国鉄時代の機関車を主としたページ DL編
Diesel Locomotives of Japan-National-Railroad and JR

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DD54

複線電化工事中の塚口-伊丹間を行く上り列車

写真から現在の下り線が複線化のため増設された線路であることがわかる。複線レールの新しい砕石がまぶしかった。
この区間には1981年に猪名寺駅が開業する。
DD54 22 , 1976年夏, ハーフサイズカメラで撮影


神崎川西岸にある製紙工場前を通過するDD54牽引上り列車
製紙工場から尼崎駅まで引込み線がありロッドを動かし動輪を回す小型DLが貨物を移動させていた。 平屋木造家屋、どぶ川、1970年代の光景。
ハーフサイズカメラで1977年撮影


大阪駅へ到着したDD54 32牽引福知山線列車

福知山線上り列車は尼崎駅から東海道線列車線を通る。
鈍行列車も尼崎−大阪間では急行のように早く走行した。
ハーフサイズカメラで1977年撮影


DD54型式は、別の特集ページでも紹介しています。

DD54、DF50、DD13、いずれも現役を退いて久しいDLが並んでいるスナップ
現在は給炭施設がなくなり京都鉄道博物館が建っている。 1976年梅小路にて



DD51

山陰線 和田山発721レ

大阪5:37発の福知山線下り始発列車、出雲市行。
牽引機がDD51に統一されつつあった1970年代、運用上の理由だったのだろうが、この始発列車はDF50が牽引していた。 この列車も70年代末にはDD51牽引になった。
幹線には荷物列車が走り、地方幹線では長距離列車に荷物車を連結していた。

721レには2両の荷物車が連結されている。和田山に10:14着、19分停車。
他の主要駅でも長時間停車し積荷作業、行き違いと追い抜かれる列車の退避をした。
終着の出雲市には19:51着。14時間14分走る長距離各駅停車。山陰線には他に浜田、米子行きなど走っていた。
文中の時刻は1978年時刻表より引用。1982年5月撮影
大画像の表示 / large picture (81kB)


DD51 46

1966年製造、基本番台の最終グループ(第6次)車。
非重連型。端梁にはブレーキとSG用ホースのみ付いている。吹田第一区のDLだが、定期列車を牽引している。
基本番台のDD51はJRへ引き継がれず全て廃車になった。
尼崎駅にて1979年5月撮影


DD51動力伝達

京都鉄道博物館のDD51 756 は床からかさ上げしたレール上に展示してあり、 ピットから車体下回りを見上げるように観察できる。 DD51動力台車の仕組みを見れる貴重な展示だと思う。
参考イラスト 赤い部分がディーゼル機関、肌色部は液体変速機、黄色部は第一減速機と第二減速機
2019年1月撮影


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DD13

尼崎港線の混合列車を引くDD13

福知山線の支線だった尼崎港線は1970年代に朝夕1本の混合列車、他に貨物列車があった。 混合列車は川西池田発だった。「川西池田-尼崎港」の行き先表示板をつけた客車は日中川西池田構内に留めてあった。 末期は塚口発になり1981年旅客営業廃止、1984年貨物営業廃止。
東海道線との交差付近の他は良い撮影場所が見つからず、ほとんど写さなかったのが残念。
尼崎−金楽寺にて 1976年ハーフサイズカメラで撮影

JR北伊丹駅近くの民家に旧尼崎港駅の駅名標があるのを発見。
本物と思われる。2007年 道路から撮影

東灘操車場の機関庫

東海道線 灘−六甲道 間にあった東灘操車場の六甲道駅寄りの山側にはSL時代からの転車台と木造機関庫が あり、電車からも見えていた。
1979年9月 道路から撮影 DD13 369(姫路第一)


DD13 175

DD13は尼崎駅構内での入れ替えや小運転風景を毎日のように見ていたが、平凡なDLのため プラットホームのそばに停車していてもあまりカメラを向けることのないまま消えてしまった。
175号機は吹田第一機関区配置だった。 尼崎駅にて 1980年5月 リコー500GS,Tri-Xにて撮影

尼崎駅1番線ホームから写したDD13 175全景と当時の構内

池袋駅のDD13

山手線池袋駅に停まる一つ目DD13 7牽引の貨物列車。
1978年2月撮影


池袋を通過するEF15牽引貨物列車

上記DD13の横を通過する貨物列車。 当時の国鉄池袋駅は赤羽線と山手線二つのホームしかなく、東口との間には貨物ヤードがあった。


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DD15 40

敦賀駅にて1981年2月撮影。
積雪期にラッセル装置を付けず入れ替え作業をしていた。 当時敦賀区には複数のDD15が配置されてたためで、除雪機と入れ替え機と別々に使われていた。 厚い雪雲のため昼間なのに低速シャッターでの撮影だった。


DD15 9

1986年7月 敦賀機関区公開にて。
ラッセル装置が付けられていた。



DD14 326

1986年7月 敦賀機関区公開にて。
DD13と同じ駆動部品で作られたロータリー除雪用機関車。 片運転台、背の高いボンネット。
運転台側の除雪装置。全てが初めて見る現役の実物だった。


DD14の手前にDD15 , 奥にDE15が展示してあった。 夏に除雪装置を取り付け、一般公開していただき感謝。



DD14

大阪からの列車が敦賀駅を発車して直ぐの所にSL時代の扇形庫があり、DD14が待機していた。 北陸トンネルに入る前の見所だった。1987年3月車中より撮影



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DD50

米原駅構内のDD50

片運転台のDD50は二両を背中合わせに常時重連で使われ、 晩年は米原−田村間デッドセクションでの中継に運用されていた。
二両連結の右手前が1954年製二次車DD50 5、右奥が1953年製一次車DD50 2で両者はデザインが少し異なる。 1977年4月 一般道路より撮影
ホームから見える所にあったターンテーブルのそばに6両全機が休車・廃車後も数年間留置されていた。 1970年代後半、東海道新幹線で米原駅を通過する際DD50はおるか? と見るのが楽しみだった。
当時は他に東京までの間で、名古屋駅に停車しているEF64、豊橋のEF10、静岡操車場のEF18、 多摩川〜品川付近で貨物線を走るEF15を新幹線車窓から見るのが楽しみだった。

横800pix画像の表示 / large picture (112kB)


DE10

田村−坂田間のDE10

北陸線米原口の交直切り替え区間を通り、交流電気機関車EF70の待つ田村駅まで客車6両+荷物車2両の計8両の 普通列車を引く DE10。客車列車が毎日普通に見ることができた。
この区間では、大型タンク機 E10が使われていた。SLからDLに代わったが同じ動輪数、 同じ形式番号の機関車が牽引していることに意味深く感じた。1977年4月 撮影

横800pix画像の表示 / large picture (98kB)

北陸線 米原駅付近電化関連事項
1956年   米原−京都間電化、東海道線直流電化完了。
1957年10月 田村−敦賀間交流電化。米原−田村間 E10蒸気機関車による間接接続方式の運転。
1962年12月 米原−田村間直流電化。交直流車両による車上切り替え方式の運転が可能になる。471,481系電車、ED30登場。
1963年 4月 金沢電化。定期急行電車運転開始。
1959〜1963年 E10順次廃車。代わりにD50,D51転入。
1969年   電化伸長によりDD50が富山区より転入。新鋭機DE10配置。無煙化。
1974年   湖西線開業。車上切り替え方式による敦賀−京都・大阪直通運転開始。
1977年   DD50廃車
1980年頃〜 余剰交流機関車廃車、敦賀−米原間もEF81交直流機による運用に代わる。
1985年   419系近郊電車投入により普通客車列車電車化。
1991年   田村−長浜間直流電化へ変更。JR西日本の新快速電車乗り入れ。
2006年   長浜−敦賀間直流電化へ変更。新快速電車乗り入れ。


DE11

吹田操車場のDE11

客貨万能機DE10の次に大操車場での作業専用で作られたDE11は横から見るとDE10と同じに見えた。 1976年車両配置表では吹田第一機関区にDE11 0番台が12両と試作機DE10 901が配置。 吹田操車場を通過する電車からは常に数両働いているのが観察できた。
写真は、ぞろ目のDE11 11。DL化前は吹田にD51 51も働いていた。 手前右端に写る軽トラックのような車両には「吹田貨車区」とペイント書きしてある。 あまり働いているのを見ていないが空荷で発進時は後輪がすごく空転しながら前進していた。

岸辺駅ホームより1975年11月ハーフサイズカメラ(Canon dial35)にて撮影。
1984年操車場廃止。レールがなくなり以後長期間、野ざらしになっていたが吹田貨物ターミナル駅が2013年開業した。


DE10 901

1967年(昭和42年)重入換用試作機として新製、吹田区に配置、ほぼ終生、吹田区で活躍した。
DE11の先行試作車と位置づけられている。 活躍当時、操車場を通過時に車窓から901を見つけると「今日はいい物を見た」気分になった。 末期はDD13に代わり貨物の小運転で尼崎駅ヤードで作業するのを見ることがあった。
1985年5月 尼崎駅にて撮影。(2008年3月記)

DE11 休車群

操車場での貨車の組み替え作業廃止により役目を終えた入れ替え用機関車DE11が多数並んでいた。
1987年4月 新鶴見操車場の陸橋より撮影。  



DE15 1518

敦賀にて1986年7月



DE50 1

岡山にて1986年5月
下り山陽新幹線が岡山駅を発車して宇野線を越えた所に機関区のターンテーブルがあり、見慣れないディーゼル機関車がいるのに気付いた。 コンパクトカメラで新幹線左車窓から写す。
DE50を上から全体を写した画像は少ないと思う。



DF50

DF50 11

新居浜にて1978年9月
新居浜駅には工場への引き込み線があり貨物ヤードがあった。 撮影当日DF50,DE10各1両が駐機していた。


DF50 中間台車

DF50 は昭和32年より製造。国鉄初のB-B-B軸配列の機関車だった。
カーブが多い地方線でレールへの負担がC-C配列より少ないことが確認でき、以後作られる 日本のF級機関車はEF62を除き全てB-B-B軸配列です。


DF50 両端台車

DF50 11は昭和32年製造



ターンテーブル

かつてD51、C58などがいた竜華機関区扇形庫に並ぶDE10、DD13
1976年 関西線の電車内より撮影
現在は操車場、機関庫共になくなっている。


八王子機関区のターンテーブルには機関車運転席の停止位置が記してあった。
理由はターンテーブルは機関車重心が中心に載っていないと回らないため。

中心よりDD13、DD51、DE10の表示が並ぶ。
1978年6月 八王子にて。


京都鉄道博物館(旧梅小路)のターンテーブル
扇形庫は20線ある。手前のSLはC61 2(2022年撮影)


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