変化は急激に、そして劇的に起こった。

ケイネスのヒステリーの様な絶叫と同時にランサーの身体が再び強張った。

繰り出されるセイバーの一撃をかろうじて回避するが、その動きは素人であるアイリスフィールやウェイバーから見ても明らかにぎこちない。

先程までのランサーと今のランサーの動きは例えるならば新品の歯車と錆びつきがたがたになった歯車、それ位の差がある。

「のう、坊主」

事態の急変について行けないウェイバーにライダーの呆れた声がかかる。

「へ?」

「つくづくだが余としては、マスターがあの阿呆ではなくお主で良かったと思うぞ」

突然の声にウェイバーは面食らう。

「は!な、何言っているんだよ!!皮肉かよそれ!」

「いやいや、本心からに決まっていよう。あの阿呆がどれだけ魔術師として優秀だとしてもマスターとしては落第も良い所、奴の言う様に素人そのものだ。あれほど令呪の重要性を諭されたにもかかわらず目先の欲に囚われてまたもや令呪を使用、しかも命じた内容が最悪だ」

「内容が最悪?確かキャスターを討てだろう?別におかしくは無いと思うけど・・・拙いのか?」

「拙いも拙い、あの命令は現時点では最もやってはならぬ命令だ」

ウェイバーの疑問を一刀両断するライダー。

「どう言う事なんだよ?」

「まだセイバーを討ってもいない段階であの阿呆は別の敵を討てと命じたのだ。しかも重要度では対等である令呪でな」

「でもそれはセイバーを討ちその後キャスターを討てば良いんじゃ・・・」

「坊主、あの阿呆、令呪でどう命じた?」

「え?確か・・・『一刻も早くあの無礼者を討ち取れ』・・・あれ?一刻も早く?」

「そう言う事だ。ただでさえでもセイバーを討つのに必死な所に新たな絶対命令、それも余計な一言を入れた所為でランサーの中では優先順位が滅茶苦茶になってしまった。ランサーの動きが目に見える程鈍ったのもそれが原因よ。今ランサーの身体は阿呆の命令を受けて奴を討とうとしているようだが、頭ではそんな事をすればセイバーに討たれるのがオチだと理解しておるのだろう、必死にそれに抗っておる。おそらく最初の令呪での命令を盾にしてセイバーを討つのが優先だと詭弁を使ってどうにか最後の最後で踏みとどまっているようだが、それもいつまでもつやら」

ライダーの説明に呆然となる。

ライダーの言葉が本当だとするならば、ケイネスは自ら望んで墓穴を掘ってその中に飛び込み、埋めてくれと言っているに等しい。

と、その時ふと脳裏に浮かんだ疑問をライダーにぶつけてみた。

「な、なあ、もしかしてキャスターの奴そこまで見通して・・・」

「さて、どうであろうな、余もそこまでは判らぬ。最も、仮に全てが計算通りだったとしても、奴を責める道理は無い。戦争では騙される方が間抜け、姦計に引っかかる方が悪いのだからな」

予想外にドライで非情な返答を聞きながらウェイバーの視線はバーサーカーの猛攻を今もなお凌ぎ続ける士郎に向けられていた。

 

(本気で同情するぞディルムッド。あんな愚物に使われているお前に)

バーサーカーの波状攻撃を凌ぎながらも士郎は、偽善だと言う事など百も承知の上でディルムッドに同情の念を抱かずにはいられなかった。

確かに士郎としてはディルムッドとケイネスとの関係をギクシャクさせる為に小細工を弄したのは事実だが、まさかケイネスが令呪を連続使用するとは想定外だった。

しかも『一刻も早く』などと言う余計な一言を付け加えた所為でランサーはどちらを狙えば良いのか混乱している。

当然ランサー陣営が令呪を二つも浪費した事については大収穫だ。

こちらの基本戦略を水の泡とした事への意趣返しもこれ以上無い程の出来だ。

それを考慮に入れても士郎には、ディルムッドには同情と忸怩たる思いを、ケイネスには侮蔑と嘲笑の念をそれぞれ同時に抱かざる負えなかった。

しかし、同情はしても士郎としてはディルムッドを助ける気は毛頭ない。

非情とか冷血とは別の問題だ。

このような戦いにおいてそのような情けは相手にとって侮辱でしかない事を良く理解しているからだ。

しかし、ふとディルムッドに視線を向けた士郎の表情が僅かに歪む。

士郎の予想に反して未だにセイバーとディルムッドとの間には熾烈な戦いが続いている。

そう、令呪の無理難題によって動きが悪くなったディルムッドと『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』の不治の傷を負わされた以外は何の制約も無いセイバーと互角の戦いが繰り広げられている。

元々ステータスでも大きく水を開けられている上に、今のランサーの状態、通常ならば既にセイバーの勝利と言う形で終わっていても不思議ではない、少なくともランサーが防戦一方であってもおかしくないのにだ。

士郎は微かに舌打ちをする。

何が起こったのか見なくても判った、信じたくもないが、今のこの事態を物語っている。

自覚してなのか無意識なのかは不明だが、セイバーはランサーに手心を加えている。

ランサーの様な素晴らしい騎士をこのような形で討ち取りたくない、それが動機だろうが、それはやってはいけなかった。

ランサーに敬意を抱くならばどのような状態であれ自身の持つ全てを持ってランサーを討ち取るべきだ。

それがせめてもの礼節だと士郎は思っている。

セイバーのそれは一見すれば相手に礼節を示す素晴らしい行動の様に思えるが、実際は単なる同情、いやそれよりも性質の悪い自分より弱い相手をいたぶる為に手を抜いているとしか思えない侮辱と同義だ。

だが、そんな事を言っている場合ではない。

あえて巻き込み乱戦に持ち込んで有耶無耶の内に収拾をつける、つい数分前まで考えていた案も現在の状況では使えない。

セイバーの様子から見てもしも自分とバーサーカーが乱入してこようものなら、ランサーを守る為に応戦する事もしかねない。

そんな事はあり得ないと信じたいのだが、あれを見る限りそれをやらかしても疑問に思えない。

(仕方ないか・・・)

腹を括り、バーサーカーと改めて対峙する。

そんな士郎に目掛けて鉄パイプを振り下ろすバーサーカーと、もう何百となるバーサーカーの一撃をたやすく回避する士郎。

別に士郎が本気になったとかそんな話ではない。

バーサーカーの武錬は全サーヴァントの中でも最高位、セイバー、ランサーでも一歩及ばない。

ましてや士郎では本気になっても一対一のバーサーカー相手では精々負けない戦いに従事するのが関の山だ。

それが簡単に回避できたのはバーサーカーのスキルである狂化のおかげだ。

バーサーカーの攻撃は確かに鋭く回避する余地のない猛攻だ。

だがそれだけ、狂化によって理性を無くし、複雑な思考を放棄したバーサーカーの攻撃は機械の様に正確に振りおろし、機械の様に無慈悲に相手を覆滅する、ただそれだけ。

そう、今のバーサーカーの猛攻は正確過ぎた。

ぶれもずれも無く、ただ決められた場所に決められた攻撃をするだけの精密機械。

機械であるならば回数をこなせば次がどの様な軌道でどのような角度から攻撃を繰り出すのかかなりの高確率で予測出来る。

それを回避するそれだけの事だ。

まあ予測出来るのと回避できるのとは別問題なのは言うまでもないが。

回避するや初めて士郎は本格的に攻めに出た。

バーサーカーの鉄パイプを一気に断ち切るとそのままの勢いでバーサーカーの側頭部を兜越しに『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』の石突きで力一杯殴り付けた。

石突きと兜がぶつかり甲高い音が辺りに響く。

当然こんな事でダメージを受ける筈がないが、突然の予測外な攻撃に僅かながらに怯む。

その瞬間、士郎は静から動へ動きを変更する。

僅かな怯みから棒立ちになったバーサーカー目掛けて新たに投影で創り上げた剣を下から上へと振り上げる。

真名をその口から解き放ちながら

「大なる激情(モラルタ)!」

その一撃はいかんなく威力を発揮、バーサーカーの鎧を斬り裂きながら叩ききった。

「!!!!!」

言葉にならない絶叫を放ちながら二歩三歩後ずさりゆっくりと大の字に倒れようとしたが、その途中でその身体は揺らぎ、掠れ、その姿を消した。

マスターなのかそれともバーサーカー自身なのかは不明だが、戦闘続行は不可能と判断したのだろう。

霊体化させて撤退したようだ。

これで何度目になるだろうか判らないが再び周囲を無音が支配した。

あれほど一方的に蹂躙されておきながら結果としてはバーサーカーを退けた士郎に改めて警戒感が沸き起こる。

その中でもランサーは信じがたいものを見る様に士郎の手に握られたそれを穴が開くほど凝視する。

それは紛れもない生前自身が絶大な信頼を置いた宝具であり、ランサーの括りに縛られた事で使用する事が出来ぬ宝具、『大なる激情(モラルタ)』。

それを何故士郎が持っているのか?

訳が判らないとばかりに士郎の後姿と『大なる激情(モラルタ)』を交互に見るしかなかった。

やがてその手から『大なる激情(モラルタ)』が消えると士郎はちょうどアイリスフィールとライダー達の中間地点にあるコンテナまで下がるやそこに背中をもたれさせて腕を組んだ。

「?」

行動の真意が判らず首を傾げる者が多い中ライダーと切嗣は士郎の意図を察したのだろう、更に辛辣な手を打つ士郎に苦笑を浮かべる。

そんな中、動きを止めた一堂に向かって

「?どうした、俺は一切手は出さないからセイバー、ランサー、思う存分遣り合ったらどうだ?」

その言葉で士郎の意図を理解したのか最大の当事者であるランサーは感嘆と苦渋を同時に表情に浮かべた。

これは遠回しな、ランサー陣営に対する撤退勧告だ。

今のランサーは二つの令呪で標的の異なる指令を受け心と身体がばらばらだ。

このような状態で勝てるなど砂の欠片すら思っていない。

おまけに士郎は此処から動く気は無いのだろう、すっかりリラックスしているが、

「それとも・・・俺とやるのか?セイバーの相手を奪うのは気が引けるがやると言うのなら容赦する気はないが」

その言葉からも判る様に、万が一ランサーがこちらに刃を向けるのなら、容赦なく迎撃するのは火を見るよりも明らかな事、瞬殺できるような相手ではなく最悪セイバーと挟み撃ちにされる危険性も大となれば、とてもではないが動ける筈も無い。

セイバーと戦い続けても最悪の状態であるランサーでは勝ち目はない、かと言って士郎と戦っても同じ事。

退くか、それともつまらないプライドとくだらない功名心だけを頼りにまだ戦うのか?

そう問いかけていた。

ケイネスもようやく自身の過ちに気付いたのか、それとも先程のライダーの言葉でようやく気付かされたのかは不明だが、罵声も飛ばす事無く沈黙を守り続ける。

『・・・ランサー・・・退け・・・ここまでだ』

そんな短い沈黙も長く続く筈も無く、ようやく絞り出すように、低く静かに撤退を告げた。

その言葉にようやく槍を引かせるランサー。

流石にあの状態での戦闘継続は敗北を意味する事は承知したのだろう。

その顔には安堵の色が濃く、大きく息を吐き出すとおもむろに士郎に視線を向ける。

「それにしても・・・貴公、相当な腕前だな、あのバーサーカーを退けるとは」

「いや、あれはバーサーカーのクラスだったからさ。あの英霊がまっとうな理性を持っていたら俺は無傷じゃあ済まなかった」

ランサーの賞賛に士郎は苦い表情でそう応ずる。

「そうかな?まあどちらにしろキャスターにしては規格外だと言うのは間違いないと思うが」

「・・・ところでランサー、なんで俺の事をキャスターと呼んでいるんだ?」

唐突な質問に全員・・・正確には切嗣、舞弥、アイリスフィールそしてライダーを除く全員が怪訝な表情を浮かべる。

「どう言う事だ?アサシンは既に脱落、セイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカー、そして俺の五騎のサーヴァントが姿を見せた。そうなれば消去法で貴公がキャスターだろう?」

「さて・・・どうだ」

「おいおい、ランサー水を差すようで申し訳ないが、こやつ一度も自らの事をキャスターとは言っておらんぞ」

そんなランサーの疑問に答えようとした士郎だったがそれに割り込むような形で口を開いたのはライダーだった。

その言葉に全員が気付いた、士郎はただの一度も自身をキャスターと名乗ってはいなかったと言う事に。

自分達が勝手にキャスターと認識していただけに過ぎないと。

「へっ?お、おい、ライダー!もしかしてお前あいつがキャスターじゃないって気付いていたのかよ!」

「ん?何を言っておる坊主。余はキャスターかどうか判らなかっただけだが。現に余は一度もあ奴の事をキャスターとは呼んでおらぬ筈だが」

「そ、そう言う事はマスターの僕にも言えよ!お前は僕のサーヴァントだぞ!」

「たわけ!余のマスターと言うならばその程度自分で気が付かんか!」

そう言って呼吸をするようにデコピンが繰り出され、ウェイバーは潰れた蛙の様な声を出して轟沈する。

そんな漫才じみたライダー主従の掛け合いに士郎は苦笑しつつも悶絶するウェイバーには心底の同情の視線を向ける。

「では、彼は一体・・・キャスター以外どのクラスも空きがない以上は・・・」

「そこら辺りはあ奴に聞いてみればどうだ?」

そう言ってライダーの視線が士郎に向けられたのを皮切りに全員の視線が集中する。

視線を向けられた士郎はいささか恨みがまし視線をライダーに向ける。

士郎自身はランサーの質問に、煙に巻くような答えを返して姿を消す事を考えていたと言うのにそれをいきなり台無しにされてしまった。

だが、それに返って来たのはいつもの様な豪放な笑みといたずらが成功して、してやったりと得意げになった眼だった。

それを見て三度背筋が凍る士郎。

もはや確信するしかなかった。

(ばれてやがる・・・と言うかどうやって気付いたんだこの人・・・と言うかそうなると・・・)

周囲に気付かれない様にランサーに視線を向けるがランサーはランサーで気付いているのか気付いていないのか、いまいち判断がつかない。

これはランサーのポーカーフェイスが上手いと言うよりも、士郎の読心術がまだまだ未熟なせいだろう。

「問おう、貴方は何者か?キャスターでないとするならばどのクラスのサーヴァントだと言うのか?」

無言を貫いていたセイバーが警戒心も露わにそう問いかける。

クラスが不明の謎のサーヴァントでは敵なのか味方なのか判別がつかないのだろう。

どちらにしても名乗らぬ限り無事に帰してくれそうにないと判断した士郎はやむを得ないと肩をすくめてから名乗る事にした。

「・・・まあ、別に言っても構わないか・・・俺は・・・サーヴァント、エクスキューター」

勢いそのままに真名まで口にしかけたがどうにか押し留めた。

当然の事ながら聞いた事の無いクラス名に誰も彼も何を言っているのか判らないような表情を浮かべていたが、そんな事など構うものかと士郎は霊体化した上に気配を完全に絶ち切った。









「爺さんごめん。引き際を完全に間違えた」

士郎は切嗣と合流するや開口一番自分の判断ミスを謝罪した。

「いや、あれはもう仕方ないさ」

切嗣短い言葉ながら仕方ないと士郎を慰める。

あの後士郎が立ち去ったと認識したのだろう、まずはランサーが立ち去り続いてライダーがセイバーと短いながら二言三言言葉を交わしたのち『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』に乗り込み暴風の様に去り、続いてセイバーがアイリスフィールを伴い倉庫街から去った後、それを見届けてからアサシンもまた姿を消した。

それを見計らった上で士郎は切嗣と合流して冒頭の謝罪となったのだ。

切嗣は仕方ないと言うが士郎としては姿を見せただけでも当初の戦略が狂ったと言うのに、自身のクラス名まで白日の下に晒す大失態まで演じたのだ。

正直忸怩たる思いが強い。

だが、切嗣からすれば、計算ミスもあっただろうが、失態と呼ぶほどの深刻なものではないと捕えていた。

真名は明かさず士郎の能力も最小限の露出に留め何よりも、

「ランサー、ライダーの真名、アサシンの生存、ランサー、アーチャー、バーサーカーの戦闘法も把握。おまけにランサーの令呪を2つも使わせたんだ。士郎の事が露呈した事を考慮しても十分な戦果さ」

「・・・そう言ってくれると助かるよ、で、これからどうする?」

「ああ、まずは舞弥と合流した後に」

「切嗣」

タイミングを計った様に舞弥が姿を現した。

だが、その表情はいささか強張っているようにも見えた。

「舞弥、どうした?」

実際強張っていたのだろう、切嗣が直ぐに舞弥に問い掛ける。

「教会に張り付かせた使い魔が」

「やられたのか?」

切嗣の言葉に声も無く頷く。

「ただ・・・」

「ただ?どうした?」

「使い魔が仕留められたのが、丁度ミスターがバーサーカーを退けたのと同時刻に」

その報告に士郎と切嗣は顔を見合わせる。

「間違いないのか?」

「はい、尚その時間帯クレーンにアサシンの存在は把握しています」

「ああ、僕も確認した・・・だが、どう言う事だ・・・アサシンがここにいたにもかかわらず使い魔がやられた・・・どう見る士郎」

切嗣に問われた士郎も口を噤む。

「悪い爺さん俺も正直判らない。考えられるとすればアーチャーが動いた・・・いや、あの性格だ。使い魔一匹にわざわざ動くとも思えない・・・後、強いて可能性をあげれば・・・マスターの言峰綺礼が仕留めたとしか・・・」

「いえ、お言葉ですがミスター使い魔の隠蔽は万全を期しました。サーヴァントに察知されるならばまだしもいくら代行者でも人間に察知されるとは・・・」

「じゃあやはりアーチャーが?」

「正直まだそっちの方が可能性がある・・・だけど一先ずそれは置いておこう、最優先での事案もある事だし」

切嗣が棚上げと言う形でこの話題を打ち切ると話を今後の事について変えた。

「まず、士郎、君は引き続きアイリとセイバーの護衛を行ってくれ。セイバーがあれだけ威勢が良いから大丈夫だと思うが念には念を入れる」

「ああ、判った。それとセイバーの傷は」

「ああ、どうにかアイリと連絡を取って確認したよ。怪我自体は軽傷だが、斬られた場所が問題だ。腱を斬られたようで左手の親指の自由がきかないらしい」

その言葉に天を仰ぐ士郎。

それが意味する所を正確に理解した。

「もしかしたら今回の戦いで最小の労力で最大の戦果を得たのランサーじゃないのか?」

たった一刺しでセイバーから片腕を奪ったに等しいのだからその感嘆も当然であろう。

そこで止めていれば良かったものを、マスターであるケイネスがいらぬ欲をかきすぎた所為で戦果以上の損害を被ったのは何とも皮肉であるが。

「で爺さん達は?」

「僕らはこのままランサー陣営が陣取っているホテルに向かう。既に最終準備も整っている」

「じゃあ、発破を」

「ああ、終了後、僕達もアイリ達と合流する。で、士郎一つ相談があるんだ」

「相談?」

「ああ、実は・・・」









それから数十分後、切嗣達が今後の事について話し合いが成されていた倉庫街のブロックから眼と鼻の先・・・具体的には数メートルほどしか距離の離れていないマンホールの鉄蓋がゆっくりと持ち上がり、横にずらされる。

そのずらされた隙間からまさしく這いずり回る様な動作で姿を現したのは白髪頭に誰も彼も目を背けたくなるような凶貌の持ち主・・・間桐雁夜だった。

ようやく潜伏していた下水道から脱出しそのまま路上に横たわるが、その姿は幸いにも他者に見咎められない。

仮に誰かに見咎められたとしても今の雁夜にそんな事を気にする余力は無かった。

ひたすら呼吸も荒く酸素を体内に取り込み雀の涙ほどでも構わないから体力を回復させようと勤め続ける。

鉄蓋を持ち上げて横にずらす、バーサーカーの使役で限界一歩手前まで魔力も生命力も絞り尽くされた感のある雁夜にとっては想像を超える重労働だった。

全身の毛細血管が破裂したのか顔も手も血まみれ、着ている服は血で歪な斑模様を形造り雁夜の全身を疼くような痛みが苛む。

元々、雁夜は間桐の魔術で生み出された生物である刻印虫を身体に寄生させる事で疑似的な魔術回路の役割を果たしそれによって俄仕込みの魔術師となったが、それだけでなくこの刻印虫は雁夜の生命維持装置の役割も果たしていた。

だが、序盤でのバーサーカーの使役はその刻印虫を使い潰すほどの勢いで行われた。

後一分どころか十秒でも長く続いていれば刻印虫は使い潰され雁夜は間違いなく死んでいた。

たった一回でもこの有様、ここから全てのサーヴァントを殺しつくし聖杯を手にする、なんと過酷な道程か。

だが、それでも雁夜にはこの道しかない、それに怖気づくなど許されない。

少女を、あの人を救う為に、そして奴に裁きの鉄槌を下す為に。

だが、いずれにしても戦うにはバーサーカーの力が必須だ。

そのバーサーカーの傷を癒す為にも必要な事はただ一つ

「・・・ぁっぁ・・・き・・・ゅう・・・そ・・・くを」

ようやく立ち上がりコンテナの壁にもたれ掛る様にその姿を闇夜に隠した。









一方、冬木教会では・・・

『では、突然現れたそのサーヴァントは自らをエクスキューターと名乗ったと言う事か』

「はい、時臣師、エクスキューターはバーサーカーと交戦、結果としてはバーサーカーに深手を負わせ撤退にまで追い詰めています」

『・・・』

件の通信魔道器を介して綺礼が時臣に報告をしていた。

しばし無言であったがやおら問いかける様に

『綺礼、君の意見を聞きたい』

「・・・我々にはあのサーヴァントが言った事が真実か偽りかそれを判別する術はありません。ですが、これが第一次であるならばまだしも第四次まで回数を重ねさらにはキャスター以外の全サーヴァントが姿を現している事を考慮して、虚偽を伝える利点が見受けられません」

『つまり行った事は全て事実だと言いたいのかね?』

「はい、それともう一つ」

『何かね?』

「エクスキューターのステータスです。確認した所エクスキューターのステータスですが・・・」

綺礼はそう言って自身が目にした物を違える事無く時臣に報告を入れた。

『・・・馬鹿な・・・』

それに対する返事はしばしの沈黙の後絞り出すような声として表れた。

『・・・いや、すまない君が虚偽の報告をする筈がないな。間違いないのだな』

無意識に口に出たのだろうか、すぐに我に返ったように綺礼に謝罪する。

「はい、ステータスは安定せず変動を繰り返しています。また上限のステータスで見れば幸運以外はトップレベル、セイバーにも肉薄が可能と思われます。下限で見ても前線で戦えるだけの最低限のステータスは待ち合わせています」

『・・・で、そのエクスキューターには監視は』

「いえ、霊体化した後アサシンですら気配の捕捉が不可能となり消息が途絶えています。申し訳ありません、ですが目下アサシンに号令をかけて全力で捜索中です」

『そうか、エクスキューターを補足次第また報告してくれ。ご苦労だった』

その言葉を最後に報告が終わる。

「・・・」

その後、綺礼はソファーに深く腰を掛ける。

その時綺礼の脳裏を占めていたのはエクスキューターの事ではなく、時臣にはもちろん父にも報告は入れていない事だった。戦闘が終了した直後、教会周辺を哨戒していたアサシンが発見した使い魔と思われる蝙蝠。

即座にアサシンは処分しそれを綺礼に提出したのだがその蝙蝠の腹部に括りつけられていた手の平大のCCDカメラ。

使い魔にそのような電子機器を装着させるなど普通の魔術師にはあり得ない。

ましてやアサシンからの報告では結界の外であったが、それは明らかに教会を監視していたと言う。

普通は中立地であり、非交戦地帯である教会を監視するなど暴挙、監督役からどのような制裁が下されてもおかしくない行為で百害あって一利もない筈だ・・・ある仮定以外では。

その仮定を抱いている人物がいるとしたら、そしてその人物が万が一にも魔術と科学を同列で考えているとするならば・・・

綺礼は静かに思案に暮れていた。









「お、おおお・・・おおおおお・・・」

更に場所を変えた薄暗い場所にてその声は良く響いた。

「なあなあ旦那どうかしたの?」

その声に問い掛ける様に飄々とした声が掛かる。

普通であれば特に違和感のないのだがこの空間では違和感があった。

「叶った・・・おお!!叶った!叶ったぞ我が願いは既に叶えられた!聖杯は既に我が手中にある!」

「え?そうなの?でもさ俺セーハイ?そんなもの手にした覚えないんだけど」

「その様な事些事にもならぬ!彼女の姿こそが我が願いの成就と言う何よりの証拠!おおお!」

「へ?そなの?まあ旦那が幸せそうなら俺も幸せだけどさ」

言葉にならぬ狂笑とそんな狂人に何の迷いも無い賛同を送る声、どちらにも聞く者にどこか寒気を感じさせるおぞましさを感じさせるものだった。

ましてや微かな光源のおかげで・・・あるいはその所為でぼんやりと把握できる周囲に何か形容しがたい、だが、見たくない代物があればなおさら・・・

「おおお・・・我が愛しき乙女よ、聖処女よ今しばしお待ちくだされ・・・お迎えに馳せ参じます故・・・今しばし・・・」

その光源の源・・・水晶球を前にした得体の知れぬ狂人は一人悦に入り、その水晶に映し出された人物・・・セイバーをいつまでも見つめていた。

この狂人が聖杯戦争を更なる混沌に引き摺り込む事になるが、その事をまだ誰も知らない。









第四次聖杯戦争序盤戦はこうして幕を閉ざした。

各陣営、得たもの、失ったもの、千差万別であるが、これが後々の戦いに大きな影響を与える事だけは、間違いない。

そしてここから聖杯戦争は誰もが予測すらしない経緯を辿ろうとしていた。


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