【小ネタコレクション File021】
砲弾海岸の戦車
ほとんど人に知られないまま放置された旧日本軍の戦車の残骸があるという話をきき、カメラを片手に出掛けてきました。
延々電車に揺られ、さらにバスに乗り換えて、とある海沿いの町に到着。海岸をしばらく歩いていくと、海からの身を切るような寒風を受けて、鉄錆の塊がころがっているのを発見しました。
どうやら本当に戦車のようです。博物館などに保存されているのではない、放置された太平洋戦争時の「兵器」にお目にかかるのは初めてです。
太平洋戦争中の車両だとすると相当な年月が経っているはずなのに、転輪にはめられたゴムが残っていたのは意外でした。
軍モノは詳しくないのですが、この戦車は旧日本軍の「九七式中戦車」だそうです。松本零士のマンガで「鉄の棺桶」と言われていた戦車ですね(日本軍の戦車は全部そうだったかな?)。
調べてみると昭和12年に制式化された戦車で、歩兵支援を想定して造られていたため、米軍戦車などを相手とした対戦車戦では相当苦戦したようです。
装甲が必要な部分だったのかはわかりませんでしたが、かなり鉄板(?)が薄い気がします。永い年月によって錆びて薄くなったという感じではありませんでした。
完全に錆びついた砲塔。
六十年の歳月によって、人を殺すための道具、いや、実際に殺してきたかもしれない道具は、ただの鉄の塊と化していました。
……風と波の音しか聞こえない海岸で、その隔たりを想うと軽く眩暈を覚えます。
二度と回らないキャタピラ。
二度と動かないトランスミッション。
そして二度と回らないプロペラシャフト。
しばらくその傍らで、この九七式中戦車が辿ってきた歴史に想像を巡らせていましたが、あまりの寒さに耐えられなくなり、引き上げることにしました。
一応これがちゃんとした姿の九七式中戦車です。
ちなみに海岸のほうの九七式中戦車の話ですが、実は元は半分崖の中に埋まっていたそうです。それを那須の「戦争博物館」のオヤジが引き取ることになり、崖の中から掘り出してしまいました。本当は埋まっているところを見に行くつもりだったのに、のんびりしていたらそんな事態になってしまったので、あわてて見に行ったという次第です。
もうひとつちなみに、昔この海岸のあたりには砲弾の処分場があり、そのため「砲弾海岸」と呼ばれているようです。この九七式中戦車もその関係で捨てられたのか、あるいは米軍上陸に備えて置かれたものが敗戦後埋められたのかは、はっきりしません。
※このあと、この戦車は那須の「戦争博物館」まで運ばれ、敷地内に展示(放置?)されているので、現在この場所には何も残っていません。
神奈川県三浦市雨崎
色々考えさせられた度:★★★★★
END
(2006.1)
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