ほぼ同時刻・・・
深山町を走る一台のバイクとそれに先導される一台のメルセデスの姿があった。
バイクを駆るのは士郎、メルセデスを運転するのはセイバーだった。
本来両名は昨夜の聖杯問答の折に決定的な仲違いをしている筈なのに何故このような形を取っているのか?
その答えを求める為には、時間を遡らねばならない。
キャスターの工房における気が重く不快な行動を終えて士郎は霊体化を、セイバーは人目に付く前に川を走って横断する。
対岸についてからは実体化して無言かつ足早にその場を離れる士郎にセイバーが声を掛けた。
「エクスキューター」
「・・・どうした?」
セイバーの呼び掛けに昨夜と同じく無味乾燥した声で応ずる士郎。
「っ・・・」
セイバーの脳裏に昨夜の屈辱的な記憶が掠めるが、それに対する憤りを一端胸にしまう。
あえて士郎に声を掛けたのは理由があるのだから。
「今、アイリスフィールから念話で連絡があったが、拠点の移動をキリツグと協議し、それをキリツグが了解したたと言うがその件については聞いているか?」
セイバーの問い掛けに一瞬の半分の刹那だけ怪訝な表情を作りかけた。
拠点を移す事について、セイバーはアイリスフィールと切嗣が協議したと言っていたが、実際は事後承諾のようなものだ。
しかし、切嗣も元々拠点を移す事を検討と言うか確定として見ていたし、士郎が念話で先に報告を入れた時も、それを当然のように了承したのだから、それについては怪訝になる必要は無い。
では何に怪訝に成りかけたのか、その話をアイリスフィールがセイバーに伝えたと言う事だ。
キャスターの根城を襲撃の為に城を後にする時、士郎の口から説明する流れになっていた筈なのに何故・・・
と、そこまで考えた士郎は瞬時に彼なりの回答をだした。
おそらくセイバーの事を慮っての事だ。
唯でさえ今のセイバーは、これまでの聖杯戦争の推移や昨夜の一件で精神的に不安定な状態だ。
ここで士郎から拠点の事を切り出されたとなれば、今までのセイバーの言動から推察(邪推かも知れないが)して自分がアイリスフィールからも疎遠にされていると思い詰めるかもしれない。
士郎としてはもはやセイバーの事はどうでも良い・・・積極的に排除しようとも思わないが積極的に関係を修復したいとも思わない・・・というのが本音だが、アイリスフィールとしてはやはりこのまま見捨てて挙句に切り捨てると言うのはしたくないのだろう。
彼女らしいと言えばらしいのだが・・・と内心で溜息をつきながら、話に合わせる事にした。
「いや、タイミングが悪かったのか聞いていない。少し待ってくれ。マスターに確認する」
そう言って念話で切嗣と連絡を取る振りをする。
「・・・確認が取れた。アイリスフィールさんと舞弥さんは日が昇ると同時に移動するらしいが」
「はい、アイリスフィールからは舞弥と城を出たと。それで場所については・・・・お前に聞けと・・・」
後半は苦々しく口にする、セイバーの心中は十分に察した。
察したが別にフォローするつもりも無い士郎は、
「ああ、マスターから指示は受けている。案内するから車を持ってきてくれ」
事務的にそっけなく言うと駐輪場に停めていたバイクに跨りエンジンをかける。
そんな士郎の態度にもはや何度目になるか判らない憤りを覚えたセイバーだったが、ここで言い争っても仕方ないと、強引に自分に言い聞かせると車を取りにその場を離れ、メルセデスに乗って戻ってきたのは数分後の事だった。
セイバーと合流した士郎は先導するように冬木の町を走り始める。
そんな士郎に追随せねばならないと言う・・・たとえ理由が理由であったとしても・・・現実にセイバーは苦い怒りを募らせるしかなかった。
衛宮切嗣、そしてエクスキューター、能力だけ見れば彼らが有力な味方である事は今でも疑う余地は無い。
だが、その性根は信用にも信頼にも値しない。
騎士の誇りを無視し、人と人の絆を軽視し国を思う心を踏みにじる輩など信頼出来る筈が無い。
本来であればアーチャーやライダーと同じく真っ先に屠るべき相手だと言うのに・・・何故アイリスフィールはあの二人を信用してあまつさえ同盟を結んでいるのか・・・
本来であれば自分一人がいればこの聖杯戦争を戦え抜ける筈だと言うのに何故・・・
そんなセイバーの荒んだ心を車の運転は僅かではあるが癒してくれた。
行きの時は一刻も早くキャスターを討ち果たさねばとの使命感に駆られ、その様な余裕は欠片も存在しなかったが、こうやって運転してみると、実に素晴らしい。
血も心も命も通わぬはずの機械装置の操縦である筈なのに運転しているセイバーの意思を汲んで、加速、減速、左右へのカーブと正確に応ずるメルセデスのハンドルを愛おしそうに撫でるセイバー。
生前自らの愛馬を駆り戦場を駆けた日々を思い出し表情を更に綻ばせる。
(なるほど、アイリスフィールが子供の様にはしゃいで夢中になるのも道理だ)
そんな事を考えながら前方を見れば、セイバーの心をささくれ立たせる姿。
「くっ・・・」
ほんの数秒前までとは真逆の不快感を表情にも滲み出しながら、先ほどまで愛おしそうになでていたハンドルを握り締める。
今度は握り潰さんと言わんばかりに。
一方、先導している士郎はフロントガラス越しでも分かる敵意に満ちた視線を受けて、表情を顰めたり、溜息を吐く事を・・・もはやしなかった。
この時点で士郎の中では、セイバーとアルトリアは姿形だけは瓜二つの別の存在でしか無く、その価値もアイリスフィールを守る呼吸する盾に過ぎず、彼女の守護だけしていれば御の字、その過程で偶然であるにしろ敵陣営を討ち取ってくれれば、儲けもの、そのぐらいに過ぎなかった。
そんな盾程度の存在に睨まれようが憎まれようが士郎には痛痒にも感じない。
そういうものだと決めてかかっている。
(ただ問題はいつセイバーに退場してもらうか・・・)
現状はまだまだ早い。
士郎の見立てでは、最低でもあと三騎のサーヴァントを脱落させなければ本来の目的・・・『大聖杯』破壊に移行は出来ない。
それまでセイバーにはアイリスフィールの守護に専念してもらわなければならない。
『大聖杯』破壊に移行する、前後にアイリスフィールを説き伏せ令呪を全て動員してセイバーに自害を命じる・・・それが最も後腐れの無い方法だろう。
どちらにしろ現時点でセイバーの処遇を決するのは時期尚早だ。
切嗣とも相談し、今後の戦況を把握した上で切り捨てるか、お情けで最後まで残すかそれを決めれば良いだろう。
そんな双方が思案を巡らせているうちに目的地に着いた事を確認、士郎がバイクを停める。
それと同時にセイバーもメルセデスのブレーキを踏んで停車する。
そこは立派な・・・だが、屋根だけ見ても一目見て寂れているとしか言いようの無い日本家屋だった。
その全容は漆喰塀と厳つい門によって見ることは叶わないが一目見ただけでこの寂れようだ。
おそらく建物もかなり傷んでいるのだろう。
「エクスキューター、ここが?」
「ああ、マスターが万が一の為に用意した予備拠点だ」
「・・・アイリスフィール達はまだ来ていないようですね」
「その様だ。まあもう直ぐ着くだろう」
セイバーの不安げな声にも特に感慨を示す事無くバイクに跨ったまま、静かに佇み続ける。
そんな士郎の姿にセイバーは奥歯を食いしばる。
セイバーには士郎の一挙手一投足全てが気に食わないように思えた。
時は再び巻き戻り、視点を変える。
アイリスフィールが舞弥に伴われアインツベルンの城を出発したのは日が昇り始め・・・ちょうど、士郎たちがキャスターの根城から脱出を果たし、切嗣が現状の把握に努めているのとほぼ同時刻だった。
舞弥の運転するライトバンに乗り込み出発する。
「へえ、舞弥さん、随分とゆっくりと運転するのね」
「お言葉ですがマダム、そもそもこれが普通の運転です。それにミスターから聞きましたが、メルセデスで随分と荒っぽい運転をしていたようですね、車の運転を甘く見ているといずれ事故を起こしますよ」
「えっ?そうなの?」
「そうです。私が言うのもなんですが、人間社会で暮らすならばルールを守らないと痛い目にあいますよ。いえ、マダムの場合はまず免許の取得が最優先事項ですが」
短いながらも濃厚な付き合いをして来たのか、アイリスフィールの口調は長年の友人のものであるし舞弥も切嗣から見ると信じれない事に軽口まで叩いてアイリスフィールに応じる。
口数は少ないが和気藹々といた空気の中、ライトバンは冬木市内に入り深山町の奥に進んでいく。
「舞弥さん、キリツグが用意した予備拠点はミヤマチョウにあるのよね」
「はい、近隣住民からは曰くつきの物件として取り壊しも時間の問題だったのですが、切嗣が買い取りました」
「曰くつき?それって幽霊屋敷とか?」
「いえ、そこまでは・・・切嗣が尋ねた時もあまり先方が良い顔をしなかったらしいので、よほどの事があったとしか」
「そう、でも楽しみね。キリツグが日本家屋の事を話してくれた時に一度見てみたいって言った事があったのよ。それを覚えていてくれたのかしら」
地理的には御三家である遠坂、間桐の拠点とは眼の鼻の先であるにも関わらず、アイリスフィール、舞弥の口調に過剰な緊張感は見受けられない。
聖杯戦争は暗闘が前提であり大原則である。
それ故に戦闘は夜間の人目を避けて行われる事が基本である以上、日中にしかもこのような住宅街で戦闘を仕掛けるなど自殺行為に等しい。
唯でさえ魔術師は神秘は隠匿すべしト言う鉄の掟にも縛られ、それを破ってしまえば魔術協会にお尋ね者として追われるだけの事、そのリスクを考えない魔術師などこの世の何処にも存在しない。
それに加えて、聖杯戦争で使用する拠点で重要視されるのは地脈や霊脈などに代表される魔術的な地の利であり、地理的な立地条件はさほど重要視されはしない。
前にも述べたがアイリスフィール達が森の城を放棄したのも森全域をカバーしていた結界が破壊された事で魔術的な守りが崩壊した為であって利便性を求めたものではない。
まあ、他の陣営の本拠地近くに予備拠点を用意した切嗣の大胆不敵さにはいささかならず驚かされたが。
やがて漆喰塀の傍らにライトバンが停車する。
目的地に着いたようだ。
現に前方の門に近くには見覚えのあるバイクとメルセデス、そして士郎とセイバーがたたずんでいる。
「ミスター達は先に着いていたようですね」
「そうね、少し待たせちゃったかしら?」
そう言いながら車から降りる。
「アイリスフィール!」
直ぐにセイバーがアイリスフィールの元に駆け寄る。
「舞弥さん、アイリスフィールさん、お疲れ様です」
セイバーの後ろからゆっくりと歩いてきた士郎がそう言って二人を労う。
「私達は大丈夫よ。シ・・・エクスキューター、一晩城で休ませてもらったし。お疲れ様と言わなくちゃいけないのは私達の方よ」
自分ではなく、士郎の言葉に微笑みながら返すアイリスフィールの姿に表情を曇らせるセイバー。
だが、不幸な事にアイリスフィール達は気付く事も無く、士郎に関しては気付いていたが無視していた。
「それでセイバー、キャスターは・・・」
アイリスフィールの問い掛けにセイバーは表情を更に曇らせて口を噤む。
士郎も苦々しい表情でこちらも無言であったが
「・・・悔しいですが一足違いでした・・・」
とだけ答える。
本当であれば詳細を報告しなくてはならないのだが、それはすなわち、あそこに残されていた犠牲者の末路も話さねばならないと言う事、士郎としては進んで口にしようとしなかったし、軽々しく口にもしたくない事だった。
「そう・・・」
二人の表情から口にもしたくない事なのだと理解したのだろう、アイリスフィールも詳細を聞く事も無く、その口も重くなった。
「マダム、今日からはここを行動の拠点とさせて頂きます。これはここの鍵です」
そんな場の空気を察してか、舞弥は話題を半ば強引に変更、鍵をアイリスフィールに手渡し、それに乗る事にしたアイリスフィールも当然のように受け取った。
「へえ、色々あるのね・・・あら?舞弥さん、この古い鍵は?」
手渡された鍵を物珍しそうに見ていたアイリスフィールだったが、その中に一つやけに古めかしい鋳造製の鍵を見つけて不思議そうな声を掛ける。
他は軒並み近代的なシリンダー錠であった分、余計に目立つ。
「それは庭にある土蔵の鍵です。古いですが造りはしっかりしており問題はありません。それと・・・」
不意に舞弥の表情が僅かに曇る。
「先ほども申し上げましたが、先日買い取ったばかりであるのに加えて、これほど速く使用すると想定していませんでしたので準備が何もなされていません。マダムには不自由をさせてしまいますが・・・」
「構わないわ。私達は観光旅行をしにここに来た訳じゃないし、荒廃具合なら今の城も似たり寄ったりよ。雨風を凌げるなら文句は言わないわ」
名門の令嬢とは思えない殊勝な言葉に舞弥もますます申し訳なさそうにしていた。
「ああ、その件ですが」
と、不意に士郎が口を挟む。
「アイリスフィールさん達が冬木に来る前にここも少し整理はしておきました。食料とか用意は出来ませんでしたし、中庭も手付かずです。時間があればもう少し出来たのですが、少なくとも家屋内の清潔感だけは最低限あると思いますので」
「そうなの?ありがとう」
「いえ、無用と思いましたが役に立てば幸いです」
アイリスフィールの感謝の言葉に士郎は複雑な表情を見せる。
自分の整備が役に立った事は嬉しい事だが、ここは本来万が一の為の予備であるに過ぎず、それがこれほど速く使わざるおえない状況になった事はとてもではないが歓迎できる事態ではない。
「では俺はマスターと合流しますのでこれで失礼します」
「判ったわ、エクスキューター気をつけて」
アイリスフィールの言葉に一つ頷くとバイクに跨り、セイバー達を残してその場を走り去っていった。
士郎の姿が見えなくなったと同時に、セイバーは安堵するように息を吐いた。
そんなセイバーに向けられる視線を感じ、その視線の方向に眼を向けると、そこにはアイリスフィールの眼があった。
ただ見ているだけだが、それにセイバーは背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
何故ならばセイバーを見つめている筈の赤い瞳にも・・・それ所か、いつもは感情豊かである筈のその表情にも色はない。
まるで人形のような顔と視線をセイバーに対して向けていた。
「??あ、アイリスフィール??」
そんな姿に得体の知れぬ恐怖すら抱いたセイバーがおずおずと話し掛けると、たちまちの内にアイリスフィールの顔に色が戻る。
「ご、ごめんなさいセイバー、少しぼっとしていたわ。じゃあ、入って新拠点の点検といきましょうか。セイバー、舞弥さん」
「・・・判りました」
「は、はい・・・」
やや不思議そうな表情の舞弥と動揺を隠し切れないセイバーを無理やり納得させるように、浮き浮きした仕草で門の鍵を開けて門を押し開く。
三人を出迎えたのは雑草が伸び放題の中庭で、その奥にひっそりと建つ木造平屋の母屋は城のような重厚な空気は無いが、雑草の合間から見えるその姿は不気味な空気をかもし出す。
普通それを見れば足を竦ませ、一歩足を踏み入れるのも勇気がいるが、神秘の側を生きる魔術師であるアイリスフィールはそれを見てもおびえる空気も無く、むしろ眼を輝かせて
「まあ、この国の幽霊屋敷の趣と言った所かしら。フフッ」
探検に来た子供のように嬉しそうに辺りを見渡す。
そんなアイリスフィールの姿に少なからず呆れながらも付いて行く舞弥とセイバー。
荒れ放題の中庭を堪能したのか今度は母屋探検とばかりに玄関の錠を開けて、中に入る。
すると
「まあ・・・」
一目見た瞬間、立ち竦んで一声発した後は声を失う。
「??マダム、どうかしましたか?」
そんな様子に不思議に思った舞弥がアイリスフィールの後ろから覗き込むと
「・・・」
こちらは言葉を失いやはり呆然と立ち竦んだ。
何を二人は見たのか?
母屋全体は長年人の出入りが無く空気も淀んでいた為だろう、あちこちに傷みが見受けられたのだが、埃や隅に張られていた蜘蛛の巣は掃除したのか綺麗に取り除かれ、廊下は明らかに掃除され手入れされたように綺麗に磨かれていた。
痛みの見受けられる母屋と綺麗に手入れされた廊下・・・その対比はある意味不気味さを倍増させる。
「舞弥さんこれって・・・」
「たぶんミス・・・いえ、エクスキューターでしょう・・・本人は少しと言っていましたが、ここまでとは・・・」
アイリスフィールの問いに舞弥は呆然とした声で応じた。
無理も無いだろう。
舞弥は開戦前、家屋の点検と錠の取替えなど最低限の準備を整える為、母屋に入ったのだが、その時は埃まみれ、蜘蛛の巣だらけ、更には鼠やムカデ等の害虫が我が物顔で闊歩しており、あまりのひどさに靴を脱げなかったほどだ。
そんな惨状をその眼で見てきただけに、その激変振りにはただただ唖然とするばかりだ。
しかも、そんな状況だった母屋をここまで清掃していき、更にはそれを『少し』と表現する士郎には、ここ数日で最も驚かされた。
「シロウ君、生前はどんな英雄だったのかしら・・・清掃が万能な英雄なんて聞いた事が無いわ」
アイリスフィールは傍の舞弥にだけ聞こえるような小声で思わず囁き、それを聞いた舞弥は真顔で頷いた。
「??アイリスフィール入らないですか?」
そこへやや遅れてセイバーが近寄り怪訝そうな声を発すした事で我に返る。
「う、ううん、なんでもないわ。エクスキューターが少し遠慮した物言いをしたものだったから」
「??それは一体・・・」
「さ、入りましょう。舞弥さん、日本だとここで靴を脱ぐのよね?」
「はい」
訝しげなセイバーを押し切るよう荷アイリスフィールは靴を脱いで玄関から上がる。
それに続くように舞弥とセイバーが上がる。
こうして始まった母屋探検だったが、廊下こそ全域で清掃が行き届いているが室内は居間が一先ず生活できる体勢が整えられているだけで他の部屋までは行き届いてはいない。
どうやら廊下と居間の清掃と害虫などの駆除で精一杯のようだったが、これでも十分過ぎる程だ。
「まあ、これが干し草で編み固めた床なの!」
「へえ・・・これが紙の間仕切り・・・の枠ね。出来ればきちんとした状態で見たかったけど、仕方ないわね」
「うわあ・・・これもすごいわ!」
見るもの見るものに歓声を上げてみて回る姿をセイバーも舞弥も苦笑しながらも微笑ましく見守る。
殊にセイバーは、いつもの調子に戻ったアイリスフィールにすっかり安堵し、入る前に見せたあの色のないアイリスフィールは自分の気のせいと完全に割り切ってしまっていた。
そんなこんなで、実に楽しげに嬉しそうに母屋の隅々まで堪能したアイリスフィールであったが、最後の部屋を見終わったと同時に真顔になって深刻そうに思案を始める。
「マダム、どうかしましたか?何か不都合でも?」
「ええ・・・ニホンカオクは存分に堪能できたんだけど魔術師の拠点として考えると・・・少し難しいのよここ」
「拠点としては難しいと言うと、どう言う事なのですか?」
「ええ、結界の敷設は問題ないけど、工房の設置がね・・・この国の風土だと仕方ないしキリツグがわざわざ苦労して用意してくれたお屋敷に文句をつけるのも申し訳ないけど、この造りだとどうしても魔力が散逸しすぎてしまうのよ。とりわけアインツベルンの魔術式だとなおさら・・・ね」
舞弥とセイバーの疑問に真剣な表情で答えるアイリスフィールは数分前まで子供のように浮かれて、はしゃぎ回っていたときと同一人物とは思えないほどだった。
彼女とて聖杯戦争のマスターでありアインツベルンの魔術師、浮かれているように見えても、押さえるべき所はきちんと押さえていたようだった。
「困ったわね・・・石か土で密閉された部屋があれば満点だったんだけど・・・」
と、その言葉に思い出したのか舞弥とセイバーが異口同音に同じ事を口にした。
「「マダム(アイリスフィール)、先程説明した(があった)土蔵(倉庫)はどうですか(でしょう)?」」
「あっ!」
母屋探検に夢中になりすぎたのか土蔵の存在すら忘れていたのだろう、そう言うと自分を恥じるように頬を赤く染めてから。
「ごめんなさい、すっかり忘れていたわ。じゃあ、そのドゾウも見てみましょう」
そう言って靴を履くべく、玄関へと向かった。
「これなら理想的!!」
土蔵の鍵を開けて、中を一瞥しただけでアイリスフィールは満足げな声を上げた。
「ここならお城と同じ術式を組んでも問題ないわ。まずは魔方陣を敷いて領域として固定化しましょう。ちょっと手狭だけど、これ以上我が侭言えば罰が当たるわね」
魔術師の顔でそんなことを口に知るアイリスフィールを見ながらセイバーが舞弥に尋ねた。
「マイヤ、もしやキリツグはこの事も考慮して、この物件を探し出したのでしょうか?」
「おそらくそうでしょう。この物件を購入する際に売り手との間でトラブルが多発したそうですが、それを半ば強引に治めてここを購入したと言っていました」
それを聞きセイバーは切嗣の一歩も二歩も先を見通す用意周到さ、先見の明、そして敵の裏の裏をかく戦略眼だけには素直に賞賛した。
何しろこの予備拠点もアイリスフィールと同じ御三家である遠坂、間桐の拠点とは目の鼻の先。
その気になれば歩いて行く事も出来る。
大胆不敵であるがそれが盲点とも言える。
何よりも敵にここを知られていないというのは大きな利点となる。
そこまで理解しているからこそセイバーは切嗣を露骨に侮蔑も、アイリスフィールに切嗣達との同盟解除を進言する事も出来ない。
切嗣達がこの上なく有能で有益な味方であるという揺ぎ無い事実が、セイバーのストレスを少しずつ蓄積していく。
いっそあの二人がこの上ないほど無能で愚劣であればどれほど良かったか・・・
「じゃあ、早速だけど魔方陣の敷設から始めましょう。セイバー、舞弥さん手伝ってくれる?」
「判りました、マダム」
「はい」
「じゃあ早速だけど舞弥さん、車に積んできた資材を持ってきて欲しいんだけど」
「全部ですか?」
「ううん、一先ずは魔方陣を生成したから錬金術系の道具だけお願い。赤と銀の化粧箱にまとめてるから」
「ああ、マダムが殊に慎重に取り扱っていたあれですね。直ぐに」
そういうと舞弥は土蔵を出て行く。
「じゃあセイバー、舞弥さんが戻って来るまでに下準備に取り掛かりましょう」
「お任せ下さい。私は何をすれば」
「まずはこの場所に六フィート径の二重六亡星を書いて、この方角を頭にして」
そう言って土蔵の片隅の一角を指差す。
「わかりました」
セイバーはそれを快諾して六亡星を書き始めると同時に土蔵の扉が開かれた。
「お待たせしましたマダム、これでよろしいでしょうか」
「ええ、これこれ、ありがとう舞弥さん。じゃあ私は水銀の生成をしているから、その間にセイバーと魔方陣の下準備を始めて頂戴」
「判りました」
アイリスフィールの指示を受けて和気藹々と工房設置をしていく三人。
その姿は仲の良い三姉妹のようにも見え、そこにこれまでの不協和音など一片も感じられない。
そんな中アイリスフィールは一つの決意を固めつあった。
そのきっかけは士郎が切嗣と合流する為ここから立ち去る時、何の気もなしにセイバーの顔を見た時だった。
その時のセイバーは・・・実に嬉しそうに笑っていた。
忌々しい奴がいなくなって清々したと言わんばかりに、彼女には似つかわしくない嫌味たらしい薄ら笑いすら浮かべていた。
その顔を見たその時、アイリスフィールはセイバーに失望した訳でも冷めた訳ではない。
セイバーと士郎との間に出来た亀裂など昨夜いやと言うほど見せ付けられたのだから驚くにも値しない。
しかし、それを見てしまった瞬間、ようやく自覚した・・・正確にはしてしまったと言うべきなのだろうが。
セイバーと士郎、切嗣との溝をこれ以上ないほど明確に。
もはやこの溝を埋める事は、どちらかが消えない限り不可能だと理解してしまった。
そしてアイリスフィールの目的は切嗣達と同じもの。
ならば・・・自分が選ぶのは無論・・・
(キリツグ達と合流した時に相談するべきね・・・残念だけどもう無理・・・)
アイリスフィールはようやく決断の一歩を踏み出そうとしていた。
だが、それは遅すぎた。