8月11日(水)

先月(7月)中に2回ほど青年団の会合を持って、大祭りに向けて本当に大まかな打合せを行なった。本日、左車区の大祭実行委員会として「青年」「中老」の合同会議が行なわれた。打ち合わせ内容は基本的なことで、役員の紹介、役割分担の確認、大祭までの日程等である。

市制50周年企画・前夜祭本年の大祭りは10月1日〜3日の3日間。市制50周年ということもあり、大祭連合会で企画した行事「前夜祭」が9月30日に行なわれるということ。各地区の山車に乗る芸人を一同に介しての「長唄競演会」とでも言おうか、そんな内容らしい。この行事のおかげで例年なら大祭前日の夜に、実際に山車に芸人さん達を乗せて、音合わせも兼ねて行なう「総ざらい(総練習)」が前々日に行なわれるということになった。

左車区の「音」を担当する芸人衆は、基本的に前回同様「八代目・芳村伊十郎」師匠を招いてのキャストとなる。「芸人衆」の紹介は未だメンバーが確定していないパートもあるため後日述べよう。

確か、三回ほど前の大祭りから行なわれていたと記憶しているが、「東部祭りの会」(旧・藤枝地区の東部にある5地区「白子」「下伝馬」「市部」「五十海」「左車」で構成される)で、その趣旨というか、活動目的というのか?つまり、大祭りのメインである時間帯の二日目の夜19時〜21時にメイン会場で、最も人出がある飽波神社周辺や旧・東海道筋の千歳(旧スルガBK)交差点附近に東部5地区の山車は地元への帰着時間の制限のため居ることが出来ない。そこで「白子」の当時の役員が声を掛けて、祭りのゴールデンタイムに街道筋「白子」を中心に東部5地区が協力して賑やかに盛り上げてしまおう!ということで始まったと記憶している。

過去2回の大祭りでは、19時過ぎに東部5地区の山車を「白子」の東端(藤枝小学校入り口)から「下伝馬」の旧・大手バスターミナルの間に集めて一斉に手締めやら、各地区得意の演目を披露して「『白子』に来れば沢山の山車が一度に見られる」的な狙いで企画を実施に移したのだが、実際に時間を合わせて山車を集合させるにはかなり困難なことと、イベント終了後に各地区が地元に帰るにしても、スムーズに帰路につけないなどの諸問題も浮上して、今回は「東部祭りの会」自体は存続するものの、時間差で「白子」中央の「藤枝東高校」入り口交差点で各地区のパフォーマンスを実施しようというものに変更になった。。この企画の詳細も後日述べよう。。。

さて、今回の大祭りも私自身、前回に引き続き「左車区・交渉員」という立場で参加させていただくことになった。本来なら「中老」の年齢に達しているのであるが、当左車地区は青年の人数も他地区と比較してもかなり少ない方で、実際に地元に住んでいる青年団員がそれなりの役職を分担してしまうと、殆ど余裕のない人員配置となってしまうこともあり、「ギリギリ青年」ということで「左車青年団・交渉員」ということになった。。。

まぁ青年団に限らず、確実に皆さん大祭りの度に3歳ずつ年齢を重ねている訳で、少子化の影響と昔に比べて職人や商店が減り、地元に残って家業を継ぐことも無くなり、サラリーマン世帯が増えたことで、成人した子供達が「左車」を離れていくということもあり、大祭りも回を重ねるごとに「青年団」の構成は苦しくなっていくことは否めない。。そんな中でも、他所に嫁いだ左車出身娘が子連れ、旦那連れで帰ってきて参加なんてこともあるから楽しい。。。

ともあれ、今回も大祭りに向けて本格的に動き出したということでぇ〜
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8月20日(金)地踊り練習・初日!

地踊り練習・初日平成16年度 飽波神社大祭りに向けての左車区地踊り練習が本日から始まった。
従来通り八月後半の子供達が夏休み中であるこの時期に「前半」、大祭り直前の九月後半に「後半」、大祭り本番前夜に「総ざらい(総練習)」という段取りで練習を進めていく。「総ざらい」については前述の日記の通り、本年度は「前夜祭」のため本番の前々日に行なう予定。

指導して頂くのは「左車一筋40余年」、ずっと指導をしてくださっている「花柳太枝静」師匠をはじめとする一門の師匠方。太枝静師匠は高齢にも関わらず、毎回本当に変わりなく、厳しく、丁寧な舞踊指導をしてくださっている。が、やはり子供連の1時間、青年連の1時間、都合2時間ぶっ続けの毎晩の練習は大変な事と思われる。

毎回、太枝静師匠と共に中心になって指導して下っているのが、太枝静師匠の娘さんにあたる「太枝千穂」師匠である。特に子供連の指導には厳しい太枝静師匠のフォローを、実に巧みに解り易く、これまた丁寧に振り付け指導をなさっている。他にも「静貴」師匠や「静沙也」師匠など、数名のお弟子さん達が子供連・青年連のお手本の踊りを一緒に踊って頂いている。大祭り当日には「手古舞い」として、左車の法被を着て参加して下さる。

左車区の特別番組として「上踊り」がある。「地踊り」は祭りに参加している子供連・青年連が、揃いの法被を着て山車を引く綱の内側で、山車に乗る「芸人衆」の演奏する「長唄」や「端唄」の演奏にあわせて舞踏を披露するもの。対して「上踊り」は「左車区」と「下伝馬区」のみが披露出来る山車を有している。

読んで字の如く「山車」の上に、迫り出して出来た「舞台」の上で、一人で踊りを披露するものである。「左車区」ではかつて「花柳太枝静」師匠の弟子である子供さんを「ゲスト」扱いでお願いして「特別番組」として披露していたのだが、前々回の大祭りから「地元の子供」でという方針で「上踊り」を披露している。

地元の5〜7歳位の女の子(有志)が、大祭りの年の春先から花柳太枝静師匠の元に通い「お稽古」に励んでいる。コレには当然のことながら、経済的な負担や送迎その他で、父兄の労力もかなり掛かっている。本年は4人の女の子が「上踊り」のメンバーとして左車の山車に乗り、お稽古の成果を披露することになっている。前回の大祭で上踊りを披露してそのまま継続して師匠の所にお稽古に通っている子もおり、その子も「特別番組」を二日目の町内「お楽しみどころ」で披露を予定している。

さてさて、練習初日の本日。子供連の練習時間は19時〜20時、青年連は20時〜21時である。世帯数が少なく、当然子供の人数も少ないのではあるが、小学生はほぼ全員参加、幼稚園の園児までもほぼ全員参加での「お稽古」が始まった。

最初は左車区子供連の定番「手習子(てならいこ)」と、青年連もお稽古する「外記猿(げきざる)」の「長唄」2曲。青年連のお稽古はじめは「外記猿(げきざる)」と「五郎(ごろう)」である。子供連・青年連とも初日ではあるが、すぐに三年前のリズムを取り戻したのか、師匠の振り付けについて行っていた。。左車応援部隊である地元企業「島田信用金庫」の皆さんも、初日からお稽古に参加してくれていた。。前半の練習期間8月29日(日)までの十日間でどこまで上達するでしょうか? 前回の大祭りでも感じた事ですが、子供達の上達の早さには驚かされますぅ〜
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8月21日(土)地踊り練習2日目、屋台のお話

2004年度・ポスター本日のお稽古内容は「子供連:『手習子』前半、『外記猿』前半〜終盤迄」「青年連:『外記猿』前半〜終わり迄、『五郎』最初の部分〜中盤迄」

子供達は2日目にして既にお稽古の雰囲気にも慣れて、お師匠さん達のお手本をしっかりと見て着いていってました。青年連は「五郎」の難しい振りにやや苦戦。。。(~_~) お師匠さん曰く「大丈夫!毎日お稽古すれば出来ますから!!」

練習終了後、白子区「奥州」にて練習開始後初めての青年連顔合わせ飲み会を開催。同会場の二階では地元・白子区の青年連も飲み会を行っていた。練習開始二日目であったため、参加者数はそれほど多くはなかったものの、「大祭り」に向けての盛り上がりという事で、それなりにみなサンの会話も弾んでおりました。。終了時刻は深夜零時を少し過ぎておりましたぁ〜

明日ももちろん練習。。中老の年齢域に達した私としては少々辛いものがありましたが、20歳近く年齢の離れた若者とのコミュニケーションは結構楽しかったかな?

そうそう、今年の大祭りポスターですが、実際の写真を元にデザインされたもので、この手法は前回の大祭りと同じである! 前回の大祭りポスターのデザインモデルは、当左車区の姉妹後姿でありました。今回はズバリ「山車」がデザインされていますが、ポスターでは一応の配慮?があり、何処の地区の山車が採用されているのかはっきり分からないような仕上がりになっている。。見る人が見ればデザインの特徴からすぐに「○×区と△▼区の山車だ!」と分かると思います。。。

ポスター原画んで、今年のポスターのデザイン元となる写真がこの画像であります! この写真が欲しい人は「大祭連合会」で発行している「2005年藤枝大祭りカレンダー」を購入するとその中に印刷されています。

来年のカレンダーはセピアカラーの古い写真を使った、今までとチョット毛色の違う仕上がりになっている。古い写真とは背景から察するに、昭和初期や大正時代のものも含まれていると思われる。昔の山車の写真を見ると、やはり現在のものと比べて質素(悪い言い方をすればチャチ)であって、破風なんかも彫り物などは一切なく、「塗り」で仕上げられている。飾り物も花ぼろやビニール製の造花などで大変懐かしい雰囲気である。。。

昨今は各地区とも豪華な山車を新造してきている。前回も何地区かは新造の彫り物付のもの、豪華な2段破風のものなど「見せる山車」風な物が目立ってきている。時代と共に山車自体も変わってきているのが良くわかる。。
そんな中で、今回の大祭りでも新造屋台がデビューする。「千歳区」の山車である。どんな山車に仕上がったのか見てのお楽しみですな。。。

そうそう、昔の「小坂区」などの山車は現在でも駅南のお祭りで活躍中である。昔は大祭りの度に分解保存してあった部材を、大工さんが「トンテンカン」と組み上げていたのだが、子供の頃、夏休みが終わり9月に入ると各地区の公民館の脇などでこの作業が行なわれていて、「ワクワク」しながら毎日見に行った覚えがある。今では何処の地区も、提灯や見送り幕などの飾りのみを外した裸の状態で「倉庫」に格納されている。我が「左車区」と「長楽寺区」以外の地区は、山車のワッパが"松の輪切り"で乾燥によるひび割れを防ぐため、本体から外して西益津地区の「姥ケ池(ひょうたん池)」や旧・市役所跡地横の「堀川」などの池に沈めて保管しているのだ。
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8月24日(火)地踊り練習5日目、チョットお金のお話

本日のお稽古内容は「子供連:『手習子』『外記猿』共に最初から終わり迄、『五郎』最初の部分」「青年連:『外記猿』『五郎』共に最初から終わり迄、『越後獅子』最初の部分」

5日目にして子供連・青年連とも2演目を通しで覚えるというハイペース。。子供達の吸収力には目を見張るものがある。。。子供連・青年連とも、まだ振り付けの流れを覚えるにとどまっているが、これからゆっくりと「長唄」の詞の内容に沿った振り付けである事や、その細かい動作を花柳師匠が指導をしてくださる。青年連は5演目。子供連は4演目を大祭り本番までに踊れるように稽古をするのであるから、簡単では無い。左車自慢の「長唄づくし・地踊り」は青年連・子供連共通の演目が3つもある。花柳流の本格的な難しい振り付けではあるが、是非とも大祭り本番には意識してご覧頂きたいものである。。。

一言に「大祭り」に山車を出す!といっても当然の事ながら、大きな費用が掛かることは言うまでも無い。各地区、規模や参加する人数などでもその費用は違ってくる。規模が大人数になれば費用も嵩む。山車を新造しようものなら、それこそ一千万円以上掛かってくるのだから、こちらの面でも大変である。。。

地区毎にその資金の調達方法は異なっているが、何処の地区も収入源のメインとなるのは、地元各世帯の「寄付」である。世帯数の多い地区ほど「寄付金」集めに有利なことは当然で、我が左車などは世帯数が少ない地区ベスト3位に入ってしまうため、寄付金を集める「中老団」の役員は毎回苦労が多い。。1世帯あたりの相場(負担額)もビックリするような金額(敢えて述べないが)である。

青年団の運営も地区の会計とは別に行なわれており、コレも各地区その資金調達方法は様々である。「参加費」として徴収する方法を取る地区が多いようで、聞くところによるとこの参加費も男性1万円、女性5千円というのが相場らしい。。まるで何処ぞの「お見合いパーティ・合コン」みたいなものだ?

当左車区はこの方法を取るか否かということで毎回懸案になっているのだが、何せこれも地元在住の青年団の人数が少ないため、一律1万円としてしまうのが果たして良いのか?ということで、今回も「参加費」としての徴収は見合わせて、参加して頂ける皆様からの「ご祝儀」という名目で資金集めをするようである。。金額を敢えて決めずに集めることで、団長はじめ役員に名を連ねている面々は、それなりの金額を出さないことには一般参加者からも見込める金額は少なくなるのので、コレも難しいようである。。。
いま話題?の「左車区・源氏車Tシャツ」今回は平成7年度大祭以来の「オリジナルTシャツ販売」を企画して、若干の利益を青年の会計補助に回そうという事で、青年副団長の落合君が頑張った! 画像がその「左車区オリジナル・源氏車Tシャツ」である。渋い色目とシンプルなデザインが、中老団の面々にも好評で売れ行きも良好みたいだ。。勿論、欲しい方には配布可能であるので、「欲しい!」という「さぐるマニア」の方は19時〜21時の間に左車公民館に来ていただければ「一枚・2000円」で販売中である。サイズも子供用のサイズからXLまで用意されているので、早い者勝ち、売り切れゴメンということらしい。。。
(↑既に完売しておりますぅ〜 m(_ _)m)
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8月29日(日)地踊り練習10日目・前半終了!

お稽古開始前の花柳一門本日のお稽古内容は「子供連:『手習子』『外記猿』『五郎』の3演目共に最初から終わり迄」「青年連:『外記猿』『五郎』『越後獅子』の3演目共に最初から終わり迄」

前半10日間の最終日であったが、子供達は本当に良く覚えていた。『手習子』『外記猿』は前回の大祭りの時も披露した演目ではあるが、殆どの子供達の年齢が10歳以下であることを考えれば「覚えていた」ということは無いだろうが、毎回驚きの速さで振り付けを覚えてしまうから大したものである。。青年連は未だ手足が左右逆であったり、振り付けの流れを覚え切れていない人も結構いるのを見ると、ホント子供達には舌を巻く。。。

青年連も前回、前々回の大祭りには『外記猿』『越後獅子』は披露している。が、特に『越後獅子』は前半に早い動きで手足を複雑に動かす振り付けのため、毎回覚える(思い出す?)のに苦労しているようだ。。子供連・青年共、練習初期に習い始めた2演目についてはおさらいもかなりの回数を重ねた所為か、ほぼ完璧に振り付けを覚えていたようだ。。。

花柳太枝静師匠は、後半の練習が始まるまでの20日間のブランクを心配しておられた。。毎回、口癖のようにおっしゃるのは「お休みしないでお稽古にいらっしゃい!お休みすると解んなくなっちゃうから!!」ということである。。。

他地区では9月前半から1ヶ月あまりブッ通しで練習をする地区もあるようだが、当左車区はかなり昔から8月の下旬に前半10日、9月下旬の大祭直前に後半10日という体制で練習を行なっている。。ぶっ続け20日間が良いのかどうかは解らないが、夏休み期間中の方が練習に出席しやすいだろうという事と、早めに練習を開始することで大祭りの盛り上がりを高めようという意図があるらしい。。。

ともあれ、大祭り直前10日間の地踊り練習が始まるまで、しばらく「休憩」ではあるが「中老」の役員はまだまだやることがたくさんあって、特にこれから寄付集めの後半線に突入するのである。青年団も今後、細かい打合せが増えてくる。各部署毎それぞれ大変なのであるが、コレも3年に一度の大祭りならではのこと。。こういう「苦労」もないと「楽しみ」も実感出来ないのよね、実際。。。
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9月3日(金)お祭り「あれこれ」

「祭り」と称したイベントが最近は増えているようだが「藤枝大祭り」はもとより、お隣の「島田大祭・帯祭り」や毎年行なわれる焼津の「荒祭り」のような、祭りの大元に神社(神様)があり、その氏子達が「祀り(まつり)」を行なうという趣旨のものとは大きく違うと思う。。。まぁ、新しい形式のお祭りには「町おこし」や「客寄せ」てきな趣旨のもので単純に「楽しさ」だけを求めたものが多いのでは?

別段、新しいタイプの祭りを批判する訳でも、地元の祭りを自慢して威張って言うわけでは無いが、我が「藤枝大祭り」や前述した近隣市町村の「神社」主体のお祭りは、何れも歴史的にも古く、伝統があり、慣わしや地方独特の暗黙のルールみたいなものもあって、結構厳格に執り行われていると思う。

特に「伝統」の継承は、その地方や地区住民の財産になるものでは無いかとさえ感じるが如何か?自分も子供の頃にはそんな「伝統」など特に意識することも無く、ただ「楽しい」ということでお祭りには参加していたが、年齢を重ねるごとに「伝統」という意識は強く感じるようになってきた。子供達に「伝える」ことは、やはり「大人の使命」では無いだろうか?

大人が正しく子供に伝えなければ「伝統」はあっさり無くなって消えていくことであろう。藤枝の大祭りも昔とは様変わりしつつも、「伝統」はそれなりに受け継がれていると思う。当HP内の「藤枝大祭」関連記事「子供夏祭り」でも書いているが、これも年々寂しいお祭りになっていく傾向で、「伝統」が薄れていく感があった。。。

コレも昨今、大人達(中学PTA)やお天王さん地元の市部区の人達が中心になって「昔のお祭り」の復活に向けいろんな努力をして、一昨年からは小規模ながらも「打ち上げ花火」の復活を実施している。昔通りにお天王さんの境内に櫓を組んで「東西、東西〜!第1号!!菊花繚乱〜!!市部区、何某さまの御献発〜〜〜〜!!!」などと花火の呼び出しも復活。

中学生の神輿パフォーマンスも昔のそれとは様変わりしつつも、子供達も大変「楽しい」様子であったし、祭りに付き物の「露店」も、一時期殆ど出ない状態で2〜3件なんてこともあったのが、今年は結構にぎやかになってまさに「復活」の兆しである。。人出もそれなりに多くなってきているようだ。。。

住民自体も市町村合併や世帯数の増加に伴って変わってきているので「伝統」の継承はどんどん難しくなっていくだろうが、特に「3年に一度の大祭り」は変わらずに存在し続けて貰いたいと思う。まぁ、コレだけの規模でコレだけの大変な準備と労力、コレだけ大きなお金が動くまさに「大祭り」なのだから、無くなることは無いとは思うが。。。

9月4日(土)『左車区・特別番組』のひみつ

大祭り本番まで1ヶ月を切り、各地区とも地踊り練習やら寄付集めやら、準備に忙しい時期に入ってきた!
準備の段階から本番の屋台の引き回しまで大筋は何処の地区もやることは同じなのだが、細かい部分でやり方が違っているようだ。我が「左車区」で言えば、他地区と大きく異なることが一つある。特別番組的な演目「上踊り」があることだ。お隣の「下伝馬区」にも「上踊り」はあるのだが、その準備や位置づけが若干違うように思う。。。

「地踊り練習 初日」の日記にも書いたが、左車では3回前の大祭りから地元の子供による「上踊り」の披露を実施している。今回も4人の女の子が「特別番組」披露に向けて、今年の早い時期から静岡市の花柳太枝静師匠の元へお稽古に通っている。4人のうち1人は前回上踊りを披露した「りなチャン」で、以来そのままお稽古に通うようになり、現在に至る子である。他の3人は上踊り初体験の幼稚園年長の「あみチャン」と「なつきチャン」、小学一年生の「まいチャン」である。

左からなつきチャン、太枝静師匠、あみチャン、まいチャン本日もお稽古日でこの写真は、お稽古終了後にお稽古場でお師匠さんと撮影したもの。お稽古は花柳太枝静師匠が直接指導され、師匠のお弟子さんの太枝静貴さんが、お手本を一緒に踊ってくださるという形で行なわれているようです。大祭り本番までお稽古が出来る回数も少なくなり、仕上げ段階には入っている模様。毎回のお稽古に初披露三人組が静岡まで通い、付き添いの父兄にもかなりの負担があるようです。。

また、本番当日も上踊り披露のための衣装を着付けたり、髪結い、化粧などをバッチリ決めて、山車の上に正座で座っての引き回しは子供本人にとっても結構大変かも?当然ながらかなり目立って、山車の先頭にまるで着飾った「お人形さん」のように座ってますので、近付いてシャッターを押す人も沢山います。「上踊り」を見ようと、左車の屋台を「追っかけ」する人もいるようです。。。

と、まぁ、披露までには相当な苦労があるわけですが、この「左車区特別番組・上踊り」見られる人はラッキーだと思います。確実に何処で披露すると決まっている訳では御座いませんので。どうしても見たいという人は、山車が町内に戻る20時以降に左車町内にお越し頂ければ、見られる確率は高いと申しておきましょう。
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9月11日(土)大祭りまであと20日となりました〜

藤枝の大祭りは3年に一度、「寅・巳・亥・申」の年に執り行われます。本年は「申年」でもって「市制50周年」の年でもあるわけで、「新大祭記・初日」でも紹介しているように、大祭前日の9月30日に「前夜祭」と称して「長唄と地踊りの宴という催しが市民会館で執り行われる。

披露してくださるのは各地区の山車に乗る師匠連、80余名。当然、芸処、わが左車に乗っていただく「八代目・芳村伊十郎」師匠をはじめとするキャストも参加する予定です!

落ち着いて椅子席のある会場でゆっくり楽しむのも良いでしょうが、やっぱり大祭り本番で、屋台の上に乗った師匠連の生演奏と大勢の曳き手による地踊りは、少々荒いPA(音響拡大装置)による音の悪さはご愛嬌。その雰囲気は他所では感じることの出来ないものだと思います。。。

各地区とも、地踊りのほかに特別番組として師匠連の長唄をたっぷりと楽しめる「素唄」も用意されているので、ぜひとも鑑賞して頂きたいと思います。

9月4日(下記)の日記でアップしました「上踊り」のお稽古風景が入手出来ました。撮影協力して頂いたご父兄様に感謝しつつ、皆様にも披露したいと思います。
 → 『 上踊り・稽古の模様 アルバム 』

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9月12日(日)大祭りカウントダウン!各地区の様子は?

大祭り本番前の日曜日は本日を含めてあと3回、祝日もあと2回ほどありますが、敬老の日などの行事で各地区とも「敬老会」を催したりと、9月の残りはかなり忙しくなるでしょう。。。

本日、私事でありますが、子供達は水泳少年団の「プール納め」(夏場は小学校のプールを使うため、その納め式と清掃)に妻と出掛け、お昼を食べてからの帰宅。。左車区の用事も青年の若衆が「花ぼろ販売」をするということでしたが、私はそれもお任せでパスさせて頂き、単身、チャリで各町内の偵察、、(もとい)「取材」に行ってきました。。。

まず、お隣の『下伝馬区』の公民館横にある屋台小屋を覗くと思った通り、シャッターを開放して準備作業を進めているところでした。『下伝馬区』の屋台は前回の大祭りの時に新調した新しいもので、二段唐破風様式の白木造り。近づくとまだ木の良い香りがします。我が『左車区』同様、山車前面に引き出し式の舞台が装備されて「上踊り」も出来る仕組みです。わっぱもはめられて、本番を待ち望むような雰囲気でありました。

チャリンコをそのまま北に進路をとり、『市部区』の公民館を伺うも、人の気配は無し?お天王さん参道入り口にある屋台小屋もシャッターが閉まっていた。。そのまま横町から本市部方面に裏通りを進むとお地蔵さんのお堂前に『市部区』青年団の作品と思しき手書きのポスターを発見!9月から当日までの予定が書かれていて、良くみると本格的な準備作業は来週からのようだ。。。

別の手書きポスターに「全員参加」と大きく書かれた青年・中老総決起集会の文字!気合を感じたのであった。『市部区』は元々3つに別れていた「横町」「前原」「本市部」の町が、昭和25年に合併して今の『市部区』になったということ。最初の祭屋台は「横町」が所有していて、現在のものは地元町内の職人衆の手作りだとか。平成元年に新調され、昔ながらのシンプルな幕引き屋台で、個人的には好きな屋台だな。

お天王さん参道入り口から、前原の権現さんの前を抜けて東高前の通りに出た。通り沿いの『白子会館』にも寄ったが、ここも静かであった。白子も来週からかな?そういえば左車の青年連の最初の飲み会の時、ちょうど同じ会場で『白子区』青年も飲み会を開いていたなぁ。大祭り当日は第2のメイン会場となる白子通りなので、地元青年には特に奮起して頂きたいものである。

白子の屋台は平成4年に新調された総檜造りのもの。一刀彫の彫刻「唐獅子」が施されている。噂だが、当初この屋台は五十海の初参加のために用意を進めていたが、参加のための最終的な調整がつかづ、ちょうど屋台の新調を考えていた『白子区』が引き継いだとかという話がある。真相は定かではない。。あくまでも『噂』であるので。。。

旧・東海道を上り『長楽寺区』も覗いてみたが、ここも静かであった。左車と同様で「わっぱ」も池から引き上げてはめるという作業も無いし、山車自体の準備も他に比べれば楽な方かもしれない? 大祭りに参加する人数も少ない方"ベスト3"に入るのだが、地区自体が街道筋だけで裏に広がることは無く、絶対的に世帯数が少ないのであるから仕方ないことなんだな。同じことは白子や下伝馬、我が左車にも言える事で、昨今の少子化時代の中、夏の子供御輿はこの4地区合同で「本町組(ほぐみ)」として渡行に参加している。

長楽寺区の屋台は、平成12年に新調されて新しい方である。白木造りで後方に円形の飾り窓があるのが特徴。車輪は御所車形式で舵も利く。ちなみにステアリング形式は自動車とおなじ「ラック&ピニオン形式」だ!!(←本当だよ) ビルシュタインのアブソーバとHKSのツインターボも装備する!!(←嘘だよ〜ん)

長楽寺会館から川沿いを進み、そのまま『益津区』に向かった。飽波さんの真ん前、「益津会館」裏手にある屋台小屋の前で、青年連が「梃子棒磨き」の準備をしていた。前述の通り、『長楽寺区』と『左車区』の屋台は車輪が木組みの御所車、源氏車となっており、前輪で舵が取れる仕組みになっている。

浜松の御殿屋台は殆どがこの形式で、やや複雑な構造の『長楽寺区』ラック&ピニオン形式と、『左車区』円盤噛み合わせベアリング式の何れかである。残りの11地区の車輪(わっぱ)は、松の丸太(輪切り)で車軸もほぼ木製。舵は取れないで直進のみの直付け構造。どうやって舵を取るのかといえば、太くて長い丈夫な梃子棒を屋台の前面に突き出して、それを若衆が力任せに押し引きして屋台の向きを変える。操舵の時に片方の車輪だけ車止めをして向きを変えたり、砲丸が組み込まれた台を屋台の下に入れて回転させる方法もある。

いづれにしても方向を変えるのはこの「梃子棒」で、これに命をかける若者も多いようだ。それだけ重要なものである訳なので、「磨き」は大切な準備の一つなのである。益津の屋台も総檜造りで彫刻が多用されている。平成7年に新調したものである。

そのまま南下して『岡出山区』にやってきた。やはり会館横の屋台小屋から屋台を出して「梃子棒磨き」や装備の点検作業をしていた。市役所通りでは青年団が「花ぼろ販売」を一軒一軒歩いてしていた。この収入も青年団の重要な財源となるので、大事な準備作業の一つである。

『岡出山区』は後述する『五十海区』に次いで、新しい大祭り参加地区となる。その歴史は昭和52年の初参加からで、現在の屋台は2代目、平成13年に新調された、彫刻や幕も豪華なものである。

街道に戻りそのまま西進して『上伝馬区』を覗いてみた。お神明(しんめ)さんの境内に屋台を出してあり、「梃子磨き」の準備にかかっていた。『上伝馬区』の屋台小屋は木町の「月見里神社」の裏手にある大きなもので、『小坂区』と『木町区』と合同のものである。
この3地区は大祭りが近づくと、それぞれ池に沈めて保管してあったわっぱを出して装着後、各地区の公民館横に移動して準備作業を進めている。『上伝馬区』の公民館はこの「お神明さん」の奥にあるのだ。

上伝馬の屋台は昔、参加者数の減少から一時期、自動車のシャシーをステアリングもそのまま流用した「タイヤの屋台」だったことがある。そのタイヤを紅白幕で隠してなんだが異様ささえ感じた記憶がある。現在のものは平成7年に新調されたもので、立派なもの!彫刻や欄干、柱、虹梁などはすべて欅(けやき)でできてるそうです。

街道を瀬戸川方面に向けて進み『栄区』の様子を伺うも、ここも静か。。来週からの始動かな? 瀬戸川堤防下の屋台倉庫もシャッターが下り、人影もなく静かに大祭りを待っているかの様子。

栄区は昔は「川原町」という町名で屋台を出していたんだと。大正時代に近隣の「辻町」と「字上伝馬」と合併して『栄区』となったということです。屋台はこれまた平成7年の新調。昨今の流行で彫刻多用の見せる御殿屋台タイプ。彫刻は富山県井波のものだとか。

続いて『木町区』の様子も伺ってきました。やはり公民館横に屋台を出し、装備の点検と青年連は「梃子棒磨き」、梃子棒の先端切り口に「ノミ」と「のこぎり」を使って、町印の「キ」の字を掘り込んでました。

木町の屋台は藤枝では唯一、「漆塗り」の通称「黒屋台」。埼玉は川越市の特徴を生かしたものということです。他の地区とは一目瞭然、雰囲気もまるで違うので、遠めに見てもすぐに「木町の屋台」と判るでしょう。屋台は平成4年に新調されたもので、黒漆、朱漆の下地に袖彫刻が金塗りと、派手な見栄えする屋台です。先代はやはり駅南地区へ渡ったようです。

瀬戸谷街道、通称「木町通り」を南下して、月見里(やまなし)神社を右折、前述の3区合同屋台小屋の脇を通り抜けて、更に旧・藤枝第二小学校の校舎とグランド間を通り抜け、小さな橋を渡り「小坂区」公民館前までやってきた。そのまま「鬼岩寺」の境内に入ると、小坂の青年&中老も屋台の点検と梃子棒の準備に取り掛かっていた。

パイプ鋼管とブルーシートで、屋台がすっぽり収まる大きな仮屋台小屋をこしらえてありました。小坂の屋台も平成10年に新調、随所に彫刻を施した唐破風様式白木造りで、屋台の一番前の柱には「昇り龍、降り龍」が彫刻されています。後方の欄干、留袖には、準備で境内を使用している「鬼岩寺」の本尊、「不動明王と愛染明王」が彫られている。昔は小坂区の住居表示は殆どが「字鬼岩寺」だったようで、まさに地元密着型寺院とでも申しましょうか?

清水川沿いに下り洞雲寺脇を通り抜けて『千歳区』に入った。「若王子神社」前、旧・市役所跡の前を通り過ぎ、蓮華寺池公園を通過。かつて火葬場があった若王子グリーン団地の一角にある「千歳」の屋台小屋に到着。今年度、新調してまだ「お披露目」前のピッカピカの屋台とご対面出来ました!ちょうど梃子棒をセットする場面で、青年連、中老の皆さんどなたも満面の笑顔で作業していました。やはり、ウン千万単位のお買い物だけあって、気合の入り方も違うんでしょうねぇ〜 「お披露目」は来週の予定だとか。。やはり白木ツクリで彫刻も多用されたものでした。。。

最後にかつては田んぼの真っ只中だった場所ですが、いまや幹線道路的な五十海のまっすぐな道を進み、原木神社に向かいます。神社周辺の枝払いや雑草除去作業を中老の方々中心に汗を流して作業されていました。

屋台は勿論、大所帯の五十海らしく、綱先の前を行く「広告塔」みたいな奴の点検から、小山車と言いましょうか?通称「ひょっとこ」と呼ばれる、曳き回し道中に参加者が飲むお酒やビール、ジュースや踊りに使う小物などを運搬する、屋台の後ろに付く車も準備されていました。これが造りも本物の屋台と同じようで、立派なもので驚きです。

『五十海区』は平成6年に屋台を作り、その年は大祭りの年ではなかったのですが、「原木神社」の祭典に合わせて盛大にお披露目をして、翌平成7年の大祭りに初参加しました。今年で4回目。大祭り参加もこれでちょうど一回り(亥→寅→巳→申)したことになります。屋台は下伝馬のものと同じ様式の二段の唐破風が特徴で、破風の間に覗く龍の口から煙が出る仕組み。二重屋根に二段の軒提灯で派手な見栄えです。。曳き手の多さにも圧倒されてしまいます。。。

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とまぁ、各地区とも準備に忙しい9月ということで。。大祭りまで毎晩のように、何かしら段取りやら、休日の度に「暇っさい」(地元方言)をしなければならないのですが、「大変だ〜」といいながらも、やはり祭りは「楽しいもの」ですね。。。

各地区とも屋台の新調が進み、気付いてみれば我が「左車区」の屋台が現存する一番古い屋台(昭和55年新調・平成13年足回りレストア)となってしまいました。梃子で威勢よく舵を取る派手さは無いものの、昔ながらの幕引き源氏車の屋台は身びいきといわれようとも、私は大好きですが!!(^^♪

何処の地区も新調する屋台は「見せる屋台・御殿屋台風」にする傾向が強いようです。ある人に言わせると「あれ(現在各地区で新調される屋台)は藤枝の屋台じゃないよ・・」なんてこともあるようですが、戦前や戦争直後の物自体が無い貧しい時代背景から現在を考えれば、それなりに豊かになり「屋台」にお金を掛けるようになったということでしょうか?

明治時代の3層高欄型の屋台は上部に豪華な人形(ネリもの)があったようで、当時は地踊りや長唄を披露するということよりもこの「ネリもの」の豪華さを競ったような祭りだったみたいですね。それが大正時代になり電線が市中に張られ、この背高ノッポ屋台の曳き回しが不可能になり、下層部の「踊り屋台」(唐破風仕様の幕引き屋台)だけに変わり、当時「長唄名人」と称された六代目・芳村伊十郎(長唄家元)が左車区出身ということで、現在のように芸人の演奏や手踊りの披露中心の祭りに変化していったということです。そんなことから、現在のように屋台が変化していくのも伝統を継承しつつも時代の流れということでしょうか?別に批判する要因はないんじゃないかと私は考えますが。。。

 → グルッと藤枝・祭り前、町内巡りのサイクリング風景(webryアルバム版)

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9月17日(金)地踊り練習後半スタート!屋台曳き回しの裏話

掲題の通り、本日から地踊り練習の後半戦の始まりである。太枝静師匠は静岡の「神明宮」祭りの折開き出席のため不在。太枝千穂師匠が中心になっての後半戦スタートとなりました。

「練習」というより「お稽古」という表現の方が、我が左車区の場合は合っているように思う。花柳師匠の指導は、本当に厳しくも丁寧で、変な妥協が無いのである。軽いノリの「練習」というよりも、師匠達のお手本を真剣に真似る「お稽古」なのである。

☆左車区 地踊り練習 通算11日目
本日のお稽古内容は・・・「子供連:『手習子』『外記猿』『五郎』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『秋色種』の前半の部分」「青年連:『外記猿』『五郎』『越後獅子』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『秋色種』と『共奴』の前半部分」

地踊りお稽古後半戦初日・子供連のお稽古風景子供連・青年連とも8月のお稽古で覚えた3演目は、3週間程のブランクにも関わらず、ちゃんと覚えていました! 『秋色種』は全くの新演目。。どちらかといえばゆったりとしたノリの表現は難しい演目です。。。 青年連の『共奴』は前回の大祭りが初演だったのですが、お稽古が始まってみると結構皆さん覚えていて、師匠のお手本についていけるから驚き!! 残り10日余りで子供連は残り1演目、青年連も2演目を習得して、それぞれの演目の長唄地踊りを大祭り当日にお届けいたします。

他地区の踊り練習の様子を伺ったのですが、練習日や回数、時間もマチマチで、左車は練習日が多い方だと判明。少ない地区では練習日の総数が10日に満たない地区もあるようで、力の入れ方が違うんだなぁと感じました。実際、祭り当日の披露回数も、実は当・左車区がダントツに多いのですよ!ホント。。。

地踊りそのものに力を入れているということもさることながら、その主たる要因は「機動力」にあるのです。たとえば曳き手、踊り手人数の多い地区では、実際に引き回しの際、山車を停車させて、ご祝儀の披露をして、踊り手が整列して踊りが始まるまでの統率を図るのにも一苦労。時間も大層掛かり、曳き回しの時間やルートを守るのには苦労が多いと聞きます。

他地区の屋台は先日のレポートでも述べましたが、ワッパが重く、梃子も大変、足も遅いというハンデがありますが、左車区はその点でも大いにアドバンテージ。踊り手の配置や整列の仕方まで、お稽古の時に打ち合わせをして全員に周知徹底します。
屋台も大人数人で楽々動かせる足回りのレスポンスの良さ!当日は一寸した下り坂でも走り過ぎるくらい足が早い!!
曳き手・踊り手の人数も比較的少ないので、統率が取りやすいということもあります。そのため3日間の行程も細かく、分刻みで踊るポイント(過去のデータを振り返り、ご祝儀を多く頂けるポイントを予定に配慮)を組み込むことが可能になっている。

勿論、当日の天候や他地区との交渉もあるため、行程通りにはナカナカ行かないものの、前述の理由から他地区と比較してもかなり回数の多い番組披露が可能になっている。これも自慢の一つといっても良いと思う。これも他所で頂けるご祝儀を重点管理項目として扱わざる得ない(地元の寄付のみでは世帯数の限界から運営に無理がある)事情が背景にあるのだが、藤枝大祭り本来の姿「地踊り披露」の回数が多いというのが、ご祝儀集めに一役買っている事は言うまでもないだろう。

上記に述べた通り、細かい行程の実現と自慢の地踊り・上踊り・素唄をなるべく沢山披露出来るように、「交渉」の仕事には結構なプレッシャーが掛かるのだが、反面実際に踊りのポイントを決めたり、曳き違いの段取りをするのは「交渉」の任務でもあるので、非常に遣り甲斐のある面白い仕事である。私事ではありますがそんな職務に、前回に引き続き2回目を担当させて頂けるのは光栄な事だと自負しております。。。

この交渉の仕事も当日のみに限らず、事前の業務もそれなりに結構あるのです。9月21日の19時から交通係と共に、飽波さんの社務所で事前会議があります。当日の交通規制の確認や警察の交通課との連絡事項、指示事項の確認などが主な議題。勿論、警察の方もおいでになります。。。

今年は日曜日の午前中、交通規制の掛かる前に本通(旧東海道)に西向き3台、東向き4台の屋台があり、路線バスをやり過ごしながらの地踊り披露、曳き違いなど問題が多く、この事前調整の大筋もこの席で話し合うことになりそうです。。。

ともかく、始まってしまえば勢いを借りての交渉もあり、口角泡飛ばしての話し合いもあったりします。屋台から離れてずっと先の方で、車座になった黄色の腕章をつけた交渉員同士の話し合いを目撃されたら、見物するのもこの藤枝大祭りを理解するのには格好の機会だと思います。御目に掛かれたらラッキーだと思いますよ!!
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9月18日(土)地踊り練習後半2日目、徐々に盛り上がる左車区

☆左車区 本日のお稽古内容(通算12日目)
「子供連:『手習子』『外記猿』『五郎』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『秋色種』の前半の部分(『秋色種』は昨日よりも少しだけ進みました)」「青年連:『外記猿』『五郎』『越後獅子』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『共奴』の前半部分、『秋色種』は昨日よりもだいぶ進んでほぼ終わりまで通してのお稽古でした」

新演目『秋色種』 青年連のお稽古風景大祭り本番までのカウントダウンが始まり、青年・中老の各部署とも準備も大詰め、毎晩忙しい日が続きます。来週の日曜日に屋台の飾り付けを予定しているため、明日は最終的な備品の確認作業と通行規制の予告看板設置、中老の役員会議及び、各部署の打ち合わせ会議、青年連花ぼろ販売など予定もいっぱい。。。

本日、地踊りお稽古終了後、白子の「奥州」で青年連の飲み会がございました。中老の年齢に近い我々の他、現役中老で青年連と付き合いの良い人も参加して頂きました。飲み会も徐々に具体的な祭りの話題で盛り上がり出し、最後の締めは今年度初となる青年団長の「♪木遣り」歌いで〆ました。(若者達は2次会に向かいましたが、我々中老&中老的青年は明日のことも考え、午前少し過ぎに解散となりました・・・)

さぁ、祭り一色の2週間の始まりかな!
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9月19日(日)千歳区・新造屋台お披露目&大祭ルーツの話

後半戦の地踊りお稽古がスタートしたのだが、本日明日と2日間、お稽古はお休みである。本日は大祭りの準備作業として、中老団・青年団とも左車公民館および屋台小屋で交通規制の予告看板設置やら、来週の日曜日に予定している屋台の飾りつけの事前作業として備品類の最終点検を行った。作業終了後、中老団は公民館で各部署の係長級が参集しての会議が行われた。各部署ごとの準備状況の確認と、今後の具体的な相談が主な議題。本番が近づいてきているので、実務的な問題点などが詳しく打ち合わせされていた。。。

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本日は千歳区の新造された屋台のお披露目があり、当地区にも連合会役員がご招待されていた。会議打ち合わせ終了後、私は長男と一緒にお披露目を見物に出掛けた。

先週、他地区の準備状況を取材に回った時に遠目に拝見させて貰ったが、キチンとフル装備で飾られたピッカピカの屋台を近くで見ると、本当に木の香りがして白木が眩しいくらいに輝いていた。来賓には藤枝市長・松野氏の姿もあり、ご祝辞も披露していた。松野市長のご祝辞には、屋台新築にあたり町内会の苦労が察せられること、本年は市制50周年の年でもあり、その年に新造された屋台でもあるので、皆さんの思い出にもより深く残るのでは?というような事も述べられていました。

続いて藤枝大祭連合会会長の村松氏にもご祝辞を頂いて、「私はお祭りが大好きです!・・・中略・・・太い梃子棒を他の地区では地下足袋履きで操作するのに対し、白い鼻緒の草履履きで見事に操っているのは、千歳区の青年だけだと記憶しています!」などからなる言葉に、流石連合会会長!見ている所が違うなぁと感じた次第。。。

新造された屋台は最近流行の御殿屋台タイプと、昔ながらの幕引き屋台が巧く融合した出来栄えでした。白木が美しく、欄間や後方、破風上部の彫刻にも「千歳区」らしさというか、テーマが見取れて「良い屋台だな」と感じました。後方の見送り幕も先代のデザインそのままに、大きな町印「松」に紺と白の横縞模様で、しっかりと「藤枝屋台の粋」が感じられました。先代の屋台は青島地区は東町へ譲られていったようです。今回の大祭りには青島・東町から千歳区に、30名程の友情参加があるそうです。

地区の法被を着て参集した皆さんも、一足早い祭り気分に高揚している様子でした。式典のあと、若王子グリーン団地の一角にある屋台小屋を出て、曳き初めの町内一周お披露目に出発したようです。大祭り本番には芸人衆も乗り込み、賑やかな"シャギリ"でもっともっと盛り上がることでしょう。

 → 本日の左車の準備の様子、先日お見せ出来なかった白子や市部区の屋台準備風景、本日新調山車お披露目の千歳区の様子(webryアルバム版)

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広幡・青山八幡宮の祭りの様子さてさて本日は、お隣の広幡地区最大のイベント「青山八幡宮」の例祭も執り行われていました。藤枝大祭りのルーツも実はここの祭りにあるんですね!

例祭は元々9月15日だったようですが、近年はその付近の日曜日に行われているようです。現在八幡さんの祭りは、3基の御神輿で渡行するスタイルですが、江戸時代、藤枝を田中藩が統治していた時代には、この祭りに「左車・下伝馬・白子・長楽寺・鍛治町・吹屋町・上伝馬・河原町」の藤枝宿8地区から屋台を出して曳き回していたとか。。。

明治時代になり廃藩置県の末、明治6年に藤枝町の郷社が飽波さんになり、祭りの対象も青山八幡宮から飽波神社になり現在のような祭りの基礎が出来上がったそうだ。八幡さんの祭りは明治4年から、現在のような御輿渡行のスタイルになったようです。

その後、藤枝の屋台は一旦廃れて行ったようだが、日露戦争の奉祝で復活。屋台は「三層高欄型」と呼ばれる上部にネリモノ(人形)がついたものへと変わっていったとのこと。その屋台も大正時代に入り、町中に電線が張り巡らされるようになると曳き回し不能となり、上部のネリモノを取り除いた「唐破風様式・踊り幕引き屋台」に変化し、現在の屋台の原型が出来上がっていったようだ。現在の祭りの中心的な地踊り披露や芸人衆による本格邦楽披露も、当時の長唄名人・6代目 芳村伊十郎が左車区出身ということもあり、このころから発展し始めたらしい。。。

今日は折角なので、千歳のお披露目見物をしてその足で八幡さんの様子も見てきました。3基のお御輿は渡行に出て見ることは出来ませんでしたが、露天も結構出て賑やかでした。。夜には打ち上げ花火も祭りに色を添えるようです。。。
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9月21日(火)恒例の飽波神社での会合にて

左車区の地踊りお稽古は後半3日目、通算で13日目である。
本日私はお稽古時間と重なり、飽波神社社務所で連合会主催の事前打ち合わせ会議があり、そちらに出席した。会議には各地区の中老団長・交渉員・交通係が召集され、連合会役員の皆さんも勢ぞろいしておりました。

メインの議題は会議に来て頂いた、藤枝警察署の地域課長・交通課長・交通係長からの連絡事項と、注意事項・祭典当日の指導などである。警察方からの注意を要約すると、とにかく「事故の無い様に」「安全に楽しく」「交通規制のルールを尊守すること」などであった。

交通規制解除は21時半であるが、これはあくまで解除の時間であって、祭りの終わりの時間ではナイ! 21時に道路上での踊りなどは一切終了し、21時半には何処の地区も屋台は、収納される箇所に収まっていなければならないことを徹底されました。また警察の地域課長からは、県内他地区の祭りで実際に起こった事故などの状況も紹介され、楽しい祭りにも「危険」がつき物であることを知らされました。

全体会終了後、今回各地区の行動表がハッキリした時点で起こった問題点の打ち合わせが、中老団長と交渉員で話し合われました。具体的には、大祭り3日目の日曜日午前中10時〜11時の間、特に10時半頃の交通規制が実施される以前に、本通り(旧街道)の白子・東高入り口から千歳・旧駿河銀行交差点までの間に、西行き3台+東行き4台=計7台もの屋台が集中してしまう事で、当日の同時間帯に路線バスが、上下合わせて16本も通過するという事態が判明したのである。

ただでさえ交通規制のない時間帯で「曳き違い」や「曳き抜き」をするのは非常に困難な作業で、交通係の負担も大きく大渋滞をも引き起こしかねないのにも関わらず、まともにこれだけの屋台がこの範囲にいるということは、実際に一般車両やバスの通行は不可能ともいえる事態なのだ。各地区ともこれには一応の理解を示し、時間帯の変更や本通り以外での曳き違いなども調整し、当日綿密に交渉しながら事態の打開を図るということで会議は終了した。

実際にどういうことになるのかは当日のお楽しみ?ではあるが、交渉員の立場からすればあまり歓迎すべく事態ではないことは言うまでもない。。。(ーー;)

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中老団長を中心に打ち合わせにも熱が入る、左車中老団飽波神社での会合を終えて左車公民館に急いで戻ると、青年連の地踊りお稽古・後半真っ最中であった。新演目の『秋色種』も一応最後までの通しでお稽古。披露時間が最も長く、調子もよく動きの激しい『共奴』も大分お稽古が進み、通しまであと一息のところまで来ている。信の皆さんも業務終了後、サービス残業で頑張ってお稽古に励んでました。初めて参加の方も見えますが、本当によく覚えたと関心します。

大祭り当日まであと10日、実際にお稽古の出来る日は総ざらえも含めてあと8日です。お師匠さん達も一生懸命で、21時の終了時間を過ぎてまで熱心にお稽古は続いていました。皆さん汗びっしょりでも、お稽古終了後は気持ちいい笑顔で、挨拶して帰宅していきました。
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9月23日(木)地踊りお稽古・後半戦5日目

左車区の地踊りお稽古、本日は後半5日目、通算15日目である。
祭り本番も近づいて、お彼岸のお中日(秋分の日)で祭日の今晩はさすがに出席率も良く、子供連・青年連共に気合の入ったお稽古となっていた。

☆左車区 本日のお稽古内容は。。。
「子供連:『手習子』『外記猿』『五郎』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『秋色種』も一応、終わりまで通しでお稽古」「青年連:『外記猿』『五郎』『越後獅子』の3演目ともに最初から終わりまでおさらい。『共奴』『秋色種』共に終わりまで通してのお稽古でした」

子供連・青年連共に演じる『秋色種』は、動きこそゆったりとしているのですが、動作や表現・キメが難しい。。扇子を使って踊るのですが、師匠方のお手本通りにはナカナカ思うように決まらず、皆さん苦労しているようです。青年連の『共奴』は調子の良い演目ではあるのですが、動きも早く、振り付けも非常に難しい。演奏時間も非常に長いということで、こちらも大汗をかきながらのお稽古となっております。

お師匠さん方も日が迫り、時間が無い事をしっかりと理解しながら、効率の良い指導を考えて頂いているのが分かります。青年も、子供達も一生懸命に応えているのも良く感じ取れます。

本年は市制50周年事業ということで、市民会館で行われる『前夜祭・長唄と地踊りの宴』が、大祭り本番前夜に行われる。左車区に出演する「八代目・芳村伊十郎師匠」をはじめとする芸人衆がこれに出演のため、例年前夜に行われる総ざらえが前々日の夜ということになっている。本番まで一夜ブランクが空くのも一寸考え物である。

花柳師匠は上踊りの音合わせ(リハーサル)の時間も取れないのでは?と心配なさっておられる。一応最低限、上踊りだけは「生音」で合わせておく必要があるため、大祭り初日の午前中、出発前に行う方向で中老総務と芸人係の方で調整中である。

地踊りの音合わせは、初日の町内周りのぶっつけ本番でも何とかなるもので、前回は伊十郎師匠が実際に出演してくださっているので、踊り手も感を取り戻すのにそんなに苦労はしないのでは?という甘い考えもあるみたいでぇ〜

何はともあれ、本番まであと一週間となりました。青年連へのご祝儀も「大安」の本日、結構集まったみたいですし、気分は高まるばかり!!

 → 左車区、本日の地踊りお稽古の様子!

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9月26日(日)左車区・屋台準備編

大祭り本番まであと『5日』!本日は大祭り前の最終日曜日、左車区の屋台飾りつけを施す日である。
天候が雨ならば屋台小屋から出すことなく作業をする予定であったが、幸い雨は落ちてきていない。が、今にも泣き出しそうな空模様であるため、少々焦り気味で作業をすることになった。

午前9:00、定刻よりも前に中老、青年とも馴染みの顔ぶれは屋台小屋に集合している。近所の子供達も大人達の動向に「祭り」の匂いを察知して集まって来た。

早速、ジャッキアップして台座に浮かせて収納してあった屋台を移動可能な状態に戻し、梃子棒を装着!!この時とばかりに本番当日では乗ることの出来ない屋台に子供達が乗り込む。ゆっくりと慎重に屋台小屋から道路に出す。

このまま、左車区のほぼ中央に位置する「時田接骨院」様の駐車場に屋台を移動する。移動しながら、一日目と三日目のルートでもある通りに屋根係長が乗り込み、電線に印の白布をつけながら移動する。

雨天なら屋台小屋で静かに行われるべくこの作業。地区のほぼ中央の街道沿い。ギャラリーも集まってお祭り気分は否が応でも高まる。皆、一様に笑顔である。みんなに見て貰いながら屋台はどんどん支度が進みメイクアップが完了していく。これも藤枝・左車の「風物詩」の一つと言えよう。

誰彼無く、掃除、幕の支度、屋根の支度、提灯や電球の支度と作業が進んでいく。3年のブランクに「オイ!ここはどうだっけかぁ?」とか「オイ!違うぞそりゃぁ!」とか会話をしながらの作業である。思い出せない部分もあり写真を見ながら確認したり、前回の反省を生かして一寸した改良、工夫を加えたりしながら作業は完了した。

お昼少し前に再び屋台小屋へ収納するために移動を開始した。屋台小屋に収納を終えて、公民館に向かうと「雨」が降り出した。ホントに日ごろの行いの良さか?週間天気予報でも台風の接近と雨の予報は大祭り当日の1日〜3日は外れていて晴れマークが伺える。天気予報もこのまま当たってくれることを祈るばかりである。

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さて、晩は地踊りのお稽古である。後半戦に入って8日目、通算18日目のお稽古である。

子供連は『手習子』『外記猿』『五郎』は皆ほぼ完璧に覚えているようで、3回づつお浚いをしただけでお稽古終了。振りもそろってきて綺麗に見えてきた。お稽古の後半を『秋色種』に時間を割いた。

青年連も『外記猿』『五郎』『越後獅子』『秋色種』はほぼ完璧に覚えて、おのおの2回づつのお浚いでお稽古終了。後半の殆どの時間を『共奴』に割いた。ホント『共奴』は難しい。。花柳流舞踏の試験課題曲でもあるそうだ。。。

☆☆本日行われた『左車區・屋台準備編 写真集はこちらをクリック』してご覧ください。。。

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・・・そうそう、本日相棒ミヤサが地踊りお稽古に、突如子供を連れて現れた!子供の情操教育の一環?で、老若男女が真剣に緊張した雰囲気の中で、お祭りのためのお稽古に励む姿を見せたかったと言うことらしい。
ミヤサは諸事情で今回は左車区応援参加は出来ないのだが、青年連に対して過分なるご祝儀まで頂いてしまった。この場を借りて御礼申し上げます。m(_ _)m
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9月27日(月)必見!左車区最終日・連合会本部前!!

左車区・地踊りお稽古後半戦9日目。通算19日目。お稽古は今日、明日の2回と明後日の総ざらえのあと3回。

子供連、青年連ともほぼ振り付けは覚えきったようです。お浚いをしながら、細かい部分の指導を受けながらのお稽古でした。

本日はこのHPをご覧のみなさまのみに秘密のお知らせをしましょう!
大祭り最終日の日曜日、16:30から左車区は千歳区の旧・駿河銀行前の連合会本部前で披露をさせていただきます。広報藤枝などで披露する演目を「越後獅子」としてお知らせしてありますが、この「越後獅子」、一寸嗜好を凝らしてあります。

昨晩、地踊りお稽古終了後、中老の進行担当や芸人係の方や青年連役員と話し合いを持ち、他の地区では真似が出来ない「越後獅子」を披露してみようということになりました。残り3日のお稽古の中で調整をしながら本番で披露する予定です。

詳しく述べることはここでは差し控えますが、『必見』の価値有りだと自負しております。このアイディアには振り付け舞踏指導の花柳師匠や芳村伊十郎家元にも賛同をいただき、協力していただける段取りになりました。もったいぶった言い方ですが、是非、当日をお楽しみに。

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☆☆ 昨日の午後、左車区公民館で「上踊り」の最後のお稽古が行われました。
   その詳細を撮影したスライド・ショー『こちらをクリックしてご覧ください』
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9月29日(水)台風を吹っ飛ばせ!「左車区・総ざらえ」編

台風接近中!!(>_<) 本来なら今晩は「総ざらえ」を成田山境内をお借りして屋台を出して行なう予定であったが、やむなく中止。左車区民館内での「総ざらえ」となった。。。

例年であればこのイベントは大祭り本番前夜に行なうのであるが、何度も述べてきているように今年は「市制50周年事業」の一環で市民会館での「前夜祭」が行なわれるために前々日の今晩の実施となった。

左車区では例年、屋台を成田山境内に出し、装備や電装関係、音響関係の最終リハーサルも兼ねて実際に演奏を担当する長唄方、三味線方、鳴り物方の芸人衆に屋台に上がっていただき、マイクチェック、ミキサーPAの調整をある程度行い、出来る限り「良い音」で響くような調整を行なっている。

左車区の電気係で音響をも担当する方は毎年決まっている。彼は平成7年に「青年団長」も経験しているのだが、この時にもPA(音響)は自ら調整を行なっていた。実は私も少々この辺の知識と経験があるため彼とは意見も一致することが多く、微力ながら毎回お手伝いをさせていただきながら実際のお祭りでいかに「良い音」で披露出来るかそれなりに勉強させて頂いている。

別段、他地区の悪口を言うつもりは毛頭無いが、中には酷い「音」で只々大音量で「鳴らしている」というPAも多い。。音は歪んで完全に「オーバードライブ」状態なのに「平気の平左」という屋台もあるのだ実際。。。

左車区に乗って演奏していただける芸人の皆さんはこの辺の気遣いもあり、自らマイクの位置の調整や鳴り物の音のバランスなども考慮していらっしゃるのがよく解るのだ。せっかく一流の演奏を披露するのだからこの辺も気を使うのは当然の事だと思う。
が、やはり音量も欲しいのは事実で、屋台の屋根前部に取り付けたラウドスピーカー(通称・ラッパ)から出る音は「良い音」とは言いがたい。まさか屋台にコンサート用PAスピーカーを積むわけにもいかず、この辺はジレンマである。そもそも、この手の邦楽演奏は本来PAなど使わずに生音で楽しむものなのだから無理は無いのだが。。まさに「アンプラグド」。。。

そんな、音響機器の設置も本年は雨の中、屋台小屋で行なわれた。発電機搭載もあわせて行い、最終的な調整は初日・自地区廻りにぶっつけ本番で行なうことになった。まぁ、それでも心配には及ばない。各方面、皆経験者でそれなりに助け合って格好が付いていくのがこの大祭りなのである。

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さて、公民館には定刻19:00に子供連をはじめ多くの方が集まってきている。例年、総ざらえには法被の上のみを羽織って角帯を締めて集合する。踊りのお稽古にあわせて花柳師匠から粋な法被の着方や帯の締め方(男縛り・貝の口)も教えていただく。

普段、着付けない衣装だけに「知らない」人や「忘れてしまった」人も多いのでコレも重要な準備項目といえよう。帯の位置が上過ぎたり、法被の着丈(肩から裾までの長さ)、行き丈(袖の長さ)が長すぎたりするだけで「野暮ったい」モノになってしまうから難しい。だらしなく着るとまるで商店街の売り出しみたいな雰囲気になり「粋」さは消えてしまう。。この辺の「粋」も大祭りならではのもので「伝統」でもある。大事にしていきたいものである。。。

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衣装の話が出たのでついでに述べるが、今回は連合会の方から「お達し」がありこの衣装関連の注意事項もいくつかあげられている。以下の通りである。

1.サングラスは着用禁止(理由のある場合は各地区の中老団長の許可を取る) ←当然ですな、。法被にサングラスじゃねぇ〜

2.履物は原則的に「草履」を履き、鼻緒は白または紅白のものとする。地下足袋は梃子係など必要な人のみとする。やはり『粋』に決めるなら草履ですね! ←これも当然といえば当然、藤枝のお祭りは「藤倉草履」が正統派です!

3.華美な化粧は控えること。 ←これは最近流行のタトゥーやラメ入りなど派手なヘアカラー、などを差している。あくまで「粋」に手ぬぐいや鉢巻を使用してのメイクは格好いいですよね!目立てば良いなんて、勘違いしている人が多いんだ、コレが。。。

4.法被は必ず着用のこと。 ←法被を着ないで肉襦袢と腹掛けのみというのは禁止ということ。藤枝大祭りの正装とは・・・

・・・下は黒または藍染の股引、黒足袋、藤倉草履を履く。 上は肉襦袢または鯉口シャツ(最近は江戸前のダボシャツ既製品が多く着用されている) 腹掛けをして下襦袢(コレが一番高価で皆ここでお洒落をする。化繊の既製品のものから絹の本仕立てのものまでピンからキリまであるが、多くの人はココにお金をかける)着用する。 その上から地区の揃いの法被を着て、法被の片袖のみを脱いで片側の下襦袢が見えるようにする。 片袖は脱がなくとも可。 帯は角帯を貝の口で結ぶ。帯びには「火の用心」のお守り袋とひょうたんをぶら下げる。 昔はコレに花笠を背負っていたのだが、最近は殆ど見られなくなった。腹掛けには「どんぶり」と呼ばれる大きなドラえもんのポケットのような物入れがついている。 ここに頂いたご祝儀や手拭い、扇子などを突っ込んでおくのである。 屋根係や梃子係は仕事の性質上、法被を着ないで腹掛け&肉襦袢スタイル、足には地下足袋をはいていることが多い。

先日の日記にも書いたが、千歳区の梃子を操る若衆は藤倉草履だった、大したものである。連絡係なども前方の祝儀係や交渉員の指示を屋台元へ伝えるため激走するため地下足袋を着用していることも多い。 が、地下足袋は本来祭りの衣装ではなく「作業着」なので、これを衣装と勘違いしているのは「粋」ではない。

以上が、大まかな衣装に関しての事柄である。。。

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話が逸れてしまったが、公民館での総ざらえの話題に戻ろう。
揃いの法被を着てあつまった主には子供連とそのお母さん方、近所の老人会の皆さんなどの前で「上踊り」の総ざらえが始まっていた。今回、折に触れて紹介してきた地元の4人の上踊リストも大勢の人前で披露するのは今回が初!やや緊張気味であった。

子供達も一緒に地踊りをお稽古してきた仲間が綺麗なお稽古用の浴衣に身を包んで難しい踊りを披露する子達を食い入るように静かに鑑賞していた。お祭り本番ではもっともっと多くのお客さんが取り巻く中での特別番組、盛り上がりは必至であろう。

上踊りの披露が終わり、地踊りの総ざらえが行われた。子供連は4演目とも1回づつのお浚いで師匠のOKが出ました。後は本番を待つのみです。

青年連も難しい『共奴』と秘密の出し物『左車区&伊十郎・越後獅子平成スーパーリミックス』バージョンのお稽古を3回ほど繰り返し、他の3演目は1回づつのお浚いのみで完了!!近づく台風の影響で雨の中、青年連も出席率がよく、左車区応援の頼みの綱「しましん」の皆さんも集まって頂いた。

お浚いの終わりに左車区の名物パフォーマンス『木遣り』の振り付けの確認とパフォーマンス練習をした。
まだまだ、気合が足りず 特に若い青年団幹部に「照れ」も感じられ本番の時のような威勢の良さは無いものの、それぞれ胸に秘めたお祭りへの期待というか楽しみみたいなものは感じられた。

総ざらえ終了時、中老団長・相馬さんの挨拶で「前夜祭の影響で一日空いてしまうけれどもテンションを高めていきましょう!」との言葉に皆うなずいていました。。。
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9月30日(木)左車區・濱小路に幟旗立つ!!

大祭り前日の朝を迎えた。予報どおり台風は夜中のうちに通り抜けて行き、台風一過。。透き通るような青空と西の空には丸い月が今だ微笑んでいるかのよう。。。

幸いなことに藤枝界隈には被害は無かったが、各地で大きな被害が出ている。台風のコースが一寸変わっていたりして藤枝にも被害が出ようものならお祭りどころではなくなってしまうところだが、まず一安心か。

大祭りを明日に控えた本日、早朝6時前には我が家の前に「左車区・濱小路6組」の旦那衆、かぁさん連中が集まってきている。恒例の「祭幟立て」を行うためである!今でも戸支部を外れた地方のお祭りでは見かけることはあるが、その存在は確実に減りつつあるようだ。

「左車・濱小路」の幟は高さ15mほどで小路の脇に空けられた四角い穴に直径30cmほど、高さ2mほどの「親柱」を建てこみ、これに沿わせるように「旗竿」を建てる仕様。。「幟旗」の脇の路面にはもう一つ小さな穴が空いていて、これに2mほどの「軒提灯」を吊るす為の屋根つきの柱を立てる。

「軒提灯」と「旗竿」の両方に「花ボロ」、「榊」で飾り「旗」の最下部には黒と赤の布で綿を入れこさえた「猿」の人形をぶら下げる。「猿」には鈴が着けられており、「旗」が風で振られるたびに鈴の良い音色が響く。

「旗」には『神徳霑八絋 昭和九年十月 左車區濱組』と力強い書が記されている。実はこの幟旗と竿に付属する部材やロープ、軒提灯、猿の飾り人形などは本年の二月までは昭和9年以来我が家で預かり管理をしていた。。。が、昭和5年に建てた自宅の老朽化が否めず、本年春から新築建て替え工事に着手するのを機に、濱組で相談を持つようにお願いして、他のお宅で管理していただくことになった。

幟旗の管理には結構な気苦労が伴うもので、自宅のまん前にある旗が雨でぬれないようにとウチの爺さん婆さんはお祭りの間お空の様子を伺いながら、降りそうな時には旗の上げ下ろしを行っていたのだ。

5年ほど前には旗の上部の損傷が激しく、宛布をして補強修復もウチで施していた。元々丈夫な布だけに普通の木綿針では縫うのにも大変なほどであった。旗の下に飾る「猿」もウチの亡くなったバァちゃんがコサエタモノ。バァちゃんは和裁が得意で白子の呉服屋さんの「お針子」もしていた。大祭りの年には色んな地区から知り合いを伝に下襦袢の襟に飾る名前の刺繍の注文が殺到していて、一針一針丁寧に仕事をしていたのであった。金糸、銀糸で格好の良い書体で刺繍された襟の名前も祭りの「粋」を彩る一つのアイテムだと思う。

そんな「祭幟立て」も賑やかに無事完了。私をはじめサラリーマンが殆どの若者は作業に関わることが少なく、隠居した旦那衆がメインになっての作業で「このまんまじゃぁ、しまいにゃ〜建て方んわかんなくなっちゃうらよ〜」などと申されておりました。

確かにその通り、私も隣に住む今回の青年副団長の川口君も、デジカメ片手に作業を見守っていたのではあるが、「祭幟立て」を存続するためには近いうちにしっかりと教わって、我々がメインで作業しないといけないなぁなどとも考えました。

濱小路の世帯数は昔と殆ど変わらないのですが、確実に少子化が進んでいることと、昔のように自営業、職人衆の割合も減りサラリーマン世帯になってきているのもこうした「風物詩」存続を危ぶんでいる一つの要因でしょう。

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晩には市民会館で「前夜祭・長唄と地踊りの競演」が行われる。左車地区でも多くの方がチケットを購入して鑑賞に出かけたようだ。

勿論これには左車区の屋台に乗っていただく「芳村宗家・八代目 芳村伊十郎家元」をはじめとする唄方、三味線方、鳴り物方のメンバーが出演する。地踊りも市部と五十海だったかな?披露するようだ。まぁ、市民会館の舞台で披露する時点で「地踊り」ではなくなってしまうのだが。。(~o~)
「地踊り」とは日舞を舞台ではなく「地面で踊る」ことからきているらしい。。。

左車区青年連の団長、副団長もチケットを割り当てで購入したため出掛けて行ったが、残る青年連で祭りが待ちきれないメンバーが公民館に集まってきている。島田の提灯屋に新調依頼して出来上がった弓張り提灯を広げて弓にセット、前からある提灯も共奴のお稽古で使用していたため再点検をしてそれぞれに照明をセット。これも15年ほど前まではちゃんと「蝋燭」を使っていたのですがねぇ。。時代の流れです。。。そのうち小型ソーラー発電機付きLED仕様の提灯が登場するのでは?(~o~)

女性陣は踊りのお浚いをビデオを見ながら自主的に行っていた。もうやる気満々!!そうこうするうちに市民会館から帰着したメンバーや遅がけに出てきたメンバーも増えて酒宴に移行していった。昭和55年の左車区の屋台新調の時のビデオやら、前回のケーブルTVのビデオなどを見ながら大騒ぎ。
木遣りも止まらなくなり祭りの前夜は更けて行った。。。

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☆☆◆◆本日のショット。左から、濱小路幟立つ/濱組旦那衆/濱組・親柱◆◆☆☆
左から、濱小路幟立つ/濱組旦那衆/濱組・親柱
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10月1日(金)平成16年度・大祭り初日!

小学校は2時限または3時限で授業を打ち切り、給食も無しの超短縮授業で対応。幼稚園も11時半降園の短縮保育で対応。万全の大祭りモードである。

左車区では朝9時には屋台小屋へ青年、中老のメンバーが屋台を出す準備に集まっていた。同時進行で、正副組長や祭典委員、町内役員は祭典事務所の準備や公民館の掃除、準備に追われていた。

屋台小屋で梃子棒を確実にセットして、お借りしている「時田整骨院」様の駐車場に屋台を移動。出発式の準備と屋台内のセッティング、マイク、音響設備の最終点検を行なった。屋台内のマイクは「唄方」が3本、「三味線」が2本、鳴り物が3本でそれぞれの音量調整とバランス調整を行なった。

前回の経験で「伊十郎家元」はじめ、唄方の皆さんはご自分の正座椅子を屋台に持ち込み、マイクは持たずにスタンドにセットされた状態で「声」を拾っていた。最前列の唄方の後ろに背もたれ付のパイプ椅子に三味線の三方が座り演奏。三味線のマイクは三人の間に2本セットするだけでも前方の唄方マイクが拾うためかなり音量は拾えるのである。

鳴り物のかりがねや笛なども高音でPA無しでも充分聞こえるのだが、天井からぶら下げた物を一本とスタンドセットで太鼓や鼓の音を拾うようにした。三味線の椅子の後ろに長机をセットして鳴り物方の楽器を置く台として、鳴り物の演奏は立ち姿勢で行なっていただくようにした。

そうこうしているうちに時間は11時半過ぎ。小学生が下校してきた。急いで自宅に戻り、軽く昼食を済ませて祭り衣装に着替える。股引を履き、足袋を履く。腹掛けをして中襦袢、法被を羽織り角帯を貝の口で締める。法被の右袖を脱いで下襦袢を見せる。右腰に「火の用心」と「ひょうたん」をぶら下げて祭り装備完成!

12j半の集合時刻前にはすでに中老、青年の主だったメンバーは集合済み。早速、屋台のマイクで町内に呼びかけ、集合時刻が近づいている旨を案内した。町内のほぼ中央に位置する出発式会場である「時田整骨院」に祭り衣装に身を包んだ町内の住民が集まりだした。鈴の音も賑やかに屋台の周りを囲んでいった。

出発式は定刻に開始された。青年副団長の司会により式は進行。大祭りの責任者でもある町内会長の挨拶、中老団長の挨拶、前・中老副団長で連合会役員の方の挨拶、芳村伊十郎家元の挨拶と演奏者の皆さんの紹介、花柳太枝静師匠の挨拶と手古舞の皆さんの紹介と続き、お祭りの成功と無事を祈願しての「乾杯」。

一通りの式が終了し、いよいよ芸人衆が屋台に乗り込んだ。三味線の音あわせの音色が気分を高揚させる。いよいよ、平成16年度 藤枝大祭りの出発である。

青年団長の岡本君が屋台右前方の団長席に陣取り「や〜〜〜〜れこ〜〜の〜〜せ〜〜〜〜!!!!」の一声とともに屋台は動き出す。お囃子も賑やかに快調に屋台は出発した。なんともいえない「嬉しさ」というか「楽しさ」というか心の底からウキウキとこみ上げてくる感じは何回お祭りを経験しても変わらない。

初日は町内周りと市部区の横町、下伝馬区の西側を引き回す。出発後、すぐに「大正小路(東海道左車中央から北側、お天王さん方面に向かう小路)」に入る。平日の午後ということもあり仕事で参加不可能な青年が多いのでは心配したが、盛況である。お天気もよく、フル装備祭衣装では暑すぎるくらいの陽気である。

「大正小路」から新しい県道・中央幹線の現状終点方面に屋台を進め、藤岡団地の入り口方面から左車会館に向かう道を通る。前回の中老団長、落合様宅にてご祝儀を戴き本年初めての特別番組「越後獅子」の素唄と地踊りのミックスバージョンを披露。

実はこの企画、平成7年度の青年団長経験者からの発案で最終日の連合会本部前で披露する予定にもなっている。何処の地区も「越後獅子」の地踊りは「♪何たら愚痴だえ〜」から「♪弾いて唄うや獅子の曲」までが一般だが、「左車区・平成スーパーリミックスバージョン」として前後に素唄を加えた構成として披露する。欲を言えば「上踊り」も加えればそれはすごい出し物になるのであるが、その場合、演奏時間だけで20分近くなってしまうため実際には不可能である。

踊り手は位置について立てひざの姿勢で素唄を聴き、「♪何たら愚痴だえ〜」の少し前で立ち上がり踊りだす。「♪弾いて唄うや獅子の曲」でまた立てひざの姿勢に戻り、栄八郎さんの乗り乗りの合い方を聞く。今までやったことが無かった企画だが、伊十郎家元と栄八郎さん達の協力無しではありえない企画であった。

屋台はそのまま街道の一本裏手を市部横町方面に進めていった。交通規制のない葉梨街道では交通係の方や警備係の方の負担は大きい。平日の午後3時過ぎで交通量も多い中、上手な連携で事故も無く、渋滞も最小限になるようにがんばっていた。。。感謝、感謝。。。

葉梨街道を北進して行く頃には芸人の皆さんも乗りがつかめてきたようだ。特に唄方の芳村伊四之介さんは本当にお祭りが好きらしく、ご祝儀の披露の時まで掛け声を掛けてくださったり、伊十郎家元が左車のために考えて頂いた「道唄」、「騒ぎ」の「左車・大祭り編」はまるでカラオケを唄うかのようにマイクを手に持ち張り切って唄って頂いた。

この「騒ぎ」というのは東京の花柳界では、お正月などおめでたい席で名前の通り賑やかに歌って騒ぐ曲で、詞は自由で七五調で都々逸(ドドイツ)みたいにつけて唄うものらしい。今回は道唄として左車オリジナルの歌詞を六番まで考えてきて頂いていた。一番ごと終わりに「さぁさ、浮いた、浮いた〜!やぁっと、やっとやっと〜〜〜!」と頭のてっぺんからとんでもない声を張り上げて唱和して賑やかに乗ることが出来るので、すぐに青年団も同調出来たようだ。

再び、街道に戻り左車町内を東進。木戸口で夕食休憩に入った。夜の部も参加者が増えてどんどんお祭りらしくなっていった。今度は街道の一本南側を西進していった。特別番組を交えつつ、下伝馬の富士屋横まで屋台を進めて街道に出た。

ココで本年度初めての「交渉」となった。葉梨街道を北から南に大手交差点を横断しようとする市部区と東海道西向きの当、左車は同じく大手交差点でUターンしようとするための交渉で、市部区の進行方向前方に下伝馬区の屋台がいることから、市部区の屋台に待って戴き、先に我々がUターンさせていただく交渉が成立した。

再び東海道を東向きに進み大いに初日の夜は盛り上がった。芸人係の方から「青年で貸し出し用の法被、余ってないか?」との問い合わせがあった。どういうことかと尋ねたら、伊四之介さんが下で皆と一緒に騒ぎたいと言い出したとか。。。\(◎o◎)/!

定刻の21時に一日目を終え、屋台を屋台小屋へ収納。公民館で一日目の打ち上げと相成った。さぁ、明日はいよいよ「奉納踊り」だ。

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☆☆ 本日のショット 市部区横町にて左車屋台と青年女子連 ☆☆
市部区横町にて左車屋台と青年女子連
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10月2日(土)大祭り、中日・二日目!

本日の天気も良好、昨日に引き続き暑い一日になりそうである。

二日目の左車区・山車運行ルートは、、、時田整骨院前を出発しそのまま「大正小路」に入る。「市部区」のお天王さんの参道を横切り「葉梨街道」にでる。「葉梨街道」を右折して北上、「市部区」と「五十海区」の境である「カネジョウ魚店」を左折し、本年度「五十海区中老団長」宅である「永井製作所」前で折り返して「葉梨街道」に戻る。

本日は交渉の状況も含めて屋台の引き回しの詳細を記することにしよう。
上記の行程までは若干予定時間より早めに進んでいた。「進行係」の祝儀の集まり具合もほぼ予定通り順調である。永井製作所前で地踊り披露をしている時に、交通規制前の「葉梨街道」はものすごい渋滞になっていた。

北側から「五十海区」が南進、南からは「下伝馬区」が北進してくるため、その後方には一般車が数珠繋ぎになっている模様。我々は再び「葉梨街道」に戻り少し北上してUターンの予定である。ココで慌てて出て行っても前後に他地区の屋台がいるためスムーズに動くはずもなく、交渉の結果、「五十海区」と「下伝馬区」が『引き違い』をするのを待ってやり過ごすことになった。

交渉中も我が左車区は踊りの披露をしている。連絡員を飛ばし、少しゆっくりと出てくるように屋台元に指示を送る。「五十海区」と「下伝馬区」が交通規制のない場所でいかにスムーズに『引き違い』するのかお手並み拝見である。読み通りに「五十海区」と「下伝馬区」をやり過ごすことが出来て、再び左車区の屋台は「葉梨街道」に出て左折、100mほど進んだところでUターンして街道を南進した。

交通規制のない幹線道路での引き回しには「交通係」、「警備係」が本当に大変である。我が左車区では「交通係」、「警備係」も経験者の方でその場に応じた判断力、的確な指示が出来る人材が揃っている。彼らの苦労も並大抵ではないのである。「安全確保」は出来て当然みたいに思われがちであるが、「事故」を起さないように、「渋滞」を極力起さないようにと必死の業務である。一般通行車輌の中には「お祭り」に対して理解の無い人も多く、「苦情」の矢面に立つのもこの係の皆さんだ。苦情処理もその役務の一つにあげられる。彼らの働きには頭が下がる。。。

交通係、警備係の努力もあり、幹線道路である「葉梨街道」で事故やトラブルも無く地踊り披露や引き回しが出来て市部区の横町、「安藤酒店」脇から市部公民館方面に屋台を進めた。そのまま藤枝東校前に出て「休憩」に入る。

ココで中老の給食係や青年連の会計の人達の活躍である。飲み物の手配は運行上の理由から時間や場所が変更になることもあり、苦労を掛けることがある。係の人達はなるべく冷たい飲み物をタイムリーに皆に分けたいという理念に基づいて走り回っていただくこともしばしば。本当にいろんな役割が助け合って屋台の引き回しは行なわれているのである。。。

休憩の最中、進行係(祝儀係)の皆さんは一足先に本日引き回しを行なう「長楽寺線」沿線と「岡出山区」に向かって歩を進めていた。交渉員である我々も少し早めに出発し「白子通り」の状況の確認へ向う。他地区の行動表によれば本日は午後の奉納踊り終了後まで「交渉」に関わるようなことは無い予定である。気持ちにもかなり余裕があった。白子通りで軽く一杯お呼ばれになったり、お祭りならではの雰囲気が盛り上がる。休憩時間もほぼ予定通りに終わり再び出発。

屋台は藤枝東高前から東海道へ出た。ここで再び交通規制の無い幹線道路の引き回しとなり前述の交通係と警備係の活躍である。幸い、東海道での地踊り披露は帰り道に予定しており、交通規制なしでの披露は無しである。屋台は白子通りから藤枝小入り口交差点で通称「長楽寺線」に入り南進。

一部、西益津の「郡地区」になるため、ココで一曲披露が予定されている。県道でもあり幹線道路ではあるが、道路副員もあり交通量もそれほど多くないためスムーズに運行出来ていた。「長楽寺線」から「岡出山区」の山崎公園の通りに屋台は入った。ここでご祝儀も多く集まり「特別番組」が二度続くことになった。屋台は岡出山区の公民館前に時間通り到着して「昼食休憩」となる。

昼食休憩後、定刻よりやや早めに進んでいたため、「奉納」のため飽波神社に時間より早く入ることが可能か確認したところOKが出た。幸い、午後一番という順序と左車区の後の順番までは時間にもかなり余裕がある。

「奉納」のため屋台を神社正面まで進める。神主による御祓いと参拝後、奉納踊りの披露である。青年連・子供連合同の「秋色種」、青年連「共奴」、上踊り「藤娘」の奉納である。途中、飽波神社社務所より要請があり本殿内のお神輿の移動を依頼され、急遽、中老、青年連で対応。対応の良さと速さに大変喜んで頂いたようである。このタイミングを計って、境内「奉納」で初の披露となる「木遣り」までやってのけたことはナカナカであった。お客さんも多く、かなり乗りの良いエキサイトした「奉納踊り」が披露出来た。

屋台は飽波神社を後に、市役所前通りを北進、商工会議所の手前を新地方面に入っていく。「益津区」にあたるこの界隈も古い宿屋や小料理屋、飲み屋の数も減り、駐車場や空き地が目立っていた。昔のような独特な情緒も感じることが難しくなってきている。新地界隈はその昔、藤枝宿の遊郭があった場所でお祭りの雰囲気とはなんとなくマッチしている場所でもあったのだが、、時代の流れですな。。。

屋台はそのまま「妙法寺」の通りまで出て南に向きを変える。益津会館の前を通り清水川沿いを南進。「寿司宏」様の前で特別番組を披露している際に、ちょっとしたトラブルが起こった。連絡員と進行係からの話に寄ると、新地に入ってすぐのところで祝儀に対しての披露がないとクレームをつけてきたお宅があるとのこと。進行係との一寸した連携ミスではあるが、ご祝儀を頂いた以上、無礼をするわけにもいかず、謝罪をしてご祝儀をお返しするか、行程の変更をして時間を割いて披露をするかで、今回はギリギリの調整をして「披露」することに決定。。そのために交渉もチョット厄介なことにはなるが致し方ない。。。

屋台は市役所裏から再び飽波神社前の通りに出る。市役所裏のみどり公園では「五十海区」の子供達が遊んでいた。聞くところによると、あまりに参加者が多く、「奉納」のため境内に入りきれない状態になるため、子供達は別行動で待機になっているとのこと。この面倒を見ているのも「子供係」という役割の方々で、こちらも結構苦労していたようである。やはり大勢で賑やかなのは良いとしても、このような弊害(?)もあるんだなぁと感じた次第。幸い、我が左車区はこの辺では統率力と機動力でほかに地区には絶対に引けをとらない自信があるのだ!!

以前にも述べたが、地踊りや特別番組の披露の回数が他地区の倍以上あるのは自慢に値しよう。左車区の行動予定では一日あたり25〜35回の披露をする。少ない地区では3日間で40回程度という地区もあるようだ。

市役所脇から飽波神社前通りに出る。すでに交通規制が敷かれ「交通係」と「警備係」はやれやれである。本当にお疲れ様!!後のお役目は交渉後の引き違い時の安全確保などである。

前述のトラブルも回避、他地区との交渉もスムーズに進み屋台は連合会本部前に向かう。反対側から「木町区」の屋台が向かってきている。交渉にお互いの主張がぶつかり、何度か交渉のやり直しをしたが、どうにか治まり「手打ち」本当に交渉は神経を使い難しい。連合会本部に屋台を向けて特別番組「上踊り・菊づくし」の披露と相成った。

本部前の披露を終えて屋台は東海道を東に進路をとり、地元へ帰還すべく進んでいった。夕食休憩の時間ということもあり、他所の何地区かと交渉する事柄もたいした内容ではなく、「交渉」とはいえないような感じであった。

定刻通り、「長楽寺会館」での夕食となる。夕食後、「長楽寺区」で披露をして、「白子」「下伝馬」と屋台は順調に進む。この日は「町内・お楽しみ処」の企画が設定されているため、少し早めに通過していく。翌、日曜日に「白子」「下伝馬」は本格的な披露を予定している。

地元に入るころ、反対方面からきた「下伝馬区」と本日最後の「交渉」。下伝馬区は芸人「坂田仙一郎」師匠が乗っている。我が左車区も「芳村伊十郎」家元が来て頂ける以前には先代の「坂田仙八」師匠の頃からお世話になっている。それを承知の「下伝馬区」の交渉員から「素唄」の「唄いっこ」か、「地踊り」の「踊りっこ」(互いに綱先を合わせて、披露しあうこと)をしようと申し出があり、無下に断るのもなんではあるが、こちらにも地元に少しでも早く帰りたいという事情があり、ココは「引き違い」で「手打ち」にして頂いた。確かに時間さえあれば盛り上がるし、ありがたい提案ではあるのだが、次回に期待しよう。

屋台は無事町内に戻り「お楽しみ処」でゆっくりと素唄、上踊り「越後獅子」の披露、地踊りの披露と大勢の地元の方や他所から見えたお客さんの前で大層な盛り上がりであった。特別な企画として町内のお祭りに参加していないお年寄りや法被を着ていないゲストにも屋台の綱について頂いて町内を往復した。もちろん、道唄「木遣り」や伊十郎家元がお土産に持ってきてくださった「騒ぎ」を唄いながら楽しく引き回したのであった。

最後に成田さん境内で「記念撮影」をして時間通り屋台を納車。二日目の引き回しが無事に終わった。心配なのは明日のお天気である。予報では「雨」。。。納車後、中老、青年とも「八百吉」で二日目の打ち上げと相成った。

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さて、前述の「騒ぎ」なる道唄。江戸の花柳界ではお正月やおめでたい席で賑やかに、名前の通り大騒ぎしながら唄って踊る宴会芸的なものらしい。伊十郎家元が左車のために「こんなのを道中唄ったら楽しく盛り上がるのでは?」と今回、初めての企画として歌詞まで考えて左車オリジナル「騒ぎ」をお土産として持ってきて頂いたのである。

本来、歌詞は自由に七五調の都々逸(ドドイツ)のような感覚で洒落たおめでたい内容のものを好きにつけて唄うらしい。今回、家元が左車のために考えて頂いた歌詞は全部で六番まである。それを紹介しよう。

壱番 ♪送りましょかよ 送られましょか せめて大手のかどまでも

弐番 ♪めでためでたの 飽波さまよ 枝も栄へで葉も茂る

参番 ♪花が蝶々か 蝶々が花か 来てはちらちら迷わせる

四番 ♪揃た揃たよ さ組が揃た 秋の出穂よりよく揃た

伍番 ♪君は小つづみ しらべの糸よ 〆つゆるめつ音を出す

六番 ♪さ車屋台はめでたい屋台 鶴と亀とが舞い遊ぶ

唱和 ♪ さぁさ 浮いた浮いた〜 やぁっとやっとやっと〜〜〜♪
 
一番ごとの最後に「♪さぁさ 浮いた浮いた やぁっとやっとやっと〜〜〜」と頭のてっぺんからとんでもないような大声をだして皆で唱和して盛り上がるのであるが、ナカナカ粋で楽しいものある。まだまだ、皆不慣れでマイクを持つ青年連三役も「照れ」もあって巧く行かないが、次回あたりからはもっと乗りに乗ることであろう。

さぁ、お祭りも後半戦突入である!

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☆☆ 本日のショット 出発前の左車屋台と花柳手古舞連 ☆☆
出発前の左車屋台と花柳手古舞連
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10月3日(日)大祭り、大雨の最終日・三日目!

昨夜の酒も抜け切れぬまま、朝早く5時頃に目が覚める。雨だ。。それも半端な降り方ではない。本降りである。。。その所為か、昨日までの疲れを激しく感じる。本日最終日はどうなるのであろうか?

7時頃に連絡網が回る。7時半から公民館で行動予定についての話し合いがあるとのこと。本来ならこの時間ともなれば屋台小屋から屋台を出して、二日分の疲れを引きずりながらも皆笑顔で集まってくる頃であるのだが、外には雨音が響き大粒のしかも大量の雨が降りしきる。傘をさして外に出るだけでも下半身はすぐにずぶ濡れになってしまうほどの本降り。お祭り最終日、雨音だけが無情に響く濱小路。。。愛宕さん隣の屋台小屋シャッターは閉まったままである。。。

公民館には中老、青年連の団長、副団長を始めとして係長級メンバーが集まり、天気予報の確認と3日目の行動予定の変更について話し合いが始まった。青年連はたとえ大雨が降ろうと槍が降ろうとも早く屋台を出したいという意気込みである。話し合いは大雨で屋台を出すということでは、町内全体の参加者(特に子供連)の事を考慮してみれば難しいという中老団の見解。。であるが、連合会本部前(旧スルガBK交差点)での披露の時刻16時半は守ることと、東部会(白子の本部前)での披露も予定通り行なう方向で屋台を出すという結論を出した。

雨の様子を見ながら午後一番位から出れる体制を取りつつ、最悪でも連合会本部前披露時間に間に合うように15時半には屋台を出すということ。早速、青年連と中老の屋台係の面々は屋台の雨対策(雨よけのシート設置、提灯や電装機器の雨養生)準備に取り掛かっていった。

雨よけシートをセットした状態での「上踊り」披露は舞台が雨ざらしになってしまうため不可能である。折角この日のために半年以上お稽古を重ねてきた訳で、雨で中止なんて忍びない事態である。「上踊り」の披露と雨で午前中屋台を出すことが出来ないので、公民館で「演奏会」という名目で芸人さん達の生演奏と手古舞さん達の地踊り披露、4人の子供達の上踊り披露などをお昼まで行なうこととした。

上記決定事項を町内の各組長に「言い回し」をお願いして町内各戸に連絡した。屋台小屋で前々回から確保しておいた半透明の雨合羽の準備、屋台の透明雨よけシート張り、作業に取り掛かった。作業に伴い足りないものの買出しに走ったり、屋台の屋根に乗りシート張り作業をする者と狭い屋台小屋で雨対策は進む。雨合羽などは雨が降ってから用意しても手遅れになる公算が強い。

以前、平成7年の時の雨でも雨合羽の手配で苦労した経緯があるため、その次の大祭りからは降らなくとも用意されていた在庫が、今回の祭りで活躍することになった。雨が降り出し、十三地区が二百〜三百着の雨合羽を一斉に買出しに行けばどういうことになるかは想像するに容易いであろう。藤枝中の雨具専門店、コンビニなどすべての在庫をかき集めても四千着余りを集められる筈はずもあるまい。午前中に屋台は雨の中を出発出来る準備を整えた。青年連は一刻も早く出したいという気持ちが現れていた。

午後、雨が少しだが小降りになった。出発予定とされている15時にはまだ時間は早いが青年連は屋台を出発場所まで移動。すぐに出発出来る体制を整え、中老団のGOを待つ。屋台の周りには子供達やお母さん達も集まりだした。雨の中、法被に合羽で濡れながらの待機である。。が、ナカナカGOサインが出ない? 苛立つ青年連ではあるが、ココで中老団と喧嘩しても始まらないのは承知の上。どうやら芸人の皆さんの出発準備に手間取っている様子らしい。お祭りは昔から縦社会、上の言うことは絶対なのである。中老も大老の言葉には逆らえないのである。とは言うものの、中老の方々も青年経験者、青年の「出したい!」という気持ちは理解出来ている。青年連の願いが通じ、予定よりも少し早く出発をすることと相成った。

既に交通規制が敷かれた東海道を西へ登る。何処の地区も殆ど午後からの出発となり行程はめちゃくちゃ状態。想像通り長楽寺区に入ると西向き、東向きの屋台が犇いていた。本来の交渉というか本当の意味での「交渉」が続く事となった。今回は先輩の中老交渉員長から「オイ!お前らだけでやって来い!」と背中を押される場面が殆どであった。漠然と「行って来い」だけではなく、的を射た一言アドバイスをその都度受けていたため、気持ちにはかなりゆとりを持って交渉に望めた。

「16時半までに連合会本部前に到着が必至」という条件を他地区との交渉にぶつけてかなり無理のある交渉ではあった。「借り」を作ってしまった地区もある。どうにか連合会本部前の披露に間に合うようなポジションに「引き抜き」、「引き違い」の連続で付くことが出来た。

トップバッターの上伝馬区の披露を後方から伺いながら待機。時間通り連合会本部前に到着。雨は降っているが引き手はもちろん、左車区の全員は雨合羽を脱ぎ捨てて法被姿になり披露の開始である。ここで「越後獅子」の左車オリジナルロングバージョンの披露。「伊十郎家元」をはじめとする唄方の素唄から入り踊り手は体制を整えて立てひざの姿勢で唄を聴きながら待機。三味線の合い方でスッと立ち上がり、「♪何たら愚痴だえ〜」から地踊りの披露。再び栄八郎さんの細かい細かい技の合い方を聞き伊十郎家元の唄である。

たっぷりの「越後獅子」に拍手喝さいであった。続いて左車名物「木遣り」にも気合が入っていた。目一杯、跳ねて飛んで唄って騒いで、観客をもその興奮に引き込んでいたようである。やっぱりお祭りは見るのも良いけれど参加しないとね。「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損々」まさにその通りである。雨中にもかかわらず観客の数も周囲を埋め尽くすほどの多さに少々驚いた。「見る阿呆」も好きな人が多いんだなぁ。

連合会本部前での披露を時間通り無事に済ませて屋台はUターン。今度は白子区の東部会本部前披露に向けて出発である。復路も街道には他地区の屋台が連なっている。交渉の連続で些か神経を使う。

何処の地区も殆ど「交渉員」の顔ぶれは変わっていなかった。交渉には3年越しの貸し借りも発生したりするし、何より「経験」がないと出来ない仕事なのである。実際に屋台の進行の具合を左右する大事な仕事で「勝ち負け」的な要素もあるため、「知らない」人は出来ない。というより「負けっぱなし」の交渉になりかねないのである。屋台の遥か前方で、地味ではるが、相手になる他地区の交渉員も百戦錬磨で強かな輩も多く、難しく、遣り甲斐のある仕事である。私はそんな役を任されて実に感謝しているし光栄に感じている。この楽しさは経験者しか理解出来ないであろう。

自区の屋台がスムースに且つ、皆が楽しくお祭りが出来るように、時には喧嘩腰に強い口調で自区の主張を通したり、時には「スッ惚けて」騙し気味に相手を丸め込んだり、別の時は負けを承知で折れたりと、実に「技」と「知識」が要求される。当左車区は先輩交渉員からしっかりとこの辺の引継ぎ教育がなされている。自分もしっかりと受け継いで、若者に継承していかなければならないと感じている。

ベテラン先輩交渉員は今回、中老副団長兼任ということもあり、前回に増して仕事を見守ってくれている感が強い。そんな先輩達の交渉に際しての「先見性」や「交渉術」には「流石!」と感じる。そんな先輩も現在大老になろうかという先輩方から「左車の交渉ノウハウ」を引き継いでいるのである。先輩の交渉員経験者の方から交渉成立し、「手締め」を行なった後で「オイ!良い交渉したっけなぁ!」と肩をポンと叩かれた時には本当に「ヤッタ!」と感じる瞬間である。今回も交渉中の失敗がかなりあったと思う。それも「失敗しないと覚えない。失敗は絶対に身になるから」と励まして頂いたりもした。本当に「難しい」が『楽しい』。

どうにか白子区まで屋台が帰ってきた。午前中の打合せでは一旦、左車まで帰り、公民館で夕食弁当の引渡しをして休憩後に再び白子区に向けて出発するという予定であったが、左車方面には下伝馬の屋台もあり急遽予定変更をして白子で夕食休憩、子供連は解散ということになった。中老連と子供連とお母さん達はそのまま徒歩で左車会館に向かった。青年連は白子の商店街歩道上での休憩となったわけだが、夕食弁当を青年会計係が台車に乗せて左車会館から大急ぎで白子区まで運んできてくれた。

夕食休憩中に東部会本部から「左車区中老団長」の呼び出しがかかったが、中老団は左車会館にて休憩中のため代理で私が呼び出しに応じた。内容は、本来最初に披露する筈の五十海区が遅れているらしく、連絡が無いとのこと? 都合で順序を入れ替えて最初に披露出来ないかという相談であったため、可能であると判断して返事をさせて頂いた。すぐに進行担当の中老副団長に連絡を入れて報告をした。夕食後の行動については青年連に任されていたので即答対応が出来て何よりであった。後で解った事であるが、五十海区は天候不良を理由に18時半頃には地元に戻り納車してしまったということだ。

東部会本部前の披露を終えて地元へ帰還。時間一杯まで地元を往復、地踊りと木遣りで最後の盛り上がり。雨は再びやや激しくなるも、合羽を着ている引き手は皆無である。目一杯声を張り上げ、跳ねて、飛んで。。皆、祭りの終わりを惜しんでいた。。。

収めの式典も当初の予定では、成田さんの境内に屋台を入れて行なうつもりであったが、雨天で花柳太枝千穂師匠の「収めの上踊り」も出来ないため、そのまま東海道路上で行なった。花柳太枝静師匠も90歳の高齢とは思えないバイタリティで左車区のお祭りを支えて頂いた。挨拶の中にも「私も生きている限り、左車町内に伺います!!」と満面の笑顔で仰ってくださいました。

芳村伊十郎家元も「次回はもっと志向を凝らしたものを考えてきますので、同じメンバーで参加したいと思います。是非とも呼んで下さい。」とのお言葉を頂戴しました。感動して嬉し涙を流す青年女子連の姿もありました。お祭りを盛り上げて頂いた芳村伊四之介さんも感極まって万歳コールを発声されていました。その目にも涙が伺えます。
 
時間通りに屋台を収めて、中老、青年ともども公民館での打ち上げと相成りました。ここでもかつて無い異例の「打ち上げ」となりました。例年では中老と青年はふすまを隔てて別々の打ち上げとなるのですが、今回は中老の方へ参加して頂いた芸人さんすべてがそのまま残って頂いての打ち上げでした。

途中、伊四之介さんをはじめとする芸人さんが場を大いに盛り上げて頂いて中老、青年一緒になっての大宴会となりました。「木遣り」や「騒ぎ」の大合唱。。。栄八郎さんや貴哉さんも三味線を取り出し、乱れ弾き。鳴り物の皆さんも楽器を持ち出し、それはすごい盛り上がりとなりました。

宴の最後には中老団長の胴上げ、伊四之介さんの胴上げとなり本当に楽しい打ち上げとなりました。雨で予定通りのお祭りが出来なかったにもかかわらず、本当に「良いお祭り」になりました。芸人さんがお帰りになった23時40分過ぎに、最後まで青年と盛り上がった伊四之介さんはまたまた感動して泣いておられました。「今度は引き手として参加する!」と宣言されてお帰りになられました。

本当に本当に良いお祭りでした!

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☆☆ 本日のショット 打ち上げで盛り上がる芳村伊四之介さん ☆☆
打ち上げで盛り上がる芳村伊四之介さん
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10月4日(月)さ組・雨中の片付け編

雨の千秋楽、大祭り最終日が終わった。。。
公民館での打ち上げも、深夜2時過ぎまで盛り上がったのだが、不思議と疲れはさほど残っていない。午前9時の定刻前には屋台小屋前に青年、中老とも主だったメンバーは集合済み。

本日は屋台の片付けをメインとしたお祭り全般の片付けである。「片付けまでがお祭り」という言葉が我が左車区には定着している。3年後にまた楽しいお祭りを迎えるための準備作業といっても良い大事な仕事である。天気は昨日ほどではないものの雨だ。。。

早速、作業に取り掛かったのではあるが、昨日からの雨で見送り幕、裾幕はびしょ濡れ、提灯も湿り気を帯びている。幕はクリーニングに出せば済むことであるが、提灯はそのまま仕舞う訳にはいかない。屋台の中に紐を張り、軒提灯と行灯を乾燥させるために吊るした。引き手が手にする綱も昔は藁を編んだものが主流であったが、現在は「クレモナ」と呼ばれる丈夫な化学繊維製である。がこれも湿っているためそのまま巻いて仕舞うわけにはいかず、屋台小屋内部の壁面に吊るして乾燥させることにした。雨よけの透明シートと弓張り提灯は公民館に移動して乾燥させることにした。。。

マイクやケーブル、スタンドも片付けが終わり、お昼少し前にはほぼ作業が完了した。雨のため祭典事務所前に張ったテントと青年団詰め所のテントは収納することが出来ないため、公民館前の元市営住宅空き地に移動して仮置きとした。後はお天気と相談であるが、中老の役員が中心となり平日の手が出せる人達で最終的な収納作業となる見込み。。。

作業を終えて公民館に集合して、皆で昼食の天南そばを頂いた。中老の会計担当の3名はノートPCを持ち込み、3人で一生懸命に会計のまとめ作業を行っておりました。

今回のお祭りは最終日の雨で道中祝儀が大分少なく、経済的にも大変なお祭りとなってしまった。特に最終日は木町通りの引き回しが出来なかったのが大きい。木町にはお祭り好きのお宅が多く、振る舞いも派手である。何処の地区も「自分の地区の屋台が一番!」と思っているのだが、木町はこの辺の思い入れも一番強いんじゃないか?と感じる。お祭りの伝統も大切にしている地区のひとつだと思う。木町の中老、青年連の団結力は傍目で見てもかなり凄いものがある。そんな気風が他地区を迎える地元の方達にも見えて、歓迎振りは流石と感じる。。。

毎回、狭い瀬戸谷街道・木町通りに本通へ向かう屋台が何台も連ねて通る様は「大祭りだなぁ」と感じる風物詩でもある。木町に行けなかったのは残念である。。。

お疲れの残業組、会計の皆さんを残して片付け作業を完了した面々は散会していった。今度の日曜日に行われる「折開き」で今回の大祭りは本当の終わりを迎えることとなる。。。

濱小路の幟竿も雨天のため、まだ撤収が完了していない。雨に濡れた旗竿はお祭りの後の寂しさを一層強く醸し出している感じだ。。。 『片付けまでがお祭りだ』
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10月10日(日)左車区・折開き編

大祭りが終わってから最初の日曜日である本日、夕刻18時半より左車区の折開き(おりびらき)が行なわれた。町内全体で大祭りに参加した人達が集まり「慰労会」的な意味合いが強い催しである。お祭りの後行なわれるこの行事、「慰労会」ではなくあくまで「折開き」なのである。

会場は左車区との町内境に位置する下伝馬区の「八百吉」。二階の大広間一杯に上座から町内三役、大老、中老役員と席を取り百名以上の参加となった。折開きには芳村伊十郎家元と花柳太枝静師匠もおいで頂いた。

町内会長が都合で欠席ということで副会長の言葉で会は始まり、家元や花柳師匠にもお言葉を頂戴した。乾杯が済み宴が始まった。お酌が進みに連れて席もバラけて青年、中老とも席を回ってのお酌合戦となった。青年連で他地区から友人、知人という形で応援参加して頂いた方も多く見えていて会は大変盛り上がったのであった。

話題は殆どがお祭りの反省的な内容かお祭り中の珍事件など。各自担当の係の仕事を終えての不満や要望も聞かれた。無礼講の席ではあるが、次回のお祭りにはそれなりに「こーいうこともあったけなぁ。。。」と活かされることであろう。実に有意義な飲み会である。

折開きの席上、青年連に対して大老のご意見番・井出様より、次回の大祭りに使える実に良い贈り物を頂いた。左車区の名物パフォーマンス「木遣り」だが、この「木遣り」はもともと、屋台を引きながら町内に戻ってきた時にゆったりしたテンポで唄う「道唄(帰り唄)」であった。それを転用して平成元年の大祭りの時、当時の青年団長。塚本氏が他地区の交差点で屋台を派手に回す梃子パフォーマンスや梃子棒踊りに匹敵する何か左車らしいものを!と、花柳師匠にも振り付けなどをお願いして現在の形が出来上がったものである。

「木遣り」を少し調子を上げてアップテンポにして「チョチョンガチョン」の調子で唄い、舞う。屋台の前に若衆が円形に回りながら踊り、跳ねる。見た人は解ると思うがナカナカ興奮して楽しいパフォーマンスである。青年連が道中、気分も高まり、乗ってくると自然に飛び出す感じの出し物として現在は定着している。地踊りは巧く踊れないけれども「木遣り」だけは必ず参戦!という輩も多い。。。\(~o~)ゞ

左車区の揃いの手ぬぐいにもこの「木遣り」の歌詞と源氏車が染められている。歌詞は一番のみだが、この原曲を前回のお祭りの時に家元が探してきて来て下さり披露して頂いたが、歌詞もだいぶ変わっていてイメージも違うものであった。現在左車で唄われている「木遣り」は独自の変化をたどって「左車オリジナル」的なものとなっているようだ。。。

今回、井出様より頂いたプレゼントはこの「木遣り」の二番の歌詞。より左車の色を濃く出した、左車らしい非常に良く出来た粋な歌詞である。このセンスには脱帽である。では、従来の一番の歌詞と次回のお祭りにデビューする二番の歌詞をご紹介しよう!

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= 左車区・木遣り =

一番
♪ 沖の大船の 磯端で 三十二反の帆を巻き上げて
  追い風そよそよ よき日和 向うの島から女郎衆が出てきて 小手招く
  見るより若衆が帆を揚げて 碇(いかり)をざんぶと 港入れ 
  よかせ よかせー

二番
♪ 濱の小路はよ 塩の道 焼津(やきづ)濱へと つづく道
  東の木戸口 閉ずればよ 向うの街から女郎衆が出てきて 小手招く
  源氏の車を肩に背負い さ組の若衆はいさみはだ
  よかせ よかせ〜

  やれやれやれよ〜、々々々々々 もっとやれやれよ〜
  さ組ださ組だ、わっしょいわっしょい! 跳ねろよ跳ねろ!わっしょいわっしょい!

生の歌声は次回、平成19年度(2007年)の大祭りをお楽しみに〜!

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=追記=
昨日、台風が接近し大雨が降り出し本日も天候は夕方から雨であった。おりしも島田大祭が昨日からの3日間行なわれているが、先週の藤枝大祭り最終日といい、雨に祟られるお祭りで、開催当事者としては泣くに泣けない状況であろう。

そんな本日、朝のうちは曇りであったため、左車の子供達の殆どが通う藤枝東幼稚園の運動会が行われた。幼稚園の運動会は毎年午前中で終わる半日の日程で行われている。運動会の最中はお天気もどうにか保って、無事に運動会を終えた。

幼稚園運動会が終わろうかという時に何処からか「やれやれやれよ〜」と聞こえてくる? 千歳区の屋台を置き場であった洞雲寺駐車場から屋台小屋へ片付けのため移動しているようだ。今回の大祭りでは千歳区はお披露目も含めて他に地区よりも2度も多く法被を着ていることになる。写真撮影もこの日に行われたようだ。

幼稚園の運動会を終えて午後、散歩に出かけると、またまた「やれやれやれよ〜」の掛け声が近づいてくる。五十海区の鎮守「原木神社」の祭典に出くわしたようだ。「準備編」のスライドでも紹介している、「小山車」を小学生が中心となって引き回している。ちょっと小ぶりながらも、木のわっぱや梃子棒も装備の唐破風仕様の本格派!!子供達は夏祭りの時と同様の衣装(体操着に黄色の帯、鉢巻)で屋台を引いていました。

昔、ん〜ん30〜40年ほど前の原木神社のお祭りには酒樽に担ぎ棒をしつらえた樽御輿なども担がれていたように記憶しております。当時の五十海区は昔からの住民が殆どで世帯数も今の1/10程度ではなかったかと記憶しております。当然、大祭りの屋台は無く、夏祭りに子供達が担ぐ子供御輿さえなかったのですから、今の五十海区からは想像もつきません。

私の母もミヤサの母も五十海区出身の先住民(?)。当時は他所の地区の子供がお祭りに参加していて、自分達は参加出来なかったという寂しい思い出話も聞かされたりしました。そんな五十海区も今回のお祭りが4回目でちょうど12年、一回りです。昔ながらのお祭りのルールも十分に理解出来てきているのではないでしょうか?こういうものは「マニュアル」など存在するはずも無く、参加して初めて判るというものが殆どでしょう。五十海区のすぐ上の先輩は岡出山区ということになります。岡出山区の参加は昭和52年の大祭りから。今回で10回目の大祭りということになりますか。。。

ともあれ、次回の大祭りは平成19年、西暦2007年、亥年の大祭りです。3年後、あなたも私も確実に3つ年齢を重ねてのお祭りです。3年に一度という間隔もこの大祭りの楽しさを醸し出す不思議な要因なんですね、きっと。。過ぎてみればあっという間の3年ですが、いざまた大祭りの年になり準備を始めてみると忘れていることも多く、毎回戸惑うことも多いんですよね。。。
んでも、待ち遠しい、楽しい大祭りかな!?
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これにて平成16年度・大祭日記、終了
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