思うこと 第234話     2007年7月12日 記       

沖縄訪問の感動

今回の2泊3日の沖縄出張は慌しくも、実り多い感動の旅であった。
豪雨の鹿児島を後に沖縄に着くと、そこはとっくに梅雨明けした輝く島が待っていた。

滞在期間中真夏の太陽照りつける天気に恵まれたが、テレビでは九州を中心に豪雨のニュースが連日流されていて、気候がまるで違うことを実感した。その一方で、極めて大型の台風4号が沖縄に接近しつつあり、帰りの飛行機が飛ぶか気になっていたが、幸い、台風のスピードが落ちて(下新聞)、

今日無事鹿児島に帰ってくることが出来た。
今回の沖縄訪問は、沖縄の公的機関(県庁や県立病院等)を財団法人慈愛会の会長(私)と理事長(今村英仁)の2人で回ることが目的で、多くの方々との貴重な出会いがあったが、ここでは、仕事の話はさておいて、その合間に経験した幾つかの感動したことなどに触れたい。
最近私の関心事の一つである、三味線(さんしん)の工場を見学できた。
工場のショールームは見るだけでも心が浮き立った。

三味線は黒木の棹の部分が最も高価で、棹と胴(箱)は別々に自分の好みで選ぶことも出来るようになっていた。
棹を作るための八重山黒木の原木を見せてもらえたのも感激であった。

皮を張る前の胴(箱)もはじめて見ることができた。

これは、今回の目的の一つでもあったが、2年ぶりに敬愛する宮城征四郎先生にお会いすることが出来た。(下写真:新しく移転した臨床研修センター前にて、左から宮城先生、私、今村理事長)

先生が3年前に設立された臨床研修病院プロジェクト群星(むりぶし)沖縄は、沖縄に全国の医学生が注目する研修病院群として発展し、日本の医師研修制度に革命的な効果を発揮し、沖縄に多くの青年医師が全国から集まり、日本のみならず、沖縄の医療の世界をも一変させつつある。一人の人物の力がかくも世を動かすことが出来ることを、今回、再認識させていただいた。
この後、沖縄県立中部病院を訪れた。

ここでは、平安山英盛院長先生方にお会いした後、2年前からこの病院の神経内科部長の

城之園 学君に神経内科病棟を案内してもらった。

明るいきれいな病棟で、35人から40人の神経内科の患者さんが常時入院しておられるとの事。
腰のところに神経内科診察道具をセットでさげている(下写真)ことに驚いたが、

忙しく飛び回っていることからきた生活の知恵であろう!
学生時代からずば抜けた存在であった下高原淳一君が今年4月からこの病院のレジデントとして頑張っており、同君が私に会いに手術室を抜け出して会いに来てくれたのも嬉しいことであった。

この後、独立行政法人国立病院機構沖縄病院を訪れ、石川清司院長にご挨拶した後、神経内科部長の末原雅人君(下写真中央で私の向かって右隣)の神経内科病棟の回診を見せてもらった。

私は、同君の回診の姿に、臨床家としての究極の芸術をみたと思った。すごいレベルのディスカッシッヨン聴きながら、今の日本のどこの大学の回診をも上回るレベルのような気がし、末原君の薫陶を受けている若者達は幸せだな、と思うことであった。
その夜は若者達が集まってくれ、オリオンビールを楽しませてもらったが、

特に学んだわけではないという末原君の三味線の即興の音色に、才能のある人はいいなあ、とちょっぴり羨ましく思うことでもあった。
さて、今回の旅行の初日の話しで締めると、沖縄県立八重山病院を訪れた際、多くの懐かしい方々にお会いして旧懐を温めさせてもらったが、仕事の話はさておいて食べ物の話に絞るが、伊江院長や吉嶺君たちとの夕食会の時、生まれて初めて味わったアダンの実の天ぷら(下写真)のさっぱりしたさわやかな味は格別であった。