅か一日で半分近くまで回復してくれたのだ、実に天晴れだ」

ウェイバーに気を使ったのか、それとも事実をそのまま言ったのかライダーはウェイバーを真っ青にさせるような事を平然と言ってのけた。

「・・・頼むライダー、本気でやばくなったら遠慮なく僕に言ってくれ・・・」

自分達が昨日は危険極まりない状況であった事を再認識して、真っ青を通り越して土気色の顔色のままウェイバーは搾り出すようにそう言うのが精一杯だった。

と、不意にライダーの表情が険しくなり上空を見上げる。

「??」

それに釣られてウェイバーも上空を見上げるが特に異常は見られない。

「おい、ライダー、何も・・・」

そう言い掛けたウェイバーの目の前に一羽の鳥が降り立った。

いや・・・それを鳥と呼ぶにはいささか無理があった。

形状としては確かに鳥なのだが、異様に光沢があり硬質感が強すぎる。

「これって・・・翡翠?」

そう、その鳥は翡翠で出来ていた。

ピクリとも動かなければ精巧な置物と見間違えるかもしれなかったが、その鳥は本物の鳥さながら毛づくろいのまねをしたりと、どう見ても生きているようにしか見えない。

「こりゃ驚いた、坊主今はこんな珍種の鳥もおるのか?」

「んな訳無いだろう」

「冗談だ冗談。こりゃ金ぴかのマスターが言っておった」

「ああ・・・遠坂の使者なんだろうな・・・」

そう言って懐にしまっていた小粒のルビーを取り出す。

これは先日教会で解散する前に時臣から手渡されたものだ。

このルビーに込められた時臣の魔力を辿ってこの翡翠の鳥はやってきたのだろう。

その足には小さく折りたたまれた便箋が括りつけられている。

それをウェイバーが外すと鳥は羽ばたいて上空へと姿を消していった。

それを見送りながらウェイバーは便箋を広げる。

「・・・」

「坊主」

便箋に眼を通しながら頷いたりしていたウェイバーだが、ライダーの呼びかけに顔を上げる。

「ライダーお前の読みは当たったよ。今夜エクスキューターに仕掛けるって」

「そうか、で、時間と場所は?」

「えっと・・・夜の二十一時半で場所は・・・」









やや時間が進み新都の仮司令部では、切嗣が一人、ベッドに敷き詰められた装備を確認している。

これは『魔術師殺し』時代の伝手を利用して、昨日注文を入れて二十分ほど前に届いた追加装備だった。

銃火器の所持、売買が厳格に厳しい日本では考えられない速度であるが、これは取引先が在庫を所持していた事、注文した数が比較的少数であった事、そして今回は銃器ではなく弾薬類であった事など複数の幸運が切嗣に味方をした所であろう。

注文した装備が全て問題なく揃っている事を確認すると切嗣は満足そうに頷く。

テストもしたい所だが、白昼に堂々とこんなものを使用してしまえば、ある意味発砲よりも大騒動になるのは眼に見えている。

幸い取引相手は現役時代から馴染みにしていた奴だ。

その手腕を信じるしかない。

そこへ

「爺さん」

士郎が忽然と姿を現した。

「士郎お疲れ。で、どうだった?」

「ああ、まずは、アイリスフィールさんからの連絡」

そう言って懐から礼の便箋を切嗣に差し出す。

「炙り出しの文字も既に浮き上がらせておいたよ」

「ああ、ありがとう」

そう言いながらまずは表向きの便箋を読む。

「なるほど・・・士郎内容は?」

「ああ、読ませてもらったよ。鞭の次に飴を用意したみたいだ」

「ああ、『真犯人が特定、自分達の容疑は晴れた。無実の罪を着せた謝罪として監督役が令呪を更に一つ贈与するので出頭して欲しい』か・・・誘き寄せるには十分な餌だね・・・釣り針ないし猛毒が入っているけど」

そう言って皮肉げに切嗣が笑う。

「それで場所もこちらの予測通りか・・・士郎ここの様子は?」

「調べてみた限り住民は全員姿を消していた。付近の人に聞いてみたら昨日急遽全員外出したみたいだ。それに周囲には教会に張られていたものと同じ結界が敷設されつつある。間違いなく俺達を捕らえる檻はあそこだろうな」

士郎の報告に頷きながら便箋を並べ直して炙り出しの方を読み始める。

「・・・なるほどね。檻に入れた後に一斉攻撃で僕達を一気に葬るつもりか・・・だが、檻と言ってもあの結界はあくまでも士郎の逃走を封じ込めるものであって僕には影響は無い。やはり僕は檻の外に逃げてサーヴァントとマスターの分断を促そう。万が一マスターを残せば、はぐれサーヴァントと契約を結ばれる危険が高まる。間違いなく僕を始末するためにマスターは動くだろう」

調査から得た時臣の性格や聖杯戦争の鉄則を考えれば、間違いなくそう動く。

「その後は隙を見計らいアイリと舞耶と合流二人を奪還する」

「それまでの間、俺は時間を稼ぎ、お二人を救出した後爺さんが令呪を使い、反撃に出る」

これが丸一日話し合って決めた・・・と言うよりはそれしか選択肢が無い切嗣達の基本戦略だった。

アイリスフィール、舞耶を見捨てる、自分達が死ぬなど論外である以上、これが最善にして唯一の選択肢だった。

「士郎にはかなりの負担を強いるけど。この手段しかない」

「大丈夫、しんどい戦いには慣れているし、令呪を使ってもらえれば同じ条件下にする事も不可能じゃない。それに負担を強いるのは俺も同じだ。俺は時間まで耐えれば済むけど、爺さんには他陣営のマスターの攻撃を掻い潜ってアイリスフィールさんと舞耶さんの奪還を頼まないといけないんだし」

「お互い様と言う事かい?士郎」

「そう言う事」

士郎の言葉に苦笑の色が濃いがそれでも久方ぶりに互いの顔を見合わせて笑い合う。

「話を戻そうか。爺さん、頼んだ装備類はもう」

「ああ、今しがた到着した。準備は整った・・・後は僕達次第で全ては決する」

その言葉に頷き、改めて切嗣と士郎は地図と向き合い、今まで用意した情報を元に生き残る為の作戦を立て始めた。









時間軸を戻し、葵の実家から遠坂邸に帰宅した時臣はすぐさま綺礼と連絡を取る。

「綺礼、準備は整っているか?」

『はい』

綺礼の返答は短く簡潔だったが、時臣は満足そうに頷く。

「よし、ではセイバー、バーサーカー陣営を連れてきてくれ。私も直ぐに向かう。それと綺礼アーチャーは見ていないか?」

『いえ、ここにはいません。ですが、エクスキューター討伐にはアーチャーも協力・・・と言うよりも積極的に賛同しておりました。あれほど固執している以上それを放棄するとはアーチャーの性格から考えてありえないかと』

「そうだな。アーチャーには決戦の場所は伝えているのだ、現地での集合となるだろう。では向こうで会おう」

『はい』

通信を終えた時臣はステッキを手に邸宅を後にする。

いよいよ迎えた大勝負の時にその闘争心を昂らせながら。









『そうだな。アーチャーには決戦の場所は伝えているのだ、現地での集合となるだろう。では向こうで会おう』

「はい」

時臣との通信を終えた綺礼に声を掛けたのはアーチャー本人だった。

「綺礼、貴様も随分と猫を被るのが上手くなったものだな。謀反人が探している当の本人がここにいるというのに」

何が嬉しいのか実に楽しく、実に愉しげに嗤っていた。

尚、アーチャーの言う謀反人とは言うまでも無く時臣の事で、先日、綺礼の口から聖杯戦争の真実と時臣の本心を聞いてからアーチャーは時臣を陰でこう呼ぶようになっていた。

「嘘は言ってはいない。今私の前にいるのは英雄王ギルガメッシュであってアーチャーのサーヴァントではないのだから」

表情を変える事も無く淡々と出発の準備を進めながらそう言う綺礼に、ますます愉しそうに哂う。

「それよりも綺礼お前が言っていた『見世物』の按配はどうだ?」

「今しがた最後の布石を打ち終わった。これで打てる布石は全て打った。布石が全て生きればそれなりに楽しめるものになるだろう。生きなければ駄作に成り下がる、それだけだ」

自信に満ち溢れている言うよりは達観した表情と口調でアーチャーの問いに答える。

人事は全て尽くした。

後は天命を待つ、そういった心境なのだろう。

「そうか、そうか・・・ではその布石が全て生きるのを楽しみにさせて貰うとするか。綺礼、貴様も祈っておくのだな。自分の布石が生きてくれる事を」

そう言ってこの男にしか似合わない傲慢と冷酷が絶妙にブレンドされた笑みを浮べながらアーチャーは霊体化になり姿を消した。

それを見届けると綺礼はまず教会の客間の一室に向かいそこの鍵を開ける。

扉を開くとそこにいた人物・・・雁夜が寝台で横になっていたが、綺礼の姿を捉えるや険しい視線を向けて半身を起き上がらせる。

半身を起こすだけで息を切らせて額に汗を滲ませる雁夜を一瞥すると、特に感情の篭っていない声で

「間桐雁夜、時間だ。行くぞ」

綺礼の呼びかけに頷く事もせずに視線は険しいまま立ち上がり綺礼について歩き始める。

途端に雁夜の呼吸が乱れ、よろめきながら壁に縋り付くように綺礼の後をついて来る。

別に綺礼は走っている訳でも早足でもない。

むしろいつもに比べれば牛歩に等しい遅い歩みだった。

にも関わらずこれで疲労困憊になると言う事はもはや雁夜は普通に歩く事すら出来ないほど衰えきっていると言う事。

魔術刻印の補佐があるにしろ、これでよく生きていられるものだと内心で綺礼は感心すらする。

もはや雁夜を生かしているのは刻印ではなく執念・・・いや、妄執ではないかとすら思う

「・・・お・・・い・・・」

そんな綺礼の思考を遮るように囁き声よりも小さな声で雁夜が綺礼に呼びかける。

「・・・何だ?」

「あの・・・約・・・束は・・・守るん・・・だろ・・・う・・・な?」

ゼイゼイ息を乱しながら、時折咳き込みながらの問い掛けに綺礼は振り向く事も無く

「お前が我々との約束を遂行した暁には必ず守る事を監督役・・・いや、一人の人間として誓約する」

「・・・そう・・・か・・・」

綺礼の返答に雁夜は含み笑いを浮かべる。

そんな雁夜を外の駐車場に停めてあるライトバンに乗せてやる(自力で乗車する事も困難になっている)と、教会に取って返し、今度はアイリスフィール達が逗留している客間を訪れる。

ドアの前に所在無さげにだが、部屋を守護するように立ちつつも自分に意味ありげな視線を向けるセイバーを尻目に綺礼は丁重にノックして

「アインツベルン、時間になったので同行願いたい」

ドアの外から声を掛ける。

「・・・わかったわ」

直ぐに返事が返ってきてから数分後、準備を整えたアイリスフィールと舞耶が姿を現す。

「・・・」

その顔は無表情で何の感情も読み取れない。

綺礼も無駄な言葉を交わす気はないのか、直ぐに背を向けて先導するように歩き出す。

その背に声を掛ける気もないのかアイリスフィール達も無言で綺礼について行く。

メルセデスにアイリスフィール達が、ライトバンの運転席に綺礼が乗り込むとエンジンを始動、決戦の地に向けて出発、メルセデスもライトバンに追従するように動き始めた。









連日の怪事件やテロ騒動に夜の冬木は戒厳令とも言える警戒態勢に入っており人の姿はまばらだった。

また車の数もそれに伴って少ない。

そんなひっそりと静まり返る新都をライトバンとメルセデスはひた走る。

新都から深山に入るとその傾向は顕著となり、対向車も見なくなってしまった。

出歩く人の姿も皆無となり、だが、家々の明かりは煌々と照らされ、そこだけは日常を指し示す。

そんなゴーストタウンを思わせる無音の町をひた走り、目的地に到着したのは出発から一時間後の事だった。

そこは深山町の西にある円蔵山、その頂上に建立された冬木でも屈指の歴史を誇る寺院、柳洞寺。

こここそが時臣がエクスキューター陣営を葬り去るべくエクスキューターを閉じ込める檻を作り上げた場所。

ここが冬木の聖杯戦争、『終わりの始まり』最後の戦いにして、『終わりの終わり』序幕の戦いが行われる地。

全ての陣営が敗退、破綻、挫折、崩壊、転機を迎える事になる・・・『柳洞寺の戦い』まで後三十分あまり・・・

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