今回は当初姫路城を訪ねるのを主目的にしていた。それが姫路について歩き出したとたんに、先ずは何はともあれ懐かしい分校跡地を見てみようじゃないかと衆議一決、天気も雲ひとつない小春日和なのでのんびり歩いていくことにする。徒歩で確か1時間弱掛かったというものや、いや40分位でいけるともうこのあたりで記憶はボンヤリ曖昧、お互い確たる自信のないまま、山歩きはもう卒業だが平地なら未だいくらでもなどと強がるのもいて、かまびすしい。 見違える程広くなっている駅前通りに感心しながら右手の御幸通商店街を往く。最近はシャッター通り等といわれるアーケード街が多いのにここはずらりと綺麗でさまざまな店が並び、人通りもあって活気が感じられる。両側を見物しながら何か思い出せるような店はないかと目を凝らしたが、さすがにそれはなかった。例のタイ焼きの「御座候」も通りには見あたらなかった。大阪はじめ近在のデパートや主要な駅には出店が沢山あるのに。
20分ほどで城の入り口に立つ大手門前に着く。背後には平成の大修理を終えた姫路城が燦然と聳え立っていた。帰りに入場することにして、そこから少し眺めただけで左手に進む。直ぐに好古園というお屋敷跡庭園がある。城とその間の道を行く。「千姫の小径」と名ずけられている川沿いの小道は丁度紅葉のさかり、非常に綺麗だった(写真左)。その小道の端が石垣で作られたかっての城門?(同中)。誰かがこれに確かに見覚えがある、ここを通って寮に帰ったと。もともと大体の方角は皆お城の西後方と見当つけていたから、そこを抜けて住宅街に入る。小さな川が街中を流れていて暫くはそれに沿うように左手奥の方に進む。やがて少し広い通りに出た。それがかっての分校の前を通っている道だった。 それを更に左に数分進むと うろ覚えながら記憶のすみにある懐かしい分校の門柱に行き着いた。今はそれなりに化粧が施されているが形は紛れもなく昔のまま。扉があったかどうかは定かでないが現在は冒頭の写真のとおり立派なものが付いている。 これらの様子を目にした瞬間、一同は何ともいえない感激であった。跡はてっきりすっかり変わってしまっているだろうと思い込んでいたのが、思いも掛けず昔を偲ばせるに十分な姿形に感慨まさに一入。 早速撮った1枚が右のものだ。門札には右に「姫路工業大学」、左が「兵庫県立大学新在家キャンパス」となっていた。(これら名称の来歴は前項の 分校所在地の変遷 のとおり。)
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