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               七
 
 つい先程まで突風吹き荒れ、地を穿(うが)つほどの雨が降っていたことが嘘のよう
に、辺りは静まりかえっていた。
 
 固唾を飲んで事の一部始終を見詰めていた行成がようやく口を開く。
「すべてはこれで終わったのでしょうか?」
 晴明の答えは簡深であった。
「とんでも無い。ここからが始まりなのです」
 
─そう、終わりであり、始まりである。天地初発の理(ことわり)。
 
 皮肉っぽい笑みを浮かべながら晴明は続ける。
「貴方様が菅公を揺り起こしてしまったがために、天地(あめつち)の結びが解けて
しまいました」
 穏やかな物言いながらもその内容はかなり深刻だ。
 無論行成を責めるつもりで言っているわけではない。
単に、その言葉を受け止めるその漢(おとこ)の反応を見たかっただけ。
何時でも冷静な態度を崩さない、その漢の困惑したところを見てみたいと思うのは、
己一人では無かろう。
 
─もっと自分をさらけ出せば楽になるものを・・・
それは、晴明自身にも当て填(はま)ることではあるが。
 
 童のように澄んだ行成の切れ長の目に、寂しげな微笑みが浮かぶ。
「・・・では、神饌としてこの身の全てを神に捧げましょう。その程度のことで許される
のであれば如何様にでも。元より現世(うつしよ)に留まる意味も無ければ・・・」
 
─やれやれ、殊勝な事を言ってくれる。だが、果たしてそれは本心か?
 
 晴明は、心の底まで見透かすような鋭い視線を行成に向けて言う。
「そのように大事なこと、事も無げに申されますな。神饌(みけ)として全てを差し出
されました後は、たとえ篁(たかむら)殿の口利きが有ったとしても再びその肉身取り
戻すこと敵いませんぞ。それに、貴方様はすでにその才を以て葛城の神を勧請されたで
はありませんか。」
  《たかむら:参議、小野篁;平安初期の学者で歌人としても有名。
   閻魔王宮の臣あったという伝説が残されている》
「それでは、この身は・・・もはや撤饌《てっせん:おさがり》というわけ・・ですね」
 語尾が幾分かすれている。いつにも増して仄白いその面には疲労の色が色濃く出て
いた。御簾を揺らす微涼な風が、清楚な香りをのせたと感じたその瞬間、行成の頭が僅
かに振れる。
 倒れるより一瞬早く、晴明の腕が行成の身体を受け止めていた。
 
 祭儀は、緊張に次ぐ緊張の連続、しかも常に高次元でその氣を保っていなければなら
ない。特別な行を積んでいない行成にとっては、肉体的にも精神的にも多大な負担を強
いられるもの。その疲労の度合いは遙かに限界を超えていた。普通であればとっくの昔
に倒れていてもおかしくない。
 それでも行成は何とか健気に意識を繋いでいる。
「・・・申し訳ありません・・・急に・・・目眩が・・・」
 意識はあるが、身体が思うに委せないのだ。晴明に委ねた身体をそのままに肩で大き
く息をする。晴明はそんな行成を腕に抱えたまま、部屋の片隅まで行くとそっと柱にそ
の背を預けた。
「行成様、貴方様はもう充分そのお役目を果たされました。
あとはこの晴明にお任せ下さい。この場にてしばらくお休みのほど」
 その言葉に弱々しく頷く行成。もはや満足に身体を動かす力も残っていなかった。
 
─生まれつき神に愛でられし者か・・・
 
 人とは違って特に秀でた才を持つ者は、その才故に命を削ることにもなる。
行成の持つ淋しさに、どこか若い時の己を重ね合わせてしまう晴明であった。
 
 
 祭場は依然として清浄の氣で満たされている。
これから執り行う祭儀こそがこの祭礼中、最も重要な部分であった。
まさに都の命運は、その祭儀の結果如何に係っていると言っても良い。
 
 歪んでしまった京(みやこ)の時空を正すための祭儀。
 京の時空の歪み、それは則ち”天地の解け”を意味した。
 解けてしまった天地を元通りにするためにはどうしたらよいか?
再び天地を結び直すためには・・・
 晴明の易占─六壬式盤の卦─がもたらした結果は、”雷水解”であった。
『易経』には”雷水解”のこと以下の如し。
 ”天地解而雷雨作、雷雨作而百果草木皆甲圻。解之時、大矣哉。
 《天地は解して雷雨を作(おこ)す、雷雨を作して百果草木、皆甲圻す。
  解の時、大いなるかな》
  雷雨作解。君子以赦過宥罪”
 《雷雨を作すは解なり。君子は以て過を赦し罪を宥(ゆる)す》
 
 今一度雷雨を作(おこ)して、天地を然るべき姿に結び直せということだ。
その力を有する神は、雷を起こし雨を降らせ、天と地・異次元の空間と空間を自在に行
き来し結ぶモノであり、「皇御孫命(すめみまのみこと)の近き守り神」(皇室の守護神)。
そしてこの京の結界を守るもう一方の神、元々は三諸丘(みもろのおか;三輪山)に祀
られた神。
その名を”大物主神”またの名を大己貴神(おおなむちのかみ)という。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祖とする神であり、八重事代主神の父神、大国主神の
和魂(にぎたま;平和と繁栄をもたらす神魂⇔荒魂)であった。
 
 その準備として、晴明はこの祭儀に先立つこと、数日の間に葛城の大神(おおみわ)
神社、橿原(かしはら)神宮、味波八重事代主命神社(かもみわやえことしろぬ
しのみことじんじゃ:葛城下鴨神社)、松尾大社、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:
京都下鴨神社)、日吉大社、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ:上賀茂神社)を
自らの足で廻りそれぞれの場所で反閇(へんばい)を施していた。
 この京を囲む結形を解いて、再び結び直すために。
そしてそれを結び直すのは、解いた本人晴明自らでなければならない。
自らの身を明け渡して、三輪の大神を勧請することによって。
 
 晴明がこれから行おうとしているのは、晴明自身の存在を賭けたそういう祭儀であっ
た。
 
─士は己を知るもののために死す・・・か・・・
伊達男や、官吏が言うならいざ知らず、龍神がどんなに己の良き理解者になってくれて
も魂魄までは捧げられんな・・・
 母屋の傍らで休む漢の方にチラッと目を遣りながら思う。
 
 龍室の珠(宝珠)を取りにいくあの歌舞にある”坤”。その対局の”艮”。
 内裏の艮には桃園。あの唄にある崑崙山(こんろんさん)にも西王母(せいおうぼ)
 の蟠桃園(ばんとうえん)がある。一つ食べれば最低三千年の命が与えられる仙桃。
 龍神を勧請させる己の脇にいるのは、”桃園”の主。
 ”その漢”が、京の一方の守り神を勧請してくれたお陰で、場のエネルギーは増幅し
 言霊の通りも一層良くなっている。そうでなければ、いくら自分が呪術者であっても
 いかにも無謀な賭だ・・・
 宝珠有るところに龍は立つというが、行成貴方の中にも龍が降り立っていることをそ
 の身は知っているか?
 
─本当に身を捧げるつもりなら、三輪の大蛇より先に捧げるべき相手がいるだろう。
こんな張りつめた場にあっても、そんな事が思えてしまう自分の余裕が可笑しかった。
 
 
 祭壇の正面に立つと、優雅な所作で壇上の筥(はこ)から御祭文を取り出す晴明。
手にした祭文をふうわりと左に動かせば、その白い帖が鮮やかに開かれていく。
 水を打ったように静まり返った場に神秘的な空気が立ちこめた。
 瓏瓏とした声で晴明が厳粛に祭文を読み上げ始める。
 間もなく、再び雷鳴轟き、稲妻が走る。
 まさにその様子は、”雷(かみ)ひかりひろめきて、目精赫赫(まなこかがや)く”
という形容そのままであった。            《『日本書紀』雄略記》
 
「瑞(みず)の御舎(みあらか)を天の御蔭(みかげ)
   日の御蔭と隠れ坐(ま)して 鎮まり坐す畏き大物主大神の
        うずの御前に恐(かしこ)み恐み ま白(もう)さく
 蒙(かがふ)り奉る高き尊き恩頼(みたまのふゆ)を
         恵み幸(さき)はへ賜へ仰ぎ奉り謝(ゐや)び奉る
 安倍晴明陰陽本師 参来列(まゐきつらな)み
   今日を生日足日(いくひたるひ)の良き日と斎(いは)ひ定め仕へ奉る
 幣帛(みてぐら)捧げ奉り 斎(ゆ)まはり清まはり 
   事の由(よし)告げ奉り 神籬(ひもろぎ)刺し立て 拝(おろが)み奉る
 天地の結び直しの秘儀 聞こし召し賜へ
 愛(めぐ)しうむがし聞こし食(め)して 恐(かしこ)み恐み ま白(もう)す
 天福皆来 地福圓満 心中の諸願一々成就して
    水火風の難を除き  一切を守らせ賜え」
 
 祭文の奏上が終わると同時に、廻り一体が煌々とした光に包まれる。
その光の中に天空から姿を現したのは、眼を爛々と光らせた大蛇であった。
三輪の神奈備(かんなび)の主─大物主神─。
 祭文のもつ霊力(マナ)と、晴明と行成の神に向かいまつる心の清浄さを以て
この場に勧請されてきた大神は、神鈴を鳴り響かせて告げる。
『令申旨一一聞食、如令申叶給
(マウサシムルムネ、イチイチキコシメス、マウサシムルコトカナへタマフベシ』
 
 次の瞬間、天空から眩(まばゆ)い閃光が晴明をさし貫いた。
たちまちのうちに、光の糸は金色に輝く龍と変じ晴明自身の身を針として、解けた天地
を縫い取っていく。天地の結び直しを行うために。
完璧なまでに身禊(みそ)がれたピュアな霊性を神子(よりまし)にして。
 晴明は、膨大な力を身に受けながらも、卓越した験力と完全な自己調整によってその
身を懐頽(かいたい)の危機から守っていた。
並大抵の呪術師では、到底耐えられないほどの負荷を受けながら。
 
 一時の後、地の底深く結びついた龍は、晴明の身を通して再び空へと舞い上った。
 
 休む間もなく傍らの弓を取る晴明。
呪を唱えると舞い昇る龍と同じ方向へ、絶妙のタイミングで矢を放つ。
時空の歪みが正されて、異界が完全に閉じてしまうその前に菅公が坐す時空へ届けと。
その矢は、黄金に輝く矢尻を付けた還し矢であった。
「金剋木」(ごんこくもく)の理によって”雷”(木気)を”矢”(金気)で鎮め封じる。
 二度と再び禍為さぬために。
 そして、矢に結ばれているのは行成が書いた菅公の詩。
   ”脱履黄埃俗 交襟紫府仙 櫻花通夜宴 菊酒後朝筵”
 
 龍の姿は、いつしか光の中の大蛇と一体化する。
その姿は、稲妻を伴って真鹿児矢(まかごや)共々天空高く吸い込まれていった。
 
 
 雷鳴轟き、稲妻が走り、大粒の雨が辺り構わず降り注ぐ。
それは、あたかも京(みやこ)のあらゆる不浄を洗い流していくかのように。