2019.2.13      
引越準備
マニラへの赴任が決まったのは2018年夏のことでした。
これまでフィリピンを訪れたのは2002年に離島へ遊びに行った1回のみ。マニラはトランジットで通過しただけでほとんど予備知識はありません。赴任先の候補に挙がった時に、治安・病院・学校の様子を一応ネットで調べて、ここなら問題なく住めそうという確認だけはしました。といっても我が家の基準はナイロビなので大抵のところはOKです。

引越には慣れていると思っていたのですが、思えば前回スイスに引っ越した時は、持ち家もなければ子どももいない身軽な環境でした。それが今回は留守宅や学校関連で頭を悩ませ、それと並行して荷物の整理やビザの手配など進めたので、準備は思いのほか大変でした。


軽井沢の家は手放しがたく、賃貸することにしました

下見旅行
そんな中で下見のため家族でマニラへ約1週間行くことに。ついでなので遅い夏休みでそのままフィリピンの離島にも行ってみることにしました。手配しながらうすうす気づいてはいたのですが、赴任まで残り5週間というタイミングで2週間近くをこのプレビジットに費やすことになり、結果引越前のスケジュールがかなり厳しくなりました。

初めてのマニラ
昼に羽田を出発しマニラに到着したのは夜。リロケーション担当者に迎えられて車に乗り、右も左もわからないまま会社が手配したホテルに到着。8階の部屋から外を見ると、そこは軽井沢とは似ても似つかない都会の夜でした。娘8歳はキラキラした夜景にすっかり夢中、窓から30分ほど離れませんでした。



マニラ初日、都会の夜に魅了される娘8歳


昼間はこんな感じ


家探
マニラはメトロマニラ(マニラ首都圏)と呼ばれ、東京の中に新宿や渋谷や銀座があるように、マニラの中にもいくつかの街があります。オフィスがあるのはマカティというところで、日本人駐在員が多く住むのはこのマカティか、フォートボニファシオ(別名ボニファシオグローバルシティ略してBGC)、あとは郊外のアラバンあたり。マカティの中でもレガスピ地区、サルセド地区、ロックウェル地区で微妙な違いがあります。

住みたいエリアが絞り切れなかったため、この時はとりあえずオフィス近くの6件ほどを見学。ここでもいいかなーという物件はあったものの即決には至らず、渡航後にサービスアパートメントで仮暮らしをしつつ引越先を探すことになりました。おかげで渡航前に「もう引っ越す先は決まったの?」 「いや全然」 「えっ!?」という会話をたくさんすることになりました。皆様その節はご心配おかけしました。



マカティの街並み。
巨大ショッピングモールを高層ビル群が取り囲んでいます。


内見した部屋のうちのひとつ。賃貸物件は家具付きが多いようです。


学校探し
インターナショナルスクール3校にアポをとり見学させてもらいました。見学予約や書類準備など3校分の手配はなかなか大変でしたが、それぞれ規模や校風も異なり、施設や生徒たちの様子なども直に見られたので行ってよかったです。

ただ当たり前なのですが説明する側は英語ネイティブ、かつこちらも英語できる前提で容赦ないスピードで話すので、親は二人ともいつもどおりオリエンタルスマイルを浮かべながら、重要ポイントだけ聞き逃さないように必死でした。




       
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