折々の季節の草花や樹木が、勝手気ままに在るといった感じの庭。
 其処には人の手が入っていないようでいて、実は見事に神仙の思想や、陰陽五行の法
則が展開されている。
 この季節、五月雨月(さみだれづき)のころになると、あちらに四葩(よひら)の花
(紫陽花)、こちらにあやめ、その傍らに石竹(せきちく;唐撫子)といった具合に方々
で咲いて、来る雨を嬉しそうに迎えるのであった。その陰で目立たないが、甘野老(あ
まどころ)の花や一薬草(鹿蹄草)、靫草(うつぼぐさ)なども、小さく可愛らしい花を
開いている。
 甘い芳香は、盛りを過ぎた花橘に代わって咲く梔子(くちなし)の花。
 先程まで降っていた雨が、庭の色彩をより一層冴え渡らせていた。
 
 牛車を降りて、棟門を入ってくる男が一人。
冠直衣姿のその男は、巧みに裾を捌(さば)きながら、草花に結んだ儚い雨露を散らさ
ないように、静かに邸の方へと向かう。
 霧様の大気のせいで紫の直衣はしっとり重みを増していたが、男の身のこなしは軽や
かだ。
その動きが、秀麗な面と合わせて、一層爽やかな印象を与えていた。
 何処からか、見目麗しき若い女房が男の前へと現れる。
「行成様、ようこそおいで下さいました。先程より主がお待ち申し上げております」
 案内されて向かった先は、御簾が巻き上げられて庭の景色が一望出来る部屋。
 そこに居たのは、紅い唇に僅かに微笑みを含んだ晴明であった。
 板敷きの床の上に楽座して、行成を見上げている。
 
 
 昨日のこと、行成が弁官の仕事を終えて外記門を出ると、そこには汗衫(かざみ)を
小綺麗に着こなした女童(めのわらわ)の姿があった。
その童が、あやめの花が添えられた紫の漉き染めの文を行成に渡したのである。
 晴明からの招宴の文であった。
 
 
「わざわざ拙宅にお越し頂きまして、恐縮でございます」
 晴明の物言いは慇懃だ。
「こちらこそ、先日は生意気なことを言ってしまったようで、申し訳ありません。
今日の宴は、なにやらわたくしと深い関係のあるような気がして、楽しみにして参りま
した」
「本当に楽しみにと?」
 相手の心を見透かすような、晴明の鋭い視線である。
「実のところは、少々恐い思いも致しております。何の思惑もなく、晴明殿がお招き下
さるなどとは思えませぬ故」
「さあて、何のことやら。本心を隠しての振る舞いは、世の公達の常套手段。この晴明
より行成様の方が良くお心得かと」
 しっとり濡れた唇に意地悪い笑みが浮かぶ。その笑みこそが相手の動きを止めるもの。
 僅かに行成の表情が緊張する。
 そんな表情の変化など気にする様子もなく、何事も無かったかのように晴明は続ける。
「さあさあ、先ずは一献。この日のために特に珍しい酒などもご用意致しましたので、
どうぞこちらへ」
 
─何かあると、薄々気づいてこちらの招きに応じたか。 面白い。
その期待、存分に応えてやろう。だがその前に、緊縛の柵(しがらみ)からその心解き
放って頂こう。
 
 行成にはそんな晴明の心の内など解ろうはずもない。
 異界への扉は今や開かれようとしていた。
 
 艶やかな衣に身を包んだ女房が、それぞれの前に蒔絵の高坏を並べる。
高坏の上には種々の肴を盛った小皿や、美しい瑠璃の杯が載っていた。
見た目にも美しく、美味しそうな匂いが漂って来る。
 行成の傍らに侍るのは、銚子を手にした垂髪の稚児。昨日、行成に文を渡したあの女
童だ。
 目の前に置かれた大きめの瑠璃の杯に、甘く清涼な香りを放つ酒が注がれる。杯の色
を映すその液体は、神秘的に輝いて、まるで『月夜見の越水(おちみず;若返りの水)』
のようであった。
 一口含めば、まさに甘露の味。
「飴密の如しとはこのことをいうのでしょうか。廬山まで行かずとも、まさかこちらで
頂けるとは」
 行成が言っているのは、『述異記』にある”呉猛登廬山、(中略)見老翁坐桂樹下。以
玉杯、承甘露”のことである。桂樹のもとで出会った神仙は、呉猛の来訪を歓待して玉
杯に暁方の甘露をうけて飲ませたという。
「その酒は行成様のために特別にご用意した物。気に入って頂けたならば幸いでござい
ます」
「ありがとうございます。でも、余りに美味しいので世俗のことを忘れないように気を
付けませんと・・・」
 そう言いながらも、いつの間にか杯は空になっていた。すかさず二杯目を注ぐ女童。
 脳幹を刺激する独特の甘い香りは、この酒がかなり強いことを物語っていた。
「どうぞ召しませ。杯をお取り下さいませ」
 それを知ってか知らずか、女童は可愛い顔に似合わず性急な催促をする。
ゆっくりと時間をかけて味わいたいという行成の気持ちとは逆に、一端唇を付けた杯は
空くまで下ろすことを許されない。
 まるで、女童の”もっと、もっと”という言葉に操られているかのようだ。
 晴明はと言えば、強い酒を我ならぬペースで飲まされている行成を後目に、脇息に肩
肘を付いて、涼しい顔でその様子を眺めている。
 
─そう、特別仕立ての酒なのだよ。この場に身を任せて、心安けく酔いたまえ。
 
 左肱を脇息に載せ、左手で軽く頬杖を付いた姿勢。右手がたまに杯に伸びる。
流麗な面、優雅な仕草は、老爺という実際の年齢からはほど遠いもの。
 やはり仙酒のなせる技であろうか。
 
 何れか東の対から、風に乗って聞こえてくるのは五音の調べ。瑟瑟(しつしつ)と響
くその音は、聴く者の胸を打つ。だが、二杯目を下ろす端から三杯目を注がれている行
成に、その音をじっくり聴いている余裕は有るのか?
 徴雨(ついり;梅雨)の庭に、雲靄(うんあい)の間から鈍い日差しが戻っていた。
 全ての手札を揃えるために、時の針は進んでいる。
 
─流石に、立て続けの三杯目はきつかろう。どれどれ少し呪を緩めてやるか。
 
 思う端から言葉で告げる。
「麻姑(まこ)、暫くは良い。行成様とお話があるので下がっていなさい」
 晴明に”麻姑”と呼ばれた女童は、こくんと頭を下げると銚子を持って奥へと消えた。
 先程現れた女房といい、今の女童といい奥にはそれなりに人がいるはずなのだが、不
思議とそのような気配は殆ど感じられない。
 
「如何ですかな、かなり良いご気分かと存じますが?その酒は、別名”徐公酔臥の酒”。
菅公の詩に、”酔郷遠近惣(す)べて機を忘れぬ”と詠まれましたもの」
《飲むとすっかり良い心持ちに酔っぱらってしまって、話にきく遠いか近いか知らない
酔郷に遊んだような心持ちで世俗の機巧策略のことなどすっかり忘れ果ててしまう》
そう言う晴明の視線の先には、眠気と戦いながら必死に静座の姿勢を保つ行成の姿があ
った。
 ”徐公”の酒と聞いては、一層眠るわけにはいかないだろう。
 何となれば、酒を飲んだ徐公は二年も眠り続けたのだから。
 
「お楽になさって宜しいのですよ。心配なさらずともこの晴明が、頃合いを見計らって
起こして差し上げましょう」
「いえ・・そのような・・外に従者が・・待たせて・・・・でも何故・・・」
 眠気が勝って、うまく呂律が回らないようだ。
 目元や頬はほんのり桜色に染まって、酔いの廻った目は潤んで視線が定まらない。
緩めた頸上(くびかみ;袍のえり)、僅かに解れた襟足の髪。
そんなしどけなさが、またなんともいえぬ色気を漂わせている。
「そのようにお疲れの状態では、充分な神力は期待できませぬ。
依然として闇の内にあるそのお心を解放するためにも、ここはお休み頂かなくては」
 行成には、晴明の言っていることの意味が解らないようだ。
解っているのは晴明の術に填ったらしいということと、この場から逃れたいということ。
 思いに駆られ、焦って立ち上がろうとしたその瞬間、足が縺れて上体がグラリと前へ
傾く。
 そのまま意識を失っていった。
 
─この漢、何処まで己を擒縛するつもりだ・・・
 
 素早く行成の身体を抱き留めながら晴明は思う。
 将に倒れるその刹那、常識家で有能謹厳な官吏たる行成の闇なる声を聞いたのだ。
 
『このままいっそ現世に(うつしよ)に戻ってこれなくても構わないではないか。
どのみち観心(自己の心の本性をあきらかに観ずること;天台教学の中心)すれば、お
まえの罪穢は白日のもと。たとえ止観を授けられても、おまえの実在は依然欺瞞の中だ。
”皇恩に報ぜんが為”とは偽り甚だしいことよ。冥冥の理(めいめいのことわり;天の
道理)におよそ叶わぬその身なら、いっそこの底なしの闇の中に落ちていくが良かろう』
 
 晴明の腕の中の行成は、額に汗を浮かべながら苦しそうに吐息を漏らしている。
その汗を柔らかな布で拭ってやると、唐経を唱えながら素早く眉間に呪を施す。
「世尊の座は譬えば虚空の如く、一切の処に遍し、又仏の獅子座はこれ法界に同じ」
 吐息は何時しか静かな寝息に変わっていた。
 唇の動き一つで御簾が下り、羅の衣を持って現れる先程の女房。
畳に横たえられた行成の身体に、そっと衣を被せて下がる。
 晴明はその傍らに跪(ひざまづ)いて、被甲護身(ひこうごしん)の印を結ぶと、行
成自身に呪を掛ける。目に見えない堅固な鎧で、この後訪れるであろうあらゆる邪気か
ら、行成の身を守るために。先ずは第一段階終了、後は時が満ちるのを待てばよい。
 安らかに眠る行成の傍らには、『手習いのお手本』があった。
 
 少々手荒な方法ではあったが、晴明が取ったのは仙薬入りの酒を行成に飲ませること。
玄草が調合されたその酒は、疲れた行成に素速く効いて、行成を深い眠りへと導いてい
った。
 ”宝車”が現れる頃には、肉体的にも精神的にも、充分に回復しているはずである。
 そう、神への供物である行成には”完璧な状態”でいて貰わねばならない。
 そしてもう一方の捧げ物は、もちろん行成直筆の『手習いのお手本』。
 このお手本を書いた行成自身が、菅公の歌をその偽らざるス直な心で、念じて読み上
げるとき、まさしく事代主神(ことしろぬしのかみ)の力は完全に発動する。
言葉に篭もる霊力(マナ)は最大限にその力を発揮して、菅公のみ霊(たま)は、歓喜
に激しく打ち震えることであろう。
 すべては行成の清浄な霊性と、流麗典雅な書の為せる技。
 美しいものには神力が宿り、聖なる者も、邪なる者もその力を求めんと参集する。
 だが、所詮闇に棲まうものは、光の中では生きられないのだ。
 
 菅公よ、その眷属なるものよ、時空の闇の中からその姿を現せ。
 そして、妙法の力を受け給え。
 妙法の光のよって、霊相が浄化され、霊層の昇華が叶えば、詩人の心も救われよう。
 その力を発動するためには、行成、おまえのその純粋孤高な心が必要なのだ。
 
 
 静かに牛車が向かったところは、一条三坊十二町。 菅公が生まれた家、”菅原院”で
あった。
これから祭儀が行われるこの場所は、既に結界石を以て外結界が張られ、周りの時空と
は異なる世界になっている。現世(うつしよ)であり、現世ではない世界。
 嘗て、菅公が幼少を過ごしたであろうその部屋で、行成は何事もなかったかのように、
変わらぬ姿勢で静かに眠り続けている。
 脇では、晴明の舞うような動き。それに連れて場の形成は着々と進む。
 優雅にしてかつ荘厳な美しい身のこなしで印を結びながら、金剛蕨*(こんごうけつ)
《結界法の最初の段階、勧請するのにふさわしい聖域を作り出す》、金剛牆(こんごうし
ょう)《金剛蕨によって生み出された聖域を他の空間と区別する為に、目に見えない垣根
を張り巡らせる段階》を完成させていく。
 造られていく祭場、神を迎えるための準備が厳粛かつ慎重に進められていた。
 清澄にして、張りつめた氣が充満してくる。
 後は行成のコンディションが回復するのを待つばかり。
 行成の寝顔を見ながら晴明は思う。
 
─義孝殿に良く似ておられる。 その一途な性格も、清麗な面持ちも
あの日の二の舞は許されないのだ・・・
 
 晴明の瞳は一際冷厳な光をはなっていた。
 
 静かに眠る行成には、今まさに己が身を供物と共に、捧げられんとしていることなど
解ろうはずもない。当人の窺い知らぬあいだに、場は着々と出来上がっていった。
 すべては天のみ心のまま。
 
                  *蕨の字は実際は草冠ではなく、木偏

   
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