一体何が起こったのか全員瞬時には判断できなかった。

自身の宝具をへし折ってまでセイバーにキャスター討伐の希望を委ねようとしたランサーが険しい表情で全身を震わせる姿は鬼気迫るものがあった。

しかし、何時まで経っても『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』は折られる事は無く健在。

もしもランサーの事を何を知らない者がこれを見れば『格好を付けた癖に土壇場で自分の宝具が惜しくなり折るのを躊躇っている』ようにも見えるだろうし、いらぬ正義感でランサーを詰る者も出て来るだろう。

しかし、ここにいるのはランサーの人となりと精神を少なからず知る者達、その様な的外れな事を考える者は当然だが、そんな見当違いの罵声を浴びせる者も一人もいない。

そうなれば疑問が生じる。

何故ランサーは『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』折らないのか?

その答えに見当を付けたのはこの中では最もランサーを知る士郎だった。

訝しげだった表情を傷ましいそれに変えると未だ渾身の力で『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』をへし折ろうとするランサーの肩に手を置き、

「・・・もう良い。もう良いんだ・・・無理はするなランサー」

悲しげな、だが、優しげな声を掛けた。

「・・・」

その声にもランサーは何一つ応ずる事もせず、かたくなに『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』をへし折ろうとする。

しかし、そんなランサーも

「・・・令呪だろ?お前の決意を邪魔したのは」

士郎の確信めいた問い掛けに折れた。

全身から力が抜け落ち、その手からは『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』がするりと零れ落ちる。

地面に落ちたことで発せ去られた澄んだ音を合図とするようにランサーは膝を突き蹲り、その顔を手で覆い全身を小刻みに震わせる。

「・・・なんと・・・情け・・・ない・・・なんと・・・不・・・甲斐・・・ない」

呻く様に呟く様に己に対する呪詛の言葉を漏らしながら顔を覆う手の隙間からは水滴が一滴零れ落ちた。









このような事態になった原因を求めるには時間を遡らなければならない。

ランサーの挙動からその真意をセイバーが逸早く察したように思えるのだが、それよりも早く気付いたのは、擬似魔術回路で使役している使い魔から事態を見据えていたケイネスだった。

(ラ・・・ンサー・・・!!貴・・・様何・・・をす・・・る気だ!!)

怒りの中に焦燥を込めた念話がランサーに届けられる。

(主よ。もはや現状の非常事態を打破する為にはこれしか術はありませぬ。ご叱責も、罵詈雑言も全て甘んじてお受けします。ですので何卒ご容赦を)

(ふ・・ざけ・・・る・・・な!!それを折・・・ると言・・・う事が何・・・を意・・・味し・・・ている・・・のか解っ・・・てい・・・るの・・・か!)

ケイネスの念話には怒りよりも焦燥に支配されている。

だが、それも無理も無い。

ランサーが『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を失うと言う事が何を意味するのか、明確に理解しているからだ。

魔力を絶つ『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』そして不治の傷を負わせる『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』。

共に対人戦及び長期戦に絶大な効果を発揮する。

だが、セイバーやアーチャー、ライダーのような一撃で勝負を決するものではない。

セイバー達であれば地味だが堅実な戦いをするとランサーを讃えるだろう。

しかし、ケイネスから言わせれば非力なただの三流サーヴァントだ。

そんな奴が自分の数少ない牙をよりにもよって自らの手で失うなど正気の沙汰ではない。

ましてや『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』はセイバーに対する枷の役割を担っている。

それを折ると言う事は自分の雑魚サーヴァントがセイバーに勝ちうる唯一の勝機を自分の手で放棄すると言う事だ。

しかもその枷がセイバーの宝具の封印の役目をも担っていたとすれば尚更の事。

そこでケイネスの狭窄した視野は更に狭まりもはや盲目としか言いようの無い状態にまで陥った。

(そ・・・うか!貴・・・様私をセ・・・イバーに売・・・り渡すつも・・・りだな!私の・・・恩義を・・・忘れるとは恥・・・知らずめ!!)

もしもこの念話を第三者、特に士郎や切嗣が聞けば鼻で笑うだろう。

『ランサーが罪悪感を抱かねばならぬ程の恩義をお前が与えたとは、とても思えない』、『むしろ今まで裏切らずに仕えて来た事をランサーに感謝すべきだろう』と、何よりも『現状これ以外にキャスター打倒の手段があるのか?』と。

確かにランサーが『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を失うのは痛手である事に変わりは無いが、ここでこの決断を下さなければ聖杯を得る所か、キャスターの呼び出した海魔により冬木は壊滅し聖杯戦争は崩壊、更には自分達の命までもが危うくなる。

ランサーが『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を折るのは、ケイネスを売り渡す為ではなく万策尽き果てた現状を打破する為の苦渋の決断。

それを敵方であるセイバー達ですら理解していると言うのに肝心要のマスターが理解もしていないと言うのは滑稽を通り越して醜悪としか言い様が無かった。

そんなケイネスの聞くに堪えない罵声をランサーは無視して

「・・・エクスキューター、貴殿の言葉とその思いが何よりの報奨だ。それにだ。今勝たねばならぬのは誰だ?セイバーでも、ランサーでも、ライダーでもアーチャーでもましてやキャスターでもない。今勝たねばならぬのは、勝利すべきなのは我らが報じる騎士の誓い。そうだろう」

(ふ・・・ざける・・・な!!貴・・・様が勝た・・・せなけれ・・・ばなら・・・ぬのは他・・・ならぬこの私・・・だろう・・・がこの・・・屑が!!)

ケイネスの盲目に等しい視野でもランサーの決意が揺らぐ事のない事を察したのか、ケイネスの罵声は更に激しさを増す。

(主よ・・・お許しを)

「・・・我が勝利の悲願、偉大なる騎士王の一刀に・・・全てを託す!!」

そう言って『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』をへし折ろうとした時、それは命じられた。

(こ・・・の・・・裏切・・・り者めがぁ・・・令呪を・・・もっ・・・て命ず・・・る!・・・ランサー!『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を傷つけるなぁ!)

この瞬間、変貌を遂げつつあった第四次聖杯戦争の顛末は決定的に変貌を遂げる事が確定となった。









「・・・令呪だろ?お前の決意を邪魔したのは」

士郎の言葉を聞いた時、全員がまさかと思った。

今は、どのような犠牲を払ってでもキャスターを討たなければならない事は誰もが承知している。

万策が突き、キャスターを討つ可能性を秘めたセイバーの宝具に希望を見出そうとしていた矢先だっただけに、誰もが信じることが出来なかった。

だが、ランサーの表情が絶望に取って代わり、『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を手放すや膝を突き蹲る姿にそれが事実なのだと理解した、正確には理解せざるおえなかった。

全身を小刻みに震わせるランサーの姿は悲痛そのもので、胸中に抱く無念がいかほどのものなのか手に取るように判る。

そんなランサーに掛ける声など思う浮かばず、誰もが悲痛な表情で自責の念に苛まれるランサーを見つめる事しか出来ない。

「・・・んだよ・・・」

そんな時、小さく怒りに震える声が聞こえた。

「何・・・なんだよ・・・」

それはセイバーでもなければ士郎でもなく、意外にも

「何なんだよ!!何考えてるんだよ!!あんた」

ウェイバーだった。

「ケイネス教授!あんた何血迷っているんだよ!!キャスター討ち取らなきゃ何もかも終わりだろうが!!聖杯戦争も!!魔術の隠匿も!!キャスター倒せる可能性があったセイバーの宝具封じさせたままにさせるって、狂っちまったのかよ!!あの忌々しい位に憎らしいほどに冷静沈着で傲慢で厚顔無恥で、先の先まで見通せるあんたは何処に行っちまったんだよ!」

あのライダーですら身を挺して時間稼ぎをしていると言うのに、その援護所か、足を引っ張り地獄へ道連れしようとするケイネスへの怒りなのだろう。

怒りのまま感情の赴くがままにケイネスに憤りの罵声を飛ばすウェイバーだが、自分でも何を言っているのか理解出来ていない様にも思えた。

と言うか怒りのままだったからこそ言えた事で普段のウェイバーであればケイネスへの怒りよりもケイネスに対する恐怖に言えないか、その勢いは弱々しいものだったに違いない。

どちらにしろ、ここにもしもライダーがいれば『良くぞ言った!』とウェイバーを賞賛する事だけは間違いないだろう。

そんなウェイバーの剣幕をランサーを含めて全員が驚いたように見つめるが、不意に士郎が上空の一角を見据えると

「全員散れ!!」

鬼気迫る表情で叫ぶや近くにいた舞弥を抱えて一気に跳躍する。

一体何なのか訳が判らなかったが、それはマスター達の話でサーヴァント達は何が起ころうとしていたのか既に把握していた。

ほぼ同時にセイバーはアイリスフィールを、ランサーはウェイバーをそれぞれ抱えて三方向へと散らばる。

その数秒後今まで士郎達がいた場所に何かが叩きつけられ、轟音が止んだ時には舗装されていた河岸は無惨に破壊され、小規模なクレーターが出来上がっていた。

「えっ?」

セイバーに抱きかかえられていたアイリスフィールが呆けた声を発するがセイバーには彼女に声を掛ける余裕も無かった。

何故なら上空を旋回して再び自分達を・・・いや、自分を狙う殺意に警戒しての事だった。

今や鉄の飛竜と化した戦闘機に跨り、それを服従させる漆黒の狂戦士の殺意を。









時間はやや遡る。

雲海の上でバーサーカーが駆るF15Jとの格闘戦を愉しんでいたアーチャーであったのだが、流石と言うべきか呪装化ミサイルと原典宝具の単調な打ち合いを四度ほど繰り返すと飽き始めていた。

「どれだけ愉しませるかと思えば・・・この程度とはな。所詮狂犬の浅知恵か」

口ではそう言っているがアーチャーの駆るヴィマーナはバーサーカーを追尾する形になっていた。

もう少し距離を詰めれば絶好の攻撃ポジションに入る事が出来る。

「ここまでだ狂犬。余興で我を愉しませた事のみを誇り速やかに・・・むっ」

と更に速度を上げて距離を詰めようとした瞬間、バーサーカーが急降下を開始した。

このままではやられることを理解しているのか、フルスロットルに加えて落下速度まで動員してヴィマーナを引き離しにかかる。

「はっ、何をすると思えば狂犬の悪足掻きか」

そんなバーサーカーに冷笑を浴びせると、ヴィマーナを駆り立て、瞬く間にバーサーカーに追いつく。

両者は雲海を突き抜けると速度を落とす事も無く一気に高度を下げていく。

高度が下がるのに比例して砂粒程度の大きさしかなかった照明は大きさを増していく。

アーチャーは円環上に原典宝具を展開すると四方からバーサーカーを牽制、旋回を封じ込める。

かと言って減速すればその時こそ、四方から滅多打ちされ撃墜されるのは誰の眼にも明らか。

バーサーカーに残された退路は唯一つ・・・直下の未遠川において堤防まであと少しの所にまで迫りつつある海魔に直撃するコースのみだった。

「このまま汚泥に頭から突っ込んでみると良い狂犬、貴様には似合いの姿よ」

酷薄な笑みを浮かべるアーチャーの声が届いたのか、衝撃を少しでも和らげようとする為かF15Jのフラップを全て直立させて空気抵抗を無理やり生じさせる事で減速を試みるが、今までの速度から鑑みても間に合う筈も無く、このまま海魔に飲み込まれる運命かと思われた。

衝突の寸前に海魔が忽然とその姿をかき消すまでは。

無論だが、これはライダーが『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を発動、海魔を自らの固有結界内に引き摺り込んだ結果に他ならないがそれを知る由はアーチャーもバーサーカーもない。

だが、これはバーサーカーにとっては僥倖だった。

何しろ自慢の宝物をこれ以上汚される事を忌み嫌った、アーチャーが衝突のタイミングを見計らい、バーサーカーを包囲していた原典宝具の実体化を解除しており、逃避経路を確保する事に成功、呪装化したF15Jの機体が軋むほどの強引な引き起こしで機体を直角に等しい軌道を生み、川面の衝突を回避するや水面すれすれを滑走。

衝撃波で水のカーテンを作り上げながらそのまま高度を上げようとする際、バーサーカーの視界にそれは映った。

紺碧の衣と白銀の具足を身に纏う輝かしき騎士王の姿を。

「!!!!!!」

高度を上げながら旋回するF15Jを駆るバーサーカーの眼光はアーチャーと対していた時とはまるで違う、業火の如く燃え上がっていた。









「あれは・・・バーサーカー!!何でこんな時に!」

ランサーに抱きかかえられながら、絶叫するウェイバーは全員の心境を声にしていた。

バーサーカーは今までアーチャーと熾烈な空中戦を演じていたはずなのに。

そんな中士郎はセイバーに声を張り上げる。

「セイバー!アイリスフィールさんを!!バーサーカーの狙いはお前だ!!」

そんな事は言われるまでもない。

バーサーカーの殺意は明らかに自分を狙い定めている。

このままではアイリスフィールをも巻き添えにしてしまう。

しかし、エクスキューターに敬愛するマスターの命運を預けるのは・・・

だが、セイバーの躊躇いは

「!!!!!」

声ならぬ怨嗟の咆哮を撒き散らして、完全にこちらに狙いを定めたバーサーカーによって粉砕された。

「っ!!」

止むに止まれず、それを表情に出すとアイリスフィールを士郎目掛けて投げて放り、士郎は容易くアイリスフィールを受け止める。

それを見届けるとセイバーはアイリスフィールから離れるべく、川面を駆ける。

この場に留まりアイリスフィールを危険に晒す事は出来ない。

ましてや住宅地に逃げ込み無関係の住民を巻き添えにするなど論外中の論外。

そう考えれば川に逃げ込むしか選択肢が無かったのだが、それはセイバーを更なる窮地に追いやるものだった。

遮蔽物の無い川面など上空のバーサーカーにしてみれば格好の狩場であり、そこを駆け抜けるセイバーは絶好の獲物に他ならない。

機首を向けてセイバー狩りを行おうとするバーサーカーの後背より猛烈な速度で肉薄する機影が見える。

言うまでも無くアーチャーのヴィマーナだった。

「おのれおのれおのれ!!狂犬の分際で王に無視するとは!八つ裂きにしてもまだ飽き足りぬわぁ!」

アーチャーからしてみればこの上も無い屈辱だろう。

自分を無視して、よりにもよってアーチャーから言わせれば王を自称する娼婦に過ぎないセイバーに執心を見せるなど。

怒りに我を失いながらも、ヴィマーナはF15Jの背後に肉薄、既に原典宝具も射出準備は整っている。

この距離ではもはやどれだけ回避運動を駆使しようとも必中、完全に詰んだ。

「これで終わりだ狂犬!、我に背を向け侮った大罪、ここであが・・・なっ!!」

だが、アーチャーは忘れていた。それほどの近距離アーチャーにとっても、そしてバーサーカーにとっても必中の距離である事を。

原典宝具を射出しようとした正にその時、F15Jの機体から無数の火球が撒き散らされ、それがヴィマーナに吸い寄せられるように襲い掛かる。

アーチャーは知る由も無いが、これはフレアディスペンサーと呼ばれる防御兵装で、本来は敵の熱源探知ミサイルを回避する為のいわばデコイに過ぎない代物であったのだが、バーサーカーに支配されたそれは呪装ミサイルと同様、バーサーカーの標的を追いかける追尾性能を誇る焼夷兵器に進化を遂げていた。

『バーサーカーは後方に対する攻撃手段は無い』

空中戦を繰り広げてきたアーチャーはそう誤認してしまい、それに加えて無視された事への怒りも手伝いあまりにも安易にバーサーカーの背後に近付き過ぎてしまった。

近距離であった事と、怒りと咄嗟の事で判断が遅れたアーチャーに回避する術は無く、無防備に火球の群に飛び込み、炎に包まれながらヴィマーナは川に墜落する。

傍目から見ればこれは大戦果であり、バーサーカーは手を緩める事無くアーチャーに追撃ないし止めを刺すべきであった。

だが、それを歯牙にかける事も無く、セイバーへの追撃を再開しようとした所、突然九十度機体を傾け、大きく旋回する。

そこに稲妻の如き鉄槌が通過するかしないかの内に爆発を起こす。

セイバーを援護すべく士郎が投じた『猛り狂う雷神の鉄槌(ヴァジュラ)』だった。

近距離の爆風に煽られ体勢を崩しかけるが、バーサーカーは強引にF15Jの体勢を立て直すと機首はセイバーに向け直すや二十ミリ機関砲が火を噴き、後方からはフレア弾が射出、河岸の士郎達目掛けて襲いかかろうとしていた。









川での戦いが誰もが予想すらしていない乱戦へと突入しているのと同時刻、時臣と雁夜の戦いには決着がつこうとしていた。

いや、それを戦いと呼んで良いかどうかはいささか疑問符が生じる。

少なくとも時臣からしてみればそれは戦いと呼ぶのもおこがましいお粗末な茶番劇、若しくはそれ以下のものだった。

時臣は攻撃を何一つ行ってはいない、ただ、防御体勢を維持し続けているだけだった。

だと言うのに対峙する雁夜はと言えば満身創痍、瀕死の状態だった。

この時の雁夜が時臣に抱く憎悪と殺意は紛れも無く本物だった。

憎悪と殺意だけであるならば雁夜は時臣に肉薄しただろう。

だが、それ以外においては雁夜は時臣の後塵を仰ぐ事歯おろか、影すらも踏めてはいない。

その上、今の雁夜にとって魔術行使は文字通り命を捧げるようなもの。

そんな状態の雁夜が己の状態を弁えず翅刃虫を行使すればどうなるのか?

全身の毛細血管が破裂したのか全身から絶え間なく血しぶきが撒き散らされ、あまりの激痛に意識も混濁しているのか、白目をむき、直立すらも出来ずふらつくその姿はあまりにも無惨であり、無様な姿だった。

そして何よりも怒りや侮蔑を通り越して哀れみすら抱くのは、それほどの覚悟をもって命を燃やして魔術を行使したにも関わらず時臣の防御を崩す兆候すらないと言う事にあった。

(なんだ・・・この体たらくは?あれだけ威勢の良い事を言っておきながら!)

時臣の失望交じりの述懐も無理は無い。

雁夜は戦いに際して、何一つ策を持ってはいなかった。

ただ単に翅刃虫を時臣目掛けて突撃させるだけの吶喊戦法のみ。

そして翅刃虫は時臣の防御陣の前に成す術無く焼き尽くされ消し炭と化す、ただこれを繰り返すだけだ。

まさしくそれは『飛んで火にいる夏の虫』この諺の実演であった。

そもそも、俄であろうとも熟練であろうとも蟲使いが炎の防御陣に策も無く真正面から挑む事それ自体が無謀。

しかし、時臣への怒りと殺意に完全に支配されていた雁夜は己が身と命を削り芸も無く、翅刃虫を突撃させては消し炭に変えて行くだけ。

力も無ければそれを補う策も無く、ただ、感情に身を任せるのみ。

このような非力を通り越して無力かつ無能な相手と対する事に時臣は怒りや侮蔑、憐憫を通り越して、このような相手に全力を投じた自分が恥かしくなるほどだった。

既に翅刃虫の八割が消し炭になっており、程なく全滅、その頃には雁夜もまた、無力な身で魔術に身を投じたつけを払うことになる筈だ。

しかし、高貴な誇りある魔道を自らに課し、それを誇りとしている時臣には目の前で道を踏み外し堕落した魔術師もどきが演じる醜態を、これ以上見せられるのは茶番劇以上の苦行だった。

「・・・・・・・(我が敵の火葬は苛烈なるべし)」

時臣の口からつむがれた詠唱に応じるように防御陣は初めて能動的に動いた。

炎が意思を持ったように蠢き、雁夜に襲い掛かる。

満身創痍である雁夜にこれを避ける術は無く、瞬く間に雁夜の身体は炎に包まれる。

最も、魔術師もどきの雁夜が万全であったとしても彼に回避はおろか防御の術が存在したかどうかも怪しいが。

生きながら炎に焼かれる痛みは想像を超えるはずだが、雁夜は苦悶も苦痛の悲鳴も上げる事は無く、

「コロス・・・コロシテ・・・ヤルゥ・・・トキオミィ・・・ゾウゥゲェン・・・」

ただただ呪詛を言葉を口から漏らし続け我が身を焼く炎を振り払おうととよろめく過程で、フェンスを突き破るとそのまま路地裏の闇に落ちていった。

それを見届けてから時臣は翅刃虫の残党を残らず焼き払ってから術を解除、溜息をつきながら衣服に生じた僅かな乱れを整える。

一瞬死体を確認しようとも思ったがそれには及ばないと判断する。

焼かれる前から満身創痍の上、全身を焼かれおまけに屋上から墜落したのだ、もはや雁夜の死は確定事項だろう。

即死か程なく死亡するかその程度の差しかない。

そして雁夜が死ねばあのバーサーカーも程なく消滅するはずだ。

しかし・・・

不意に時臣は脳裏の片隅に疑問を持った。

何故間桐は追放した雁夜を俄魔術師に仕立て上げてまで今回の聖杯戦争に参戦したのか?

間桐は現状、魔術師と呼べる人材は臓硯以外存在せず、時臣の見立てでは今回は間桐は参戦は見送るものと思っていたが、結局間桐は雁夜という追放した落伍者を俄マスターに仕立て上げて参戦してきた。

その意図はもちろんの事、雁夜が何故あのような醜悪な姿に成り果てて、あそこまで醜態を晒してまでもこの聖戦に参加したのか?

聖杯に何を願い、何を望みこの戦いに身を投じたのか?

その理由も時臣には理解の外だったし、それを人生の最後まで時臣は理解する事は出来なかった。

ともあれ、達成感も無ければ勝利の余韻に包まれる価値すらない不快な戦いの名を借りた茶番劇の事は忘却の彼方に押しやり、時臣は未遠川の戦いに意識を切り替え、その顛末を検分しようとしていた

時臣自身には実りも何も無い無益な戦いだった。

しかし、この時の時臣には想像も出来なかっただろう。

『何故遠坂桜を間桐へ養女として出したのか?』

雁夜と全く同じ問い掛けを、僅か二日後に思いもよらぬ人物から再び問われる事を。

ましてや同じ問い掛けでありながら、全く違う答えをその人物から求められその答えによって、時臣自身が完膚なきまで打ちのめされる事になるなど。

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