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2004年6月3日 記 ( 2004年6月20日 追記ー本文に引き続き記載)
              ( 2004年6月30日 追記ー本文に引き続き記載)
              ( 2004年7月11日 追記ー本文に引き続き記載)
              ( 2006年5月19日 追記ー『今年もーー』にリンク )
              ( 2007年6月07日 追記ー『今年もーー』にリンク )
              ( 2007年7月16日 追記ー『キオビエダシャクの逆襲顛末記』にリンク 

美しき者には用心を

 昨年の春、これまで見たことのない美しい蛾が我が家のラカンマキ(ヒトツバ、すなわちイヌマキの一種)の垣根の周りを飛び回り、「きれいな蛾だね」と家族で語ったのであったが、しばらくしてラカンマキに新緑の若葉が出揃った頃、異変が起きた。蛾の幼虫が大量発生し、新芽が食われ、垣根全面にわたり無残な姿と化したのであった。頭に血がのぼり、殺虫剤を散布したところ、糸でぶら下がりながら地面に降下し、そして死んでいったのであった。後で、蛾と幼虫を写真に撮ることをしなかったことを悔やんだのだが後の祭りであった。
1年経った今年の春、またもやあの美しい蛾が我が家の庭に現れた。その数は去年よりも多く、20〜30羽ぐらいが群れまい、ラカンマキに産卵の限りをつくした。今回は、写真撮影に成功した。この写真はラカンマキにとまった蛾のアップ写真(この蛾の名前をご存知の方はぜひメールで教えてください!)と、






門の前の生垣で羽を休めていた蛾の群(4羽映っている)である。









殺虫剤を撒くのを控え、ひたすら蛾の幼虫が現れるのを待つこと1ヶ月余り、とうとう現れてくれた。写真は、蛾の幼虫が新芽を食べているところ(背景の新芽は食べられた後の姿)、









垣根をたたくと幼虫達が無数に細い糸でぶら下がって降下し、空中で待機しているところ(この写真中に4匹見える)、










そして、大きく成長した幼虫が地面に向けて降下しているところ(この後、地面にもぐって、芝の根を食べさらに成長し、来年の春 “美しき蛾”となって現れることであろう。) 
撮影が終わるやいなや、殺虫剤で数百、いや数千匹の幼虫を駆除したのはいうまでもない。
 “美しき者には用心を”の教訓を地でいく出来事であった。


2004年6月3日 記




追記    2004年6月20日 東京にて記す

蛾の名前がついに判明!


その後、このにっくき蛾の名前を調べたが、鹿児島で入手可能だった蛾の図鑑には載っていなかったし、このHPの読者からも答えが帰ってこなかったので、今回東京に出張した機会をとらえて図書館の大きな図鑑(原色日本蛾類図鑑 江崎悌三ほか著)で調べた結果、ついに犯人像が明らかとなった!
その名は
「キオビエダシャク Milionia basalis pryeri Druce といい、まさにイヌマキ(すなわち、一つ葉)の害虫と記されている。それによると、「本種は多数の亜形に分けられ、多くはインド、ジャワ、ボルネオ、スマトラに分布する。そのうち、このキオビエダシャクは台湾・沖縄・奄美大島に生息している。1945年ごろになってから、屋久島・種子島に発生するようになり、次いで九州南部の薩摩半島でも多産するようになった。しかしながら、不思議なことに1955年頃から九州本土から全く姿を消してしまった。」とのことである。
折角九州本土から消滅していたこの害虫が、昨年から再び本土に上陸したのは、地球温暖化にともなっての北上であろうか?


再追記          2004年6月30日 記

新聞にもついに登場

上記の追記のわずか4日後の6月24日付けの南日本新聞朝刊の社会面にとうとうこの蛾が登場したので紹介する。
川辺町では、当初個人の問題として放置していたが、今年から町全体の問題として取り組むことになったとのこと、さすがだと思う。
というのは、幼虫の退治は個人でも出来るが、蛾の成虫は、管理の悪い別の庭で発生しては我が家に飛来してくるため、幼虫駆除を何回もしなければならず、駆除効率が悪いからである。ちなみに、先日来、実におびただしいキオビエダシャクの成虫(蛾)が我が家にも襲来し続け、今朝も20匹余りの蛾が庭木の周りを乱舞しており、再度の幼虫駆除のタイミングをはかっているところである。







再再追記          2004年7月11日 記

回覧板にもついに登場

先週末回ってきた回覧板にもこの蛾が登場したので、紹介します。