時は冬木ハイアットホテルのぼや騒ぎが起こる前・・・具体的にはスイートルームにてランサー陣営が喜悲劇を繰り広げる前後まで遡る。

冬木ハイアットホテルの斜向かいの建築途中の高層ビル・・・完成の暁には冬木センタービルと呼ばれるであろうビルの三十八階地点に舞弥の姿があった。

この冬木において魔術師が潜伏しそうな場所は眼下に広がるハイアットホテルも含めて全てリストアップされている。

何処が監視をするのに丁度良いのかも把握済みだ。

到着すると同時に携帯が震えだす。

当然だが着信音をミュートにし、バイブレーションに切り替えていた結果である。

番号を見る事なく舞弥は電話に出る。

「はい」

相手は予想通りの人物だった。

『舞弥、目標は既に工房にご帰宅した』

「こちらも丁度目標地点に到着、これより監視に入ります」

『判った。十分後、事を始める。そのまま待機』

「了解」

事務的に用件だけ伝えると電話が切られる。

そこからの舞弥の行動には一切の無駄は無かった。

手に持つケースを開き、中に収納されていたそれを組み立てる。

一見すれば玩具の組み立てにしか見えないが、完成されたそれは断じて玩具などではない。

ステアーAUG、この聖杯戦争における舞弥の主武装である突撃銃(アサルトライフル)。

トリガーやグリップの後方にマガジン等の動作機構を組み込んだブルバップ式銃の傑作と呼ばれる名銃である。

そこにナイトビジョンを取り付け、最後に携帯にインコムを装着させる。

自分の任務は此処からハイアットホテル最上階を監視し、万が一にもケイネスらが脱出を図ろうとした時、狙撃する役割を担っている。

その際ライフルでの監視、狙撃を行わなくてはならない為両手が塞がるのでハンズフリー式に切り替える為だった。

そのまま、片膝立ちでステアーのナイトビジョン越しにスイートルームの監視を開始する。

それから暫くすると、ホテルのあちこちの部屋の照明がついたり消えたり明らかに慌ただしい空気に包まれる。

下を見ればホテルから外に出て避難する宿泊客と思われる人影が見受けられる。

やがて、その混乱も収拾したように部屋と言う部屋から明かりが消え、静寂が戻ったかに見えた・・・最上階スイートルームを除いては。

スイートルームは未だに煌々と明かりが灯り続け変化は一切見受けられない。

そこへ全ての細工が終わったのだろう切嗣から再びの連絡が届く。

『そっちは?』

「三十二階に動きはありません。目的は未だ寛いでいる模様いつでも大丈夫です」

『判った』

短いやり取りからわずか一分後、ハイアットホテルから不気味な軋み音が低く響き、そこからは一気に地面に呑み込まれる様に粉塵と砂塵にその姿を消す。

寸分の狂いなくはテルは一瞬にして瓦礫の山と化した。

その様をナイトビジョン越しにつぶさに監視していた舞弥だったが、建物が粉塵に呑み込まれる所まで見届けた段階で構えを解く。

もはや監視する必要性は無くなったからだ。

『どうだ』

「崩壊まで三十二階に動きはありません。目的は最後までいた模様です」

切嗣へと報告を済ませた後、舞弥はステアーを分解、ケースにしまい直す。

もはやここで行うべき任務は終わった以上、速やかに撤退するべきと判断しこの場所を後にしようとした瞬間、舞弥の歴戦の勘が足を止めた。

舞弥が動きを止めたと同時に暗闇から声が聞こえる。

「ほう・・・なかなかに察しが良い様だな」

その言葉を聞くや舞弥は、手にしていたケースを出口付近に投げ捨て、腰のホルスターから副武装であるグロッグ17を抜き咄嗟に手近な柱の物陰に隠れる。

『直ぐに撤収を開始しろ。その後城に向かった士郎達と合流する』

撤退を指示する切嗣の声が聞こえるが舞弥には返答する余裕などない。

まさしく間一髪だった。

甲高い金属音と共に今まで舞弥の立っていた地点に二本の剣が突き刺さっていた。

角度から推察すると舞弥の両腿を貫いていた筈だ。

刃渡り一メートル余りの薄刃。

だが、持つ為の柄が極端に短いそれを舞弥は資料で知っていた。

黒鍵、そう呼ばれる代行者が使う投擲用武器である。

淀みのない動作にその暗闇から感心した声が再度聞こえる。

「覚悟もあるし動きも躊躇いない。今ので、動けぬようしたと思ったのだがよほど鍛え上げられたようだな・・・女」

そう言って暗闇から浮かび上がる様に姿を現したのは自分や切嗣より頭一つ長身のカソック姿の年若い男。

その男と直接対面したのは初めてだが、誰なのか良く知っていた。

「言峰・・・綺礼・・・」

思わず口から襲撃者の名前が出てしまう。

漏れ出たその声に心なしかほくそ笑むような返答が返って来る。

「私の記憶が確かならば君とは初対面の筈・・・にも拘らず私の名を知っているとは私も有名になったものだな、それとも個人的に私を知る機会があったのかな?」

いくら想定外の人物が姿を現したとはいえ迂闊だったと舞弥は内心舌打ちをしながら無言を貫く。

今度はさして反応が返ってこない事に綺礼は表面上は落胆を現す事もなく代わりに

「それと・・・これは返しておこう」

そう言って綺礼は懐から布で包まれた何かを取り出すとそれを舞弥がいると思われる物陰に投げる。

正確に自分の近くに投擲されたそれを見て舞弥は切れ目を僅かに見開いた。

それは首をねじ切られた蝙蝠の死骸、それもその腹に括りつけられているのは破壊された小型CCDカメラ・・・間違いなく、つい先ほど消息を絶った舞弥の使い魔だった。

僅かな身じろぎで、全てを理解したのだろう、綺礼は愉快そうに低く笑う。

「それがなんなのか知っているのかね?変わった趣味をしているとは思わないかね?動物にそのような面妖な物を付けるとは」

今度も舞弥は反応を返す事は無い。

綺礼は遠回し遠回しにした物言いで言っているが、全て承知の上での発言である事は疑いようも無い。

これ以上迂闊な反応で相手に教えてやる義理は無い。

そんな舞弥の無反応にややつまらなそうに鼻を鳴らす綺礼だったが、半ば気を取り直すように

「それにしても派手な事をするものだな、ホテルを丸ごと破壊するとは、実に乱暴極まりない」

一見すれば独り言のように聞こえるがそれが舞弥に聞かせている事は明白だった。

「だが、宿泊客や従業員を一人残らず逃がしての実行とは・・・最後の最後でドジを踏んだと思わないかね?いや、そう言えば一組だけまだ逃げ遅れた宿泊客がいたな」

コンクリートを踏みしめる音が聞こえる。

「それとも狙っていたのはその宿泊客であったのかな?だとすれば思い切った事をするものだ。それともその宿泊客の素性を知っているものと思うのだが、どうかな?もしくは他に絵を描いた人物がいるのかな?」

知らず知らずの内に舞弥は息を呑みこむ。

疑いようも無い、綺礼は今のホテル倒壊が何者の手で仕組まれたのか確信している。

「・・・反論は無いのかね?それとも全て図星かな?」

ゆっくりと一歩ずつ近寄ってくる。

「どうしたのかな?そのまま小動物の様に物陰に隠れて何もしないのかね?助けを呼ばないのか?君をここに寄越した人物に」

綺礼に言われるまでも無い。舞弥とて救援を呼べるなら呼びたい。

だが、綺礼の意図が全くつかめない現状で切嗣に救援を呼ぶのはあまりにも危険が伴い過ぎた。

かと言ってこのまま手をこまねく訳にもいかない。

ただでさえ装備も準備も不足している現状で勝つ事は絶望的である以上、ここから時間が経てば経つほど有利になる保証など皆無に等しい。

いや、はっきり言えば不利になるのは目に見えている。

進退窮まったかに思われたのだが、そこへ

『舞弥あと一分だけ持ち堪えろ』

僅かに息の乱れた声で切嗣の声がイヤホンから聞こえる。

その指示に人知れず頷くとグロッグの銃口だけ、物陰から突き出すと三、四発発砲した。

当然だが、標準も何もあったものではない乱射だ。

これで相手に命中する、あまつさえ相手を倒せるなど露にも思っていない。

こちらの目的が時間稼ぎである以上足止め、もしくは相手の出足を鈍らせれば良いだけの話だ。

現に

「ちっ!」

小さく、だが短く舌打ちをするといったん後方に退避、柱の物陰に隠れる。

自分に狙いを定めた状態での射撃であるならば相手の視線から何処を狙っているのかを相手の四肢の僅かな緊張から発砲のタイミングを察する事も出来たであろうが、物陰から銃口だけ、それも乱射である以上その予測は難しい。

おまけに狙点も滅茶苦茶であるので、どこに跳ぶかもわからず、挙句の果てには跳弾で思わぬ怪我を負う羽目にもなりかねなかった。

だが、綺礼もただで退く事はしない。

後退と同時に投擲された黒鍵は寸分の狂いも無くグロッグに命中、舞弥の手から離れ、澄んだ音と共に奇しくもステアーの入ったケースの近くまで転がる。

舞弥の手から銃が失われたのを音で確認したのだろう柱の陰から綺礼が姿を現す。

「さて、お遊びは終わりかな?」

両手に一本ずつ、黒鍵を新たに装備し一歩ずつ舞弥が隠れている柱ににじり寄る。

「助けを呼んだらどうかね?いるのだろう。近くに衛宮切嗣が」

事ここに至り綺礼はもはや切嗣の名を憚りなく出してきた。

それでも無言を貫く舞弥にやや肩を竦めると更に一歩踏み出したまさにその瞬間、鼻を突く化学反応の刺激臭と同時に視界が白く覆われ始める。

「!」

正真正銘の不意打ちによって煙幕だと自覚するより早く思わず咳き込む。

ビル風によって煙幕が吹き飛ばされるのにさほど時間は必要としなかったが、相手にとっては十分すぎる時間だったようだ。

その隙を見計らったように、舞弥は柱から飛び出し、武器を回収、そのまま脱兎の如く遁走を開始したらしくもはや周囲に人の気配は無い。

一瞬追跡すべきか迷ったが、すぐに綺礼は諦める。

ここならばいざ知らず、外に出てしまえば神秘をおいそれとは使えない。

ましてや、ハイアットホテル倒壊の影響による混乱は未だ収まる気配は無く、未だ人通りも多い。

このような状況では舞弥を捕える所か見つけ出す事も不可能だろう。

変わりに床に放置されたそれを手に取る。

米軍標準装備の手投げ式の携帯発煙筒、特に神秘などない然るべき人脈と金銭があれば比較的容易に入手出来る代物。

何者かがこれを放り込んで舞弥の撤退を援護したのだが・・・

綺礼はフロアの縁に歩を進める。

周囲にはこのビルよりも高い建築物は存在しない。

近い高さではハイアットホテルがあるが、それも今や瓦礫の山になっている。

つまりは地表からこれを投げ入れたと言う事になるがここは建築中のビル三十八階、地上とは高低差百五十メートルある、そこに手投げで放り込むなどどのような悪夢だと一般人ならば言いたくなるが、幸か不幸か綺礼はそのような人を超えた、あるいは人を捨てた化物達と渡り歩いた経歴を持つ。

別段驚くには値しない。

それに・・・今回の事で彼は確信もしていた。

マスターなのか、それとも協力者としてなのかは不明だが、間違いなくこの聖杯戦争にあの男が、衛宮切嗣がいる。

その確信が持てただけでも収穫だ。

と、そこに

「綺礼殿」

態度も声も恭しく漆黒の暗殺者が姿を現した。

「アサシンか?むやみやたらと姿を現すなと厳命した筈だが」

「はっ、ですが早急にご報告せねばならぬ事がありましたが故」

その前置きと共になされた報告を聞く綺礼の表情が鋭いものに変貌を遂げ、アサシンへ新たな指令を下すのにさほど長い時間はかからなかった。










アサシンに新たな指令を下し、更にそれに関する報告を受けた綺礼がその旨を時臣に報告を入れたのは夜も明け始めた頃だった。

『そうか、キャスター自身に加えてその工房の捕捉、更にエクスキューターを再度発見したのか。良くやってくれた』

それを聞いた時臣は満足げだった。

「ただ、エクスキューターは霊体化すると同時に再び気配を絶ち、捕捉が困難になりました。一度ならず二度までも申し判りません」

『いや、構わない、これではっきりとした。エクスキューターがアサシンと少なくとも同等の気配遮断のスキルを有する事が』

時臣陣営はアーチャーのあまりの傍若無人に手綱を捌ききれない事が多々あるが、綺礼とアサシンは自身の任務を過不足無く遂行してくれている。

綺礼の隣に立つ老神父・・・綺礼の父にしてこの聖杯戦争監督役を務める言峰璃正も我が事の様に嬉しげであったのだが、綺礼は浮かない表情をしていた。

と言うのも、全ての報告を知る綺礼としてはこの報告の全てが決して喜ばしいものではない事を知っているからだ。

「ただ、キャスターにつきましては・・・」

胸中に抱いた不安は綺礼のそんな前置きから始まったキャスターに関する報告で見事に的中した。

キャスターが工房に篭る事無く外で暗躍していると聞くと時臣の満足げな声は不審げなものに変わり、更にキャスター陣営が神秘の隠匿など関係なしに魔術の行使しての狼藉には動揺を現し、キャスターのマスターが現在冬木を恐怖のどん底に突き落としている連続殺人鬼だと知った瞬間苦々しい呻きを、止めにキャスターのマスターには魔術師として覚悟はもちろん聖杯戦争の知識も皆無だと知った瞬間、魔導器越しからも判るほど怒気を漂わせていた。

今時臣を始めとするマスターやサーヴァントが自身の願い、あるいは欲望の為に血みどろの戦いを繰り広げる聖杯戦争はあくまでも秘密裏に行われるのが鉄則であり、キャスターの振る舞いは控えめに言っても裏切り行為以外の何物でもない。

キャスター陣営追跡の流れで、キャスターの真明に繋がる手がかりとマスターの名前を知れた事は収穫だろうが、キャスターの凶行の数々の前ではそれも霞む。

『キャスター側が今後行動を改める可能性は?』

言葉の節々に怒りを滲ませながら問いかける。

「いえ、反省どころかマスター、サーヴァント共に常軌を逸した言動を繰り返しており、私見ですがキャスター陣営は聖杯戦争を度外視すらしている節も見られます。所業を改める可能性は皆無かと・・・」

それを聞き、魔導器越しに机を叩く音が聞こえたが、その後十回ほど大きく深呼吸し始める。

気持ちがやや落ち着いたのだろう、綺礼の傍らにいる璃正に声を掛けた。

『今回の事、到底座視は出来ません、聖杯戦争のマスターである以前にこの冬木の地を任されているセカンドオーナーとしても、一人の魔術師としても』

「無論ですな時臣君。既にキャスターが犯した所業の数々、警告、罰則と言うレベルを超えています。排除しかありますまい」

『ですが、どうやって・・・秘匿したアサシンを使う訳には行きますまい』

「今回の非常事態を利用してキャスター討伐の為にルールを一部変更します。監督役の権限の一つですので造作もありません。それに加えて今後の聖杯戦争を戦うに当たり有利に事を運ぶ為の報酬も用意します。聖杯戦争が破綻する危険性を考慮すれば全陣営必ず食いつくかと・・・もちろん最終的にはアーチャーがキャスター討ち取ればよろしい訳ですので」

『なるほど、ではお願いしてもよろしいですかな?』

時臣は老神父の提案を言葉一つで了承した。

「はい、これより全陣営召集の手配を行います」

そう言って璃正は部屋を出て行く。

「では、時臣師私もこれにて」

そう言って綺礼も退出しようとしたが、時臣に呼び止められた。

『綺礼、そう言えば昨夜教会より外に出ていたようだが』

綺礼に驚きは無い。

表向き綺礼は教会で保護されている身であるにしても参戦したマスターだ。

聖杯戦争が終わらぬ現状では教会の敷地から出るなど自殺行為に他ならない。

いや、それ以前に綺礼が迂闊に教会から動くと言うのは、時臣側の戦略を根底から崩壊させかねない危険も孕んでいる。

時臣の詰問も当然だった。

「申し訳ございません。危険は全て承知の上でしたが、間諜に眼を付けられまして・・・」

嘘は言ってはいない。

『君に?だが、それならアサシンを使えば良かったのでは?』

「アサシンの手をわずわらせるほどでもないかと思いました事と、アサシンをむやみに露呈させる事の危険性を鑑みまして、ただ、ご安心を間諜の口は封じました。もはやその事を喋る事はありません」

綺礼は内心驚いていた。

時臣に対して嘘を言った事も、そして、その嘘に何一つ罪悪感を持たなかった事に。

『・・・確かにその危惧も判らなくもないし、君ほどの手練れであればそちらの方が確実かも知れぬ。だが綺礼、君が出てしまえば今回の戦略が根底から崩れてしまう。その事は念頭に置かなかったのかね?』

それを聞き、時臣は綺礼の判断に一定の理解は示したものの不快の念を前面に押しだして、問いただす。

「申し訳ありません。その点に関しては軽率の極まりでした。今後は慎みます」

今度も嘘を言ったが、その事に驚きも不快も存在していなかった。









時臣の前を辞し、自室に戻って来た綺礼を思わぬ客が待っていた。

まあ、この場合は招かざる客と言うべきであろうが。

「弟子としても坊主としてもけしからん奴がいた者だな、数こそ少ないが逸品揃いだ。数しかない時臣に比べればこちらの方がましと言うものだな」

我が物顔で部屋の長椅子に寛ぎ、したり顔でそう言うのはアーチャーだった。

それもいつもの戦闘用の鎧ではない。

毛皮のファーをあしらったエナメルのジャケットに豹柄のレザーパンツと現代風の服装だ。

しかも、この服の代金はもちろんだが時臣が支払っている。

『王に貢がせる事もまた臣下としての当然の務めであると同時に最高の栄誉』とうそぶいているが、どう考えてもゆすりやたかりの類としか綺礼には思えない。

おまけにこの男、霊体化するのがよほど気に食わないのか、単独行動スキルが備わっている事を良い事に、実体化したままでこの服装で冬木の夜の街を我が物顔でのし歩いている。

時臣の愚痴が全て真実であるならば、一夜で世間一般のサラリーマンが稼ぐ給料の半年分に相当する金を使いまくっているそうだ。

そんな男がよもや自分の所になど来るとは思わなかったのだろう綺礼もしばし言葉を失う。

しかも、頼まれてもいないのに人の部屋のキャビネットからコレクションである酒類を持ち出して利き酒をしていたらしい。

余談ではあるが、大抵の人物は信じないであろうが、綺礼には極上の美酒と聞けば手当たり次第それを購入すると言う奇癖があった。

とは言っても購入したと言っても酒に溺れる事も無く、ただただ、無為に増えて行く酒のコレクションを眺めるか気が向いた時に味も判らぬ美酒を嗜む程度に過ぎず、空しさしか増えるだけだった。

少なくとも招かざる客の為に飲ませる為に蓄えた訳では断じてない。

「で、何の用だアーチャー」

言葉も口調も硬いまま綺礼は目の前の闖入者を詰問する。

いくら生前はその名を歴史に刻みこんだ稀代の英傑であったとしても今の彼は時臣のサーヴァント、現状においては綺礼と同格と言った所に過ぎず無理に媚び諂う気は無い。

「無聊をかこつ者が我以外にもいた者だからな。顔を見に来てやっただけの事」

だが、そんな詰問もどこ吹く風とばかりの様子のアーチャーに、綺礼の視線はますます険しくなる。

「まあ、そうも睨むなせっかくの美酒が不味くなる。顔を見に来たと言うのは本当だ。どうやら貴様も時臣に対して含む所がある様に思えたのでな」

その言葉に綺礼はアーチャーも昨夜綺礼の独断行動の事を言っているのかと思われた。

しかし、アーチャーの言う含む所は全く違う事を指していた。

「随分と時臣に隠し事をしているのではないか?たとえばエクスキューターとかいう闖入者の事とかな」

完全な不意打ちの上、予測外の事だった。

実は綺礼は時臣に報告していなかった事があった。

それはセイバーとエクスキューターが同盟関係にあるのではないのかと言う事、そしてその同盟関係の事を他ならぬセイバーが疎外されているのではないのかと言う事・・・

「他意はない。その件については十分な確証は得られていない。そのような不確定な情報を吹き込み時臣師の判断をわずわらせぬ為の事だ」

一息にそう言う綺礼だったが、アーチャーの赤い眼は更に面白そうに綺礼を見やる。

「そうか?その割には他の事例についてはお前の言う確証が乏しくてもむしろ積極的に時臣に報告を入れていたように思えるが我の間違いか?」

「っ・・・で、仮に私がその事を故意に隠蔽していたとしてお前はどうする?時臣師に報告でもする気か?」

見ていない様で見ているアーチャーに思わず発せられた綺礼の皮肉をアーチャーは肩をすくめて鼻で笑い飛ばした。

「はっ、冗談はよせ、何故我が臣下に報告せねばならぬ。時臣の方が我に教えを乞う事を跪いて希うならばしてやらぬ事は無いがな」

「だろうな。それで、そのような事を私に話してどういうつもりだ?」

「別にどうもせぬ。言ったであろう我と同じ無聊をかこつ者の顔を見に来てやったと」

「そうか、あいにくと私にはやらねばならぬ事はまだまだある。私が真に無聊をかこつ時にはお前の方が忙しくなるだろう。何しろ私が役目を終えると言う事は、時臣師がお前を動員して他の陣営の殲滅に動く時なのだからな」

「だろうな。だが、ごみ虫の駆除で我を動かすとなれば不敬も良い所、我が処断を下すのは真の勇者のみよ」

ここに呼ばれたサーヴァントは誰も彼も歴史に名声、悪名関係なく名を残す一級品の英霊ばかりだ。

それをごみ虫と一括りで称する辺りこの男が持つ誇りの高さに感嘆を抱くべきなのか傲慢さに呆れるしかないのか判断に迷う所だ。

「しかし、時臣と言う男、ああも面白みがないとは思わなかった。魔力を奉じているし、我の臣下として礼節もわきまえている以上、まあ付き合ってやっているが退屈極まりない」

「時臣師の采配は決して間違ってはいまい。アサシンを用いて相手を丸裸にし、しかる後お前が殲滅する、それに不服か?」

「ふん、そうではない。聖杯とやらを使い根源の渦に至る。それが詰まらぬと言っているのだ」

「・・・まあ、人それぞれの価値観と言うものだろう」

アーチャーの言を綺礼も一部賛同はするがあえて名言は避ける。

現在、綺礼は時臣の弟子であるが、元々は協会とは対立の立場にある教会の人間だ。

教会の人間にとって、魔術師全てが抱く悲願、根源の渦に至る、世界の外に向かうそれはばかばかしい程無駄な行為にしか見えない。

教会の人間にとって大事なのか今の世界・・・内側なのだから。

しかし、綺礼も数年程度とは言え時臣に師事した事で一定の理解だけは出来る様になった。

自分が成りたいかと聞かれれば、即座に否定もするが。

「ほう、では綺礼、貴様もその根源に至る事を目的として参戦しているのか?」

「戯言を言うなアーチャー、それならば私は今ここにいない。あくまでも私の役目は時臣師の聖杯奪取の為の影として動くもの、それ以上でもそれ以下でもない」

「では、何故参戦している?ただ、時臣の手駒として動く事しか知らぬお前が何故マスターとして招かれている?」

「・・・」

心底面白がるようなアーチャーの問い掛けに綺礼はしばし無言を貫いた。

やがて、絞り出すように出したのは

「未だに判らない。私には全てを賭してでも叶えたい願いも果たしたい理想も無い。にも拘らず私はマスターとして呼ばれた、それだけは三年前、令呪が宿った時から考えても考えても答えは出ない」

「ほう、つまりは何もないのか・・・では愉悦を求めれば良かろう」

「ふざけるな!それは許される事ではない!そのような罪深い堕落など!!」

突然の綺礼の怒号にアーチャーはますます上機嫌で綺礼をどこか嘲笑う様に指摘した。

「ほう、何故愉悦が許されぬ?我の生きた時代で聖職者と呼ばれていた堅物であっても娯楽の一つや二つ持っていたぞ。愉悦を求める事は罪でも堕落でもなんでもあるまい。それとも個人の愉悦を無視するほどの理想を、願望を持っているのか?だが、それこそ先の貴様の言動に矛盾していると思うが」

アーチャーの指摘に声を詰まらせる綺礼。

何故自分は愉悦を許される事ではないと、罪深い堕落だと即座に否定したのか。

だが、それを深く考えようとすると綺礼自身の何かが押し留めるのだ。

考えるなと。

「・・・悲願や理想とは程遠いが私は自身の満たされぬ何かを求めている。愉悦だの娯楽だのに興じている暇などない」

ようやく吐き出すようにどこか体裁を取り持つ内に出したのはそんな言葉だった。

だが、その言葉を・・・もしかしたら綺礼のそんな困惑や苦悩をアーチャーはいたく気に入ったのだろう。

満面の笑みを浮かべて

「言峰綺礼、貴様の事を気に入った」

断言した。

しかし、その笑みは途方も無く邪悪なもので、綺礼にはアダムとイブに禁断の果実を食すことを唆す蛇の様にも思えた。

(そう言えばこの男は蛇に不老不死の妙薬を奪われたのだったな・・・)

そんな事を考えながら。

そしてその後、アーチャーは綺礼にある事を依頼した。

聖杯戦争に不要と言えば不要な依頼であるが、綺礼が今行っている任務の延長線上にある事でさほど難しくは無い。

それにこの男の手綱を多少でも握れるなら時臣の負担も少なからず軽減出来るだろう。

そう考えそれを了承した。

「だが、時間はかかるぞ」

「構わん。気長に待つとしよう」

てっきり『疾くと果たせ!』と罵声を飛ばすものかと思われた綺礼は拍子抜けしたような声を発した。

「お前にしては随分と鷹揚だな」

そんな皮肉をアーチャーは気にも留めずむしろ綺礼をからかう様に

「何、楽しみというものは待てば待つほど味わい深いものに変貌するのだから当然よ。覚えて置くがよい綺礼」

そう言ってグラスに注がれたウィスキーを飲み干し長椅子から立ち上がる。

「光栄に思え綺礼、ここの酒は我自らしばしば面倒を見てやろう、坊主の部屋で腐らせるのはもったいなさすぎるからな。やはり酒は味の分かる者に飲まれてこそ、その価値があるのだからな」

心底愉快そうに笑って部屋を後にした。

その時綺礼は何も言わなかった。

肯定も否定してもどの道この男は押し掛けてくるだろう。

無言を貫くのがせめてもの抵抗とも言えた。

アーチャーがいなくなった部屋で綺礼は深いため息をつく。

いつの間にかアーチャーのペースに巻き込まれ、更には無用と言えば無用な要請まで受けてしまった。

今となって何故あのような依頼を受けてしまったのか自分でも判らない。

アーチャーの手綱を少しでも握れるためなのか、それとも・・・

答えの出ない疑問に憂鬱が更に増していく。

どうせなら、あの男に問い掛けたいものだ。

あの男との問答であるのならばおそらく自分に納得のいく答えが見つかると言うのに・・・

そんな事を考えながら綺礼はアーチャーが片っ端から飲み散らかした酒瓶を片付け始めた。

そんな折、再びアサシンが現れるや綺礼に報告を入れる。

ハイアットホテル倒壊に巻き込まれ、その生存は絶望視されていたランサー陣営の生存報告を。

「そうか、ランサー陣営の新たなねぐらは?」

「追跡は続けております。程なく判明するかと」

「判った、引き続き追跡を続けろ」

綺礼の指令を受けてアサシンは姿を消す。

既に外は日が昇り、第四次聖杯戦争は新局面に突入する。

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