土御門第で詮子に伺候した日より、一週間ほど前のこと。
 主計助(かずえのすけ)安倍晴明は、昨日の地震の件について、右大臣(道長)からの
要請を受け、主上(おかみ)〔ここでは一条帝のこと〕への奏上を終えたところであった。
 先の不敬事件【注1】は、どうにか一応の決着を見たようであるが、その後も相変わ
らずの天変に、引き続き内裏に呼ばれることが多い晴明である。
 地震については、畏月(陰暦四月)のはじめにも答申したばかりだ。
(卯月の異名が”畏月”というのは、まさに中関白家の人々にとっては先行を案じさせ
る名。これから起こであろう事を、恐れる月というわけだ)
 
 昨年の暮れ(長徳元年:995年:十二月廿八日)には、太白星(金星)が斗建星第
二星(南斗六星:射手座のあたり:の第二星)のすぐ側を通過する「犯」と呼ばれる天
文現象も起きていた。
《惑星同士または惑星と特定の星との接近”星犯”は、月食・日食・星食(月の影に星
が隠れる事)とともに、古代では天変と考えられていた》
 太白星は、凶兵を司る星であり(金星の「金」が「禁」に通じ、その方向は凶であるため)
この星に関する異象は、政変に通じると言われる。
 また、斗宿は天子の寿命を司る星宿である。
 こういったことから、この時の占文もかなり慎重に行われた。
 
 すでに正歴に入ってからだけでも、実際目にすることが出来た部分日食が二回、月食
が一回、星食と星犯が一回ずつ起こっている。
 天延三年(975年)文月(七月)に起こった皆既日食は、都人ならず辺境の人々を
も恐怖のどん底に叩き落としたが、その後一年もしないうちに内裏は二度目の焼失に遭
い、その上翌月には大地震で市中の建物にも大きな被害が出た。
 今回の地震は星の動きとは直接に連動してないにしても、こう頻繁に続くとなれば何
かの前触れと考えざるをえない。
 かと言って、余りに神経質すぎるのにも問題がある。日々怯え、祈祷や物忌に明け暮
れていては、朝政は立ち行かない。
 
 そこで呼ばれるのが、陰陽師や密教僧であった。
 道の傑出者たる晴明は、道長の覚も愛でたく、帝の信頼も厚かった。
 晴明の他には、賀茂光栄(かものみつよし)も当朝の優れた陰陽師として、広く世に
知られている。晴明の師、賀茂保憲の息子である。
 
 晴明は御前にて理路整然と推条し、災厄の解除には、云々定める如しのことと奏聞。
 今のところ、それほど恐れることはないとの結論であった。
 晴明の易占の結果に、帝も公卿たちもほっとした表情で、散会となる。
 その中に軽く会釈して、晴明の横を足早に通り過ぎる男が一人。
 頭弁《蔵人頭権左中弁》、藤原行成である。
先ほどまで、帝の傍らにいて晴明の答申を神妙に聴いていたひとりだ。
 
─不敬事件に引き続きこれでは、頭弁殿は休む暇もないだろう。
 
 なかなかに禁中の人間には手厳しい晴明も、行成を見る目はどことなく優しい。
やはり行成の誠実な人柄に因るものか。
 長年の宮仕えとはいえ、未だに雲居人(くもいびと)の相手は苦手であった。
そんな晴明にしては珍しいことだ。
 上辺ではそれなりの相好を保っていても、たまに相手を凍り付かせるような視線を送
ってしまう。そんなときでも、健気に応えてくるその若者の純粋さが気に入っているの
かもしれない。父親や、祖父譲りのその頑ななまでの純真さが。
 
 そんなことを考えたのも束の間、例によってゴシップ好きの公達に呼び止められる。
─やれやれ・・・
 いくつかの質問に適当に答えた後、漸く放免の身となった。
─公儀の仕事も楽ではない。
 
 東庭に目を遣れば、先ほどまでの日差しはそこに無く、雲の流れも速い。
 吹く風には雨の匂いがする。しばらく上がっていた雨がまた降り出すのだろう。
 こんな曇天に、どこから舞い込んできたのか、白い蝶がひらひらと孫廂から南の小庭
の方へと飛んでいく。
 まるで晴明を、そちらの方向へ誘っているかのように。
─ほう、この晴明を何処かに導いてくれるのか?
退屈な禁中のものにしては、粋なことをしてくれる。それでは、ひとつ導かれてみるか。
 
 
 微かだが聞こえてくるのは鈴の音。先程の蝶が誘う先から聞こえてくるようだ。
 花に吸い寄せられるかのように、蝶は建物の中に入っていった。
 そこは、校書殿であった。蔵人の仕事場であり、詰め所ともいえるところ。
書籍を中心とする御物が収蔵されているので、文殿(ふどの)とも称される。
 宙を舞う蝶の先には、男がいた。一心に何かを料紙に書き付けている。よく見れば、
つい其処で別れた行成である。どうやら他に人はいないようだ。
 
 鈴の音は、行成に関係するものか?
 そう思いつつ、晴明は心眼を開く。
 音因になっていたのは、料紙に書き付けられた文字。
 そのひとつひとつの文字霊(もじだま)が、ある特殊な霊層を震わせているのだった。
この振動が、鈴の音になって晴明には聞こえてくる。
 鈴の音、すなわち神を喜ばせるもの。喜んで勧請されてくるのは如何なる神か?
 
「何を書いていらっしゃるのです?」
 晴明に声を掛けられ、驚いて振り返る行成。
 その様子では、今まで全くその存在に気づいていなかったのだろう。
「いつから其処に?」
「つい、今しがたから」
「”善く行く者は轍迹(てっせき)無し”と言うのは晴明殿のことをいうのでしょうね」
「それなら行成様には、”善く言う者は瑕適(かてき)無し”と」
「お褒めの言葉と受け取って宜しいのでしょうか?そうであったとしても”天網恢々疎
にして漏らさず”わたくしなどは貴方様の呪術に直ぐに絡めとられてしまいましょうに」
 
《『老子』より;善行者無轍迹  行動するにしても動いた跡を残さない
        善行者無瑕適  発言するにしても乗ずるスキを与えない
  ”天網恢恢、疎而不失”  天が悪人を捕らえるために張り巡らした網は
 広く大きくその網の目は粗いが取り逃がすことはない》
 
 テンポ良い会話が、晴明には小気味良かった。
─”後生畏るべし”とはこの漢(おとこ)のことか。
 《『論語』より;”後生可畏”に続くのは”焉知来者之不如今也”
          :今後の世代が現在の世代を乗り越えていかないとはいえない》
 
 晴明は相手の澄んだ切れ長の瞳を見て思う。
童のように純粋な心を映す瞳が返してくるのは、徹底した防衛視線。 
 冷静完璧で、あくまでよそ行きを崩さないその姿勢は、危うい均衡の上に成り立って
いた。
この漢は、それに気付いていないとでも言うのだろうか?
 守るべきもの、応えるべきものを持つことで、辛うじて現世(うつしよ)に踏み止ま
っている現実を。それは一種の手段であり、ある意味、邪径な方法といってもよい。
どんな巧妙に隠掩(いんえん;おおいかくす)してみせたところで、晴明の目を誤魔化
すことなど出来ないのだ。
 このところの超過勤務は行成の肉体を疲弊させた代わりに、精神をより研ぎ澄まし、
繊細にしている。本人も気づかぬうちに、この漢の純粋さにより一層の磨きを掛けてい
た。
その妖しいまでの純粋さが紡ぎ出す、流麗な文字霊(もじだま)が、ある次元に微妙な
振動を引き起こすのだ。
 
─惹き付けられたのは、どこぞの神か。 その真摯な心根で、何を書いていた?
 晴明のそんな思いを届けるように、白い蝶は行成の襟元に留まった。
 
「行成様が、それほど熱心にお書きになっていらっしゃったものは、何でしょうか?
心を移す姫君への恋文と言うわけでもありますまい。もし差し支えなければ、お教え頂
けませんか」
 一瞬躊躇ったあと、言葉を選びながら行成は答える。
「ある申請に関わる先例を調べておりました・・・と言っても晴明殿が相手では、納得
して頂けないでしょうね。 実は誰にも邪魔されないところで考えたいことがあったの
で・・・」
 そこまで言うと、皮肉っぽい視線を送る。
「どうせ全てお見通しなのでしょうから白状しますが、書の構成を練っておりました。
故あって、菅丞相(菅原道真)の詩を書くことになりましたので」
 
─勧請されているのは、やはり雷神であったか。
  晴明の表情が僅かに冴える。行成は気づくまいが。
 
 晴明が”やはり”と思うには、訳があった。
 古来より、地震は尾をくわえた龍蛇神によって引き起こされるものとされ、同じく龍
神であるところの雷神とは密接な関係にある。
 その本性(ほんせい)は、震・雷ともに木気であり、五行の相剋でいう『金剋木(ご
んこくもく)』によって「金」に剋される。鹿島神宮の要石(かなめいし)が、地震神を
封じこめるのは、その理によるものだ。
 晴明は、今回の地震を”あの”雷神が関係するものと確信したわけである。
 
 さらに手応えを求めて、話を続ける。  
「ほう、其処までに思いを込めて作られるとは、余程のものなのでしょうな。
是非わたくしも、拝覧の光栄に預かりたいものですなあ。」
 行成は、晴明の褒詞には顔色を変えず、澄まして話題を他へ振る。
「どんな理由であろうと、公務時間中に余所事に心を奪われていたのは事実。職務懈怠
で主上にご報告なさいますか? わたくしは、怠状を提出することになるのでしょうか?
そう言えば、晴明殿も過状をお書きになったことが有ると聞きましたが・・・」
 
《永延二年(988)八月七日”蛍惑星犯軒轅女主・・・蛍惑星祭事、晴明勘申”(小右
記)軒轅女主(獅子座の一等星レグルス)と蛍惑星※(けいごくせい:火星)が接近し、
晴明が蛍惑星祭を執り行う日時を上申。そして、晴明自身がその祭の担当者になったが、
サボタージュして始末書を書かされている》
 
─そんな古い話をこの漢が知っているとは。 禁中では下手なことはできぬな・・・
 晴明の顔におどけた表情が浮かぶ。
「どこぞのつまらぬものからお聞きになったのですね。昔の話で良く覚えておりませぬ」
 何時の世も自分に都合の悪いことは、忘れるものらしい。
「そうですか。永延二年のことであると、”実資”殿からお聞きいたしましたが。実はわ
たくしも嘗て”どこぞのつまらぬもの”に示し送られて怠状を出した経験がございます」
 
─例の一言居士の先例収集家は、どこにでも出没するらしいな・・・
 思わず苦笑する晴明。
 永延二年八月の『蛍惑星の祭』を、晴明がすっぽかしたときの蔵人頭は実資であった。
そしてまた、行成が怠状を出したときの上司 左兵衛督(さひょうえのかみ)も実資。
 
「たまには息抜きも必要なのですよ。行成様も、もう少し楽をされたら宜しいのに。
真摯な御精勤ぶりには定評がございますが、ほどほどになさいませんと、御身体を壊さ
れますぞ」
 晴明が心配するのも無理からぬこと。
 その後の行成の人生は、将に骨身を削って、艱難辛苦無常の世を渡っていったと言っ
て良い。一条帝の忠実な側近として、また道長政権に欠くことの出来ない有能なブレイ
ンとして。
 
「ありがとうございます。晴明殿のそのお言葉胸に留め置きましょう。しかしながら、
未熟者のわたくしには、まだまだ畏れ多いこと。日々是勉学に励みませんと」
 頑なな性格は、父親譲りか。
「それそれ、その真面目さが玉に瑕なのです。古人曰く”学を絶てば憂い無し”《『老子』》
と。 悩みが生じるのは、知識に囚われるからでは有りませんか」
「”学べば禄其の中に在り”という方が、俗人のわたくしには魅力的です。
”早晩(いつ)か林を成すを見ん”とも」
 
 《孔子『論語』巻第八 衛霊公扁; 
       耕也餒在其中矣 耕して餒(う)え其の中(うち)に在り 
       學也禄在其中矣 学んで禄其の中に在り 
意訳;耕していても飢えることはあるが、学んでいれば俸禄はそこに自然に得られる》
 《白詩巻六十五「種柳三詠」第一;
 白頭にして松桂を植ゑなば/早晩(いつ)か林を成すを見ん/及(し)かず楊柳を栽
ゑて/明年便ち陰有らんには/春風為に催促して/老人の心に副取(かな)へり》
 
 間髪を入れぬ行成の応酬に、やれやれと苦笑しながらもその目は何時になく優しい晴
明である。
「何と言っても、躱(かわ)されてしまいますなあ。では、この次お会いするときには、
どうかこの晴明に花を持たせて頂けませんでしょうか? 行成様がお気に召すような、
宴をご用意させて頂きますほどに」
「生意気を申し上げましたこと、お許し下さい。晴明殿直々のお申し出とあれば、まこ
とにもって勿体ないこと。そのときは、喜んでお招きに与らせて頂きます」
 悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、先人を立てて恭しくお辞儀する行成。
 それに合わせて晴明も軽く頭を下げる。
この漢のこういうところが、主上の寵厚を受ける理由か、と思いながら。
 その一方で、来るべき日に考えを巡らす。
 
─次に会うときは、恐らく菅公も一緒。
醍醐帝つながりのこの漢が勧請する祭文にうっとりだ。
それより問題なのは、眷属の動き・・・
最近の星の動きが意味したものは、このことか?
どうやら茅原の里へ行くのは、その後になりそうだ。
 
 茅原の里は、金剛山の麓に開けた葛城地方にある里のこと。そこは、役小角(えんの
おづぬ)が生まれた場所。若き日の晴明にとっても縁深きところであった
 公儀の仕事を離れて、しばらく深山幽谷に瞑想と鍛錬の日々を送ることを楽しみにし
ていたのだが。まだまだ都は彼を必要としているようである。
 
 行成に別れを告げるのと同じくして、行成の襟元に留まっていた蝶は、ひらひらと宙
へ舞い上がった。そのうち、東に開け放たれた格子より外に出る。
 たちまちにその姿は霞に変じた。
 
─”荘周夢に胡蝶と為る” この都の理(ことわり)をあらわすか・・・
《『荘子』より ”荘周夢為胡蝶”; 荘周夢に胡蝶と為る
    「物化」すなわち生々流転してやまない実在の世界においては、夢もまた現実
     であり、現実もまた夢である。
     荘周もまた胡蝶であり、胡蝶もまた荘周であって何らの区別もない》
 
 
 晴明が内裏を出る頃には、また雨が降り出していた。
 
 
 【注1】不敬事件;長徳二年(996年)正月十六日
     内大臣藤原伊周と、中納言藤原隆家が従者に花山法王を射させた事件を指す。
     その後、四月二十四日、伊周を大宰権帥(だざいのごんのそち)に、隆家を
     出雲権守(いずもごんのかみ)に左遷。 五月、中宮定子、出家。
      
       ※蛍惑星の”蛍”の字;
        実際は、わ冠の上に火火,中の虫も火 (pcで変換不可だっため代用)

     
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