初心者から音楽受験生、本格的に音楽を学びたい方まで基礎から丁寧に指導します
 
関根希美子音楽研究会

 
 
 

     

CONCEPT

指導方針

楽しさを超える、本物の音楽を奏でる喜びを

 

良質な教育で、心も育てる。
ただの習い事ではない、ピアノレッスンを行っています。
 
一人ひとり、愛情と時間もかけて育てているので、たくさんの生徒を抱えることはできませんが、
初心者から本格的に音楽を学びたい方まで、
基礎をしっかりと築き、本当の音楽へ導くレッスンを行っています。
 
表面的な楽しさではなく「真に音を奏でる喜び」を伝えることをモットーとしております。
 

一人ひとりと じっくり向き合う


「一人ひとりとじっくり向き合いたい」という想いから、レッスン時間は長めに取ってあります。
時間をかけて向き合うことで、講師との信頼関係を築くとともに、音楽とも ゆったりと関わってほしいと思うからです。
 
お子様のレッスンでは、何より「自立」を大切にしています。
自分でカバンを持つ、靴をそろえる、自分でレッスンの準備をするなど、
どんなに小さなお子さんでも、自分でできることは、自分でしていただくようにしています。
レッスンの中でも「自分の意思で決定する場面」を設けることによって、
主体的にレッスンに取り組めるように工夫しています。
また、成長や心理状態に寄り添いながら、表面的な楽しさではなく、
基礎を大切に、音楽を演奏するとはどういうことかを伝えています。
 
大人の方のレッスンでは、使用する教材やレッスンの方向性、学びたいことや、レッスンに望むことなどを、
ご本人とじっくり相談しながら決めていきます。
生徒の意思を何より大切にするようにして「どのようなレッスンにしていくか」を一緒に考えていきます。
もちろん意思を尊重するだけでなく、教材や方向性に関しては、よりよい方向に向かえるよう、
できるだけたくさんの選択肢を提示して、適宜アドバイスをさせていただいています。
 
当教室では、レッスンは基本的に 1 対 1です。
小さなお子様がレッスンを受ける場合も、レッスン中は保護者の方はレッスン室に入室できません。
当教室では、オリジナルのレッスンノートを使用します。
レッスンノートは、生徒や保護者の方へのメッセージと、練習メニューをレッスン毎に書いています。
 
「この曲を練習しておいてね」と言われても、練習の仕方が分からないということはよくあります。
練習習慣を身につけるため、また、練習の仕方を覚えるために、
練習メニューを私が考え、レッスンノートに順番に書きます。
習い始めてしばらくの間や、新しい練習メニューを追加する際は、練習の仕方をレッスンします。
 
保護者の方がレッスンに付き添い、ご自宅でもつきっきりで練習をしていますと、
確かに初期段階での成長は早いですし、正直なところ指導者もその方が楽な点も多いです。
 
しかし、自立は遅れます。
やがてお母様の手に負えない段階に来た時に、
自分でどうにかする力を養えていないので、そこから成長がパタリと止まります。
そして、おうちで練習する際、お母様が母親ではなく指導者になってしまいますと、
何かあった時の子供の逃げ場がなくなります。
私は、お母様にはお母様でいて欲しいと思っています。
指導者はいくらでもいますが、子供にとって「お母さん」はたった一人なのです。
 
それから、一見簡単そうに指導しているように見えることも、常に先を見越したレッスンをしています。
また、教えるときの言い回し一つで、生徒の受け取り方や理解の仕方が違いますし、
音楽に与える影響が全く違ってきますので、生徒に合わせて指導方法を変えています。
 
お母様がレッスンに同伴し、家での練習に付き添う際、お母様としては指導者の代弁をしているつもり、
指導者と同じことを言っているつもりでも、指導者の意図を汲み取りきれず、
言い回しが変わり、結果として指導目的がズレていってしまうこともあります。
 
家での練習の仕方はレッスンで教えますが、
もし自宅に帰って練習をする時、やり方を忘れてしまってもそれでいいのです。
「家で練習の仕方が分からなくて困った」という経験そのものが、子供には必要なのです。
それが「次はちゃんと先生の話を聞こう」「やり方を覚えて帰ろう」という姿勢を生み出していきます。
そうやって、レッスンを受ける姿勢、人に教わる態度が育っていきます。
 
これが、お母様がレッスンに同室されていると、「お母さんが話を聞いているから大丈夫」と甘えが出てしまいます。
 
ピアノのレッスンは、新しいことを覚えるだけ、練習の成果を見せるだけではないのです。
そして、ただピアノが上手に弾けるようになればいいというわけではないと思うのです。
音楽的な自立も含めて、子供たちを自立させるためには、
私は1対1でレッスンを受けるということは、とても大切なことだと思っています。
 

音楽的自立を促す


「先生に教えてもらわないと、どんな風に演奏すればいいのか分からない」
「先生がいないと、どうやって練習すればいいのか分からない」
これでは、いつまでたっても音楽を心から楽しむことはできません。
 
「こんな風に弾いてみたい」「こういう曲を演奏してみたい」
そう思える心を育み、それに対して自分自身で答えることができる。
 
自分で考え、自分で工夫して、自分なりの音楽表現ができるよう、初歩の段階から指導していきます。
 

総合的な音楽の力を身につける


たとえば「ピアノで演奏」をしてみることにしましょう。
ピアノで演奏するためには、まず楽譜を読まなければなりません。
楽譜を読むためには、楽譜上の記号や音符、約束ごとを知る必要があります。
楽譜上に書かれていることをピアノを使って再現するためには、演奏法を知る必要があります。
求められている演奏をするために、演奏テクニックを知る必要があります。
テクニックを習得するために、練習方法を知る必要があります。
作曲家がどんな気持ちで曲を書いたのかを知るために、曲の分析方法を知る必要があります。
ひとくちに「ピアノで演奏する」といっても、そこには実に多くの要素がふくまれています。
 
テレビをみていて「この曲を弾いてみたい !」と思ったとき、
その曲をいくらかでも聴きとることができれば、すぐにでも弾いてみることができます。
「今度の発表会では どんな曲を弾こうか」と思ったとき、
楽譜を見ておおまかにでも、すぐに弾いてみることができれば、何曲か弾き比べてみることもできます。
「なにげなく口ずさんだメロディー」それは立派な「作曲」です。
楽譜の書きかたを知っていれば、ふと思いうかんだ素敵なメロディーを、
忘れないうちに楽譜に書きとめることもできます。
伴奏のつけかたを知っていれば、そのメロディーに伴奏をつけることもできるのです。
 
演奏法・テクニック・音楽性・想像力・読譜、楽曲分析・練習方法
聴音・初見奏・ソルフェージュ、伴奏づけ・作曲・・・
ピアノを演奏するだけにとどまらず、「総合的な音楽の力」を身につけることを目標としています。
総合的な音楽の力を身につけることは「音楽的自立を促す」ことにもつながっていきます。
 

指し示し、導く


「ピアノ講師はピアノだけ教えていればいい」
「しつけは、家庭内でやるべきこと」このようにおっしゃる方がいます。

確かに、しつけの基本は家庭です。
けれでも、24時間監視でもしない限り、父親や母親が、子供の全てを把握するのは不可能です。
私たち大人も、かつては子供だったはずなのに、大人になると、子供の頃の気持ちや、
自分の目で見ていたものを忘れてしまう大人が、あまりに多いように感じます。

子供は、大人が思っているより、はるかに賢く、そして敏感です。
少なくとも、私が子供の頃、大人が思っているよりもずっと、大人の考えを見抜いていました。
どんなに小さな子でも、パパに見せる顔、ママに見せる顔、
おじいちゃんに見せる顔、おばあちゃんに見せる顔、兄弟に見せる顔、
幼稚園の先生に見せる顔、お友達に見せる顔、習い事の先生に見せる顔、
本当にいろいろな顔を持っています。
私は、子供は親だけが育てるものではないと思っています。
幼稚園や学校の先生、学校という小さな社会、地域の人々、
習い事で関わる大人たち、そして、子供の周りに存在する仲間たち。

一対一という、濃密で、しかも比較的長期間に渡って成長を見守ることができるピアノ講師というのは、
子供たちが関わる数少ない大人の中で、かなり存在感の強い生き物だと思っています。
ですから「ピアノだけ教えればいい」とは思いません。
生徒を、我が子のつもりで関わっています。
我が子なら叱るのに、他人の子だと目を瞑ってしまう。
そういう先生にはなりたくないと思っています。

ピアノ以外のことも教えます。
そして「ピアノだけを教える」というのは、実はすごく難しいことだと思います。
なぜなら、音楽は、その人自身だからです。
生徒の中にあるものを引き出すのは、相当な苦労が伴います。
生徒の中に、たくさんの引き出しを作るのも、相当な年月が必要です。
そして、生徒の中から引き出したものでないと、音楽にはならないのです。

先生とは、先を生きる人。先生とは、指導的立場の人。
そして、指導者とは、その生徒が行くべき道を指し示し、導く者。
知識や技術を表面的に教えることは、真の指導者ではないと思います。
私は、真の指導者になりたい。
今感謝されなくていいから、大人になってから、
「あの時、先生はこんなにも私のことを思ってくれていたのか」と思い出してもらえる先生になりたい。

いつまでも、熱い先生でいたいです。

螺旋階段


私のレッスンの指導イメージは、螺旋階段です。
螺旋階段は、登っている実感が乏しいですし、ふつうの階段より無駄が多い感じがしますが、
ハタから見ると、安定した円柱を描きながら、確実に上を目指しているのが見えます。
 
けれでも、進度はそこそこだけど、中身のないレッスンは本当に困ります。
こちらは、例えるとエレベーターみたいなものです。
上昇するのは速いですが、中身はスカスカ、非常時には緊急停止、そして使用不可、急降下の可能性も否定できません。
螺旋階段のレッスンは、精神的なフォローが必要不可欠です。
特に、人と比べてしまうような保護者の方や生徒の場合、
些細なことで、指導者への信頼が揺らぐこともあるので、
納得してもらうのに時間を要することもあります。
 
音楽は、正解がなく、分かりやすいテストもなく、ミスをしたら下手というわけでもなく、
ミスをしなかったら100点というわけでもありません。
目に見える結果が得にくく、テキストの進度、お友達より難しい曲を弾いている、
そういうことで判断したくなるようです。

ですから、不安を抱える度に、生徒本人に、また、保護者の方にお話しています。
進度はさほど重要ではないこと、難しい曲を弾けることが必ずしもいいことではないこと。
ただピアノを弾けるというだけでは、何も残らないこと。
楽譜を読むということは、音符の高低や長さが分かるだけではないこと。
そういうことをお伝えしています。
 
「ピアノを弾く」ということは、楽譜を正確に再現することではありません。
楽譜の奥にある作曲家の想いを汲み取り、そこに自分の想いやイメージを乗せて演奏できて初めて、
ピアノを弾いていることになるのだと思っています。
楽譜のコピーでもなく、先生や誰かのコピーでもなく、その子自身の演奏ができた時、
初めて、その子がピアノを弾く意味が生まれるのだと思っています。
 
ですから、音の高低やリズムを正確に把握するために、楽譜のルールを学びます。
さらに、その曲にふさわしい音色で表現するため、演奏技術を学びます。
また、あらゆる感情、イメージ、経験・・・たくさんの引き出しを作っていくために、
レッスン以外においても、多くの経験を積んでもらう必要があります。
そして、どう弾きたいか、何を伝えたいのか・・・また、それを、どのように音に乗せるか。
それが、一番難しいことですが、それを目指してレッスンしています。

私のレッスンは、表面的には簡単なことをさせているように見えます。
テキストも、その生徒が演奏できるレベルよりずっと易しいものです。
でも、ハイレベルなことを要求しています。
 
みんな、よく頑張っています。
ときどき、ちゃんと登っているのか不安になる子もいますが、螺旋階段を、頑張って登っています。

まだまだ、先の話だと思いますが、螺旋階段を、一生懸命登っている生徒たちが、
いつか、自分の登ってきた螺旋階段を見て、誇りに思える日がやってくることを心から願っています。

気づき


レッスンで大切にしていることは山ほどありますが、その一つが「気づき」です。
楽譜を見て、何でもいいから、自分で発見できる子、何か気づくことがある子、そんな子になってほしいと思っています。
しかし、いきなり気づかせようと思っても、発見させようと思っても、なかなか難しいのが現状です。
特に日本の教育は、私自身が受けてきたものもそうですが、「発見」する力を育てる教育ではありません。

まずは教わる。
そして、その応用を考える。
日本人、日本の企業は、国外の方が発見・発明したものを、より素晴らしいものに極めていくのが得意と言われますが、
そういう教育の賜物ではないかと思います。

真っ白な紙を渡すと戸惑う日本人、何をすればいいか分からないと悩む日本人、
「例」を欲しがる日本人、「例に倣う」ことで安心感を求める日本人。
 
私の願いは、白紙をもらって喜ぶ子が増えること、
「発見」ができる子たちが増えることです。
 
楽譜は作曲家が作った暗号文、宝島の地図。
本来、楽譜を見ると、ドキドキ、ワクワクするはず。
なのに、新しい曲に入ると、譜読みが面倒、苦痛・・・となってしまうのは、本当にもったいないことです。
 
というわけで、レッスンでは、楽譜を見て発見ができる子になるよう、常に問いかけます。

「何か気づいたことない?」
「何か発見したことはない?」
習い始めて間もない頃は、この問いかけに固まる子供たち。
 
「上の段と下の段、同じリズムでできてるんだよ!」
「右手と左手、同じ音だね」
「この曲は、ドとソの音しか出てこないんだよ」

そんなことを繰り返しているうちに、着眼点が分かってきて、自ら答えられるようになっていきます。
私と、3年、4年と共に過ごしてきた子ども達は、
「次はこの曲だね」とページをめくった途端、何か発言するようになっていきます。
 
「あっ!音は違うけど、右手と左手、同じ模様だね」
「この曲、ユニゾンの曲だ~」
「あれ?・・・あっ、1段ずつ同じリズムだ!ラッキー♪ リズムうちが簡単だ」・・・などなど。
 
今日も「今日の宿題はこの曲だよ」と言うと、
生徒が「あれ?この曲、この前やった曲に似てるなぁ」と言い出しました。
 
「お~!スゴイじゃない!
 今ね、ついこの前やった曲にソックリだけど、どの曲か分かる?って聞こうと思ったところなんだよ!」
私がそう言うと、目がキラキラと輝きだしました。
 
「ホント?僕、先生が質問する前に気づいちゃったね。
 それにさー・・・、先生、鉛筆貸して!この前やった曲は、こんな風で、今日習う曲は、こんな風になってるね!」
 
楽譜の空いているスペースに、鉛筆で、1つは山型のラインを2本平行に書き、
もう1つは、山と谷のラインを1本ずつ書いてくれました。
 
ついこの前やった曲は、
 右手:ドレミファソファミレドレミファソファミレ
 左手:ドレミファソファミレドレミファソファミレ
と平行に演奏します。
 
今回勉強する曲は、
 右手:ドレミファソファミレドレミファソファミレ
 左手:ドシラソファソラシドシラソファソラシ
と対称に演奏します。
それを説明してくれたのです。

この2曲が似ていると感じられること。
音符の粒々をラインで捉えられていること。
平行と対称を、数学的に学んでないけれど、理解していること。
そして、それを、私に伝える方法を確立していること。
本当にすばらしいと、深く感動しました。
 
「スゴイスゴイ!!!それを先生は説明しようと思ってたんだけど、自分で発見できたんだね!
 この前習ったのに似ていることに気づいて、しかも、2つの曲の似ているところ、違うところを、
 先生に上手に説明までできて、ビックリ!スゴすぎるよ~~~~~~!!!」
と、生徒にも感動を伝えました。
 
生徒は「そんなに褒められると恐縮です」だそうで、どこまでもかわいい子なのでした。

言葉で伝える


私はレッスンで、とにかくしゃべります。
説明して、語って、歌って・・・喉が休まる時はありません。
 
例えば、
「ワルツは3拍子の舞曲です。」と説明する先生と、
「ワルツがどんな踊りで、どうして3拍子なのか」を説明する先生。
 
「フォルテと書いてあるから、ここは強く。」と説明する先生と、
「どうしてここはフォルテなのか」を解説する先生。
 
「書いてある指使いで弾きなさい。」と指示する先生と、
「何故、この指使いで書いてあるのか」を説明してくれる先生。
 
皆さんは、前者と後者、どちらの先生のレッスンが受けたいですか?
 
同じ教材を使っても、指導者の説明次第で、
生徒が得られる知識、技術、音楽性はすごく変わると思うんです。
ですから、一生懸命、言葉を使います。
できるだけ、伝えたいことにぴったりと合う言葉を探します。
 
私自身がレッスンを受けたり、聴講したりして、素晴らしいと思う先生は、
どの先生も、ピアノを弾いて、歌って、たくさんの言葉で語る方です。
生徒が、言われたことを、その場でできるかどうかではなく、「理解すること」を大切にしてくださる方です。
生徒が、今できなくてもいいから、理解して、家に持ち帰り、時間がかかってでも消化できるようにしてくださる方です。
 
「何だかよく分からないけど、先生のレッスンを受けてる間は上手く弾ける。
 でも、家に帰ると、何か違う気がしてよく分からない。先生の側を離れると、途端に上手く弾けない」
なんてケースがあります。
要するに、マジックにかかっている状態です。
 
そういう先生は、演奏家として、とっても魅力的な先生であることが多いです。
オーラがあって、人を惹きつける魅力を持っています。
技術もありますし、音楽性も豊かです。
ただ、残念ながら、こういう先生は、先生ご自身は高く評価されていても、
なかなか弟子が育っていないケースもあります。
 
こういう先生を否定するつもりはありませんし、合う合わないがありますが、
自身のレベルがある程度のところまで行ってから師事しないと難しいですね。
少なくとも、このように感じる場合は、その先生に師事するには、時期尚早だと思います。
 
話を戻しまして「生徒の理解」を大切にしてくださる先生は、それぞれの先生によって様々ですが、
「伝える」ことが、本当に本当に上手です。
1つのことを伝えるのに、たくさんの表現方法を持っています。
生徒が理解しているかどうかの判断や、
どの言葉で、生徒の耳に・頭に・心に届いたのか、察知する能力にも長けています。
そして、その言葉を糸口に、あっと言う間に私の視野を、世界を、一回り広げてくれます。
 
私は、そんな指導者になりたいと思っています。
もちろん、指導者は言葉が全てではありませんが、
指導者にとって、言葉はとっても大切なツールということです。

さぼってもいいよね?


ぽこ あ ぽこ音楽教室には、レッスンノートというものが存在します。
私の手作りです。
 
1ページで1週間分となっている自慢のノートです。
 ・レッスン内容(これは本当に簡単に)
 ・練習メニュー記入欄&チェック表(これが目的)
 ・保護者の方へのメッセージ
 ・保護者の方からのメッセージ
生徒の毎日の練習習慣を身につけさせる道具として、かなり活躍してくれています。
そして、生徒の保護者の方との簡易コミュニケーションツールにもなっています。
 
小学校5年生の子が、今年に入って、
その保護者の方とのやりとり部分を生徒と私のやりとりに使いたいと言ってくれたので、
保護者の方へは欄外に記入し、生徒へのコメント欄にしました。
 
さて、本題です。
 先週1週間の練習のうち、お友達のお誕生日会の日に練習をしなかったらしいのですが、
「私はコンクールに出ないからいいよね? お誕生日会の時ぐらいサボってもいいよね?」
と書いてありました。
これを受けての生徒との会話です。
 
私 「コンクールに出ない人はサボってもいいんだぁ~。
   だったら、先生も、コンクールに出ない人のレッスンは、おさぼりしようかな~」
 
生徒「えっ?先生は何をサボるの?」

私 「手抜きレッスンをするの」
 
生徒 「えっ?レッスンって手抜きできるの?」
 
私 「できるできる!
   教えなくちゃいけないことを教えなければ手抜きでしょう?
   指番号間違えてて、あなたも気付いてなくて、ま、いっか~って注意しないことだってできるんだよ」
 
生徒「そっか・・・」
 
先生が子供に何てこと言うの?!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも、私は「レッスンは、生徒と2人で作るもの」と日頃から伝えています。
「先生だけが一生懸命頑張っても、あなた自身が努力しなければ成長しない」とも伝えています。
 
子供にとって、真に理解するのは難しいことだと思いますが、
人からものを教わる姿勢を身に着けることは、
とても重要なことだと思っています。
でも、師弟関係は厳しくありませんし、私の言うことは絶対ではないので、
子供はのびのびとこのような発言もしてくれるわけです。
 
この生徒のレッスンノートには、次のように書いておきました。
 
「コンクールの時に頑張るのはあたりまえ。
 コンクールがない時に頑張って初めて、本当の実力が身につきます」
 
でもね、うちの生徒たちは、本当に毎日毎日、よく練習しています。
だから、先生、本当は心の中で、「たまにはサボってもいいんだよ」と思っています。

しかること


最近の先生は叱らない、叱れない方も多いそうです。
叱った時や、叱った後の子供の反応が怖いそうです。
ピアノ講師の中には、叱ったら、ピアノを辞めると言い出すのではないか、と心配する方もいらっしゃいます。
 
確かに、叱るというのは難しいです。
褒めることより、ずっとずっと難しいです。
 
でも、私は叱ります。
大切な生徒だから、叱ります。
ステキな大人になって欲しいから、叱ります。
叱ってくれない人がたくさんいるから、叱ります。
 
私が子供の頃を振り返っても、本当に叱ってくれる人は少なかったなと思います。
叱られたその時は辛かったけど、やっぱり思い出すのは、真剣に叱ってくれた人たち。
そして、あの時叱られてよかったなと思います。
 
叱り方にも技やコツがあると思います。
私が大切にしているのは、3つのことです。
 
1つは、本人のために叱っていることを本人が理解できるようにしてあげること。
1つは、具体的にどんな言動、行動に対して、なぜ叱っているのか、理由や問題点を明確にすること。
1つは、ただ叱るだけではなく、本人ができる解決方法を必ず導き出すこと。
この3つには常に気をつけています。

子供のうちは、叱られているうちに、なぜ叱られているのかが分からなくなります。
意識を遠のかせ、大人のイライラが静まるのを待つという防衛本能が自然に働く子が大半です。
ぽろぽろと涙をこぼしても、しおらしく「ごめんなさい」と言っても、心の中では、それほど深くは反省していない子が大半です。
小さな頃から、どうすればこの不快な時間を短縮できるか、子供たちは学習しているのです。
そして、この時間が過ぎ去るのを、それまで学習した方法を使いながら耐えるのです。
 
叱られ慣れている子の場合は、特にこの傾向が強くなります。
そのため、私は、叱りながら、いつも家で叱られているパターンを見抜き、
そのパターンから外れた言動をとり、意表をつきます。
すると、ハッとして驚くほど話を聞きます。
 
叱られ慣れていない子の場合は、叱られたこと、そのものにショックを受け、
「先生に嫌われた」と思い、反省どころではなくなりますから、
なぜいけないかの説明は短めに、これからどうしていくかを考える時間を長めにとります。
 
どの子にも気をつけているのは、
「叱るのは、あなたを大切に思っているから」ということを分かってもらうことです。
 「叱るのは大変なんだよ。疲れるんだよ。先生だって、楽しくレッスンしたいんだよ。
 先生は、あなたを叱らないこともできるんだよ。
 あなたがどんな大人になってもいいわ~、ピアノが上手にならなくてもいいわ~、っと思ったら、先生は叱らないよ。
 お父さんやお母さんもそうだよ。叱ってくれる人は、あなたのことを大切に思ってくれている人だよ。」と、
必ず伝えるようにしています。
 
私の両親は、そう育ててくれました。
「お前のことを叱ってくれる人が、お前の味方だよ」と。
私は、今でもこの言葉を大切にしています。

ほめること


「叱るということ」について書いたので「褒めるということ」についても書こうと思います。
 
私も褒められるのは好きです。
うま~くおだててもらえると、喜んで人の倍、働きます。
しかし、ただ褒められれば気分をよくする人間でもありません。
 
自分にとって納得のいかない部分で褒められると、
「あ~、この人、私のこと何も分かってないなぁ」
「あ~、口先だけのお世辞ね」と思ってしまうところがあります。
 
大して努力してないのに褒められると、逆に気分が悪くなって、もっと努力しろと言われてるように感じます。
その人が、私を見て、心から感じたことを言ってくれたり、私という人間を理解した上でおだててくれないと、
相手に対する評価が下がってしまいます。
 
やはり褒めるのも、叱るのと同様、コツがあるように思います。
私が褒める時に大切にしているのは、3つのことです。
 
1つは、その人の持って生まれた素材を褒めること。
1つは、努力していることを褒めること。
1つは、理由なく褒めないこと。
 
まずは、その人をそのまま受け入れるということ。
人には必ず、その人の持つ魅力的な部分があります。
そこを見つけて褒めるのは、最も基本的なことだと思います。
 
そして、一般的な概念にとらわれないことも大切にしています。
一般的には、短所と言われる部分も、
私にとっては、長所であることがよくあります。
それに、どんなことでも、いい面と悪い面があり、
それは状況と相手によって、受け取られ方が変わると思っていますので、
本人が気にしている部分も「先生は、あなたのそういうところ、好きよ」と伝えています。
 
しかし、どんなに素材がよくても、才能があっても、磨かなければ、ただの石。
生徒たちには、努力することを強く推奨しています。
 
「あなたが、ピアノなんて上手にならなくてもいいって言うなら、先生は練習しなさいとは言わないよ。
 ピアノが上手になりたいなら、努力しなさい。」と言っています。
 
いっぱい頑張れば、頑張っただけ褒めます。
しかし、ほんの少し頑張っただけで、すごく努力したと思いたい子、思ってしまう子も多いです。
 
そんな子には、
「みんなに胸を張って私は頑張ったって言える? みんなに自慢できるぐらい頑張った?」と尋ねれば、
ちゃんと首を横に振ります。
不思議なものですが、どんなに小さな子でも、自分の限界は心得ているものです。
 
そして、この「努力を褒める」ということには、もう1つ重要な意味があります。
私の座右の銘の1つに
「努力すれば、成功するとは限らないが、努力しなければ、成功はありえない」というのがあります。
 
芸術的な分野に関しては、幼い頃から、厳しい世界を味わうことになります。
学校の国語や算数のテストなら、たくさん勉強して、ミスをしなければ満点が取れます。
しかし、音楽の世界は、ミスをしなかったからと満点をもらえるわけではありません。
毎日何時間も練習したからと言って、コンクールで1位がとれるわけではありません。
 
小さな子供たちが、それを理解するのは本当に大変なことです。
特に「努力すれば報われる」と教わっている子、認識している子が意外と多く、
そういう子に対しては、ケアが一段と難しくなります。
 
「間違えずに弾いたのに、どうして?」「上手に弾けたと思うのに、どうして?」「毎日練習したのに、どうして?」
そう尋ねられて困ってしまった保護者の方も多いのではないでしょうか。
 
ですから、結果だけを褒めるようなことはしません。
結果を褒めすぎると、子供たちは、過剰に「結果を出さなくちゃ」と思ってしまいます。
結果にとらわれない子になるよう、いい結果が残せなかったら諦めてしまう子にならないよう、
努力や過程を認め、褒めるようにしています。
 
ちなみに、さほど努力していないのに、コンクールで賞をいただけた時は、
「今回はちょっとラッキーな受賞だったと思うよ」と伝えています。
努力せずに得られたものを過剰に褒めると、大して努力しなくてもいいと思うようになります。
 
そして最後に、叱るのも褒めるのも、理由が必要です。
他の人がどう思っているかは全く関係なく、とにかく私自身が、どう感じたのか、
どういうところに賞賛をおくっているのかを明確に伝える必要があると思っています。
 
時々「なるほど」とか「スゴイね」などとしか言わない方に遭遇しますが、上辺だけに感じます。
どこが「なるほど」で、何が「スゴイ」のか、結局分かりません。
 
私は、感嘆符や相槌のみではなく、できる限り言葉にして、感じたことを伝えるようにしています。
 
曲に花丸をつける時も、「よかったよ」「上手だったよ」だけでなく、
「心の中で歌ってたね。ブレスもできてたし、やっぱり、心の中で歌ってる時は、ピアノの音も違うね!」
「気をつけることを、よく考えながら演奏できたね。」
「3拍子をよく感じて、軽やかに弾けてたよ。」などなど、できるだけ具体的に伝えています。
 
子供たちは、褒められるのが大好きです。
でも、何かをしながら話を聞き「へ~、すごいじゃな~い」だけでは、子供たちは寂しい想いを抱えます。
 
叱る時も、褒める時も、全力です。

いつの日か


大きな一歩でなくてもいいから、たまには一休みをしてもいいから、
少しずつ、少しずつ、歩みを進めていってください。

先生は、時に先の方から「早くおいで」とあなたを呼びます。
歌いながら、手をつないで歩くこともあります。
上り坂が辛そうな時は、背中を押してあげます。
転んだ時は、必ず駆け寄って、助け起こしてあげます。

そしていつか、先生の先を、自分の足で、どんどん歩いていってください。
自信に満ち溢れた背中を見守る日がやってくるのを楽しみにしています♪

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