思うこと 第56話 2006年1月8日 記
2006年の“年の初め”の読書
−その1− 靖国参拝
私は大学の医学の仕事に就いているため、ともすれば世間の事情に疎くなるため、東京などに出張の機会を捉えては、一般教養を身につけるための本を買って読むよう努めている。今回、産業医講習会で1月7日から9日の3日間出張の機会を持てたので、モノレールの浜松町の出口にある大型書店で、2袋の書籍を買い込んだ(左写真)。 何故2袋も買ったかと言うと、いつもはしなければならないことが多く、読書出来るのは出張の時だけなので、欠食児童が食事にありついた時の様に、興味をそそる本は全て買いたくなるからである。 私は、出張の際は、やり残した仕事を持って行くため、決まって大きく重い皮カバンを肩にかけ、両手に一袋ずつ持てる限りの荷物を持ってゆく習性があるので、さらに2袋書籍を買うと、一人で持ち運ぶことは困難を極めるが、これも、自分の体力の限界に挑戦するという趣味の一つである。 今回は3連泊なので、仕事と読書に相当の時間が使えると期待していた。 というのも、出張中は、趣味の日本画を描く時間が仕事と読書にまわせるからである。 午後9時に寝て、午前3時に起きる日課は出張中も続けるので、そしてまた、今度の出張は午前9時から午後6時までの研修で、しかもホテルを会場のすぐ近くにとったため、何と、一日7時間以上もホテルで仕事と読書に使えたのである(左の写真は、1泊目の明け方、ホテルの窓から写した雪の富士山)。 今回買った本は、大きく分けて、今後の日本はどうなるのか、小泉政権の評価をどう考えるべきか、米国と中国を含め現在の世界情勢をどう考えたらいいか、の3つのテーマが主なものであった。
まず読んだのが、論座2006年2月号(左上表紙)で、これは読み応えがあった。 なかでも、渡辺恒雄氏(読売新聞主筆)と若宮啓文氏(朝日新聞主幹)の「靖国を語る、外交を語る」という対談(右写真)に驚いた。 はじめ、私は表紙のタイトルにわが目を疑った。 すごい対談だと直感した。 事実、すごい内容であった。 私はごく最近、私のHPで『靖国参拝と憤青』を書いたばかりなので、ことさら感動して読んだ。 渡辺恒雄氏述べておられる言葉の幾つかを紹介する。 『僕は学生時代から本当に反戦を主張してきました。先の戦争で、何百人もの人々が天皇の名の下で殺された。僕も二等兵でしたが奴隷的に酷使された。』 『今、靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。 やはり、殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。それから、加害者の方の責任の軽重をきちんと問うべきだ。歴史的にそれをはっきりと検証して、「我々はこう考える」と言ってから、中国や韓国にもどういう迷惑をかけていたのかという問題がでてくるのだ。やっぱり彼らが納得するような我々の反省というものが絶対に必要だ。』『僕も79歳です。僕らがいなくなると、あの残虐な戦争を知らない人たちばかりになって、観念論争になっちゃうんじゃないかと心配だ。ーーーーーーー。僕は自分の実体験を語り、残しておかないといけないと思っている。日本軍というものは本当にひどいものだったということを、どうしても言い伝え、書き残しておかなきゃいかんと思っているわけですね。』『僕はジャーナリストだから、まず日本の過去の戦争責任というものを究明したいと思っています。しかし政治家は、現実の外交を優先して考えなきゃいけない。小泉さんは政治をやっているのであって、イデオロギーで商売しているのではない。国際関係を取り仕切っているのだから、靖国問題で中国や韓国を敵にするのは、もういいかげんにしてくれといいたい。』
私は、読売新聞主筆の渡辺恒雄氏のこれら一連の発言に心底感動した。日本の言論界の頂点におられる渡辺恒雄氏と若宮啓文氏のお二人のこの対談の意義は計り知れないほど大きく、2006年の行方に明るい展望をあたえる、久しぶりのうれしい出来事であった。