未縁川の戦いは終局を迎えた。

しかし、この戦いを終焉に導いた裁断の一撃は各所において悲喜交々の様々な種子をばら撒いていた。

「はははっエミヤ、実に天晴れ。久方ぶりに見たが相も変わらず、見事なものよ」

大橋上空で実にご満悦に士郎の働き振りを称えていたのはライダー。

顎鬚をしごきながら上機嫌であったのだが、不意に腰に帯びていた剣を抜くや一閃、ライダー目掛けて飛来してきた片刃剣を弾き落とす。

限界ぎりぎりまで『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を維持し続け疲弊の極みにあるとは言え、この程度の余力はまだ残っている。

まあ、投じた側も相当に疲弊していたと言うのも一因にあるが。

「おいおい、金ぴか随分なご挨拶じゃないか?」

そう言って視線を橋梁に向ける。

そこには無論と言うべきかアーチャーがいたが、その表情を支配するのは純粋な屈辱と怒りのみ。

「征服王、貴様・・・あの贋作者(フェイカー)が何者か知っているのか?」

やはりと言うべきかアーチャーはライダーに攻撃を仕掛けた事など一言も言及せず詰問の声を発する。

その眼光には本気の殺意が漂っており常人であれば、その眼光を視界の隅で捉えても抵抗する気概など根こそぎ破壊され尽くされ、知っている事など全て吐くだろう。

「ん~?何の事だ?何を言っておるのか余には見当もつかぬなぁ~」

だが、そこはライダー。

流石の豪胆と呼ぶべきか、人の悪い笑みを浮べてアーチャーの眼光を受け流すだけで、堪えた様子は無い。

それを見てアーチャーは更に怒り狂うかと思いきや

「ふん、惚けるか・・・まあ良かろう。この我が傑物として認めた数少ない男だ。この程度で怖気づいてもらってはそれこそ興ざめよ」

そう言ってあっさりと眼光から殺意を引っ込める。

だが、その表情からは依然怒りも屈辱も消える事はない。

「で、どうしたというのだ?金ぴか、やけにカリカリしておるようだが、エクスキューターがどうかしたのか?」

そんなアーチャーの態度にライダーは不審に思ったのか、それとも単なる好奇心かは不明であるが、義理と言うか義務でそんな事を問う。

それに対するアーチャーの返答は

「・・・贋作者(フェイカー)の剣だ」

「剣?あ奴今までも山ほど出してきたではないか。何を言っておる」

「征服王・・・貴様、我を愚弄しているのか?贋作者(フェイカー)が汚物を消滅させる為に使った剣に決まっていよう」

そこまで聞いてアーチャーの言う士郎の剣と言うのが、『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の事だと合点したが、何故にそれが今のアーチャーの態度に繋がるのかいまいちピンとこない。

「ああ、あれか?あれがどうかしたのか?」

「どうかしたのか?だと・・・我の蔵に存在せぬ剣を何処の馬の骨とも知らぬ雑種風情、それも贋作を創る事しか能のない贋作者(フェイカー)が保有しているなど度し難い非礼だと思わぬのか?」

「はあ?」

流石にこのような返答はライダーでも予測出来なかったらしく、極めて珍しい事に呆けた声を発する。

そもそも、アーチャーは知らないが、『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は元々異世界の宝具だとライダーは士郎から聞いている。

それをこの世界の住人である士郎が使えるのは、数奇な縁によって士郎と『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』が結ばれたに過ぎない。

つまりこの世界には元々存在する筈が無い剣で、いくらこの世の宝物の原典を持っていると豪語するアーチャーでもこの世界に無い物を保有出来る筈が無い。

アーチャーの怒りはそういった裏事情を知るものが見れば見当違いであるに過ぎない。

「おいおい金ぴか、いくらなんでも、それは余でもどうかと思うぞ。と言うか誰が何を持とうがそれは自由であろう」

ウェイバーが聞けば『お前が言うな』と突っ込みたくなる(その後ライダーの常套手段で鎮圧されるが)至極全うな台詞を吐く。

だが、アーチャーにしてみれば違う見解だったようで、

「自由である筈が無かろう。前にも言ったはずだ。この世の宝物は全て我が蔵より出てきたものに他ならぬ。その我が知らぬ剣を保有するなど度し難き非礼、即座に首を刎ねられるか我の宝物で八つ裂きにすることでしか贖えぬ大罪だぞ」

「そいつはいくらなんでも暴論だろう」

ライダーですら呆れて常識論を口にしてしまうような暴論を平然と、当然のように口にする。

「まあ・・・」

と、そこでアーチャーの口元に嗜虐の笑みの欠片が零れ落ちる。

「あの贋作者(フェイカー)が己が罪を認め、あの剣を我に献上するというならば罪は減じてやらんでもないがな」

「・・・一応聞くがその罪を減ずると言うのは命は助けると言う事か?」

「たわけが。どのような理由があれど我が宝物を長きに渡り盗み出していた罪は消えぬ。そしてその罪は奴の命でしか贖えぬもの、奴が自らの意思で自害する自由を与えてやる。それがせめてもの我が奴に与える慈悲よ」

そこまで聞くとライダーはどっと疲れた表情を浮べた。

確かに自分も『征服王』と呼ばれるだけあって自らが強欲である事は自覚しおり、その事を否定はするつもりはない。

しかし、そんな彼をしてもアーチャーの強欲さは度を越しており、辟易させるものであった。

「・・・この件に関しては何を言っても平行線でしかないようだな。ウルクの英雄王」

「ほう、やはり察していたか、征服王」

にやりとアーチャーの笑みが深くなる。

「で、どうする?平行線であるならば」

「まあ本来であるならば即座にどつきあっても構わぬのであろうが・・・流石に貴様を相手にするには余も疲弊しすぎておる」

潔いと言うのか無計画と言うべきなのかライダーはあっさりと自分の状態を白状してから不敵な笑みを浮べて

「だが、どうしてもやりあいたいと言うならば、それを断る道理は無いがな」

全身に戦意を滾らせて不敵な笑みをアーチャーに向ける。

それを見てアーチャーは何故か満足そうに頷く。

「いかな状態であろうとも王の姿勢を崩さず、その身を纏う王気には陰りもなし・・・それでこそ我が認めた男よ。良い、逃亡を認めるぞ征服王。貴様を十全の状態で叩き潰してこそ貴様は我に断罪されるに値する価値がある」

「はははっ、虚勢は張るな金ぴか。貴様とて相当消耗しておるではないか、大方あの黒んぼに相当痛めつけられたか?その鎧を見れば判るがな」

「・・・我に挑発とは見くびってくれたものよ、先程の貴様の台詞そっくり返してやろうか?」

その視線に殺意が再び灯るのを見て取ったライダーは実にさり気無くアーチャーから距離をとる。

「はははっ、おう怖い怖い。ではさらばだ英雄王。次に合間見えるのは大一番であるだろうよ。それとこいつは余からのせめてもの忠告だ。悪い事は言わぬ、エクスキューターに対して変な欲を出すのは止めておけ。貴様が泣きを見るだけであるぞ」

そう言って『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』を駆り夜空へと消えていく。

マスターの元へと向かったのであろう。

この時のライダーの言葉は本気の忠告であったのだが、

「はっ、泣きを見る?この我が?ははっ、奴も見くびってくれたのもよ」

アーチャーの耳にはほとんど入る事無く、そもそもただの戯言程度にしか認識していなかったのでライダーのそれを鼻で笑い飛ばす。

しかし、後々その言葉が真実であった事を彼は思い知る事になる。









一方同時刻、ビル屋上で、時臣は呆然と立ち竦んでいた。

無論だがその原因は士郎が海魔を殲滅すべく放った『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』にある。

ただでもライダーの『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』と言うアーチャーの『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』と同格の宝具の出現に頭を悩ませていた所にそれに肉薄、若しくは匹敵する可能性を秘めた新たな宝具の出現はまさしく青天の霹靂だった。

しかもその宝具の持ち主が警戒リストから外れつつあったエクスキューターであった事は時臣の新たな頭痛の種である事は疑いようもない。

綺礼がエクスキューターの調査が不十分であった事を悔いていたが、その心境を時臣はようやく理解していた。

こうなるとエクスキューターの実力は警戒するに値すると認識を改めるしかない。

それにアインツベルンの城にてアサシンは用済みと判断した事を改めて悔いていた。

だが、かと言ってエクスキューターの調査が不十分であった事に関して、綺礼を責めるなど出来る筈がない。

綺礼の辣腕が無ければ自分が情報面で、ここまで有利になる事はなかったし、エクスキューターに関する情報が乏しかったのは綺礼の怠慢ではなく、エクスキューター陣営の徹底した情報隠蔽による所が大きい事は時臣も理解している。

何よりもアサシンを用済みと判断して、ライダーへの威力偵察に使い潰すという決断を下したのは間違いなく自分の判断だ。

それをそ知らぬふりをして綺礼だけを弾劾するなど、遠坂の優雅さに程遠い醜態を晒す訳にもいかない。

思考の迷宮に陥りかけた時臣であったが、頭を振ると今後の事に考えを切り替える。

過去をどれだけ悔やんだとしても過去が覆る訳ではないし、むしろ現実逃避にしかならない。

ならば今後の事を考えた方がまだ建設的だ。

キャスターが消滅し、これで聖杯戦争が従来の形に戻るが、今後ネックとなるのはやはりエクスキューターだ。

力の一端を披露した事により、その脅威は加速度的に膨れつつあると言うのに、その正体を含めて謎が多過ぎて対策を取る事が出来ず、現状では後手に回るしかない。

アーチャーを軽んじている訳ではないが、エクスキューターを軽視する事が出来ぬ今となっては単騎で戦わせる事は極力避けねばなるまい。

ここは他陣営をも巻き込み、エクスキューターを数の力で強引に叩き潰すのがベターと思われた。

しかし、それを行うには他陣営を巻き込む為の餌があまりにも乏しい。

現状ではその案は絵に描いた餅でしかなく、非現実的だ。

そうなれば、アーチャーをどうにかしてエクスキューター討伐を行うように誘導させるしかないが、単騎で戦う事の危険性を考えればあまり勧める事は出来ないし、何よりもあのアーチャーをその気にさせる材料がこれまたあまりにも乏しい。

そう考えると胃の辺りが痛むがそれでも如何にかするしかないだろう。

そんな気が重い決意を固める時臣だが、彼は知らない。

幸運な事にアーチャー自身がエクスキューター討伐に乗り気になっていると言う事を。

対エクスキューター対策がこの数時間後いきなり展望が開けるなど。









一方・・・

「この役立たずが!!能無しが!口先だけののろまが!裏切り者が!!」

誰に憚る事無く、聞くに堪えぬ罵声を飛ばすのは言うまでも無くケイネス、罵声を浴びているのはランサー。

エクスキューターが海魔を殲滅したのを見届けるとランサーは直ぐに戦場を離脱、仮の拠点である廃工場に帰還してきたのだが、ランサーを迎えたケイネスの口から出たのは労いでは無く面罵の数々だった。

余談ではあるが、両腕の機能が回復したケイネスは現状、ソラウが如何にか調達してきた車椅子に座り、ある程度の行動の自由を確保している。

そんな車椅子に座るケイネスの怒りに火をつけたのは言うまでも無い事だが、ランサーが自分の手で自らの宝具を破壊しようとしていた事にあった。

「貴様判っているのか!!『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を自分の手でへし折るなどと言う愚行を!!」

「・・・」

それに対してランサーは形だけはケイネスの前に跪いているが、その口からは一切の謝罪も釈明もする事も無く無言を貫き続けている。

「如何にか言ってみたらどうだ!!ええっ!それとも貴様には主君の女を奪う事しか才覚が無いのか!」

その態度が余計にケイネスの怒りを買い、罵声は酷く醜くなっていく。

「ケイネス!貴方いい加減に・・・」

「黙れ!!この売女が!!」

「ひっ!!」

あまりにも酷すぎる罵声に耐えかねたのだろう、ソラウが強い口調で割って入ろうとするが、それを上回るほどのケイネスの怒号に怯えた表情で一歩後ずさる。

数日前までのケイネスをぞんざいに扱っていた傲慢な女帝の姿は何処にも無く、そこにいるのは錯乱した暴君にひたすら怯える非力な女だった。

その表情がよりケイネスの怒りを買い、顔を醜く歪めてソラウに詰め寄ろうとするがそれを

「ケイネス殿」

ランサーの声が止めた。

「何だ!この役・・・立た・・・ず・・・が・・・」

ランサーの声に振り返るがその声は急速な速さでしぼんで行く。

ランサーはいつの間にか立ち上がりケイネスを見下ろしていたが、その眼光は冷たく凍て付き温かみは一原子たりとも存在しない。

数日前ハイアットホテルでソラウがケイネスに向けた視線の方がまだ温かみが存在していた。

「いい加減にして頂きたく存じ上げます」

その次にランサーの口から出て来たのは、その眼光のように冷たく乾き、そしてケイネスに対する忠義の欠片もない丁重なだけの言葉だった。

「な、何??」

本物の冷徹な視線を浴びせかけられケイネスの怒りは霧散し、たじろぐように車椅子ごと一歩下がる。

「確かに自らの手で己が宝具を破壊すると言うのは正気の沙汰ではないでしょう。ですが」

そこで言葉を区切りケイネスと目を合わせる。

「ひい!」

その眼光に怯えた表情で怯えた悲鳴を発し更に下がろうとするが車椅子の操作に慣れていない為だろう、車椅子が倒れケイネスは床に投げ出され、それでもランサーから離れようと全身を砂埃塗れにしながら這いずる。

いくら時計塔ではアーチボルト家の麒麟児だの天才などと持て囃されていたとしても所詮は魔術師の世界と言う名の狭い井の中で有頂天になっていた蛙に過ぎず、生前数多くの修羅場を潜り抜け、栄光も苦渋も味わい続け、それでも尚自分の道を誇りを持って歩み続けた本物の英雄と対等に立つなど出来る筈が無かった。

その姿は無様であり、今までケイネスに愚弄されてきた者達であるならば侮蔑し嘲笑するに値する姿だった。

しかし、ランサーは嘲笑もしなければ侮蔑もせずその視線に冷たさを宿したまま見つめるだけだった。

「ですが、あの時『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を破壊しようとしたのは、聖杯戦争の崩壊を防ぐ為であり、何よりも力無き人々がキャスターの凶行の犠牲になる事を防ぐ為の苦肉の策。ケイネス殿を売り渡そうとした訳ではございません。その事は何卒ご理解頂きたく存じ上げます」

声を荒げる事も無く、言葉使いも今までと同じ丁重なものであるが、声に以前のような熱を感じる事も無く、視線は未だに冷たく、それはもはや慇懃無礼なもの・・・ケイネスやランサーは知らぬ事だが、それは士郎がセイバーに対して向けている視線と口調・・・だった。

「な、なななな・・・何を、いいい、言っているか!ゲ、ゲ、『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』をは、ははは破壊してしまえばセイバーを」

「ですが、今宵キャスターを討たねばケイネス殿に勝利を、聖杯を捧げる所か、キャスターの呼び出した海魔によってこの街は地獄と化していた事は疑う余地も無い事。その時、ケイネス殿もソラウ殿も命があったかどうか・・・」

ランサーの視線に怖気づきながらも如何にかしどろもどろではあるが、反論しようとするケイネスに感銘を受ける事無く無味乾燥した声で反論する。

「それとも・・・ケイネス殿には起死回生の策でもあったのでしょうか?そうなのであれば是非、無能な私にご教授して頂きたい。また私のような無能かつ不忠者が不要と仰せられるのであれば、どうか令呪で自害をお命じ下さい」

そう問われたケイネスは

「・・・ぁぁぁぁ」

虚しく口を開閉するだけでランサーの問いに答えない。

正確には答える事が出来ないと言うのが正しい。

そもそも策などある筈が無い。

『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を破壊するなと言う令呪も確固たる考えがあったのではなく、視野が狭窄した末の勢いで発したにすぎず、あろう事か無能者である筈のウェイバーからの罵声でようやく自分がしでかした事の重大さに気付いたほどである。

更にランサーを切り捨てるのも論外だ。

どんなに無能だの三流だのと罵ろうとも他に契約するサーヴァントなどいない。

どれだけ不平不満をランサーに抱こうとも、今のケイネスにはランサーを従えて聖杯戦争を戦うしか道は残されていない。

ましてや自害させようにも自害を命ずる為の術もない。

その術も自らの手でどぶに捨てたのだから。

そんなケイネスの姿に失望の表情を見せる事も無く、ランサーは淡々と車椅子を起こし座席の砂埃を払うと、次に未だに後ずさるケイネスを抱きかかえ、車椅子に座らせてからケイネスの衣服に付着した砂埃も軽く払う。

そこでようやく我に返ったケイネスは顔を恥辱と屈辱でこれ以上ないほど真っ赤にするが、ランサーを睨み付けるだけで何も言う事も無く(正確には言い返す事も出来ず)、ぎこちなく車椅子を操作しながらランサー達に背を向け部屋から出ようとする。

「??ケイネス殿どちらへ」

「決まっていよう!!教会へ行き報酬を受け取りにだ!」

「では私もお供いたします」

「貴様は来るな!!ここでソラウの護衛でもしていろ!!」

ランサーの進言をケイネスは一言で切って捨てるととんでもない事を口にする。

それに顔色を変えるのはソラウだった。

「何言っているのよ!ケイネス。貴方、今ではライダーを奪った見習いよりも無力な存在なのを忘れたの!そんな状態で行くなんて自殺行為よ!夜が明けるまで待てばいいじゃないの!」

「うるさい!!どうせどの陣営も消耗が激しく碌に動けずにいるだろう!その隙に報酬を頂いて来るだけの事だ!それに貴様のような主君を主君とも思わぬ愚者を躾ける為には礼呪が一刻も早く必要だ!」

ソラウの説得にも耳を貸さず、ランサーには捨て台詞にも似た罵声を飛ばし今度こそ廃工場から外に出ようとするが、それに当然の様にランサーが着いてくる。

いや、正確には着いてこようとしたが、ケイネスの眼光は鋭い険しい憤怒憎悪を通り越してあらゆる負の感情が溢れるばかりの眼光と、悪鬼の如き形相を見た瞬間諦めた。

今のケイネスには誰が何を言おうとも、もはや耳も貸そうとはしない。

確かに不安だが、ここで下手にケイネスを刺激させれば何をしでかすのかランサーでも予測が付かない。

霊体化して追跡する事も考えたが露呈した事を考えると二の足を踏んでしまう。

何よりも、ランサー自身にケイネスに疎まれようとも憎まれようとも、身命を賭してまで守ろうと言う気概が失せてしまっている。

忠節を旨とするランサーが、仮初であるにしろ主であるケイネスに愛想を尽かせるほど、あれからのランサーに対する態度や暴言は酷く、何よりも未遠川での令呪が止めとなったようだった。

しかし、ランサーはケイネスの事をどれだけ見限ろうとも、見捨てないし裏切らない、そして売り渡さない。

それをしてしまえば自分は英霊でも騎士ですらなくなる。

どれだけ落ちぶれようともケイネスへの最低限の忠義だけは最後まで守り通す。

それが、ランサーに残された最後の意地だった。

そんなランサーの覚悟など露にも思わずケイネスは車椅子を回しながら廃工場から教会へと向かう。

その数時間後に起こる事態を予測も出来ず・・・









更に舞台を変える。

士郎が海魔を消滅させてしばらく経過しても未だに戦場の余韻残る河岸では・・・

もはや戦いも終わり混乱から喧騒に事態が移りつつあると言うのにアイリスフィール達はまだそこにいた。

何故なのかと言えばその理由はセイバーにある。

士郎が海魔諸共キャスターを消滅させて直ぐに、ランサーはマスターの元へと戻るべくその場を立ち去った。

それからしばらくして満身創痍のライダーがやってくるや士郎の宝具に呆然としていたウェイバーを引っつかんで戦車に押し込むと暴風のように去っていった。

無論だがセイバーには『ではさらばだ小娘。次に合間見える時は敵味方であるだろうよ』そう言ってだが、セイバーはそれに答える事は無かった。

そして肝心の士郎はといえば、海魔の完全消滅を見届けた後、霊体化してその場から姿を消した。

切嗣と合流する腹積もりなのだろう。

そして今もセイバーは武装を解除する事も無く川を・・・正確には士郎が立っていた浅瀬付近をじっと凝視しそこから動こうとはしない。

その表情は何か激発を堪えるように歯を食い縛り、力いっぱい握り締められたその拳からは、時折血が滴り落ちている。

一先ずアイリスフィールが周囲に人払いの結界を敷設したが、いつまでも長居する理由も無い以上、引き上げるべきだろう。

「・・・セイバー、もうここには用は無いわ。帰還しましょう」

セイバーの只ならぬ気配に嫌な予感がしたアイリスフィールだったが、止む無く声を掛ける。

「・・・」

だが、セイバーはアイリスフィールの呼びかけにも応じる事も無くただただ川を見つめ続け・・・いや、正確には睨み付けている。

「セイバー」

再度呼びかけてようやくセイバーはアイリスフィールの方を振り返る。

しかし、その口から出てきた言葉はマスターへの了承ではなく

「・・・何故だ・・・」

感情を押し殺すような低い疑問の声だった。

その声を聞き嫌な予感が膨れ上がるアイリスフィールだったが、それを止める前にセイバーは遂に爆発した。

「何故だ・・・何故だ!何故あの男は!あのような宝具を持っていたにも関わらず!キャスターを討ち取らなかった!!」

セイバーの口から放たれたそれは絶叫と言うよりも咆哮。

いや、怒りの感情が言葉を借りてセイバーの口から吐き出されたと言う方が相応しかった。

それだけセイバーが士郎と切嗣に対して溜め込んでいた怒りが強く大きかった事を如実に示していた。

「あの男が宝具を出し渋った所為で、ここまで被害が増え罪無き子供たちの命が多く失われた!!森での戦いで・・・いや、キャスターとの初見であれを使い即座にキャスターを葬り去っていれば・・・!!」

事情を知らぬ者が聞けばセイバーの咆哮には説得力はあった。

確かに士郎の『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』であればアインツベルンの森での戦いでキャスターの怪生物の群を薙ぎ払いキャスターを消滅させる事も出来た。

初見であれば言うまでもない。

そうであればキャスターの凶行による犠牲者は全てとまでは言わないが相当数救われたはずだった。

しかし、セイバーの主張は、たらればだらけの結果論であった。

初見ではキャスターの脅威を深刻に捕らえていなかったし、キャスターがあれほどの凶行に及んでいたなど知る由も無かった。

アインツベルンの森であれを使えばキャスターを消滅させる事は出来ても、森に多大な被害が出ただろう。

そうなれば本拠地の防衛に致命的な支障が出たはずだ。

おまけに、森ではランサーの助力もあり、『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』を使うまでも無くキャスターを討伐する寸前まで追い詰めたはずだったが、セイバーの頭からその事はすっぽりと抜け落ちている。

何よりも、宝具と言う最終兵器をここぞと言う時まで温存するのは戦略としては誤っていない。

『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』のような大火力の宝具であるならば尚更だった。

そんな口を極めてここにいない士郎、切嗣を弾劾するセイバーをアイリスフィールは何処か冷めた眼で見つめていた。

セイバーの主張はどう聞いても士郎憎し、切嗣憎しの感情論が多分に含まれているようにしか聞こえてこないからだ。

仮に『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』を放ってキャスターを消滅させたのがランサーだったとしたらセイバーはやはりランサーを同じ調子で糾弾するだろうか?

憶測で物事を決め付けるのは良くない事は判っているが、アイリスフィールはおそらく否だろうと思った。

『ランサーにはランサーの何か事情があるに違いない』

今までのランサーに対する言動から推察するに、その様な事を口にしてむしろ擁護する姿が容易に推察してしまう。

その上、セイバーは知らないが士郎にとって宝具を使用すると言う事は令呪を使用しなければならないという事であり他陣営よりもその運用には人一倍、いや人十倍慎重にならなければならない。

その士郎が令呪を使ってまでキャスターを討伐してくれたのだ。

下風に立てとまでは言わないが、少なくとも口を極めて罵声を飛ばし糾弾する資格はセイバーには無い。

「・・・セイバー、もう気は済んだ?」

そんな思いが出たのかアイリスフィールの口から出てきた言葉には冷ややかな声が滲み出ていた。

しかし、興奮しきっているセイバーにその声は届いていないらしく

「アイリスフィール!」

鼻息を荒くアイリスフィールに詰め寄るや言ってはならない言葉を遂に口にしてしまった。

「今からでも遅くはありません!もはやエクスキューターとの同盟を破棄し、あの二人を討ち取るべきです!!」

突然言われた言葉に言葉を失う。

「そもそも、あのような得体の知れぬ陣営を頼りにするべきではなかったのです!!理想も無く!決意も無く!人の想いも心も!何を知ら」

セイバーの言葉を乾いた音が強制的に止めた。

「・・・いい加減にしなさいセイバー」

音を発生させた本人・・・アイリスフィールは低い声に怒りの感情を乗せる。

「ぇ・・・アイ・・・リス・・・フィー・・・ル・・・」

一方のセイバーはと言えば、先程までの激高が嘘のように治まり呆然と立ち竦んでいる。

それは落ち着いたのではなく、セイバー自身想像もつかなかった出来事・・・アイリスフィールから平手打ちを受ける・・・に付いていけれなかった為である。

頬の痛みは些細なものであったが、受けた精神的な衝撃はそれを百倍にしてもまだ足りない。

「エクスキューターとの同盟を破棄しろ?貴女正気なの?ただの一度も私達に不利な事をせずに全面的なサポートをしてくれたキリツグとエクスキューターを?」

「で、ですが・・・」

「エクスキューター達が得体の知れない?それは貴女が彼らに歩み寄ろうとしなかっただけでしょう。エクスキューターもキリツグも貴女を可能な限り尊重して歩み寄ろうとしていたわ。それを自分勝手な感情で拒絶していただけじゃない」

アイリスフィールの声に込められている怒りとそれに反比例するような冷たく硬い声がセイバーに弾劾として突き刺さる。

「それに・・・貴女、討ち取るべきだといっていたわねエクスキューターと何よりもキリツグを。つまり貴女は私から夫を奪う気なの?あの子から、イリヤから父親を奪う気なの?教えて頂戴セイバー。貴女にそんな権利が何時与えられたというの?」

その言葉にセイバーははっとした。

おそらく・・・いや、間違いなくセイバーは今の今まで失念していた。

セイバーが討つべきだと主張していた衛宮切嗣は目の前にいるマスター、アイリスフィールの夫だという事を思い出した。

アインツベルンの城で切嗣と仲睦まじく遊んでいたイリヤスフィールの父親だという事を思い出した。

「ぁぁぁ・・・そ、それは・・・こ、これは・・・ち、違」

支離滅裂な単語が口から漏れ出るが、それだけで真っ当な言葉は出てこない。

それを見てアイリスフィールは怒りから心底悲しそうにセイバーを見つめるが、やがて

「セイバー、少し頭を冷やしなさい」

と一言告げるとセイバーに背を向けた。

「舞弥さん。ごめんなさい、護衛をお願いしてもいいかしら?」

「え、ええ、マダム。ですが護衛ならセイバーの方が」

「今は無理。きっと今の私はセイバーの事をもっと詰ってしまいそうだから」

そう言うとメルセデスに乗る事も無く路地に姿を消そうとする。

そんなアイリスフィールを舞弥は慌てて後を追う。

「セイバー、申し訳ありませんが、車をお願いします」

「・・・」

呆然とその場に立ち尽くすセイバーにそう告げてから小走りでアイリスフィールに追い付く。

そのまましばし、アイリスフィールに従うようにその後ろを歩いていく舞弥だったが、アイリスフィールの肩が震えているのは夜でもはっきりとわかった。

「っ・・・ぅっ・・・」

ちょっとした騒音でもかき消されてしまいそうな掠れた嗚咽の声をはっきりと聞いた。

「・・・ごめんなさい・・・舞弥さん。見苦しい所見せちゃって。せっかくキリツグやシロウ君が必死になってくれていたのに、それを私が滅茶苦茶にしちゃって・・・」

「マダム・・・」

舞弥に振り向く事も無く鼻声交じりで呟くアイリスフィールの後姿に舞弥から何を言う事は出来なかった。

一方、取り残されたセイバーは薄暗い路地にアイリスフィールと舞弥が消えるのを見ているだけであったが、姿が消えてしばらくするとこちらも肩を震わせて大粒の涙が両の眼から零れ落ちる。

「どうして・・・どうして・・・」

そう呟くセイバーだったが、しばらくしてから悄然とした姿のまま無言でメルセデスに乗り込むと静かな運転でその場を後にする。

今度こそ誰一人いなくなった河岸に一陣の風が吹く。

今のセイバー陣営を象徴するような冷たく、乾いた風が。









冬木の聖杯戦争の終わりの始まり未遠川決戦は幕を閉じた。

アサシンに続きキャスターも脱落し残るは六陣営。

キャスターが脱落した事によりキャスター討伐令は完了、ここより第四次聖杯戦争は再戦、死闘が再演されるものと誰もが思っていた。

しかし、一度狂ってしまった歯車も、一度軌道がずれたレールももはや戻る事はない。

これから十二時間後、突如として残る全陣営に対して全面的な一時休戦と教会への強制参集が命じられた。

それも使い魔越しではなく直接教会へと集合せよと。

誰も彼もこの招集にいぶかしんだが、それでもただ事ではないと判ったのだろう。

指定された時間にエクスキューター陣営を除く全陣営が教会に集結する。

そこで参戦者の一人としてではなく、冬木のセカンドオーナーとして遠坂時臣より驚くべきことが告げられた。

『聖杯戦争監督役』言峰璃正の暗殺と、犯行を実行したと断定されたエクスキューター陣営の討伐を目的とした対エクスキューター連合の提案を。

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