CONCEPT
楽しさを超える、本物の音楽を奏でる喜びを
基礎をしっかりと築き、本当の音楽へ導くレッスンを行っています。
一人ひとりと じっくり向き合う
「一人ひとりとじっくり向き合いたい」という想いから、レッスン時間は長めに取ってあります。
時間をかけて向き合うことで、講師との信頼関係を築くとともに、音楽とも ゆったりと関わってほしいと思うからです。
お子様のレッスンでは、何より「自立」を大切にしています。
自分でカバンを持つ、靴をそろえる、自分でレッスンの準備をするなど、
どんなに小さなお子さんでも、自分でできることは、自分でしていただくようにしています。
レッスンの中でも「自分の意思で決定する場面」を設けることによって、
主体的にレッスンに取り組めるように工夫しています。
また、成長や心理状態に寄り添いながら、表面的な楽しさではなく、
基礎を大切に、音楽を演奏するとはどういうことかを伝えています。
大人の方のレッスンでは、使用する教材やレッスンの方向性、学びたいことや、レッスンに望むことなどを、
ご本人とじっくり相談しながら決めていきます。
生徒の意思を何より大切にするようにして「どのようなレッスンにしていくか」を一緒に考えていきます。
もちろん意思を尊重するだけでなく、教材や方向性に関しては、よりよい方向に向かえるよう、
できるだけたくさんの選択肢を提示して、適宜アドバイスをさせていただいています。
当教室では、レッスンは基本的に 1 対 1です。
小さなお子様がレッスンを受ける場合も、レッスン中は保護者の方はレッスン室に入室できません。
当教室では、オリジナルのレッスンノートを使用します。
レッスンノートは、生徒や保護者の方へのメッセージと、練習メニューをレッスン毎に書いています。
「この曲を練習しておいてね」と言われても、練習の仕方が分からないということはよくあります。
練習習慣を身につけるため、また、練習の仕方を覚えるために、
練習メニューを私が考え、レッスンノートに順番に書きます。
習い始めてしばらくの間や、新しい練習メニューを追加する際は、練習の仕方をレッスンします。
保護者の方がレッスンに付き添い、ご自宅でもつきっきりで練習をしていますと、
確かに初期段階での成長は早いですし、正直なところ指導者もその方が楽な点も多いです。
しかし、自立は遅れます。
やがてお母様の手に負えない段階に来た時に、
自分でどうにかする力を養えていないので、そこから成長がパタリと止まります。
そして、おうちで練習する際、お母様が母親ではなく指導者になってしまいますと、
何かあった時の子供の逃げ場がなくなります。
私は、お母様にはお母様でいて欲しいと思っています。
指導者はいくらでもいますが、子供にとって「お母さん」はたった一人なのです。
それから、一見簡単そうに指導しているように見えることも、常に先を見越したレッスンをしています。
また、教えるときの言い回し一つで、生徒の受け取り方や理解の仕方が違いますし、
音楽に与える影響が全く違ってきますので、生徒に合わせて指導方法を変えています。
お母様がレッスンに同伴し、家での練習に付き添う際、お母様としては指導者の代弁をしているつもり、
指導者と同じことを言っているつもりでも、指導者の意図を汲み取りきれず、
言い回しが変わり、結果として指導目的がズレていってしまうこともあります。
家での練習の仕方はレッスンで教えますが、
もし自宅に帰って練習をする時、やり方を忘れてしまってもそれでいいのです。
「家で練習の仕方が分からなくて困った」という経験そのものが、子供には必要なのです。
それが「次はちゃんと先生の話を聞こう」「やり方を覚えて帰ろう」という姿勢を生み出していきます。
そうやって、レッスンを受ける姿勢、人に教わる態度が育っていきます。
これが、お母様がレッスンに同室されていると、「お母さんが話を聞いているから大丈夫」と甘えが出てしまいます。
ピアノのレッスンは、新しいことを覚えるだけ、練習の成果を見せるだけではないのです。
そして、ただピアノが上手に弾けるようになればいいというわけではないと思うのです。
音楽的な自立も含めて、子供たちを自立させるためには、
私は1対1でレッスンを受けるということは、とても大切なことだと思っています。
音楽的自立を促す
「先生に教えてもらわないと、どんな風に演奏すればいいのか分からない」
「先生がいないと、どうやって練習すればいいのか分からない」
これでは、いつまでたっても音楽を心から楽しむことはできません。
「こんな風に弾いてみたい」「こういう曲を演奏してみたい」
そう思える心を育み、それに対して自分自身で答えることができる。
自分で考え、自分で工夫して、自分なりの音楽表現ができるよう、初歩の段階から指導していきます。
総合的な音楽の力を身につける
たとえば「ピアノで演奏」をしてみることにしましょう。
ピアノで演奏するためには、まず楽譜を読まなければなりません。
楽譜を読むためには、楽譜上の記号や音符、約束ごとを知る必要があります。
楽譜上に書かれていることをピアノを使って再現するためには、演奏法を知る必要があります。
求められている演奏をするために、演奏テクニックを知る必要があります。
テクニックを習得するために、練習方法を知る必要があります。
作曲家がどんな気持ちで曲を書いたのかを知るために、曲の分析方法を知る必要があります。
ひとくちに「ピアノで演奏する」といっても、そこには実に多くの要素がふくまれています。
テレビをみていて「この曲を弾いてみたい !」と思ったとき、
その曲をいくらかでも聴きとることができれば、すぐにでも弾いてみることができます。
「今度の発表会では どんな曲を弾こうか」と思ったとき、
楽譜を見ておおまかにでも、すぐに弾いてみることができれば、何曲か弾き比べてみることもできます。
「なにげなく口ずさんだメロディー」それは立派な「作曲」です。
楽譜の書きかたを知っていれば、ふと思いうかんだ素敵なメロディーを、
忘れないうちに楽譜に書きとめることもできます。
伴奏のつけかたを知っていれば、そのメロディーに伴奏をつけることもできるのです。
演奏法・テクニック・音楽性・想像力・読譜、楽曲分析・練習方法
聴音・初見奏・ソルフェージュ、伴奏づけ・作曲・・・
ピアノを演奏するだけにとどまらず、「総合的な音楽の力」を身につけることを目標としています。
総合的な音楽の力を身につけることは「音楽的自立を促す」ことにもつながっていきます。
指し示し、導く
「ピアノ講師はピアノだけ教えていればいい」
「しつけは、家庭内でやるべきこと」このようにおっしゃる方がいます。
けれでも、24時間監視でもしない限り、父親や母親が、子供の全てを把握するのは不可能です。
私たち大人も、かつては子供だったはずなのに、大人になると、子供の頃の気持ちや、
自分の目で見ていたものを忘れてしまう大人が、あまりに多いように感じます。
子供は、大人が思っているより、はるかに賢く、そして敏感です。
少なくとも、私が子供の頃、大人が思っているよりもずっと、大人の考えを見抜いていました。
どんなに小さな子でも、パパに見せる顔、ママに見せる顔、
おじいちゃんに見せる顔、おばあちゃんに見せる顔、兄弟に見せる顔、
幼稚園の先生に見せる顔、お友達に見せる顔、習い事の先生に見せる顔、
本当にいろいろな顔を持っています。
私は、子供は親だけが育てるものではないと思っています。
幼稚園や学校の先生、学校という小さな社会、地域の人々、
習い事で関わる大人たち、そして、子供の周りに存在する仲間たち。
一対一という、濃密で、しかも比較的長期間に渡って成長を見守ることができるピアノ講師というのは、
子供たちが関わる数少ない大人の中で、かなり存在感の強い生き物だと思っています。
ですから「ピアノだけ教えればいい」とは思いません。
生徒を、我が子のつもりで関わっています。
我が子なら叱るのに、他人の子だと目を瞑ってしまう。
そういう先生にはなりたくないと思っています。
ピアノ以外のことも教えます。
そして「ピアノだけを教える」というのは、実はすごく難しいことだと思います。
なぜなら、音楽は、その人自身だからです。
生徒の中にあるものを引き出すのは、相当な苦労が伴います。
生徒の中に、たくさんの引き出しを作るのも、相当な年月が必要です。
そして、生徒の中から引き出したものでないと、音楽にはならないのです。
先生とは、先を生きる人。先生とは、指導的立場の人。
そして、指導者とは、その生徒が行くべき道を指し示し、導く者。
知識や技術を表面的に教えることは、真の指導者ではないと思います。
私は、真の指導者になりたい。
今感謝されなくていいから、大人になってから、
「あの時、先生はこんなにも私のことを思ってくれていたのか」と思い出してもらえる先生になりたい。
いつまでも、熱い先生でいたいです。
螺旋階段
些細なことで、指導者への信頼が揺らぐこともあるので、
納得してもらうのに時間を要することもあります。
ミスをしなかったら100点というわけでもありません。
そういうことで判断したくなるようです。
ですから、不安を抱える度に、生徒本人に、また、保護者の方にお話しています。
進度はさほど重要ではないこと、難しい曲を弾けることが必ずしもいいことではないこと。
「ピアノを弾く」ということは、楽譜を正確に再現することではありません。
ピアノを弾いていることになるのだと思っています。
私のレッスンは、表面的には簡単なことをさせているように見えます。
まだまだ、先の話だと思いますが、螺旋階段を、一生懸命登っている生徒たちが、
気づき
そして、その応用を考える。
真っ白な紙を渡すと戸惑う日本人、何をすればいいか分からないと悩む日本人、
「発見」ができる子たちが増えることです。
そんなことを繰り返しているうちに、着眼点が分かってきて、自ら答えられるようになっていきます。
「次はこの曲だね」とページをめくった途端、何か発言するようになっていきます。
もう1つは、山と谷のラインを1本ずつ書いてくれました。
この2曲が似ていると感じられること。
言葉で伝える
生徒が得られる知識、技術、音楽性はすごく変わると思うんです。
なかなか弟子が育っていないケースもあります。
どの言葉で、生徒の耳に・頭に・心に届いたのか、察知する能力にも長けています。
指導者にとって、言葉はとっても大切なツールということです。
さぼってもいいよね?
私の手作りです。
その保護者の方とのやりとり部分を生徒と私のやりとりに使いたいと言ってくれたので、
人からものを教わる姿勢を身に着けることは、とても重要なことだと思っています。
子供はのびのびとこのような発言もしてくれるわけです。
しかること
そのパターンから外れた言動をとり、意表をつきます。
「叱るのは、あなたを大切に思っているから」ということを分かってもらうことです。
ほめること
「努力すれば、成功するとは限らないが、努力しなければ、成功はありえない」というのがあります。
そういう子に対しては、ケアが一段と難しくなります。
努力や過程を認め、褒めるようにしています。
いつの日か
少しずつ、少しずつ、歩みを進めていってください。
先生は、時に先の方から「早くおいで」とあなたを呼びます。
歌いながら、手をつないで歩くこともあります。
上り坂が辛そうな時は、背中を押してあげます。
転んだ時は、必ず駆け寄って、助け起こしてあげます。
そしていつか、先生の先を、自分の足で、どんどん歩いていってください。
自信に満ち溢れた背中を見守る日がやってくるのを楽しみにしています♪