「お目覚めになられましたか? 良くお休み頂けましたでしょうか」
 相手の反応を見ながら、穏やかに晴明が声を掛ける。
「・・・一体ここは・・・」
 そう言うと、行成はゆっくり身体を起こした。
 行成の記憶は、徐公の酒を二杯空けたあたりから飛んでいるようだ。
 何よりも先ず行成は、鼻孔を擽る複雑な香の匂いに気付く。白檀に丁子、甘松、伽羅・・
 部屋の方はと言えば、調度品が片付けるられて祭壇らしきものが据えられ、五色の奉幣が
立て並べられてはいるが、行成にとっては見覚えのある場所。
 それを尋ねるより先に晴明が答える。
「お解りになりましたでしょうが、ここは九の方様(為尊親王室;行成にとっては叔母)の
お邸でございます」
 続く言葉はトーンを少し下げて、
「具合の方は如何ですかな。かなりお疲れのようにお見受けいたしましたが」
 相手の様子を具に観察しながら聞く。
 行成の顔からは酒に因る赤みは抜けて、健やかな表情が戻っていた。
瞳もいつもの澄んだ輝きを宿している。
 
「晴明殿には隠し事は出来ませんね。ご心配をお掛けして申し訳ありません。
いつもの癖でつい無理をしてしまうのが祟って、ここ二日ばかり余り体調が良くなかったの
ですが、その疲れも今はすっかり取れているようです」
「それは宜しゅうございました。その心迷妄の柵より解き放たれ、煩悩遙遙の彼方に消し飛
び、身軽くして長山に遊ぶ。 酒の効用も満更ではありませんな」
 それを受けて、菅公の詩から効用を返す行成。
「まさに”此より神用を知る”(酒の妖しくも妙なるはたらき)というところでしょうか」
 対する晴明は少し意地が悪い。 
「”千悶消亡す”また”百愁安慰す”とは叶いましたか」
  《心にある千の煩悶、百の憂愁が消えること:『菅家文草』巻第三 一九五》
 思った通り行成の表情に一瞬陰が差す。
 
「晴明殿は、誰の心もそうやって見通すのですか・・・」
「行成様が仰るのは”触れてはならぬ心の闇を覗いたのか”ということでしょうかな」
 実直な漢の瞳に僅かに憤怒の色が過ぎったのを、晴明は見逃さない。
「これはこれは、行成様のご気分を損ねましたか。では、このように申せば宜しいでしょう
か。貴方様のお心自らが、救われを求めてその声を晴明に聞かせたと」
 少ない言葉であっても、この場の時を止めるのには充分であった。
 
─この漢には辛くとも己の秘めたる内面に対峙して貰わねばならん。
より一層清浄な氣で祭儀に臨んで頂くために・・・
 
 暫しの沈黙の後、晴明がゆっくり話し始める。
「人とは”みな果報 出入(しゅつにゅう)生涯を苦しぶならん”とも、”因縁に相遇いて
 身を立つること得たり”とも申す通り、己では如何ともし難い前世の罪徳を抱えた存在。
また現世においても、己の欲すると欲せざるとに関わらず、知らず知らずの内に罪穢を積む
愚かな凡夫なのです。それ故、居易をして煩悩の深さを語らせ、在家出家的処世術に思いを
至させたというわけでしょう。このようなことはわたくしが申すまでもなく、行成様なら良
くご存じのこと。更に神仏を深く求める貴方様なれば、恵心僧都源信殿の教えに光明を見出
していらっしゃるはず。 それでもまだ己を責めるのは如何なものでしょうかな」
 行成を見詰める晴明の目は優しいが、相手の面は曇ったままだ。
 
「”大菩提心と、三業(身、口、意の三つの行為)を護ると、深く信じ、誠を至して常に念
仏するひとは、願いに随いて決定(けつじょう)して極楽に生まれる”
 《源信『往生要集』の要業としての念仏について》 とは、言う易く行う難きもの。
妄念は凡夫の本性であって、それを厭わず猶こころざしを深くせよと申されても、俗情に囚
われてなかなか思うようになりません」
「それこそ”恩愛の縁の如きは乃(すなわ)ち是れ憂悩の資”と居易も歌ったところ。
貴方様の様なお立場にあっては、その思い誰も咎められますまい。
古人曰く”上善は水の如し”と。
   《『老子』;理想的な生き方をしようと思うなら水のあり方に学べ》
まあ、そのように晴明が申してましても、行成様の頑ななお心はそうそう簡単には懐柔され
ませんでしょうがな。」
 そう言って苦笑する晴明に、行成の表情も徐々に和む。
 
「不思議ですね。先程まではあれほど苦悶しておりましたのに、こうして晴明殿と話してい
る内に、己の煩悩が取るに足らないもののように思われて参りました。
どの様に繕っても、晴明殿の前では己を”隠せない”と悟ったからなのでしょうか。 
”時に安んじて順に処(お)れば、哀楽入る能わず”
 《時のめぐり合わせに安んじ自然の成り行きに従えば、哀も楽もなく一切の束縛から解放
  される》
という『荘子』の言葉も今なら素直に聞くことが出来そうです」
 にっこり微笑んでそう語る行成の姿は、童のように無為で清らかだ。
 
─まったくこの純真さを以て、政務を執るというのだから恐れ入る。
まだまだその心には、闇の本性を隠しておきながら。
・・・もしかするとこの漢の方が、禁裏の古狸連中より強(したた)かかもしれぬな。
 
 ”狸”連中には閉口するくせに、行成の強かさには却って好感を持つ己が可笑しかった。
 
「行成様にそのように仰って頂ければ、この晴明も長生きした甲斐があったというもの」
 笑顔の下でそう語りながら、行成の様子を観察することを忘れない晴明である。
 行成を苦しめる無常の思いは、”今のところは”多少なりとも和らげられているようだ。
 嫌みな好々爺の役回りもたまには役に立つということか。
 
 そんなことを思う晴明に投げかけられるのは、行成の冷めた声。
「何故晴明殿は、わたくしのような者をそのように気遣って下さるのですか。
わたくしなど所詮一介の官吏に過ぎません。世事、恩愛に縛られなければいつでも出家して
憚らぬ身。そのようなわたくしを何故・・・」
 深い陰翳に彩られた行成の瞳は、人を惹き付ける不思議な魅力を持っている。
その眼差しは、今は晴明ただひとりに注がれていた。
 
─その純粋な瞳でこの爺の真意を引き出そうという訳か?
なかなかに鋭いところを突いてくるものよ。
 
 晴明の語調は先程よりやや厳しくなっている。
「貴方様はご自分ではお気付きではございませんが、今の都に最も必要とされているお方。
勘の良い行成様のこと、既になにがしか平素とは違う気配を身辺にお感じだったとは思われ
ますが、この数日間の霹靂それに先立つ地震、これら全ては同じ原因から起ったものでござ
います」
 そう言うと手短に今までの経緯を話して聞かせる。
 行成はと言えば、突然科せられた重大な責任に戸惑いつつも、その言葉の一つひとつを聞
き漏らすまいと熱心に耳を傾けていた。
 
 
「・・・巧妙に仕組まれた策謀のもとにあっては、真理の追究など既に意味を成さないと言
うことは菅公も重々解っていたでしょうが、それでも”詩人”には受け入れられない現実だ
ったのでしょうな。一言で言えば淘汰の過程における犠牲。藤原氏以外の雄族の排除という
形で、徐々に政の中枢から退けられていった”詩人”の声にならぬ叫びが詩のそこかしこか
ら聞こえてくるようですな。過去幾たびも繰り返されて来たことでありながら、まさか我が
身に起ころうとは思いもよらなかったのでしょうなあ」
 まるでその当時、菅公と同じ時を過ごしてきたかのように感慨深げに語る晴明。
 
 その思いは、藤原北家の良房から基経への権力の継承にあたって起こった、一連の疑獄事
件に及ぶ。
 
 菅公が大宰府に左遷される三十五年前に、忠仁公(藤原良房)によって応天門の変(貞観
八年閏三月:866年)で大納言民部卿殿(伴善男:とものよしお)が失脚させられ、その
二十余年後には、昭宣公(基経)によって阿衡(あこう)の紛議(仁和三年十一月:887)
で参議左大弁殿(橘広相:たちばなのひろみ)が政の表舞台から引きずり下ろされた。
菅公はそれら全てを見てきた筈であったのに、我が行く先は見えていなかったということか。
 通儒に対する”鴻儒”(文章道の理想的な儒者として高位に位置付ける)と”詩人”とを
兼ね備えた”詩臣”という立場から、後には”詩人”のみに徹する道真の孤高な姿は見る者
をして哀惜の念を抱かせる。
 道真という人間は、権力の際を見極めながら常にその立場は危うく、禁裏にあっても友人
は無く、ただ頼みと出来たのは宇多上皇と己の詩才のみであった。
 ”詩友独り留まりて真に死友”《『菅家後集』477》には”詩人”の鬼気迫る姿がある。
 
 
「共に白詩に共感し、閑適に安んずることの出来ない者同士相容れるものがお有りでしょう」
 そう言うと晴明は行成の顔をじっと見る。
行成の澄んだ瞳の奥にあるのは菅公の寥怨に馳せる思いなのか、それとも・・・
 
「わたくし如きが、菅公のお気持ちを理解出来るなどと申し上げることは畏れ多いこと。
”詩は志の之(ゆ)く所なり”《『毛詩』大序》との言葉も、本当の意味でわたくしに解って
いるのかどうか・・・何れに致しましてもわたくしは詩人ではありませんので・・・」
「まさか、詩人では無いのでその心が解らないとは、言わせませんぞ。
王義之の書に学び能書だった菅公が、その詩を如何に美しく効果的に表現するかということ
に最大の関心を払ったと言うのは、妙なることではございませんか。
誰かに似ているようにも思えますがなあ。
面白いことに菅公は、天台教学にも深い理解が有ったとか。
また、世路難や、禍福の測り難きことは尚書を務めたる身なればお解りの筈。
・・・更に言うなら、絶えず出家願望に苛まれつつ果たせぬ立場にあったことも」
 晴明が皮肉っぽく付け加えた最後の言葉は、行成にとってはそれ以上の意味があった。
それを知った上で、優しい面で話す晴明。
 二人の共通点を数え上げればきりがない。何と言っても晴明にかなう行成ではないのだ。
それでもその心に幾ばくかの不安があるのか、依然として晴明に疑問符を投げかけてくる。
 
「・・・果たして本当にわたくしのような者でその大役務まりましょうか」
 
─思慮深いのか、謙虚なのか・・・何れにしてもこの漢の本性ではあるまいが。
 
 本心から諾と言わずとも、行成を従わせるだけの術は他に用意されていた。
「何と仰っても、菅公がご所望なのは、神仏に愛でられた”この手蹟の本人”。
すなわち行成様ご自身なのです。わたくしがこれから行います式次第すでに”一の上”の諒
解を頂いております」
 晴明はこれが右大臣道長の承諾の元に執り行われる、非公式の祭儀だというのである。
この言葉に及んでは流石の行成も諾と言わざるを得ない。
 たとえ直接的には道長の側近では無いにしても、此の時勢にあって権門の支配を受けない
者などいないのだ。    《長徳二年当時まだ行成は頭弁》
 
「すべては、晴明殿の仕組まれたままに進むということなのですね」
 そう言うと、僅かに寂しげな微笑みを口の端に浮かべる行成。
 その様子に、晴明はまたしても意地の悪い好々爺を演じたくなった。
「次にお会いするときは、謀(はかりごと)無しで、この晴明自ら行成様を所望致しても宜
しゅうございますかな」
 晴明の真意測りがたく、行成は取りあえず曖昧な笑顔で応える。
 
─よい漢だな。 頑ななところも、純粋なところも誰かに似ているか・・・
 
 
 祭儀の場は、ここ”菅原院”。
 祭儀を執り行うのは晴明。 そして主役は勿論、行成と菅公である。
 すべては更に高位の”大神”の御力を仰ぎながら、進められる。
 
 部屋の一方に設えられた檀。そこには、宝・香・花、そして漢薬や五穀が供えられている。
その傍らに立つのは晴明の灑(酒)水加持を受けた行成。
 
 晴明は浄衣の袖を鮮やかに翻すと、檀を前にして厳かな声でも白(もう)す。
「赤心の方寸 惟(こ)れ牲弊。 固(まこと)に請はまくは 神祇(しんぎ)我が祈りに
應へたまはむことを。 斯(こ)の言(こと)細(さやか)なりとも なほし恃(たの)む
に堪へたり」
《私は一筋のまごころを、ただこのいけにえと供物とにこめて、一心に天神地祇に捧げて祈
る。わがこの祈りに神明も呼応して、わがあかしを立てられるように。この私の神に祈るこ
とばはささやかだけれども、それでもたよりにはなるのだから》 (菅家文草巻第二 九八)
 場の中に新たなる氣が満ちてくる。
 それは、晴明が祭儀に先立って奏上した菅公の詩に呼応して湧き出(いずる)もの。
 
 続いて、行成がその清澄な霊性そのままの清らかな声で『手習いのお手本』を読み上げる。
 
「”月の輝くは晴れたる雪の如し 
    梅花は照れる星に似たり
      憐れぶべし 金鏡の轉(かひろ)きて
        庭上に玉房の馨(かお)れることを ” 《『文草』巻一 一》
 
”兄は友(いう)に弟は恭(きょう)にして道なきにあらざれども
    王に勤(つつし)むことは 自らに恒に親しきひとと疎なるなり
      一廻(ひとたび)別れを告げて腸 千たび断ゆ
        我れ 君が情(こころ)の獨り隅に向かふを助く”《『文草』巻一 一八》」
                     ・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 先ほどまで仲夏の陽射しを注いでいた太陽は既に無く、大空を一面厚い雲が覆っている。
嵐を思わせるような強い風が庭の草木を揺すぶり、辺りの景色はまさに風雲急を告げていた。
母屋に懸けられた御簾という御簾が、四方八方から激しく吹き込む風に煽られて、あられも
ない姿で巻き上がる。何処から近づいたのか、余りに突然の霹靂が大地を揺るがす。
 その霹靂を降らせている主こそまさに”天神”。
 
 実体化した雷(いかずち)の神は、太政威徳天菅公その人であった。
その神を遙かに遠く取り囲むのは、膨大な数の眷属。 百鬼夜行そのものだ。
 
 
 歪んだ都の時空を元に戻すための壮大な祭礼が今始まる。
 
      
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