思うこと 第241話 2007年8月15日 記
『終戦の日』に思う
今日は62回目の『終戦の日』。 私は、今年の『終戦の日』は特別の感慨と“思い入れ”で迎えた。これは、ひとえに、去年の秋、3週間にわたるパプア・ニューギニアの巡回診療を機会に、それらの島々で太平洋戦争のさなか、約20万人の将兵のうち8割をこえる兵士が極度の苦しみのなか飢餓とマラリアで死んでいった記録に接し、また約1万人近くが万歳突撃などの命令のもとに命を落とし、終戦時に生存していたのは約20万人兵士の内わずか1万人余りにすぎなかったということに衝撃を受け、それ以後、何故この様な戦争をしたのか、どうしたらこの様な戦争を2度と繰り返さないように出来るのか、について、ずっと考え続けてきたからに他ならない。今年の『終戦の日』は、パプア・ニューギニアの巡回診療後のはじめての『終戦の日』であったから、思いも格別であったのである。
今年が特別なのかは分からないが、8月12日から今日までのNHKの戦争番組は圧巻であった。8月12日の夜9時、何時もなら私にとって就寝時間であったが、NHKスペシャルドラマ・鬼太郎が見た玉砕「兵士達は何のために死んだのか・・・戦場では皆生きたかった、その無念を水木しげるが漫画に」が始まり私はテレビに釘づけになった。いうまでもなく、下の講談社の漫画のドラマ化されたものである。
私はすでに、パプアニューギニアを旅行中に水木しげるの別の漫画を読み、深い感銘を受けていただけに、このドラマは筋は知っていたが、このドラマで再びあの時の熱い思いがよみがえった。このドラマの感傷にふける中、時間の合間の「お知らせ」で、1時間後の午後11時から、NHKハイビジョンで『兵士達の戦争@ 見捨てられた戦場の悲劇』(45分ドキュメンタリー番組)があることを知り、興奮して見たのであった。それは、西部ニューギニア戦線の生き残り兵士の証言からなっていた。
西部ニューギニアのソロンとマノクワリを舞台にした千葉県歩兵第221連隊のドキュメントで、3300人の兵士の内、9割が飢餓で死に、生存したのはわずか300人で、終戦時、皆、骸骨の上に皮が被っているという状態で、ウジのわいているものも少なくなかったとのこと。この部隊も中国戦線から回されてきたとのことで、全てが、東部ニューギニア(すなわちパプア・ニューギニア)で起こった惨状と殆ど全く同じ状況であった。この番組ではじめて重い口を開いてくださった方(80歳代であったかと思うが)が、この極限の地獄の悲惨を我々に命じた当時の参謀本部の一部の人々が、戦後戦犯にも問われず、その流れが今なお、日本の政治の中枢に存在していることにやるせなさを感ずる、というようなニューアンスのことを述べられたとき、この番組を安部現首相はじめ政治の中枢に居られる方々が聞いていてくれ、と祈る思いがした。
翌、8月13日も、午後11時からNHKハイビジョンで『兵士達の戦争A 密林に倒れた最強部隊』が、さらに、翌14日には同時刻に『兵士達の戦争B 証言記録マリアナ沖海戦』が放映された。14日のNHKハイビジョンでは、お盆の中日ということもあってか、午前10時から『硫黄島玉砕戦』、午前11時から『カウラの大脱走』、午後1時から『証言記録マニラ市街戦』が放映されたが、これらの全てが生き残り兵や現地や米兵関係者の生存者の証言からなっており、今でなければ、そして、NHKでなければ作れない貴重なドキュメンタリーで、これを見た人は例外なく、『2度とこの様な戦争を起こしてはならない』との思いを心に刻んだに違いないと思え、私は、よくぞここまでNHKが頑張ってくれたと、思った。これらのドキュメンタリー番組では、310万人の日本人の死亡だけでなく、近隣諸国の犠牲者の数が約2000万人にのぼることにも触れており、また、『証言記録マニラ市街戦』では、日本兵も多くのマニラ市民を犠牲にして戦うという自分勝手な戦い方をしているが、攻める米軍も自国の兵隊の犠牲者を最小限にすることを優先し、例えばイントラムロス(かってスペインが築いた要塞都市)内の2万人のマニラ市民を楯に立てこもる約700人の日本兵を殲滅させるために、市民もろとも猛爆撃と砲撃を加え、都市を灰燼にして、日本兵を全滅させたが、同時に都市内で生き残ったマニラ市民もわずか3000人ほどであったと言う。こういう現実をみると、戦争が人の心を狂わし、平時には考えられない行動をしてしまうことがわかる。とにかく、2度と戦争をしてはいけない、という思いを、見た人の心に訴える番組であった。
そして、もう一つ、NHKらしい、すばらしい番組を『終戦の日』の8月15日の午後7時30分からと8時45分までの75分間と、午後10時から11時30分の90分、すなわち前後2部に分けて、合計3時間弱に亘る討論会が組まれたのである。 『日本の、これから 「考えてみませんか? 憲法9条」 視聴者や有識者を招き徹底討論▽施行から60年を迎えた日本国憲法▽憲法改正の手続法にあたる国民投票成立▽憲法の是非をめぐるさまざまな論議▽正式な軍を持つことを明記すべきか?』というタイトルの番組であった。もちろん、討論の性格上、この番組で結論がでるようなものではもとよりないのであるが、この討論会は聞き応えがあり、問題の核心がよく浮かび上がり、極めて有意義なものとなった。
私は、今日の『終戦の日』もう一つ関心を持って行ったことがある。
読売、朝日、日経、毎日、の4つの全国紙と、南日本、西日本の2つの地方紙、計、6つの新聞の社説を読み比べてみたのである。結論から言うと、どの新聞社も、実に冷静に、しっかりした社説を載せており、新聞の社説にこれだけの見識が保たれている以上、お先真っ暗と言うわけでもない、と、本当にホッとしたのである。それぞれの、社説に関し、内容の要約または1〜2行を引用して、今日の『終戦の日に思う』の締めとする。
読売新聞;完全に靖国参拝に的を絞った論説で、安部首相が靖国参拝をしなかったことへの評価と合祀のあり方を論じていて、先に論壇で述べられた渡辺恒雄氏(読売新聞主筆)の考えに沿った内容となっていた。
朝日新聞;『中学、高校で歴史を学ぶ皆さんへ。』という呼びかけで始まり、歴史を学ぶことの大切さを語りかけている。
日経新聞;『戦争の歴史を忘れずアジアと友人で』のタイトルではじまり、アジア諸国・地域と真の友人になるためにも戦争の歴史を忘れてはならない、と結んでいる。
毎日新聞;『安部晋三首相は、小泉純一郎の政治を継承しながらも、立つ位置を右にシフトし「戦後レジーム(体制)からの脱却脱却」を訴えた。−−−−参院選で阿部首相は有権者に対して「首相選択の選挙」だと迫った。結果は自民党の大敗。−−−−戦後レジームからの脱却の一環として首相が推進してきた安全保障政策の内実は、結局、米国との軍事的一体化をめざすものだ。−−−−自民党が参院選に大敗したのは単に「失われた年金」と「政治とカネ」の不始末だけが理由でない。首相がそのように敗因を矮小化するなら、過ちを繰り返すことになるだろう。」
南日本新聞;『本来なら、心静かに迎えたい日だ。しかし、どうも今年は落ち着かない。先の大戦に対する国の姿勢がたびたび問われたからである。従軍慰安婦をめぐる安部晋三首相の発言、高校日本史教科書の沖縄戦「集団自決」修正問題、久間章生前防衛相の原爆投下に対する発言。戦争に対する評価の揺らぎに不安が募る。』
西日本新聞;『安部政治に顕著な「祖父的なもの」への傾倒。そこに戦争体験なきリーダーへの「危うさ」を見たのは、私たちだけではなかった。−−−−与党の敗因には無論、年金問題や閣僚の不祥事などもあったが、「戦後レジームからの脱却」路線も俎上に載った。民意の共感があれば、また違った結果となったはずである。」
以上、6つの新聞の『終戦の日』の社説を紹介した。