バーサーカーの駆るF15Jの機首がこちらに向けられた瞬間、セイバーの直感は『全力で回避すべし』と訴えかけていた。

自身の直感に全幅の信頼を置くセイバーは迷う事も疑う事も無くその声に従い、全力疾走で回避に専念する。

F15Jの機関砲が火を噴くのよりも数瞬早くセイバーは水面を疾走、バーサーカーの攻撃範囲外に移動する。

次の瞬間、撃ち込まれた機関砲弾は水面に叩き込まれ瀑布を逆さにしたような巨大な水しぶきが辺りに飛散する。

サーヴァントであるセイバーの前ではどれほどの大口径の砲撃でも問題ではなく刀身で切り伏せる事も不可能な話ではない。

だが、それはセイバーが万全である事と砲撃が一発二発で済めばという条件がつく。

何しろ、F15Jに搭載されている二十ミリ機関砲は毎分一万二千発と言う桁違いの速射性能を誇り、その数はサーヴァントであるセイバーの手腕を持ってしても万全であったとしても対処できる代物ではない。

ましてや左手の枷を未だ強いられている今のセイバーでは不可能な話である。

おまけに今のF15Jはバーサーカーに支配された宝具の戦闘機、その攻撃一発でも受ければ、たちどころに致命傷となりかねない。

その事も考慮すれば、仮に対処出来たとしてもセイバーは迷う事無く回避に全力を注ぐだろう。

全速で水面を疾走するセイバーをまさしく猟犬の如く執拗に追い縋り、機関砲を撃ちまくる。

今はかろうじて回避出来ているが、その差は僅かで、もしもセイバーが疾走の速度を僅かでも緩めれば、たちまちセイバーは機関砲の雨に晒されるだろう。

それがいやと言うほど判っているからこそセイバーは緩める訳には行かなかった。

しかも、信じ難い事にバーサーカーもそれを承知しているのか、追撃の手を緩める素振りもまたない。

枷を背負った状態に加えて遮蔽物も無い。

セイバーを討ち取るのにこの上も無く絶好の好機を逃すまいとする攻勢は苛烈なそれでいて的確で周到なものだった。

狂化しているとは思えない冷静かつ正確な戦術眼だった。

全力で疾走を続けるセイバーの耳に、重低音の地響きが響き渡る。

突然の地響きに野次馬連中は何が起こったのか全く判らず、更なる不安に襲われるが、それが何であるのかそれが判っているのは聖杯戦争の参戦者だけだった。

おそらく、いやほぼ間違いなく『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の内部で暴れている海魔の影響だろう、地響きと言う形とは言え、現実世界にまで影響が出始めている事はそれが意味するのはただ一つ、『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の展開が限界に近付いていると言う事。

(くそっ・・・このままでは・・・)

バーサーカーと戦っている暇はない。

今討たねばならぬのは間違いなくキャスターだというのに、討つ手立ても見出す事も出来ずこのままではライダーの時間稼ぎも無為に終わってしまう。

(かくなる上は・・・)

不完全な形ではあるし、威力も不十分だが『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』は撃てない訳ではない。

バーサーカーを退け、海魔が出現した所に自身の魔力を使い果たし、消滅しようともキャスターを道連れにするまで『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を撃ち続ける。

聖杯に未練が無い訳ではない。

しかし、ランサーの言葉を借りるつもりは無いが、今最も重要な事は、聖杯戦争に勝つ事ではなく、無辜の市民を理不尽な凶刃より守る事。

そう決意を固めようとしたその時、セイバーにとって救世主の声が響いた。

「そこまでだ!狂戦士!」

その声に振り向くと、F15Jの機上に姿を現したランサーが『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』をその機体に突き刺していた。

セイバーの顔に喜色が浮かぶ。

やはり最も頼りになるのはランサーだ。

断じてエクスキューターや切嗣では無い。

『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』に突き刺された事でF15Jを支配していたバーサーカーの魔力は霧散、今までバーサーカーの魔力で動かされ、物理法則を無視し続けていた機体は既にぼろぼろの状態で、ジェット燃料が引火したのか川に墜落する寸前で大爆発を起こした。

一瞬ランサーの身を案じかけたセイバーであったが頭上から響き渡る

「!!!!!!!!」

怨嗟の咆哮に思わず頭上を見上げる。

見れば間一髪でF15Jから離脱したバーサーカーがいた。

しかも何やら樽状の見慣れない物体を担いで、細長い六本の棒を束ねたものをセイバーに向けている。

何であるのかセイバーは知らぬが、直感で今まで自分を追い縋っていた機械仕掛けの射出兵器だと判断していた。

その直感は正に正しく、今バーサーカーが担いでいるのはランサーに自分の能力を無効化される寸前、強引にF15Jから強奪したガトリング機関砲のユニット一式だった。

『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』から逃れたガトリング機関砲には未だバーサーカーの憎悪の魔力が充満しており、バーサーカーは落下しながらも狙いを既にセイバーに定めている。

不気味な起動音を発しながら回転を開始する砲身を前にセイバーは自身が絶体絶命に陥った事を自覚した。

セイバーとバーサーカーの距離は今までと比べて圧倒的に短く、弾速に対応する暇を与えられそうに無く、かといって前後左右何処に逃げようとも機関砲弾の雨から逃れる事はもはや叶わない。

それならばとセイバーはバーサーカーに向かって駆け出そうとする。

刺し違えてもバーサーカーを撃滅するつもりだった。

たとえここで致命傷を負おうとも、本命であるキャスターを討てるだけの魔力が残っているならばそれでよし。

バーサーカーを撃ち滅ぼし、そしてキャスターを討つ。

その決意と共に駆け出そうとしたとき事態は再び一転する。

いきなりバーサーカーを取り囲むように無数の鋼鉄の流星が襲撃、バーサーカーを直撃する。

重力に従って落下するバーサーカーにそれを回避する術は無く、鎧は紙の様に切り裂かれ、火を吹く直前だった回転砲身はいとも容易く両断され、担いでいた樽状の弾倉が突然爆発を起こし空中で紅蓮の炎の花を咲かせる。

その爆発と破片を至近距離で全て受ける羽目になったバーサーカーは吹き飛ばされ、石礫のように川面を二度三度跳ねた後川へと没する。

何事なのかと呆然としていると

「はっ、狂犬風情が。王を無視し、王の宝物をあまつさえ王をも傷つけた大罪いかに重くいかに愚かか。その身を持って味わうが良い」

純粋な怒りに満ちた声が背後より聞こえる。

振り返れば冬木大橋のアーチにアーチャーが立っている。

ヴィマーナが撃墜された際に巻き添えを食らったと思われたが、脱出には成功したようだった。

だが、それでも無傷とはいかなかったらしく、ご自慢の黄金のプレートメイルは煤けていたり、高温で一部溶けている。

それでもその脅威は健在で、周囲にはあの黄金の輝きと共に多種多様な切っ先が浮かび、主の命あれば即座に主に仇名す愚者を抹殺すべく動くだろう。

と、不意にアーチャーとセイバーの視線が交差した瞬間、アーチャーの表情が更に不快に満ちたそれに変わり、躊躇い無く、原典宝具を射出した。

狙われたセイバーは突然の事に半瞬忘我したが、直ぐに撃ち放たれたそれを剣で弾き飛ばす。

「アーチャー!!貴様!突然どう言う事だ!!」

セイバーの糾弾にアーチャーは表情に不快感を、その声には侮蔑を隠す事無く

「そこの娼婦、何ゆえに王たる我の尊顔を見る。貴様のような場末の娼婦にその様な格段の報奨賜った覚えは無いぞ。娼婦なら娼婦らしくどこぞの男に股でも開いていたらどうだ」

きっぱりとセイバーへの侮辱を言い放った。

未だかつて、これほどの侮辱を言われた事の無いセイバーの怒りの炎は当然だが燃え上がったが、それを鎮めたのは

「アーチャー、謂れなき侮辱はそこまでにしてもらおうか。彼女は誇り高き騎士の王。それは紛れのない事実だ」

いつの間にかアーチに移動し、アーチャーに『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を突き付けるランサーだった。

「あの娼婦が?誇り高い?これは傑作だ。流石は娼婦に媚びる道化よ。言う事が違うな」

流石と言うか鈍感と言うかこの状態にも拘らずアーチャーは平然と笑っていた。

最もランサーの周囲にも既にアーチャーの原典宝具がその切っ先を向けいてるので一方的に追い詰めている訳でもなかったが。

セイバーはもちろんランサーまでも侮辱するアーチャーの態度にセイバーは改めて怒りを露にするが、ランサー自身はアーチャーに冷ややかな視線と冷ややかな棘を含んだ声で

「・・・貴様のその性根、根本より叩き直してやりたい所だが、今は火急を要する。貴様と戯れている場合ではない」

そう言うと『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を下ろす。

その態度にアーチャーもまた怒りの色を浮かべるも、そんなアーチャーを無視してランサーはセイバーに思わぬ事を口にした。

「セイバー!退け!」

「退け・・・だと!!」

突然の事に呆然としていたセイバーだったが、直ぐに我に変えるとランサーに食って掛かった。

「馬鹿な事を言うな!ランサー我々が止めねばどうすると・・・っ!」

その時、セイバーの表情が強張り、背筋が凍て付いた。

何かを知覚した訳でもない。

だが、彼女の直感はかつて無いほどの大音量で自分自身に訴えかけていた。

『ここから離れろ』と・・・

認めたくは無いが自分の直感が発した警告にセイバーは素直に従い、そこから退避を始める。

ふと視界の片隅にアーチャーの姿を捉えるが、彼ももまたその表情を引き攣らせている。

「・・・案ずるなセイバー」

そんな二人を他所にランサーは静かに口を開く。

「後の決着は・・・彼がつけてくれる」

その声に、その視線に揺ぎ無い信頼を・・・セイバーに向けられたそれをも上回る絶対の・・・込めていた。

その視線の先に眼を向ける。

そこには何故か川の中に入り腰のあたりにまで水に浸かった士郎の姿があった。

その手には見慣れぬ剣を持って。









時間を遡る。

バーサーカーのF15Jから射出されたフレア弾は寸分の狂い無く士郎達に襲い掛かる。

しかし、その速度は決して速くは無く、士郎、ランサーにとっては余裕で対処出来る代物だった。

たちまちの内にランサーと士郎が投影した『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』が切り払う事でフレア弾はバーサーカーの魔力から解放され力なく地面へと落ちて行く。

やはり、元々は空中に散布するデコイに過ぎず、機動性はあまり無いようだった。

一先ずこちらに向けられた危機は脱したが現状は何も変わってはいない。

アイリスフィールを危険から遠ざける為、止む無く川面を疾走するセイバーをバーサーカーが機関砲で追撃を加える。

その攻勢は苛烈かつ執拗なもので、セイバーは回避に全力を傾けているがそれも当然の事で僅かでも反撃を企てようものならそれを実行に移す前に、セイバーは蜂の巣所かミンチにされるだろう。

「まずいな。セイバーでもあれを掻い潜り反撃に出るなど不可能だ」

「そうだな・・・しかし、あのバーサーカー一体何者だ?初戦の時と良い明らかにセイバーを狙っている。おまけに見境無く暴れているように見えて、その戦いぶりは周到だ。気付いているか?エクスキューター」

「ああ、じわじわだが、セイバーの逃走ルートが狭められている。このままだといずれ捕捉される。狂化しているとは思えないほどの見事な戦いぶりだ」

士郎が思わず皮肉に満ちた賞賛を口にするほど、バーサーカーの戦いぶりは敵ながら見事なものだった。

しかし、現状はそんな傍観者の立場にいられるような悠長なものではない。

不気味に響き渡る重低音の地響きが士郎達の耳にも届く。

「まずいぞ・・・ライダーの時間稼ぎもそう長くは・・・」

ウェイバーの声を聞きながら士郎は既に覚悟を決めていた。

(爺さん)

念話で切嗣を呼ぶ。

(ああ、士郎。状況は把握している・・・やはりケイネスは確実に殺しておくべきだったね)

(そうだな・・・俺も爺さんに被害が及ぼうともランサーに仕掛けておくべきだったよ。そうすりゃもっとスムーズにキャスターを潰せれたし、ランサーもあんな絶望を味わう事もなかった)

切嗣の念話はどこか冷ややかなものだったが、士郎の念話には節々に怒りの感情が滲み出ている。

(こちらはキャスターの投下場所の下準備はもう整っている。いつでも良いよ)

(判った)

そこで一端念話を区切ると士郎はウェイバーと視線を合わせる。

「ライダーのマスター。直ぐにライダーが寄越すと言っていた伝令を呼んでくれ」

「へ?」

突然の事に思考が追いつかないウェイバーだったが。

「早く!時間が無い!」

士郎の一喝に我を取り戻すと慌てて思念を集中させてライダーに伝令を求める。

直ぐにウェイバーの傍らの空間が揺らぐや一人の精悍な騎士が現れる。

「親衛隊(ヘイタロイ)が一人ミトリネス、我が王の耳となるべく参上仕りました!」

ウェイバーに略式とは言え、礼を取るミトリネスの姿はまさしく誇り高き英霊というに相応しかった。

だが、強烈な打撃を受けたのか、煌びやかな甲冑は至る所が凹み、鍛え上げられた歴戦の肉体もまた至る所に青あざが出来ている。

その壮絶な姿にウェイバーは結界内での激戦がどれほどのものか想像に難くないと思ったのだが、士郎はその姿に心底から申し訳ないと思い至った。

何しろ・・・その鎧の凹みも、青あざもよくよく見ると馬の蹄の形をしているのだから。

だが、今は文字通り一刻を争う。後に謝罪出来る事は後にすればよい。

そう判断すると士郎はミトリネスに近寄る。

「ミトリネス将軍、偉大なる征服王のマスターで無い者が口を挟む事お許し願いたい。今、征服王が閉じ込めている怪物を屠るべく体勢を整えつつあります。こちらで合図をしましたらその地点に怪物を現界させ得ることは可能でしょうか?」

あくまでも他人行儀の態度と口調で尋ねる。

そんな士郎の態度にミトリネスは表情を変える事は無い。

おそらくライダーから大まかな事情は聞いているのだろう。

「可能ですが、お急ぎを。現在我が王も剣を取り軍勢(ヘタイロイ)総力を挙げて食い止めておりますが、もはやそれも叶わぬ状況にあり」

「はい判っております、単刀直入に聞かせて頂きたい。後何分持ち堪えますか?」

その問いに僅かだけ思案すると

「最大限贔屓目に見ても五分・・・いえ三分が限度」

「判りました・・・ランサー」

と今度はランサーに声を掛ける。

「すまないが、バーサーカーを退けた上でセイバーをこちらまで引き摺り戻してくれないか?後は・・・俺が決着をつける」

その言葉にランサーは一つ頷く。

「無論。何も出来ぬ無能、無力、無才、非力な身なれど一命をもって騎士王を連れ戻す」

その頼もしい言葉に士郎もまた静かに頷くと、ランサー達に背を向けて川へと向かって歩き始める。

「・・・ランサー、お前の無念も悲願も祈りも・・・その全てを俺に預けてくれ。俺はそれを・・・必ず果たす」

気負っている訳でも叫んでいる訳でもない、いつもの静かな声。

だが、その時士郎の背に宿るかつて無いほどの強き・・・鋼の如き意思の強さを全員が垣間見た。

それを見てランサーは大きく、ミトリネスは小さく、だが、双方ともわが事の様な歓喜を抱きながら頷く。

「ああ、貴公にであれば俺も憂いは無い。全てを託す事が出来よう・・・エクスキューター・・・必ずや勝利を!」

そう言うとランサーは姿を消し、直ぐにその姿をF15Jの機上に姿を現し、その機体に『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』を突き刺す。

それを見届けると再び念話で

(爺さん・・・やってくれ)

(ああ)









(爺さん・・・やってくれ)

(ああ)

士郎からその念話を受けた時切嗣の姿は無断拝借したボートにはなかった。

この時、切嗣は別件で手配しておいた船舶に乗り換えると予定していたポイントに移動させてから投錨。

自身は積み込まれていた発動機付きのゴムボードに搭乗まで完了している。

見ればようやく排除されたのか暴れまわっていたバーサーカーの姿は無い。

もはや全ての障害は排除された。

後はこれを使うだけ。

切嗣は静かに意識を集中させ、士郎が持つ真の切り札がしまわれた宝箱の鍵を解き放った。

「我、令呪をもってして、我が義息子に命ずる・・・士郎、宝具を開帳せよ!」









同時刻、士郎は川の中ほどにいた。

既に周囲の地形を解析し比較的浅瀬を見つけていた士郎は霊体化してそこまで移動、実体化してからはそこで、切嗣からの命を今か今かと待ちわびていた。

そんな士郎に念願の命が届く。

「我、令呪をもってして、我が義息子に命ずる・・・士郎、宝具を開帳せよ!」

その声を士郎は聞いた訳ではない。

そもそも士郎達がいる場所と切嗣が陣取るポイントとはあまりにも離れており耳を澄ました所で聞こえる筈も無い。

だが、士郎は確かに聞いた、令呪をもってして士郎の宝具使用を命じた義父の声を。

そしてイメージした。

自分の目の前にある四つの扉のうち一つが開かれるのを。

「承知した。我が義父よ(マイ・マスター)」

小声で小さく呟くと右手を静かに真横に伸ばすと懐かしき詠唱を口にする。

「異次元抽出(ディメンション・トレース)」

それと同時に士郎の右腕は肩の付け根まで消滅する。

だが、そう思ったのもつかの間、士郎の右腕は直ぐに姿を現した。

一本の剣を握り締めて。

それは形状だけで見ればごく一般的なロングソード、だが、その刀身も柄も全てが分けられていた。

左半分を光が結晶化したような純白に。

右半分を闇が練り固めてられて作られたような漆黒に。

それと同時にセイバーがその場から離脱を開始し、その二つを合図としたようにゴムボードで安全圏に離脱を果たそうとしていた切嗣は目的としていたポイントに信号弾を打ち込む。

そこは士郎達と切嗣が配備した船舶のほぼ中間地点にある。

上空に忽然と現れた黄燐の光弾を合図だと確信したウェイバーは躊躇い無く叫ぶ。

「あそこだ!あの真下へ!!」

その声にミトリネスは瞬く間に姿を消す。

結界に戻りその旨をライダーに伝える為だろう。

ミトリネスが姿を消して一秒と経たぬ内に川上空の大気が震撼し、おぼろげな影が夜空を覆い、それは実体を取り戻し海魔は現実世界に立ち返る。

空中に姿を現した海魔は重力に従い着水、その飛沫は局地的かつ短期的なスコールとなり降り注ぎ、その際に生じた波が河岸を洗う。

その波は当然だが士郎にも襲い掛かるが、鍛え上げられた士郎の足腰はそれにもびくともしない。

それと同時に一両の戦車が夜空に踊り出る。

確認するまでも無くライダーの戦車『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』だ。

遠目で見てもぼろぼろの満身創痍であるが、その飛翔には未だ力強さが残されている。

「ふぃー!全く!何を手間取って・・・おおっ!!」

開口一番後事を託したセイバー達への罵声を口にしかけたライダーだったが、川の中に立つ士郎を・・正確には士郎の手に持つ剣を見て顔色を変える。

ライダーは知っている。士郎が持つ剣がどういう物なのか、どれほどの威力を秘めているのかを。

そうなれば当然だが、ここでは自身にも被害が及ぶ事は確定事項、直ぐに避難と同時にこの戦いの決着を特等席で見届けるべく急旋回、かつ全速力で移動を開始する。

その時士郎は、その剣を両手で握り締め魔力を注ぎ込み、決着の一撃を加えるべく体勢を整える。

一つ大きく息を吸い込み吐き出すや

「はあああああ!」

裂帛の気合を込めた声と同時に剣に魔力を注ぎ込む。

同時に純白の刀身より光が、漆黒の刀身からは闇が溢れ、螺旋を描き、刀身を包み込む。

その螺旋は一つの力の波動を周囲に発散し、士郎の周囲の水は潮が引くみたいに士郎から逃げて行く。

キャスターも突然目の前に現れた得体の知れぬ脅威に思考が停止しているのか海魔は現界した地点から動こうとはしない。

いや、仮に動けたとしても俊敏な回避など望める筈も無く、目の前の脅威に異形の咆哮を持って威嚇するしか術はない。

「・・・全てのつけを払う時だ。キャスター」

静かに呟き一度だけ眼を閉じる。

そしてその眼が開かれた時、士郎は高らかに威風堂々と己が一つ目の切り札の名を謳い上げる。

「交錯する絶望と希望別つ(スパイラル)!」

軸足に全体重を乗せて

「運命の裁断(フェイト・ブリンガー)!!」

振り下ろした。

振り下ろすと同時に螺旋を描く光と闇は渦となり渦は奔流となって海魔にぶつかる。

光は焼き払い、闇は押し潰し虚無へと落としていく。

無論海魔も驚異的速度で再生を始めるが明らかにそれは追いついていない。

一の細胞が再生される間に百が消滅していく。

しかも時間が経つにつれてその威力は明らかに増大していく。

百が千、千が万、万が億と海魔の消滅が加速度的に早くなり遂に、光と闇は海魔を肉片一片も、細胞一つも残す事もなく焼き尽くし、消し尽くし勢いそのままに切嗣が防壁として用意した船舶を破壊・・・と言うよりはもはや消滅しながら夜空へと駆け上り光と闇の螺旋の塔を作り上げ、そして消えていった。









時間はまたもや遡り場面を海魔の体内に移す。

士郎の『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の直撃を受け、海魔の絶対的な再生能力は、それを上回る消滅によって屈し、全ての終焉は時間の問題にも関わらずキャスターの顔に恐怖も絶望も憤怒も無かった。

ただ、腐肉の要塞の隙間から見える白き光をただ彼は見入っていた。

その光を彼は知っていた。

オルレアンの奇跡の後に遂に成し遂げた主君の戴冠式が執り行われた聖堂のステンドガラスからこぼれる光だった。

救国の英雄としてジャンヌも、ジルも祝福し未来の栄光を信じて疑わなかったあの光。

彼は覚えていた。

邪道に魅入られ魔道に迷い込み、鬼畜に堕ち果て、あらゆる悪徳に身を汚しつくしてもあの日の栄光だけはその心に刻まれ続けていた。

何故自分は忘れていたのだろうか?

あの日の尊さを、清らかさを。

その記憶の美しさにキャスターの眼からは純粋な涙が流れ落ちる。

自分は何を彷徨っていたのだろうか?

何を見失っていたのであろうか?

ただ、その記憶を胸に誇らしくいれば良かったと言うのに・・・

そのまま幸福な救いに身を委ねたままキャスターは消滅するかと思われたが、それは突然一変する。

「え?」

光は消え失せ、闇が全てを覆う。

それはキャスターに残忍な末期を突き付ける。

忌まわしきルーアンの地にて魔女の烙印を押され、その汚名も雪がれぬまま魔女として火刑に処される聖女の姿を。

死して尚もその姿を辱められ灰にまで焼き尽くされるその姿を。

見ていないにも拘らず、それはまるで現実の様にキャスターの眼には見えた。

「ぁぁぁぁ・・ジャ・・・ジャンヌ・・・よ」

歓喜の涙が悲嘆の涙に代わり失意に呆然とするキャスターだが、事態が待ってくれない。

再び光が戻りあの日の祝福と栄光が、直ぐに闇に戻りあの日の悲劇と絶望がまるでカードの表裏の様にくるくると止まる事無く交互にキャスターに突き付けられる。

「ぁぁぁぁ・・・」

眼を背けようともそれは消えない。

光が聖女の笑顔を思い出させ、闇が聖女の悲劇を余す事無く語りかけて来る。

「や、止めろ・・・」

キャスターの声から怯えの声が漏れでた。

今のキャスターにとっては、光はもはや、底なしの地獄へと導く灯火にしか見えない。

「止めろ・・・止めろ、止めろ止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めロヤメろ止メロ!もう止めろ!!もう頼むから止めてくれ!!後生だから、お願いだからもう止めてくれ!!私にこんなものを見せないでくれぇぇぇぇぇぇ!!」

キャスターは狂ったように泣き叫ぶが光と闇が消える筈も無い。

光の光景があまりにも幸福だったからその後の闇の顛末の落差がキャスターの絶望を大きくしていく。

闇の顛末があまりにも悲劇的だったから、その後の光の光景がキャスターの救済を大きくしていく。

それは雪だるまのようにその落差を大きく深くしていき、希望から絶望へと突き落とされるキャスターの恐怖と絶望はそれに比例するように大きくなり続けていく。

この時キャスターは雨竜龍之介に召還された夜、少年を惨殺した折に彼に言った言葉を忘れていた。

『恐怖と言うのもには鮮度がある』と。

『真の恐怖と言うものは静的なものではなく動的な変化・・・すなわち希望から絶望に切り替わる瞬間だ』と。

そう、今まさにキャスターは自分が言っていた事を自らの身をもって実践していた。

もしもここにもう一人キャスターがいたとしたらキャスターが味わっている恐怖を悦を持って見守り続けるだろう。

何度も何度も繰り返し見せ付けられ、キャスターは壊れる寸前だった。

だが、次の瞬間、光と闇の螺旋が腐肉の壁を突き崩しキャスターはようやく解放されると言う思考もする事も無く完全に消滅した。

キャスターの因果応報、そう呼ぶにはあまりにもささやかな末期であった。

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