一方城では・・・
切嗣の一縷の望みである攻撃を防ぎ切ったケイネスが残忍な笑みを浮かべていた。
もはやあのドブネズミに攻撃の術はない。
後は先ほど宣告したように・・・いや、もっと惨たらしく嬲り殺してやろう。
奴が泣きわめき、死を望むまで嬲り尽くしてやろう。
もちろん殺してやるつもりはない。
崇高なる聖戦を穢した罪はそれほど重いのだから。
しかし、そのような思考も一瞬で四散した。
突然の激痛・・・いやそのような生易しいものではない、ケイネスの人生で味わった事のない、それこそ先程までの魔術回路や魔術刻印をフル活用したそれが、軽く感じられるような激痛が全身を駆け巡るやケイネスはその口から大量の血反吐と声ならぬ絶叫を絞り出した。
ケイネスには自分に何が起こったのかおそらく、いや間違いなく一生判らないだろう。
赤の他人である切嗣の目から見てもケイネスの魔術操作、魔力コントロールはロード・エルメロイの名に相応しい見事なものだった。
しかし、今回はそれが仇になった。
そう全てはこの為にあった。
事前の情報からケイネスの心理を正確に把握し、挑発に挑発を重ね、ケイネスが最も屈辱を覚えるように仕向け、怒りに我を忘れたケイネスは自らの手で首に縄を括ってしまった。
切嗣が万全の準備の元撃ち放ったコンテンダーの魔弾、通称『起源弾』をケイネスは魔術で防御してしまった瞬間、魔弾に仕込まれている弾丸の芯として加工された切嗣の肋骨を媒体にケイネスの魔術回路に切嗣の起源・・・父矩賢はもちろんの事、育ての親であるナタリアすらあまりの珍しさに途方に暮れる程の・・・が反映された。
それと同時にケイネスの魔力回路は瞬く間に全て切断された後に全て繋ぎ直された。
ただし、全て出鱈目で魔力回路としては全くを用を成さない有様として。
それと同時に最大出力かつ高圧力で魔術回路を巡回していたケイネスの魔力は行き場を失い暴走、ケイネスの身体を破壊し尽くした。
判りやすい例えをするならばケイネスの魔術回路を高圧電流の回線、そして切嗣の魔弾は一滴の水だ。
起動している精密回線に水などの伝導性の液体が触れればどうなるか?
回線はショートを起こし、回線全てを破壊し尽くす。
これと同じ事を魔術回路に再現させてやり、魔術師を魔術師としても、人としても完全に破壊し尽くす。
それこそが魔弾『起源弾』の効果だった。
ただ、これにも二つの弱点がある。
一つは対魔術師戦には一撃必殺と言えるほどの殺傷力を誇るが、物理的な防御力の前ではそれは限りなくゼロにまで低下してしまう事。
そして今一つは、『起源弾』の効果は相手の魔術師が起動させる魔術回路の質と量に左右される事だった。
切嗣は前者の弱点克服に『起源弾』に用いる銃にトンプソン・コンテンダーを、弾丸にはスプリング・フィールド弾を選んだ。
元々狩猟ライフル用の弾丸であるこれを、携帯できる防具で完全に防ぎきれるものは現時点では一つも存在しない。
この弾丸を完全に防ぐには複合装甲の装甲車、それ位は必要であると言われている。
『起源弾』が対魔術師戦として一撃必殺であるならば、通常のスプリング・フィールド弾もまた通常攻撃としては一撃必殺、携帯出来る火器の中でも最大規模の火力を得る。
その為に、たった一発しか弾丸を込める事の出来ない先込め拳銃と言う、実戦には不向きなトンプソン・コンテンダーを切嗣は礼装として選んだ。
また後者の打開には切嗣は『魔術師殺し』としての知恵と経験、その全てを総動員した。
知恵を今まで糧としてきた経験の数々、それを全て駆使して相手に待ちうる限りの魔術回路の起動を誘導させてきた。
狐と狸の化かし合いでもあった今までの激戦に比べればケイネスとのそれは簡単な部類・・・はっきり言ってしまえばお遊戯に近いものだった。
戦いと言うものを碌に知らず、簡単な挑発であっさりと激発し切嗣の計算通りに動く。
これほど御しやすい敵はそうはいない。
ケイネスの魔力を失い『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は形を失い、今やただの水銀の池となっている。
その中央で血反吐を吐き、声ならぬ絶叫を叫び、全身の筋肉を痙攣させて無様なダンスを披露するケイネス。
そんなケイネスを尻目に切嗣はコンテンダーの薬室を開放、空の薬莢が排出されて硝煙の煙が尾を引きながら大理石の床に当り、その拍子に一小節の澄んだ音楽を奏でる。
それが合図であったかのようにケイネスはダンスを踊るのを止め、水銀の池にうつ伏せに倒れ込む。
「ぁぁぁぁ・・・」
意味を成さぬ呻き声を弱弱しく痙攣をしているが、まだ生きているからなのか、それもすでに即死しているのか、それは切嗣をもってしても判断は難しい所である。
だが、一つ確かな事は言えた。
もはやケイネスは脅威でもなんでもない。
魔術回路は破壊され尽くされて、暴走した魔力によって人としての機能も軒並み崩壊している。
もはやケイネスは生まれたての赤子よりも無力な存在だった。
即死していればそれで良し。
仮にまだ生きていたとしても、このまま放置してもすぐに死亡する事は疑う余地もないが、念には念を押す事にする。
コンテンダーを懐のホルスターに仕舞い込むとキャレコを単射に切り替えてから、ケイネスに歩み寄る。
至近から頭部に二発、これで事は終わる。
もっともケイネスを殺した所で高確率でソラウに令呪が移行するだけでランサー陣営の脱落には繋がらない。
それ所か切嗣の見立てでは、ソラウが正式にマスターとなる事でランサー陣営に存在していた、大小様々な不協和音の大半が解消され、結果としてはランサー陣営に益となる公算が高かった。
だが、こちらの予測を悪い意味で裏切り続け、自分達に想定外の徒労を強い続けているケイネスがこれ以上生きている事と不協和音を放置してランサー陣営の内部崩壊を誘発させる事、これらを天秤にかけた場合、前者の方を重きにおくべきだと切嗣は判断した。
だが一歩、歩を進めた瞬間こちらに急速に接近してくる魔力の気配を察知、衝動に駆られるままケイネスに狙いを定めて、引き金を引く。
火を噴いたキャレコの弾丸はケイネスの頭部にめり込む前に、金属に当る澄んだ音と共に左右の壁に弾痕を生じさせる結果しか生じなかった。
瞬時に実体化したランサーが槍を回転させる、たったそれだけの事で弾丸を弾き飛ばした結果だった。
無論だが切嗣は愕然とした。
まさかこんな時に敵のサーヴァントと相対する羽目になる等想定外にも程がある。
ましてやランサーは士郎、セイバーと共にキャスターと戦闘中の筈だ。
戦闘が終わったのであればすでここにケイネスがいる事を承知している士郎がランサーを足止めする筈なのに・・・
もしくは七騎のサーヴァントの中でも最速を誇るランサーが士郎達から離脱してケイネスの危機を救う為に駆け付けたのか。
壮であれば僅かでも時間を稼げばすぐに士郎がやって来るが・・・
「・・・ここで貴公の首を取る事がどれほど容易き事かそれは理解していよう・・・エクスキューターのマスターよ」
ランサーの静かな言葉に切嗣は声を失い。思考は完全に停止した。
自分の事を士郎のマスターと言った事、それと脳裏に最悪の予測が浮かんだが為であった。
今、切嗣がマスターである事を知るのは自分と士郎を除けばアイリスフィールとセイバー、そして舞弥しかいない。
そしてランサーがこの事を知ると言う事は、自分以外の四人の内誰かがランサーに自分達の最高機密と共に自分の事を売り渡した事をも意味する。
だが、その内アイリスフィールと舞弥は城から離脱を図り、ランサーと接触を図るには距離が遠く離れすぎているので除外しても問題ではない。
そうなれば疑いはセイバーと士郎に向けられるが、士郎が自分を裏切る等これまでの言動から鑑みても考えにくい。
そうなれば残るのは・・・
そんな切嗣の憶測を肯定する様に
「・・・だが、貴公は殺さない。俺のマスターもまた殺させない。騎士王との決着も付けられていない上に、俺にはエクスキューター・・・いやエミヤ殿に多大なる恩義がある。何よりも俺がここに来れたのは貴公らと騎士王の間隙を突いた結果、わが主を救出できた以上これ以上は望まない」
「・・・そう言う事か・・・」
吐き捨てるように小さく呟いた。
これを知れば士郎は更に最初の選択を誤った自分を責めるだろう。
だが、今回に限っては声を大にして責められるべきはセイバーである。
おそらくセイバーはランサーは切嗣を殺さない・・・もしくは考えたくもないが、切嗣が殺されても問題ではない・・・そう判断しての事だろうが、ランサーが僅かでもその気になれば切嗣の命はすぐにランサーの手によって絶たれるのは、子供でも分かる道理だ。
ましてや士郎からランサー個人とランサー陣営、このふたつの信用と信頼をごちゃ混ぜにするなと警告されたにも関わらずこの有様、この時、切嗣の中でもはやセイバーは信じるに値せず半分敵に等しい、そう断じた。
文字通り腸が煮えくり返りそうな怒りを覚える切嗣を余所にランサーは片手に二本の槍を右手で束ね持ち、空手になった左側でケイネスを担ぎ上げる。
それから切嗣を見遣るランサーは静かに
「忘れられぬ事だ。貴公が今ここで生き永らえるのは一重に騎士王の潔さ、そして何よりもエミヤ殿の存在あっての事であると」
そう言って、身を翻そうとしたその瞬間、
「ぁぁぁ・・・なぁぎぃ・・・ヴぉ・・・・じでいぐぅ・・・らんざぁ・・・」
担ぎ上げられたケイネスが声を発した。
『起源弾』を受けて魔力の暴走により半死半生であり、本来であれば声を発する所か意識を保っている事すら困難である筈なのだが、ケイネス本人が切嗣の予想以上にタフであったか、ケイネスが抱いていた切嗣への怨念が意識を繋ぎ止めたのかおそらくは両方だろうと切嗣は判断を下した。
だが、冷静に分析している場合ではない。
ケイネスが意識を取り戻したと言う事はランサーに何を命じるか?
そんな事は判り切っている。
「ヴぁのぉ・・・ドグゥ・・・ネグビ・・・ヴぉ・・・ご・・・ぼぉ・・・ぜぇ・・・」
切嗣に憎々しげな視線を向けて呪詛をそのまま言葉にしたような単語の羅列を口にする。
何を言っているのかは意味不明であるが、場の空気を考えれば容易に推察できた。
『あのドブネズミを殺せ』
考えうる最悪の事態だった。
ランサーも何を言っているのか察したのだろう慌てた様に
「あ、主よ!今は傷の手当てが先決です!一刻をあらそ・・・」
そこから先を言う事は出来なかった。
ランサーすら敵に等しい視線で睨み付けるケイネスに全ての説得は不可能だと悟らざるをえなかった。
今のケイネスは怒りと憎悪でただでさえでも狭い視野が極限まで狭窄している。
ここで躊躇えばおそらく切嗣を殺す為に最後の令呪すら使うだろう。
「・・・」
無言でケイネスを降ろすと二槍を構え直すランサー。
「・・・許しは請わぬ・・・いや、請う資格すら俺にはない。永久に恨んでくれ、憎んでくれ」
彼なりの謝罪なのだろう、自らを断罪する様に蔑む様に呟いた。
それと同時に一陣の風となり、切嗣を切り裂かんと迫りくる。
対する切嗣も後先を考えている余裕はない。
「・・・・・・(固有時制御・・・四倍速)!!」
安全ラインの二倍所か三倍を通り越して一気に四倍にまで身体機能を加速。
同時に
(士郎!!)
(爺さん?どうした?)
(まずい事になった。ランサーが・・・がっ!)
激痛で意識を飛ばしそうになりながらも蜘蛛の糸にも等しい希望に賭ける思いで、自らのサーヴァントへの救難信号を発するが、新たなる激痛に途切れる。
結果から言えば、文字通り身を削って行使した固有時制御の四倍加速は半分だけその役割を果たした。
常人であれば閃光にしか見えず、成す術無く貫かれていたであろうランサーの一閃を、片方だけは回避する事は出来た。
しかし、所詮は人間に過ぎぬ切嗣にはそれが限界、もう一方をかわす事は叶わず、あっけなく右肩を貫かれた。
それでも床を力の限りに蹴りつけて、後方へと跳躍、その勢いで貫かれた槍を引き抜き壁際まで後退する事に成功した。
だが、強引そのものともいえる後退に、貫かれた右肩のさらに大きく広がり、夥しい出血がカーペットを、そして床を血で汚す。
おまけに固有時制御の反動もあり、もはや回避する術はない。
それ以前に後方に跳躍した事で壁にまで追い詰められ、逃げようにも逃げ場すらないと言うのが現実だが。
それでも幸運な出来事を強引にでも探すとすれば、貫いたのは『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』であった位だろう。
だが逆を言ってしまえば、それしかない。
既にランサーは切嗣の喉元に『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を突き立てている。
もはや詰んでいると言って良い。
ランサーは苦渋に満ちた表情で切嗣を見下ろしていたがその後ろのケイネスは狂人じみた笑いの表情を浮かべ
「っっっっっっ・・・」
掠れた小さな声とも呼吸音とも取れる音を口から漏らす。
ランサーに今まさに殺されつつある切嗣の姿に悦に入っているのだろう。
そしてこのまま切嗣の喉元を貫こうとした瞬間、室内に一陣の風が吹き荒れ、『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』は真下に抑え込まれる。
「・・・」
「っ・・・エミヤ殿・・・」
転移で急行した士郎が青竜偃月刀でランサーの『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を抑え込んだ結果だった。
咄嗟に後方に跳躍、ケイネスの元にまで後退したランサーだったが、ひたすら無言で自分を見る士郎に言葉を失う。
士郎の表情には色はない。
切嗣を心配する様子もランサーに対して怒りや侮蔑を抱いている様子もない。
見るものが見ればそれはほんの数分前、ケイネスが世界の不条理に対して怒り狂っていた時のそれに酷似していた。
「・・・ランサー」
ほんの数瞬だけ無言だった士郎がようやく口を開く。
その声もまた無感動。
機械が作った人工的な音声に似ていた。
「ここは退け。このような戦いお前とて本意ではないだろう」
「・・・」
一瞬口籠るランサーだったが
「だが、やると言うのならば容赦はしない。周囲への影響はお構いなしで徹底的にやらせてもらうが」
その一言で撤退すべきだと判断した。
今、士郎の後ろにはマスターである切嗣が、ランサーの後ろにはマスターであるケイネスがいる。
一見すれば条件は同じであるだろうが。それは違う。
士郎は徹底的にやると言った以上、ケイネスは無論の事、自身のマスターである切嗣に被害が及ぼうとも情け容赦なく徹底的にやるだろう。
切嗣は重傷を負ってはいるが、ある程度の回避は出来るだろう、しかしケイネスの方は何が起こったのかは不明だが、傍目から見ても判る。
おそらくは指一本とて動かせられないだろう。
その状態で戦闘となればケイネスが先に巻き添えを食らい、死亡するのが確実だ。
かといってケイネスを守りながら、もしくは担ぎながらの戦闘など、士郎相手では無謀極まりない。
つまりはここで退くのがベストだ。
そう判断すると手早くケイネスの頸動脈を抑え血流を遮断、ケイネスの意識を刈り取る。
意識を保ったままでは令呪を使われる事は疑いようがない以上、意識を失って貰った方が都合が良い。
改めて槍を右手で束ね持ち、左手でケイネスを担ぐと、士郎に視線を向ける。
「・・・」
その表情は終始苦渋に満ち士郎に罪悪感を抱いていたのは明白だった。
「・・・」
それに対して士郎はやはり無表情でランサーを見ていたが、小さく溜め息を吐くと、
「・・・そうだな、そもそも、お前に怒るのは八つ当たりだったな、ディルムッド」
僅かに表情を綻ばせる。
だが、それは自嘲の笑みに近いものだった。
「気に病むな。敵対している以上、こうなったのは当然の理、お前が責められる理由はどこにもない・・・それすら理解していないバカがいるなんて想定していなかった俺が悪いんだから」
その言葉にランサーはいたたまれない気持ちになった。
「・・・エミヤ殿・・・」
「早く行け。俺も自分のマスターの手当てをしなくちゃならない」
素っ気無いものだったがそれで全て伝わったのであろう。
ランサーは一礼すると今度こそ窓から身を躍らせ眼下の森に姿を消していった。
「・・・」
ランサーの姿が見えなくなって士郎は大きく肩を落とす。
「爺さん・・・」
切嗣に振り向く士郎だったが、士郎の表情は見ていて痛々しいほど罪悪感にあふれていた。
先程のランサーのそれを何倍にも大きくすればこうなっただろう。
「・・・ごめん爺さん。何もかも全ては俺の不手際であり、俺の判断ミスだ」
そう言う士郎は本気で泣きそうだった。
「・・・士郎、君がランサーに言った事を君にも言うよ。士郎が責められる理由も君が自分を責める必要性も無い。こうして貴重な転移の宝石を使って僕の救援に駆けつけてくれたんだから。それに・・・真に責めるべき相手は他にいる。そうじゃないかい?」
最後は冷ややかな声を発する。
「爺さん・・・」
「ああ、いけしゃあしゃあとご帰還して来た様だね」
切嗣の声にも士郎の声にも冷ややかさと剣呑さが加わっていた。
「悪いけど本格的な手当は後回しにさせてもらうよ爺さん。自分がやらかした事によってどういった結果を生んだのか自分の眼で確認して心の底から反省してもらわないと困る。また同じ事をやらかされたら今度こそ斬り殺しかねない」
そう言いながら士郎は手際よく切嗣の上着を脱がすとひとまず止血する。
「そうだね」
切嗣は当然の様に頷くと士郎の肩を借りて立ち上がった。
時間は遡る。
「アインツベルンの魔術師よ一つ聞く。お前達は何故ここで私と戦った?」
アイリスフィールの胸倉を掴んで片手で軽々と持ち上げながら詰問する綺礼。
その表情には余裕の笑みも無ければ邪魔されたことへの怒りも無い。
あるのは綺礼自身理由も判らぬ焦りと苛立ちだった。
「お前達二人は衛宮切嗣を護る。その為に勝算少なき戦いに身を投じたようだが、それは何故だ?」
息苦しさに表情を歪ませながらもアイリスフィールは答えようとしない。
一瞬だけ喋れないかとも思ったが、アイリスフィールの眼を見て理解した。
例え息苦しくなかったとしてもアイリスフィールは喋らない。
「もう一度尋ねる。貴様達は何故私と戦った?誰の為に、誰の意志で戦った?」
決して喋ろうとしないアイリスフィールに苛立ちながら、綺礼は彼なりに切実な問いを繰り返す。
と言うのも先ほど落ち上げた時、アイリスフィールの首筋に看過しえない代物を発見したからだ。
それは紛れもなく令呪。
アイリスフィールの髪に隠れていたのと綺礼からはアイリスフィールは見下ろす形になっていたので今まで見えなかったのだが、こうして見上げる形になりようやく発見する事が出来た。
すなわち目の前のアイリスフィールは紛れもないセイバーのマスターだと言う事になる。
そうなれば、今綺礼に挑み掛かったと言うのが矛盾する。
アインツベルン陣営にとってはセイバーのマスターであり、また聖杯の器の所有者であるアイリスフィールを護るのは至上命題の筈。
切嗣がアイリスフィールを護る駒だと言うのであれば、この場にいるのは切嗣でなければならない。
駒を護る為に将が勝ち目の薄い相手に戦いを挑むなど、たとえ戦闘経験に乏しいアインツベルンですら犯さぬであろう大失態。
それをあえて犯したと言うのであれば・・・
その時綺礼は足元に奇妙な重さを感じた。
更に今更ながら気付いた事だが、足元に弱弱しく苦しげな息遣いが聞こえる。
見下ろしてみれば、肋骨をへし折られ半死半生の身である舞弥が綺礼の右脚にしがみついている。
しがみつくと言ってもそれはほとんどまとわりつくようなものに過ぎないのだが、それでも舞弥にとっては渾身の力なのだろう。
それに何の感慨も湧く事もなく、綺礼は左脚で舞弥の背中を踏みにじる。
上からの衝撃でさらに肋骨がへし折れたか更なる苦痛に表情が歪む。
だが、悲鳴を上げる余力もないのか、その口からは空気が漏れるような音がかすかに漏れ出ただけで、意外と静かだった。
だが、それでも舞弥は綺礼の脚を離そうとしない、その表情には死への恐怖も無い。
そしてその眼光に宿る怒りと憎悪は掠れもしない。
見上げてみればアイリスフィールもまた舞弥と同じ眼光で綺礼を睨み付け、全く同じ表情でいる。
頭上と足元から浴びせられるその眼光にも表情にも偽りも演技も無い。
綺礼ははっきりと悟った。
信じがたい事だった、認めたくない事だった。
だが、信じるしか認めるしかなかった。
この二人は間違いなく自らの意識で綺礼の前に立ち塞がったのだと。
だが、それが意味する所は・・・
と、そこへ自らの僕の念話が綺礼を思考の迷宮から脱出させた。
(主よ。キャスターおよびランサー陣営揃って森より敗走を開始しました。それに加えて、セイバーがこちらに)
みなまで言うまでもない事だった。
もはや綺礼がここで目的を果たす事は出来ない。
意地を張ってセイバーに戦いを挑み勝てるなど思ってもいない。
素直に撤退するのが吉だ。
だが、サーヴァントの速度では今から撤退したとしてもほどなく追いつかれるだろう。
ならば自分が行う事はただ一つ・・・セイバーの足止め位だ。
そう判断すると、まずはしつこく纏わりつく舞弥の側頭部を軽く小突いて気絶させたうえで強引に引き離すと新たな黒鍵を取り出し躊躇もなくアイリスフィールの服を刺し貫く。
ご丁寧に貫いた黒鍵をねじり回し内臓を傷つけながら。
「!!!!」
声にもならないのだろう、眼を大きく見開き口をむなしく開閉する。
そのまま引き抜くや投げ捨て・・・ようとしたがその傷口を見て表情をしかめる。
傷口が急速に治癒されている。
かなり高度な治癒の術を自身にかけているのだろう。
だが、これでもさしたる足止めにならない。
ならばと、手頃な大きさの木にアイリスフィールを押し付けると、木と一緒にアイリスフィールの腹部を再度刺し貫く。
更に両肩、両方の腿も黒鍵で貫き、そのまま放置する。
更なる激痛についに失神したのかアイリスフィールの眼は白目をむき、何一つ身じろぎする事もなかった。
即死させなければ死なないのであればと綺礼は、昆虫をピン止めする様にアイリスフィールをそうしたのだ。
セイバーは彼女を救うか見捨てて自分を追うか二者択一を迫られるだろう。
もっとも、二者択一と言ってもセイバーが取るべき選択は一つしかない。
綺礼は串刺し状態にしてやったアイリスフィールにも、地面に倒れ伏す舞弥にも何の関心も示す事無く森を脱出すべく、疾走を開始する。
いくら追跡される危険性は皆無に等しくても、億に一つありうるかもしれない追跡の可能性を排除する為には一刻も早くここを離脱しなければならない
その間綺礼の脳裏によぎるのはアイリスフィールと舞弥、二人が自分に向けたあの眼光だった。
あの二人が自分の意志で綺礼に挑んだのは疑う余地もない。
聖杯戦争の勝敗も何もかも度外視して自分と戦う事を選んだ。
ただ、衛宮切嗣と言う一人の男を守る為に。
あの二人が切嗣に何を期待しているのか、それは綺礼にもわからない。
だが、切嗣に危害が及ぶかもしれない自分に抱いた殺意も憎悪も全てが本物である以上、それは並大抵のものではない。
すなわち、あの二人にとって切嗣はそれだけのものを抱かせ、全てを度外視した戦いに身を投じるに足りる信頼される人物だと言う事・・・
「有り得ぬ・・・」
その声は掠れ、虚ろなものだった。
綺礼にとって衛宮切嗣と言う男は自分と同じ、身の内にある虚無を絶望を抱き、そしてそれでも求められぬ答えを得る為に彷徨う男の筈。
誰にも理解される事も誰かしらから認められる事も、ましてや誰かに信頼を寄せられる事も無い、ある訳がない。
そのような男が他者・・・それも女からそれほどの信頼を得られる筈がない。
何かの間違いだと自分に言い聞かせようとしても、頭をよぎるのはあの眼光。
否定すれば否定するほど綺礼の胸中には疑念と恐怖が膨れ上がる。
その背中はまるで何かから必死に目を背け、その事実から逃げようとしているようにも見えた。
「・・・ィ・・・い!」
アイリスフィールは薄れゆく意識の中でそんな声を聞いた。
「アイ・・・ィ-ル!」
その声は徐々にはっきりしてきた。
同時に全身を襲う激痛が一気に意識を覚醒させる。
「アイリスフィール!!」
声の先にはやはりと言うかセイバーがいる。
だが、妙だ、なんで自分はセイバーを見下ろしているのか?
自分とセイバーの背丈はほぼ同じ筈なのに・・・
「じっとしていてください!すぐに引き抜きますので!」
切羽詰まったセイバーに思わず微笑みそうになったが、それも両肩から何かが引き抜かれる痛みにする事は出来ない。
続けて脚、最後に腹部から引き抜かれる当時にセイバーに抱き留められる。
そこでようやくアイリスフィールは自分が何かに縫い付けられていた事を理解した。
「せ、セイバー・・・ここに・・・いた筈の敵は・・・」
その問いかけにセイバーは唇を噛み締める。
「私がここに来た時にはすでに・・・もう少し早ければこのような事には」
セイバーは心底から申し訳なさそうに言うが、もう一つ確認しなければならない事があった。
「私・・・よりも・・・舞弥さんは・・・」
「彼女も重傷を負っていますが、命に別状はありません!それよりもアイリスフィール!貴女の方が・・・!!」
そこまで言ってからセイバーは言葉を失う。
両肩、両腿、そして腹部、刺し貫かれた傷が瞬く間に治癒されていき、セイバーが黒鍵を引き抜いて一分経つか経たないかの内に完全に治癒されてしまった。
一見すると夢なのではないかと疑わせるが、服を引き裂いた黒鍵の形跡、その周囲と先ほどまでアイリスフィールが縫い付けられていた木を真っ赤に染め上げた夥しい鮮血、それが全ては現実に起こった事なのだと言う事を教えてくれる。
「ア、アイリスフィール・・・これは・・・一体」
思わぬ事に思考が追いつかず、言葉少なく問い質すセイバーにアイリスフィールは申し訳なさそうな笑顔を見せる。
「ごめんなさい、心配させちゃって。万に一つと言う事もあって自分に治癒の魔術を仕込んでいたのよ。本当なら舞弥さんにもかけたかったんだけど・・・」
申し訳なさそうな声でそう告げるアイリスフィールにセイバーは呆けたようにただ頷くだけであるが、アイリスフィールが申し訳なさそうにしていたのはセイバーを心配させただけではない。
アイリスフィールの驚異的な治癒力、この正体はセイバーの召喚にも使用した媒体である鞘、セイバーの守りの宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』だった。
それをアイリスフィールは自身の体内に概念武装として封入していた。
本来であれば召喚した時点でセイバーに返還しても良かったのだが、この聖杯戦争中アイリスフィールの身にセイバーでも防ぎきれない危機が及ぶ可能性などいくらでも存在する。
その事を考えて士郎は切嗣、アイリスフィールと協議した結果『全て遠き理想郷(アヴァロン)』はこの聖杯戦争の期間はアイリスフィールの身を守る最後の砦として機能させる事にした。
無論だがこの事はセイバーには話していない。
例えセイバーに話したとしても、アイリスフィールを守る事が理由なのだから、即座に鞘を返せと言う筈は無いのだが、セイバーに対して少なからぬ不安を抱く士郎が二人を半ば強引に説得、鞘がアイリスフィールの体内にある事は秘密事項とされた。
いくら正規のマスターであるとは言え、セイバーの切り札を無断借用も当然で使用している事にはアイリスフィールは心底申し訳なく思っていた。
だが、この鞘の効果をその身をもって体験するのは二回目であるが改めてその威力には目を見張るものがあった。
傷の治癒はもちろんの事、貫かれた事によって失った血液、更には体力までも完全に回復されていた。
おそらくであるが綺礼が自分を木に縫い付けたのも単なる重傷ではすぐに治癒されてしまう、だからこそあのような一手間を加えるしかなかったのだろう。
先程の戦闘で異常をきたしつつあった魔術回路も鞘の効果で修復されたのか、不具合は何一つ無い。
これならば通常の魔術行使にも支障はない筈だ。
そうとなれば次は舞弥の手当てだ。
本格的な手当は城に帰ってからであるだろうが、今は応急処置だけでもしなければならない。
既に昏倒している舞弥の容体を確認する。
肋骨が少なくとも四本は折られうち半分は粉砕されている可能性がある。
セイバーに言う通り命に別状はないが重傷であることには変わりはない。
これほどの重傷をあの男・・・言峰綺礼は魔術も銃火器も用いる事無く自らが培った技術だけでやってのけ、魔術と重火器を駆使した自分と舞弥を一蹴した。
改めてだが綺礼の自分達とは違う方向性の人外ぶりに戦慄する。
だが、何一つ収穫が無かった訳でもない。
身をもって思い知った綺礼の実力、そして異様とも言える切嗣に対する執着心。
絶対に切嗣と綺礼を対峙させてはならない・・・改めて突きつけられる現実と圧し掛かる重圧にアイリスフィールは唇を噛み締める。
だが、それと同時にアイリスフィールは改めて理解していた。
切嗣を守る、そう決めた人が自分の他にいる事を。
治癒を行う準備段階としてまずは痛覚を遮断する事で苦痛から解放されたのか常には考えられないほどの穏やかな表情を浮かべる舞弥をアイリスフィールは嬉しそうに見る。
切嗣を女として想う彼女の事を本来であれば忌み嫌うべきだったのに嫌いになれなかった。
憎もうと思っても憎めなかった。
戦争と言う異常な極限状態が見せた吊り橋効果とも言える幻の友情なのかもしれない。
だが、それでも構わなかった。
この聖杯戦争において自分が成すべき事をアイリスフィールは舞弥に教えられたのだがら。
(守りましょう舞弥さん、私達で彼の身を・・・彼の心を)
静かな決意と共に舞弥の治療を開始するアイリスフィールであるが、彼女は未だ知らない。
彼女が身命を賭けてでも守りたいと願った人物に襲い掛かった危機を。
そしてそれを引き起こしたのは一体誰であるのかを。
その事をアイリスフィールは城に帰還した時に知る事になる。
こうして前代未聞とも言えるキャスター討伐令が引き金となり、アインツベルンの領地内で起こった第二戦は幕を閉じた。
だが、この戦いに勝者は存在せず、誰も彼もが敗者だった。
どの陣営も目的を果たす事は叶わず、ただ失ったものばかりが眼につく。
それが今後の聖杯戦争にどのような事態を引き起こすのか、それを明確に理解している人物は誰もいなかった。