アインツベルンにて二体のサーヴァントが召喚されてから三日経過した。

サーヴァントも召喚された以上は直ぐにでも冬木の地に向かうべきであったし、現にアハト翁もすぐに冬木へ迎えと口喧しく言っていたのだが、そこには問題があった。

まず大前提として士郎を召喚させる直接の原因となった大寒波、これが終息の兆しが見えていなかった。

現にあの大寒波を度外視で雪中行軍させたホムンクルスは両腕両脚を重度の凍傷に侵され骨まで壊死、治癒は不可能と判断(と言うよりも治癒させるよりも新しく製造した方が安上がりだと結論付けられた)。

結局は廃棄処分された。

代えの利かないアイリスフィールを、その二の舞にさせるのかと切嗣から声も穏やかに問われたアハト翁は憎々しげに切嗣を睨み付けるだけで反論は出来なかった。

また、その大寒波に影響して交通の混乱も回復しておらず、冬木へ向かいたくても向かえない現状も手伝い結局寒波が収束するまで城で待機する事が決まり、その間の時間を有効に利用して切嗣、アイリスフィールは聖杯戦争に備えての情報収集や打ち合わせを念入りに行った。

そしてようやく昨日大寒波が収束したとテレビのニュースで知った切嗣は行動を開始していた。

まず、航空機の手配を行い自分は翌日早朝にはドイツを出立し、アイリスフィールは二日後に手配・・・と言うか貸切で取ったファーストクラス便で冬木に向かう。

そして士郎はそれに更に先駆けて冬木に向かい、まずは向こうで偵察を行っている切嗣の助手と合流する手筈となっている。

一先ず時差も考えて翌日未明に向かう事が決定している。

そこまで決まった時点でようやく段取りや打ち合わせも一段落し、天気もやっと回復(と言っても吹雪が止んだだけで空は鉛色の曇り空であるが)したので、切嗣は大寒波のおかげで久々となっていた娘のイリヤスフィールと共に雪に埋もれたアインツベルンの森を散策していた。

(爺さん、大丈夫なのか?夕べも遅くまで向こうにいる助手の人と電話で話し合っていたし)

霊体化して傍らにいる士郎が念話で声をかける。

(ああ問題ない。短時間だけど睡眠はとったよ。それに天気が良い時は必ず一緒に散策をする。それがイリヤと交わした数少ない約束だから)

(そっか・・・約束か)

そんな会話が成されているとは露知らずに、

「キリツグー!!早く早く!今日は負けないんだから!」

元気にこちらを振り向きながら手を振るイリヤスフィールに切嗣も士郎も自然と頬が緩む。

(向こうのイリヤも昔はあんなふうだったのかな?・・・体型は全く変わらずだけど)

前半はともかく後半は確実に神界にいるイリヤに殺されかねない事を思考しながら切嗣の傍らで歩き続ける。

(そう言えば爺さん、しきりに何かを探しているみたいだけど・・・イリヤは何してるんだ?)

(ああ、あれはクルミの冬芽を探しているんだよ。散策の時は僕とイリヤでクルミの冬芽を探した個数を競っているんだ)

(へえ・・・もしかして爺さん負けてる?)

(どうしてそう思うんだい?士郎)

(俺の知っているイリヤだったら勝ち目のない勝負なんてするとは思えないし)

(ははっ、鋭いね。確かに目下の所イリヤの圧勝さ。まあ、最近は僕の勝ちが続いているから少し焦っているのかもしれないし)

そんな念話での会話をしながらも切嗣の眼光は獲物を捕らえていた。

「おっ早速一個発見」

切嗣の申告に

「えっ!!嘘っ!」

すぐさま振り向き切嗣に駆け寄る。

切嗣の指差す方角には確かにクルミの冬芽がひっそりと雪に隠れる様に覗かせていた。

「ふふふっ、今日も父さんが先制だ。このままガンガン行くからな」

「むぅー負けないもん!今日はキリツグをぎゃふんと言わせてやるんだから!」

そう言って先程よりも目を皿の様にして冬芽を探す。

(ありゃ血眼になっているな。こりゃ爺さんの負けかな?)

そんな士郎の念話での皮肉に切嗣は苦笑で返した。

(少しイリヤを追い詰めすぎたかな?僕が見つけた冬芽を確認するか・・・こりゃ手の内を出さざる負えないか)

(??手の内?それって・・・)

だが、士郎の質問が終わる前に得意満面のイリヤスフィールの声が響く。

「あっ!見つけたイリヤも一個目!!」

「ふふふ、甘いなイリヤ父さんは二個目もう見つけたぞ」

だが、それも切嗣が口から出た二個目発見にかき消された。

「えええっ!」

それを聞くや否や再び踵を返して再び切嗣が発見したと言う冬芽を確認する。

だが、切嗣が見つけたと言っていた冬芽は先程のそれとはまったく形が違う。

「えーっ!キリツグそこには冬芽なんて無かったよ!」

(あれ?爺さん間違えただろ。さっきと違うぞ)

士郎とイリヤが同時に指摘する。

だが、言葉と念話での指摘などどこ吹く風と言わんばかりに切嗣はネタばらしを披露した。

含み笑いをしながらその口元には笑いを張り付けて。

「いやいや、イリヤ、あれはサワグルミと言ってねクルミの仲間なんだよ。だからあれもクルミの冬芽なんだよ」

「・・・」

(・・・)

思わぬ言葉にイリヤスフィールも士郎も言葉を失った。

だが、数秒後、事態を呑み込んだのだろう。

イリヤスフィールは顔を真っ赤にして切嗣を詰った。

聞く者はむしろ微笑ましくなるような可愛らしい表情と声だったが。

「ズルイ!ズルイ!ズルイ!!ズールーイー!!!!キリツグずっとズルしてたー!!」

(・・・爺さん・・・)

士郎ですら呆れ果てた声を出す事しか出来ない。

イリヤスフィールは『ズル』と言う表現をしたがそんな可愛らしい代物ではない。

切嗣の淀みのない動きから相当前からカウントにサワグルミを加えていたに違いない。

少なくとも十歳に満たない女の子、それも実の娘とのお遊びでやる様な事ではない。

ズルと言うよりもペテンや詐欺に類する反則と言えた。

「ははは、でもねイリヤこうしないと父さんイリヤに永久に勝てないし」

「駄目なのっ!キリツグは知っててイリヤは知らないなんて駄目なの!」

(勝てないからって・・・大人げないだろ、爺さん・・・)

ぽかぽか膝を叩きながら切嗣への非難を盛大に捲し上げるイリヤスフィールと念話で脱力した口調で切嗣に苦言を呈する士郎を尻目に全く堪える様子もなく

「ははは、でもねイリヤこれで勉強になっただろう?クルミにも仲間があるって。ちなみにサワクルミは食べられないから気を付けるんだよ」

笑って娘に教授していた切嗣だったがイリヤスフィールが放った次の台詞で形勢が逆転した。

「いいもんっ!ズルばっかりするならもうキリツグとは遊ばないもんっ!」

半ば涙目で睨みながら絶交宣言をする娘に

「それは困る、ごめんイリヤ、もうこれはなしで」

情けないくらいの低姿勢でイリヤスフィールに許しを請い始めた

「・・・もうズルしない?」

「うん、しないサワグルミは無し」

「うん。じゃあ許してあげる。チャンピオンはいつでも挑戦を受けるんだから」

父の素直な謝罪にようやく機嫌を直すイリヤスフィールだった。

(まあサワグルミが駄目でもノグルミもあるし)

(たいがいにしておけよ爺さん。冗談抜きでイリヤに三行半突き付けられるぞ)

父が胸中で懲りもせず悪だくみをたくらんでいる事もそれを察し、姿見えぬ彼の従者が半分以上本気での忠告を念話で発しているなどなど知る由もなく。









そんな傍から見れば仲睦まじい父と娘の光景を城の窓から見下ろす視線があった。

その瞳は翡翠、ただ立っているだけだと言うのにその身にまとう空気に可憐さや儚さとは無縁。

むしろその容姿からは無縁と思わせる程清廉と勇ましさ兼ね備えた意志と闘志を華奢な四肢に漲らせ、絹の様な黄金の髪を結ったその姿は美少年にも見えなくはないが、身にまとう紺碧を基調としたドレスとその体つきが少女である事を如実に証明していた。

「何を見ているの?」

と、背後から柔らかな声がかかる。

「・・・キリツグとご息女が散策しているのを」

言葉少なげに返答するがその声は硬かった。

だが、それは声を掛けた者に対する不快と言うよりも視線の先に対する者への戸惑いの色が感じ取れた。

それを感じたのだろう声をかけたアイリスフィールは微笑みながら

「そんなに珍しい?」

「いえ・・・珍しいと・・・言うよりは・・・彼も感情の動物たる人であったのだと再認識した次第で・・・いや、別に彼を侮辱したとかではなく」

言葉少なげにそれでいて言葉を選ぶようにそれでいて申し訳なさそうに口を開く少女。

「良いのよ。お世辞にも貴女とキリツグとの仲が良好じゃないのは判っているから」

「は、はあ」

笑って言うアイリスフィールにますます恐縮したように俯く少女。

そんな困った様子を見て更に笑うアイリスフィールをむっとした表情で見る。

「ごめんなさい、でも困っている貴女の顔を見るのが面白くて・・・」

「随分と意地が悪いのですねアイリスフィール、先程の発言を根に持っているのですか?」

「ふふふっ、そうじゃないのよ・・・からかい過ぎたわね。キリツグにああいった側面があるのが意外だったのでしょう?セイバー」

セイバー、そう呼ばれた少女こそこの聖杯戦争に騎士のサーヴァントとして招かれたアーサー・ペンドラゴン、本来の名はアルトリア。

「はい、非礼を承知の上で言わせてもらえれば、私の見た限り、キリツグはもっと冷淡な人物とばかり思ってました」

言葉少なげにだが、その内容には容赦なく切嗣に対する評を述べる。

その切嗣はと言えば、イリヤスフィールを肩車して森の奥に姿を消そうとしていた。

そんな切嗣評を聞いてもアイリスフィールに怒る気配はない。

むしろそんなセイバーの言葉を苦笑を浮かべつつも肯定した。

「そうね。間違いは無いし、そう思われても無理はないわね」

そう言って首肯するのにも理由がある。

召喚されてからセイバーと切嗣との間にはまっとうな会話など片手で数えられる回数しかなされていない。

その会話ですら事務的なそれだけで交流を目的としたものなど皆無な状況。

これではセイバーが『冷淡』と切嗣を評するのも無理はない。

だが、アイリスフィールと士郎だけは知っているがセイバーが召喚された直後、苦笑しながらこう断言した。

『セイバーをアイリが召喚してくれて・・・僕が士郎を召喚して良かったよ・・・たぶん僕がセイバーを召喚したら僕とセイバーの関係は最悪と言う言葉でもまだ生ぬるい程だったと思う』

そう言ったとき士郎は微笑と苦笑をない混ぜたような表現しがたい笑顔で頷いたが、アイリスフィールにはよく判らなかった。

言われた時はどう言う事なのか理解する事は出来なかったが、召喚してからセイバーと共に過ごし、切嗣が発した言葉の真意をいやでも理解した。

セイバーと切嗣、この二人は似ているのだ。

果てなき理想の為に自分をどれだけ焼き尽くそうとも厭わず、自己を殺し、他者の幸福を誰よりも追求するその姿勢が。

だが、だからこそ二人は相容れない。

同族嫌悪とはよく言ったものだと思う、切嗣とセイバーは似た気質でありながらただ一点の相違から絶対に歩み寄る事は出来ない。

片や有り余る力を得たが故に正道を赴き公然と胸を張って理想を追求した王と、片や力無きが故に邪道を歩み他者から後ろ指を指されながらもその生き方を曲げず理想を追い求めた続けた暗殺者では話も理解も出来る筈がない。

これが何もかもが真逆だったらまだ救いがあっただろうとアイリスフィールは思う。

互いに絶対に相手は相容れられないと諦観を混ぜて互いに納得し、その上で事務的に割り切ってこの聖杯戦争に挑む事が出来たかも知れない。

だが、同じ理想を持ちながら真逆の道を進んでしまった二人では割り切る事も認める事も出来ない。

まだ主従関係でないから事務的でも会話が出来るが多分それが限界、交友を育もうとしても互いの生きた道がそれを阻むだけだ。

「はい・・・こう言っては非礼ですがアイリスフィール、貴女がマスターでよかった。キリツグでは・・・」

そこまで言ってセイバーは口を噤む。

おそらくアイリスフィールを気遣ってこれ以上の言葉を口に出来ないのだろうが、なんとなくその次の台詞は予測出来た。

『まともに戦えないと思う』、もしくは『マスターとして認められないかも知れない』だろう。

だからこそ憂鬱にもなる。

セイバーが持つ切嗣への無自覚の反感と不信は相当なものだ。

彼女が持つずば抜けた直感が警戒してしまった事に加えて切嗣が(表向き)協力者として索敵や情報収集を行い支援する事が相当気に食わないらしい。

セイバー自身は切嗣やアイリスフィールに向かって『そのような者がいなくとも私の剣であれば全て打ち倒せます。協力者など不要と思いますが』や『そのような姑息な真似をせずとも私の剣だけで不安は一掃されます。なのに何故部外者の支援を受けなければならないのですか』とまで主張し、最終的にはアイリスフィールの取り成しを受けて渋々承諾した。

だが、後々考えてみるとおかしな話だと、士郎が呟いた。

セイバーとて生前ブリテン王としていくつもの戦いを経験したはずだ。

敵の情報を得る事がどれだけ重要なのかそんな事学ぶ前に実地で知り尽くしている筈だ。

知り尽くしていれば情報収集などの裏方の支援を間違っても『姑息』と表現する筈がない。

ましてや聖杯戦争では敵陣営のサーヴァントの真名を知る事がどれだけ有利に働くかそれを理解していない程セイバーが愚かとは思えない。

だとすればセイバーが口にした理由は表向きなものに過ぎずもしかしたら・・・

そこまで言って士郎もまた口を噤んでしばらくしてから、これは憶測の域を出ないからと言ってこれ以上の事は口にしなかった。

いささか気まずい空気を察したのかセイバーが話題を変えた。

最も変えたと言っても翌日には戦いの地に向かう以上さほど変更は出来なかったが。

「キリツグは先行して冬木に向かうのでしたね?」

「ええ、もうキリツグの助手が現地で調査をしているからそれに合流する手はずになっているわ。イリヤと遊んだらその足で向かう筈よ」

「アイリスフィール貴女は良いのですか?」

セイバーの言葉には言外にアイリスフィールもイリヤスフィールと団欒を持つべきではと問いかけていた。

「私は大丈夫よ。昨日済ませたし、何よりも必ず戻って来るから」

それは虚勢でもなんでもない。

「無論です。アイリスフィール。私は貴女を護ります最後まで生き残り、聖杯をあなたの手に捧げます」

「ええ、この聖杯戦争に負ける訳にはいかないわ。その時あなたが頼りよセイバー」

正確にはセイバーの他に士郎と言う影の戦力もいたがそれは口外は出来ない。

そして・・・この時二人の意識には当然だが齟齬もあった。

セイバーは聖杯戦争を自身の誇りと共に進み自分に相応しき戦いをもって勝利し、敬愛に値する美しきマスターと共に聖杯を手にし自身の願いを叶えてみせると決意を露わにしていた。

だが、アイリスフィールは聖杯の真相を知った以上聖杯を顕現させる気など欠片も無い。

セイバーには申し訳ないが聖杯も、基盤たる『大聖杯』も残らず破壊しなければならない。

そうである以上は何が何でも生き残らなければならない。

自分以外の陣営が聖杯を顕現させない様に。









森では切嗣に肩車をしてもらったイリヤスフィールがご満悦な様子で次々とクルミの冬芽を見つけていく。

ちなみに肩車をしているのは、切嗣がズルをした事への罰と切嗣が提案した恭順の証としての行為であるが、イリヤスフィールはこれをいたく気に入っていた。

自分では一苦労な場所も父の肩に乗れば楽々と踏破出来るし、視界も高くなって冬芽を見つけやすい。

何よりも母がしてくれる添い寝と同じ位、父の肩車は心が安らぐ。

今日は勝てると言う事と父の肩車の所為か、イリヤスフィールはすっかり父が行った反則などきれいさっぱり忘れてしまっていた。

最も父親の方はと言えば

(うーん、残念、ノグルミはなさそうだね)

(無くて良かったよ。こんな事ばれてたらただじゃすまないぞ)

二段構えのズルを試みるも肝心のノグルミが存在せず頓挫する事になりいささか落胆し、士郎はその事を心底安堵していた。

結果として今回はイリヤスフィールの圧勝で幕を閉じたのは言うまでもない。

「次はキリツグが日本から帰ってきてからだね」

勝負にも勝ち、なんだかんだ言って大好きな父に肩車もしてもらい上機嫌のイリヤが後ろ歩きしながら笑顔で切嗣に話し掛ける。

「キリツグももっと見つけるの上手くならないと百個の差がついちゃうよ」

「そうだね、父さんも頑張らないと」

そう言う切嗣だったがその胸中は複雑だった。

士郎と言う規格外のサーヴァントを従えているとはいえ、聖杯戦争を甘くは見ていない。

これは戦争である以上、絶対的な強者など存在はしない。

戦場で常勝不敗を誇ろうとも食事に盛られた僅かな毒であっけなく死ぬ事も不思議ではない。

どんなに愛する人や家族の為に必ず戻る事を誓おうとも、それが必ず果たされる保証など何処にもない。

ましてやその愛する家族の未来を思えば尚の事だ。

イリヤスフィールを肩車してその事を改めて思い知った。

もう八歳になると言うのにあまりにも軽すぎる。

栄養失調でもなく、身体も健康そのものだと言うのに体重は十五キロしかないと言うのは異常、明らかにイリヤスフィールの成長は遅れている。

おそらく、いやほぼ間違いなく愛する娘の成長は第二次性徴の手前でストップするだろう。

(爺さん、イリヤの成長の遅れはホムンクルスだからじゃないのか?)

(いや、アイリがイリヤを産む時にご老体の命令で無茶な調整をやったんだ。それが原因だろう。むしろ発育の遅れだけで済んだのが幸運だ。身体の障害が出てもおかしくなかった)

(そんな事が・・・)

士郎の問い掛けに苦い口調で応じ、士郎もまた初めて知った事実にやりきれない思いを滲ませそれ以上の言葉が出てこない。

そんな念話の存在を知らぬイリヤスフィールはそんな遅い成長の自身の身体を嘆く事も無く元気よく父に話し掛ける。

「ねえキリツグ、キリツグとお母様どれ位で帰って来るの?」

「えっ?ああ、そうだな・・・父さんは長く見ても一月くらいで帰って来れる・・・と思う。母さんは・・・母さんもそれ位だな」

一瞬アイリの帰りはもっと先になると言いかけた切嗣は慌てて言い直す。

もはやそんな事はあり得ないのだから。

「うん、お母様も言っていた。それでお仕事終わったらキリツグとお母様と皆でニホンに行くんでしょう?」

「ああ、そうだよ。イリヤ、この仕事が終わったら長くお休みが取れる筈だから日本に行こう」

娘の期待に満ちた眼に応える様に柔らかく笑いながら切嗣も頷く。

これは急な事ではなく、士郎を召喚しアインツベルンへの背信を決心した時から決めていた事だった。

と言うのもこれもまた戦後の・・・特に『大聖杯』を破壊した後の事を考えての事だった。

冬木の探求が失敗に終わったとしてアハト翁を筆頭としたアインツベルンが『天の杯(ヘブンスフィール)』成就を諦めるかと問われれば切嗣もアイリスフィールも首を横に振るしか選択肢は存在しない。

この程度の事で諦める筈も無く、新たな『大聖杯』を創り上げ第二、第三の聖杯戦争を引き起こす可能性はゼロでは・・・いやむしろ極めて大である言わざる負えない。

その時、新たなる大聖杯の礎となるのは誰なのか?

予想するまでもなくイリヤスフィール、もしくは娘を人質にとられてアイリスフィールがその役割を強制される事になるだろう。

その為士郎、切嗣、アイリスフィールは聖杯戦争終戦後、間髪を入れずイリヤスフィールをアインツベルンの手から奪還し日本に移住すると言う短期的な計画を立案、その方法も既にイリヤに渡していた。

「で、キリツグ、これが赤く光ったらこの指輪を握ってお母様の所に行きますようにって念じればいいんでしょ?」

「ああ、そうだよイリヤ。そうしたらすぐに日本に行けるから」

そう言うイリヤスフィールの手には指輪とネックレスがある。

一見すれば何の変哲のない指輪とネックレスに見えるが双方ともゼルレッチから別れ際に渡された代物で、前者には転移魔術の力を込めた宝石が、後者にはあらかじめ指定した人物の魔力に反応して発光するように細工を施した宝石が誂えていた。

ちなみ指輪はイリヤスフィールの他に切嗣、アイリスフィールが一つずつ、士郎は自分の分と現地で合流する切嗣の助手に渡す分の二つを、ネックレスはイリヤスフィールの他には母親であるアイリスフィールが対となるネックレスを所持している。

指輪は言うまでもなく、もうどうしようもない時に使う離脱用。

ネックレスはイリヤを日本に呼ぶ時の合図として用意した。

「それと母さんからも言われているかもしれないけどこれはお爺様にも内緒だよ」

「うんっ!お母様言ってた、『お爺様にも内緒のサプライズ旅行』だって!ねえキリツグ、ニホンってどんな国?」

「そうだね・・・」

未知の国に対する期待に胸を躍らせて日本の事を聞きたがるイリヤに切嗣は懇切丁寧に色々な事を教えていく。

春に咲く桜を始めとした色とりどりの花々、夏の暑さや入道雲(暑いのが苦手なのだろうそこだけは嫌そうな表情を見せたが)それに秋の紅葉と聞く度に満面の笑顔を浮かべたりと忙しなく表情を変え、その眼を輝かせる。

それを見ながら、改めて決意を新たにする士郎と切嗣。

(爺さん、帰ってこないとな・・・絶対)

(ああ、気合いだけで帰れるとは思わないけど、それでも帰らないと、そしてイリヤとの約束は果たさないと)

(うん、じゃ爺さん俺は先に冬木に向かう)

(ああ、僕もイリヤを城に連れて帰ったらすぐに日本に向かうから)

(分かった、じゃあ、向こうで)

(ああ。士郎、君も気を付けて)

そう念話での会話の後、士郎はゆっくりと森の奥に歩を進め、距離を開けたと判断すると霊体化を解除、すぐさま指輪に念じる。

それと同時に宝石の転移魔術が解放され士郎の身体は周囲に巻き起こる風にのまれる様に消えていった。









転移ですぐさま冬木に到着した士郎はその足で切嗣が指示した助手との待ち合わせ場所に向かう。

そこは近年からの都市開発によって完成された駅前パークの一角、駅の入り口近くのベンチだった。

そこに座る前に、とりあえず自動販売機でホットの缶コーヒーを二つ購入してベンチに腰掛ける。

士郎からしてみれば生前、短い生涯の半分を過ごしたのがこの地なのだから、懐かしいと言えば懐かしい。

だが当然だが、士郎の記憶が未来過ぎる為、比較すればまだ完成されていない施設も多数あったりしている為、切嗣の助手と合流を果たした後は冬木全域・・・特に新都地区のチェックをする必要がありそうだ。

今は午前十時に間もなく差し掛かる所。

使い古しの漆黒のロングコートに黒のグローブ、その下の服も絵柄も無い黒のシャツと同色のカーゴパンツ。

当時の日本としては異様にとられかねない赤と白銀の混ざった色の頭髪は切嗣が用意した帽子で隠しているものの、帽子もまた黒でその風体は時折往来の視線を向けさせるに十分なものだった。

だが、それもどこ吹く風と缶コーヒーのプルタブを開けるとコーヒーを飲みながら待ち人を待つ。

(待ち合わせは十時だからもうすぐ・・・)

そう思っていると後ろから迷いなく自分の元に近寄る気配を察知した。

「・・・ミスタ、シロウ・エミヤ」

その気配は自分の真横まで来るとそう自分の名を呼んだ。

そこに立っていたのは一人の女性、黒の絹と間違える程きめ細やかな髪を肩口で切り揃え、その整った顔立ちは自らを飾る化粧気など皆無にも関わらず、十分美女と称するに相応しいものだったが、その眼差しは刃物を思わせるように鋭く、その眼に湛えられた眼光には温かみがまるで存在しない。

アイリスフィールを春の木漏れ日と評するなら、目の前の女性は厳冬のダイヤモンドダストと評した方が良いだろう。

「ええ、そうです。久宇舞弥さんですね。衛宮士郎です初めまして」

そう言って手を差し出したが特に応じる事無く、ただ一つ会釈気味に頷くと

「簡単な情報の交換をまずしたいので、向こうへ」

本題だけ告げてさっさと歩き出してしまった。

いつの間にかその手には缶コーヒーを持って。

思わぬ事に思考が止まりかけたが慌てて舞弥の後を追い掛けた。

飲み終えた缶を振り向く事無く放り投げながら。

放られた空き缶はと言えば、澄んだ音を立てて路上に転がる・・・事は当然なく、寸分の狂いなくゴミ箱に投入された。

ごみ箱の中で放られた缶は他の空き缶とぶつかり、けたたましい騒音を数秒だけかき鳴らし、あるべき場所に落ち付いた。

Act1 Uへ                                                                                                    Wへ