このような事態に至った経緯に関しては時を遡らなければ説明は難しい。

時間をキャスター討伐直後にまで遡る。

キャスター、及び海魔の完全消滅を見届けた後、士郎はすぐさま霊体化、その場から立ち去り、ボムボートから降りた切嗣と合流した。

無論だが、何処に眼があり耳があるのか判らないので士郎は霊体化したまま、会話も念話で。

(爺さん)

(ああ、士郎お疲れ)

(爺さんの方こそ)

お互いに労いの言葉を投げ掛けてから今後の事に話を移す。

(これでキャスターが完全脱落した事で聖杯戦争は本来の流れを取り戻すな)

(ああ、アサシン、キャスターが脱落したから後二陣営脱落でいよいよ本番だ)

(そうだね。でだ、士郎、これから教会に行こうと思う)

切嗣からの思わぬ言葉に驚く士郎だったが、直ぐに納得した。

(教会へ?ああ、報酬の令呪を受け取りに?)

(ああ、本来キャスターを討伐したとしても、行く予定は無かったんだけど、遂に令呪を使ってしまったから貰えるものは貰いに行こうと思う。そうすれば残る士郎の宝具全てを解放する事も出来る)

士郎の持つ宝具は全部で四つ。

その内『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』はキャスター消滅に使用したので残るは三つ、切嗣の手に残る令呪は現状二つだが、その内一つは大本命である大聖杯破壊の為に温存せねばならず実質自由に使える令呪は後一つ。

しかし、キャスターを討伐した事で得られる報酬の令呪を授与されれば再び三つに戻る。

それは自由に使える令呪の数が増えるだけではない。

すなわち士郎の残る宝具全てを使用する事が出来ると言う事だ。

もはや『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は単独での使用は出来ないが十分な仕事をしてくれた。

(で、受け取った後はどうする?教会を見張るか?)

言外に報酬を受け取るべく教会を訪れた陣営に奇襲を仕掛けるべきかと問う士郎に暫し思案に暮れたが首を横に振る。

(いや、教会を訪れる以上相手もサーヴァントを引き連れて来る筈だ。そこに奇襲を仕掛けるとなれば当然戦闘になるだろう。直接討伐した僕達には攻撃を仕掛ける事でのペナルティは存在しないけど、それはあくまでも暗黙の了解による括りに過ぎない。逆に言えば、攻撃を仕掛けた事が露呈したら、どんな追加ペナルティを受けるかわかったものじゃない。格好のターゲットだと思うけど今回は手を出さずにいるべきだ)

(判った)

士郎は特に食い下がる事も無く切嗣の方針を了解した。

他陣営の奇襲を提案したと言うよりは案を出す事により今後の方針を確認しあったといった所なのだろう。

切嗣の考えはある意味では正しかった。

普通に考えれば、例え昼間であろうとも聖杯戦争のマスターがサーヴァントを連れずに外出するなどある筈が無いのだから。

しかし、この聖杯戦争は普通ではない。

その事を未だに認識しきってはいなかった。

そして、この判断が切嗣と士郎を思わぬ苦境へと追い遣る事になる。









冬木教会神父であり聖杯戦争監督役、言峰璃正にとってこの夜は監督役に就いてから、いや、彼の長い人生の中でも三本の指に入るほどの混迷と疲弊の極みと言える夜だった。

今回の未遠川決戦におけるキャスターの暴挙の数々の後始末は聖堂教会だけではとてもではないが対処できるものではなかった。

その為、現地の魔術協会も事態の沈静化に一肌脱ぐ事になった。

普段であれば縄張り争いや責任所在で醜くも必死な攻防が水面下で繰り広げられるのだが、魔術の秘匿、及び聖杯戦争の露呈の危機にその様な小事は置いておいて、目前で引き起こされた大事を対処すべく、呉越同舟ながらも手を組む事にした。

未遠川での一連の出来事に関しては、まずは周辺一体を覆った霧は、工場排水からの化学反応によるガスだと報道で発表されている。

都合が良い事に先日産業廃棄物の不法投棄が大々的に報道されて世間から糾弾された会社の工場もある。

気の毒と言えば気の毒であるが、これも神秘の隠匿と言う崇高な目的の為、犠牲になって貰う事になった

教会の息の掛かった解説者が最もらしい説明をニュース番組で繰り返し解説しそれが事実へと昇格するのに時間は掛からないだろう。

また周辺住民には今回のガスには強い幻覚症状がある事。

放置しておくと脳等に重大な障害を引き起こす危険性がある事。

自覚症状のある者は市内の指定病院での診断を至急受けるようにと冬木市の広報車が巡回しながら呼びかけを行っている。

無論だが、これらの夜間診察を受け入れる病院には急遽近隣から集められた魔術師、代行者が医師になりすましており、診察に来た患者には片っ端から暗示と洗脳の処置を施し、一連の事態の目撃情報を幻覚の一言で葬りさる手筈となっている。

無論噂話や都市伝説として話は残るかもしれないが、止むを得ないだろう。

そこまで処理を済ませると次は戦いに巻き添えを食らう形で未遠川の藻屑となったF15Jに対する対処に移る。

F15Jに搭乗したが為に巻き込まれ、不幸にも死亡したパイロットに関しては既に自衛隊に潜り込ませた協力者が動き始めており、家族や親類縁者にやはり洗脳暗示を仕込んで既に殉職したように思い込ませる。

そして、パイロットと共に未遠川の藻屑と化したF15Jに関しては、魔術協会のコネを最大限活用して中東の武器商人から中古のF15Cを購入に成功、今夜中には日の丸をつけたF15Cが自衛隊基地に到着する予定だ。

J型とC型では装備に差異があるが、そこについても基地に潜り込ませた協力者が隙を見計らい交換、J型に変身させる。

また自衛隊上層部には既に話は済ませており、損失したF15Jをこちらで用意(中古ではあるが文句は言わせない)する代わりに今夜起こった一連の事態に関する自衛隊サイドの情報を全て抹消、関係者にも洗脳暗示を施して今回の一件を完全に闇に葬り去る事を要請、それを飲ませた。

正確にはこの提案を飲むしかない状況に追い詰めたと言うのが正しい。

この要請を断った暁にはマスコミや野党にF15J二機の損失(無論状況は捏造に捏造を重ねるが)をリークする事をも仄めかした。

どの国でも軍事予算というものは、なにも生み出さない金食い虫として忌避されるのが常識であるが、日本は過去の凄惨な戦禍の記憶の為か他国に比べて更に厳しい視線に晒されがちである。

一機百億を上回るF15Jを二機失い、更に二名の尊い人命が失われた事が白日の下に晒されてしまえば、ここぞとばかりにマスコミは糾弾し、自衛隊を憲法違反だと言って憚らない一部野党によって国政は紛糾するだろう。

その悪夢のような未来と協会と手を組んで全ての真実を闇から闇へと葬りさる事、どちらを選ぶのか?

相手にとっては選択の余地もなかった。

絶え間の無い電話の交渉の果てに、ようやく璃正が納得の行く形で事後処理が纏まり、一連のごたごたに一段落着いた時には既に深夜、時計の長針が一周半すれば日付が変わる時間帯になっていた。

自室に戻り、大きく息をつき椅子に腰掛ける璃正の表情には疲労の色が現れている。

いかに百戦錬磨の彼であっても、今夜の事後処理の数々にはいささか疲れた様子だった。

それでも何とか区切りはつけたのだから茶でも飲んで少し休憩と行きたかったのだが、不意に礼拝堂の扉が開く重々しい音が耳に届いた。

「・・・ふぅ・・・一服する暇も与えられんか」

やれやれと立ち上がると礼拝堂に向かうべく部屋を後にする。

このような騒乱の中、このような深夜に教会を訪れるなど時臣の補佐をするべく出ている綺礼か、聖杯戦争に参戦している陣営しかありえない。

ちなみに、既に璃正の中では今回のキャスター討伐における報奨授与資格を有する陣営は決められており、まず直接キャスターを討伐したエクスキューター陣営は文句なしで報酬資格有り、追加令呪付与と十二時間の休戦権利が与えられる。

イレギュラー陣営である事は多少物議を醸したのだが、討伐した彼らに与えられなければどの陣営に報酬を受け取る権利があるのかと言う話になり、最悪監督役への不満と不信を抱かせる結果に直結しかねずそこは妥当な判断と言えた。

また、キャスター討伐に参戦したセイバー、ランサー、ライダー陣営もキャスター討伐においてそれぞれ重要な役割を担った事が確認されており、これまた令呪付与の権利を有する。

バーサーカー陣営に関しては未遠川の決戦に馳せ参じているが、キャスターを攻撃する所かアーチャー、及びセイバーに攻撃を仕掛け、キャスター討伐の妨害を企てたと判断、キャスターと手を組んでいたとみなされ、報酬対象外とされ、更に一定のペナルティを検討すべきだとの結論に達した。

そして、アーチャー陣営についてはかなり微妙な立場にあった。

確かに姿を現した、キャスターに攻撃を仕掛けた。

しかし、攻撃はその一度だけで後はキャスター討伐に参戦する事も無くバーサーカーとの戦闘に興じるだけでこれと言った援護もない。

それだけではなくこちらも一度だけとは言えセイバーを攻撃、セイバーに加えてランサーと敵対する素振りすら見せている

そんなアーチャー陣営を報奨対象とみなして良いものかどうかという疑問の声が監視していたスタッフから少なからず出たのも無理は無い。

璃正本人ですら、もしもアーチャーのマスターが時臣でなければ、報奨授与保留としてアーチャー陣営に事情聴取を行おうとした筈だ。

だが、そもそもこのキャスター討伐を行おうとしたのは聖杯戦争の危機と言う大義の影に時臣への援護と言う主目的も含ませている。

璃正としては何が何でも時臣に追加令呪を与えなければならない。

そこで璃正はバーサーカー陣営に目を付けた。

アーチャーがキャスターへの攻撃を仕掛けられなかったのは妨害の挙に打って出てきたバーサーカーを押さえ込む為でありアーチャーも間接的ではなるがキャスター討伐の功績があると半ば強引にスタッフを説き伏せてアーチャー陣営も報奨対象としてねじ込み、セイバーらへの攻撃についてはバーサーカーを押さえ込み続けた功績と相殺としてマスターである時臣への厳重注意に留める事に成功した。

(アーチャーがそういった裏事情を知れば激高するのは火を見るよりも明らかだろうが、そこは口を噤んでしまえばいい)

本心を言えば時臣一人にだけ令呪を授与する筈の計算が狂いに狂ってしまった事には思う所もあるが、それでも時臣を報酬授与対象に加えられたのだ及第点と言うべきだろう。

ゆったりとした足取りで礼拝堂に入るとそこには

「夜分遅くの来訪失礼する」

黒ずくめの服装に赤と白銀の無い混ざった頭髪・・・紛れも無くエクスキューターだ。

「良くぞ来られたエクスキューター、未遠川での活躍既に報告を受けている。良くぞ聖杯戦争の危機のみならず冬木を救ってくれた。監督役として、またそれ以前にこの冬木に住まう者を代表して礼を言わせて欲しい、ありがとう」

表面上はにこやかに歓迎し、労いと感謝の言葉を述べる璃正の言葉に偽りは無い。

未遠川にてキャスターが行おうとした凶行は既に璃正の耳にも入っており、その様な事態が起これば聖杯戦争の危機以前に冬木が滅亡するか否かの瀬戸際だったのは明白だったのだから。

「礼を言われるまでもない。俺もあの下種のやり口には反吐が出そうだったからな」

それに対するエクスキューターの返答はそっけないもので直ぐに本題に入る。

「それはそうと野暮な話に入るが、一応俺がキャスターを直接討伐したのだが」

「無論報告も上がっております。文句なしでエクスキューターのマスターに褒賞の令呪を授与しましょう。それと無論ですがエクスキューター陣営の休戦体勢に入った事も確認しました。それでマスターは・・・」

そう言う璃正にはある思惑があった。

この機会に乗じて、エクスキューターのマスターを確認してしまおうと。

何しろエクスキューター陣営は綺礼の用意周到かつ優れた諜報網を掻い潜り、ろくな情報も集まっていない。

マスターに関する事に至っては影も掴めていない。

ここでエクスキューターのマスターを確認した後もう直ぐ帰ってくるであろう綺礼に伝えれば、それは時臣に伝わるも同然。

時臣の報奨独占の目論みは外れたが、エクスキューターのマスターの目撃情報はそれを補うに十分な価値がある。

「ええ、こちらに」

そう言ってエクスキューターが横に移動するとそこには一人の人影らしきものがある。

いや、よく眼を凝らしてみるとそれはフード付マントで全身・・・それこそ足元まで覆い隠した人物だった。

顔もフードを眼深に被った上に口元もマスクなのか布で覆い顔の判別は難しい・・・いや、ほぼ不可能だった。

背丈は自分とほぼ同じといった所。

性別ははっきりとはしないがマント越しから輪郭を観察するに男の可能性があるが断定は出来ない。

その姿に璃正は内心で舌打ちをする。

このままの状態ではろくな情報も集まらない。

「・・・エクスキューターよ。この人物がマスターなのか?この・・・彼なのか・・・彼女なのか・・・判らぬが」

「ああ、この人物が俺のマスターだが?何か不都合でも?」

「いや、こうも全身を覆い隠されてしまうと・・・肝心の令呪が・・・」

璃正の言うようにマントで全身を覆ったこの状態では令呪の委譲が出来ない。

だが、それは建前に過ぎず、如何にかしてマスターを覆うマントを璃正は取り除きたかったのだが、エクスキューターはどうとでもないと言わんばかりに

「問題は無い。マスター」

エクスキューターの言葉に声も無く一つ頷くとマントから音も無く右手を出す。

その右手には紛れもない令呪が刻まれている。

見てみれば令呪が一画消えている。

「これで問題はないと思うが」

「う、うむ・・・だ」

それでも諦めきれないのか何か口に仕掛ける璃正だったが、それを遮るように

「それとも何か?このような事態において、マスターは監督役に姿を見せなければならないと言う決まりでもあるのか?」

どこか棘の感じる問い掛けにこれ以上は無理だと璃正は悟らざる終えなかった。

エクスキューターの声や視線から薄々感じてはいたが、はっきりとした。

『エクスキューター陣営は自分達に信を置いていない』と。

どう言う訳かは不明だが自分達を疑っている。

よもやと思うが自分が個人的に時臣と繋がっている事を知っているのだろうか?

いや、それは無いだろう。

自分と遠坂との繋がりはその殆どは冬木での交流・・・それも遠坂邸や教会内での事に留めていた。

それすらも冬木の管理地に関する話し合いを兼ねたもので、そこから疑う者などいる筈が無い。

海外でも会っていなかった訳ではないがそれも数年、いや十年単位の出来事。

そこから露呈した可能性は極めて低い

聖堂教会経由で露呈する可能性も無い訳ではないが、聖堂教会が中立を装い一陣営に肩入れする事実など、重要機密のはず。

そうも易々と盗まれるとは考えられない。

では何故・・・

そんな思考を遮るように

「監督役殿」

エクスキューターの冷たい声が耳朶を叩く。

「あ、ああ、これは失礼。少々疲れていたようだ。これで問題はありません。では」

そう言うと令呪委譲の準備する・・・振りをしながらその手に触れる。

せめて手から可能な限りの情報だけでも引き出そうと必死になる。

(手の骨格から見て男性の可能性が高いな・・・だが、後は特に・・・ん?)

ふと璃正の鼻腔に微かだが、この教会では嗅ぎなれぬ臭いが飛び込んできた。

汗の臭いでも体臭でもない。

この何か焦げ臭いような臭いは・・・

思考とは裏腹に指先は流れるような動きで、秘蹟を執り行い、その手に令呪が転写される。

それをフードの奥から見届けたのか一つ頷きそれから一歩下がり、守るようにエクスキューターが璃正の前に立ちはだかる。

「これで完了致しました。では引き続き聖杯戦争のマスターとして誇りある戦いを」

「案ずる必要は無い。あの下種の所業を繰り返さぬ事を我が誇りにかけて誓おう」

そう言うとエクスキューターは教会の扉を開けてマスターを外に出すと

「ではこれで失礼する」

一礼だけすると自分も教会を後にした。









教会を後にして外人墓地に到着した所で士郎が

「爺さん」

と呼びかけると、切嗣はマントを脱ぎ、口元を覆っていたマスクを外すと士郎に手渡す。

それを受け取るとマントもマスクも一瞬のうちに消え失せる。

どうやら士郎が投影で作り上げたようだ。

それを確認したと同時に士郎は姿を消す。

いつもの様に霊体化したのだろう。

(お疲れ爺さん)

(ああ士郎もお疲れ)

念話で会話しながら夜陰に紛れる様に移動を開始、ここよりも離れた場所に止めているライトバンに乗り込みホテルに向かう。

(それにしてもあの監督役、どう考えても僕の姿を見たがっていたね)

(ああ、大方爺さんの事を遠坂に流す腹積もりだったんだろう。あそこを半敵地だと判断して正解だったよ)

(全くだ。まあ僕の手から性別くらいは見当をつけたみたいだけどね)

(それと爺さん気付いたか?監督役がかすかに鼻をひくつかせたの)

(そう言えば・・・何か臭ったのか?)

(そこまでは・・・ともかくもしばらく・・・と言うか聖杯戦争が終わるまでは教会には近寄らない方が良いだろうな)

(ああ)

そんな念話をかわしながらホテルに向かう。

無論ホテルで休息などする筈も無く、装備を整え直してから改めてランサー陣営とライダー陣営の拠点捜索に向かう手筈になっている。

一方、令呪の付与も終わり改めて自室に戻った璃正は自分で入れた茶を啜りながら思案に暮れる。

ごく微細なものしかなかったが、それでもエクスキューターのマスターに関する情報を手に入れられたのは収穫と言えば収穫だった。

(おそらくだが、エクスキューターのマスターはマント越しの姿と手から見ても男の可能性が高い。それに奴から微かにだが漂ってきた臭い・・・あれは)

似たような臭いを璃正は嗅いだ事がある。

あれは花火・・・そう花火の煙の臭いだ。

火薬が燃え尽きた残滓の臭い。

ではあの男は先程まで花火に興じていたと言うのか?

いや、聖杯戦争に、それも今夜まで冬木の行く末を占う戦いの最中花火に興じるマスターなどいる筈が無い。

そもそもその様なふざけきった奴がマスターの陣営にキャスターを直接討伐されたなど他の陣営にしてみれば良い面の皮だ、到底信じたくも無い。

そうなればあの臭いは一体・・・

そこでふと璃正は思い出した事があった。

(そう言えば・・・)

古い知り合いからも同じような臭いを嗅いだ事があると。

(確かあれは・・・あれは・・・硝煙・・・そうだ硝煙の臭いだ)

考えてみれば銃弾も花火も共に火薬を用いる、似た臭いなのは当然の事だ。

つまりエクスキューターのマスターはあの戦いの最中銃を発砲したと言う事になる。

そこまで考えが巡ると次々と思い出していく。

キャスターの凶行の後始末に追われていたが、その直前にスタッフから緊急の報告が届いた事を。

未遠川の混乱の最中に一人の男性が射殺されたと。

それだけならばただの・・・日本においては由々しき凶悪犯罪ではあるが・・・殺人事件として処理されるものであるがスタッフがその遺体の手に令呪の痕跡を発見、ぎりぎりで聖堂教会が確保に成功した。

頭部の上半分が吹き飛ばされているのに加えて遺体の所持品に身元に特定する物が何も無く、身元は不明であるが、令呪の痕跡がある以上聖杯戦争のマスターである事は疑いようの無い事実だった。

そこまで判明していれば後は子供にもわかる。

消去法でこの遺体はキャスターのマスターであり、冬木を、聖杯戦争を混乱の坩堝に落とした片棒を担いだ『冬木の悪魔』こと雨生龍之介だとほぼ断定。

そしてここからが最も重要な事であるが彼の死因は腹部に一発、頭部に一発受けた大口径のライフル弾。

特に脳髄などを吹っ飛ばした頭部の一発が致命傷となったようだった。

そうつまり龍之介殺害犯は銃を使用していたと言う事だ。

しかも拳銃ですら持込が極めて困難な日本でライフル銃を用いて。

そしてその直後に現れたエクスキューターのマスターが硝煙の臭いを漂わせて姿を現した・・・

そこから導き出される可能性は龍之介殺害犯とエクスキューターのマスターは同一人物の可能性が極めて高いと言う事。

そして、魔術師にも拘らず銃火器を用いる人物であると言う事・・・しかし、いるだろうか?

その様な魔術師が。

時臣を見ても判るが魔術師は自らが会得し、学んだ魔術に絶対の自信と誇りを持ち合わせ、銃火器などの科学技術を『下等な手段』だと見下す。

時臣の前では口が裂けても言えないが、ある意味時代錯誤な思考に凝り固まった魔術師が見下す対象を使用するなどあるのだろうか?

(いや・・・待てよそう言えば時臣君が)

璃正は時臣が、アインツベルンが対魔術師戦に特化した魔術師崩れの男を婿として迎えたと言っていた事を思い出した。

確か、その男は魔術師でありながら魔術師としての誇りを持ち合わせず、魔術師達の言う所の『下種な戦法』で標的を仕留めると言う魔術師である事の自負も誇りも持ち合わせない男だと、綺礼経由で聞いている。

確か・・・その男の名は・・・

そうなればエクスキューターのマスターはもしや・・・

そこまで思案が纏まった時、再び礼拝堂の扉が開く音が璃正の意識を現実に引き戻す。

(今夜は千客万来だな。まあ当然であるが)

そう思いながら椅子から立ち上がる璃正。

(ともかく私の考えとして綺礼から時臣君に伝えてもらおう、仮定の話に過ぎないが、少しは役に立つだろう)

そんな事を考えていたが、璃正は知らない。

自分が僅かな情報から真実を引き当てた事を。

そしてその仮説が時臣はおろか綺礼にも伝わる事は結局叶わなかった事を。









ほぼ同時刻・・・

『こちらは冬木市広報車です!本日未遠川において原因不明の科学ガスが発生しました!このガスを体内に取り込む事で脳神経に重大な障害が出る恐れがありますので、以下の病院にて大至急診断、検査を受けて下さい!診断を受け付けている病院は・・・』

広報車が慌しく冬木市全域を駆け巡り、パトカーや救急車は現場である未遠川と病院や警察をひっきりなしに往復し続ける。

そんな騒然とした空気に支配された深夜の冬木を一人歩く長身の僧衣姿は異様なものであり、よく目立った。

現にパトカーが数台減速し僧衣の男に近寄ったが、ただ歩いているだけで特に不審な点は見られなかったのだろう、直ぐに加速して男から離れる。

そんなパトカー越しの警官らの視線も周囲の騒然とした空気も僧衣の男・・・言峰綺礼の意識に入る事はなかった。

彼の思考はほんの数時間前に自らが起こした行為とその時の自らの心境に煩悶していた。

あの時・・・未遠川決戦の影で行われていた遠坂時臣と間桐雁夜の戦いの折、綺礼は現場近くにいた。

いざとなれば時臣をサポートするつもりでいた筈だったが何故か綺礼は加勢する事もなくそのまま戦いの顛末を見届けるだけと言う綺礼らしからぬ職務放棄と呼ばれても仕方の無い行動を選択した。

最も、結果としては綺礼が加勢する様な必要は全く無く、時臣は雁夜を一蹴。

火達磨と化した雁夜は屋上から墜落した。

だが、自信なのか慢心なのか雁夜の生死を確認する事も無く、未遠川の戦いに意識を向けてしまい、雁夜に何の関心も示す事はもはや無かった。

そんな時臣に呆れながら、綺礼は雁夜を捜索、程なく路地裏に転がっている雁夜を発見した。

あれほどの高さから受け身も何も無く墜落した以上既に死亡しているものとばかり思っていたのだが、意外にも雁夜にはまだ息が合った。

見ればここはどうやらゴミの収集場所だったらしく周囲に裂けたゴミ袋や紙くず、生ゴミが散乱している。

どうやら偶然にも雁夜はここに墜落しゴミ袋がクッションになった事で一命を取り留めた様子だった。

しかし、全身に火傷を負い、更に直前まで命を削る・・・というよりも命をまとめてどぶに捨てている勢いの魔術を行使した結果もはや虫の息、絶命も時間の問題と思われた。

しかし雁夜が時臣に敵意と殺意を抱いているのは紛れもない事実であり、時臣の臣下、いや走狗であるならば綺礼は速やかに雁夜の息の根を止めるべきであった。

現に綺礼は雁夜の首に手をかけており少し力を入れれば首の骨をへし折る事も出来た。

結果論としてはそちらの方が雁夜は無念であろうとも幸福だっただろう。

しかし、その時綺礼の脳裏に過ぎるある言葉がその手に力を入れる事を拒ませた。

それは今朝、アーチャーの言った言葉だった。

『綺礼よ、貴様が己の中に潜ませている・・・いや、貴様自身が下らぬ道徳や倫理で押さえつけている本当の己を見出したければ何処の馬の骨とも知れぬ輩よりも間桐雁夜の末路を見届けるべきだぞ』

そんな事を半ば茫然自失となっていた綺礼に告げてアーチャーは退去した。

今朝のそれは一言一句全てが不快でおぞましい耳を貸すどころか傾ける価値すらない言葉の数々だった筈だ。

なのに一連のそれは綺礼の脳裏にこびりつき消えようとはしない。

そもそも傍観と言うのも綺礼らしからぬ選択だ。

常の綺礼であれば例え無用だと言われたとしても、時臣に加勢すべくその姿を現しただろう。

両者の実力が圧倒的であるならば、ここは時臣に全てを任せて自分は他の陣営のマスター・・・若しくは綺礼にとって大本命である切嗣の姿を探すべく未遠川周辺を駆け巡るべきだったのではないのか?

しかし、現実は綺礼は時臣と雁夜の戦い・・・いや、時臣のワンサイドゲームをただ見ているだけであった。

そして紅蓮の炎に包まれ墜落する雁夜の姿を見た時綺礼は自分が抱いた感情が理解出来なかった。

それは時臣が無事であったと言う安堵でも身の程知らずの雁夜への侮蔑でもなく・・・雁夜が死ぬ事への落胆だった。

そして気がついた時には綺礼は雁夜へと治癒魔術を施していた。

応急処置程度だが、それでも雁夜を死の淵から引き戻す事には成功。

未だ昏睡状態であるがそれでも当面の危機を脱したと判断すると、綺礼は夜陰と混乱に乗じてこの場を離脱、深山の間桐邸前に置き去りにして来た。

そして・・・今こうして教会に戻るべく歩を進めているのだが、綺礼は自分の行いが自分でも理解出来なかった。

今夜の所業の数々はとてもではないが常の綺礼にとってありえないものだった。

惰性のまま、価値も味もわからぬ酒を買い漁るのとは訳が違う。

今までも確かに密かに暗躍もした、虚偽の報告をしたし、報告すべき事をしなかった。

しかし、それでも綺礼の衛宮切嗣を追い求める事と時臣の聖杯獲得の為の補佐は相反しなかった。

しかし時臣の命を狙う雁夜を発見しておいて仕留めなかったばかりか瀕死の重傷を治癒し、間桐の本拠に送り届けるなど紛れも無く時臣に仇となる行為だ。

雁夜の脅威が大きいか小さいかなどは関係ない。

今夜綺礼は言い訳のしようの無い時臣への反逆の意志を明らかにしたのだ。

しかも・・・しかもだ。

綺礼は自分が今抱いている感情にも混乱していた。

それは時臣に背いた事への罪悪感でも、万が一露呈した場合受ける事は確実な制裁への恐怖でもなく・・・綺礼自身でも理解出来ない・・・いや、理解したくも無い高揚感に支配されていた。

一体自分はどうしてしまったのか?

全てはあの男・・・アーチャーとの語らいから、少しずつ自分が得体の知れぬ何かに変貌を遂げつつあるような言い知れぬ恐怖に心は疲弊を覚え、身体を微かに震わせた。

その時ふと綺礼は父と本音で語り合いたいとそんな事を思った。

自分に絶対的な信頼と誇りを抱き、自分に常に誠実にあり続けてくれた、しかし、自分の中の苦悩を知る事も無く上っ面の自分しか見てくれない父。

しかし、考えてみれば綺礼もまた自分の本心、本音を押し隠し上っ面だけで今まで父と接していたのではなかったのか。

見せていなければ知ってくれる筈も無いと言うのに、何故そんな事に気付かなかったのか?

ぶつけてみよう、父に自分の全てを。

曝け出してみよう、自分の苦悩と苦悶を。

その結果、例え父を深く落胆・・・若しくは失望させるとしても真に心を開き本音をぶつけた時、もしかしたら自分の前にアーチャーの示す道とは別の道が拓かれるのではないだろうか?

それはある意味、心の疲弊に耐えかねた綺礼が現実逃避する為の手段だったかもしれない。

だが、それでも綺礼はそれに縋った。

そんなかすかな希望を胸に抱き、綺礼は歩を早め教会に向かう。

しかし彼は知らない。

彼の決断は遅すぎた事を。

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