思うこと 第47話 2005年10月26日 記
学生の「マイアミレポート」に感嘆
私が下高原淳一君に初めて出会ったのは、同君が鹿児島大学に入学してきた2000年4月だった。 私は同君の指導教官に指名されていたので、挨拶にきたのであった。 輝く瞳の若者を前にして、私も熱っぽく学生生活のあり方を説き、私が学生向けに書いたエッセイ「出会いを大切に」にサインをして手渡した。 同君から最近聞いて、贈った私こそ感動したことであるが、同君は私のこのエッセイを座右の教訓として、幾度となく読み返しながら、ここまでの学生生活を送ってきたとのことであった。 まさに、教官冥利につきる出来事である。 その彼が、1年間のマイアミでの交換留学生としての生活を終えて帰ってきて、指導教官の私に、1年間のマイアミでの生活を報告に来ました、と言って私に手渡してくれた8枚に及ぶ長文のレポートを読んで、私は心底感嘆した。 このレポートを、できるだけ多くの若者に読んでほしいと思ったので、同君にこれを私のHPで公開することをお願いし、快諾を得たのでここに紹介する。 ちなみに、左の写真は、同君の帰国直後に行われた医学部ボウリング同好会の例会に出席し、同君は留学前よりもいい成績をだして「納賞」のマイボール3点セットを獲得し、一方私は久しぶりに総合優勝し、2人とも超ごきげんで打ち上げの美酒を味わっているスナップである。(この例会の詳細は「こてる日記」の10月15日を参照。)
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マイアミレポート
2005. 9/5 医学部医学科5年 下高原淳一
鹿児島大学とマイアミ大学は姉妹校であり、鹿児島大学医学部はマイアミ大学医学部との一年間の交換留学プログラムを持っている。交換留学とは言っても、言語の問題をはじめとしたさまざまな問題により、マイアミ大学から鹿児島大学への留学生はプログラム発足以来、残念ながら二、三人にとどまっている。この交換留学プログラムはまだ若く十一年前に大学間での姉妹校協定を結ぶ際に発足されたものである。
留学中はマイアミ大学の好意により、マイアミ大学への学費の支払いは免除されるが、あちらでの単位の取得ができないので、鹿児島大学では休学扱いとなり一年留年をしてしまうのがこのプログラムの唯一の欠点である。
選考は1月〜2月に行われるが、選考と言っても志願者数が一年間の留学者数の上限である3名を超えたことがないので、簡単な面接のみが行われるのみであり、例年希望した者が行っているという状態である。学生時代の一年間の海外留学という他大学に類をみない良いプログラムがあるにも関わらず、一年間の留年や金銭的なことが理由で留学をあきらめる学生が多くいるのは残念でならない。
今回、マイアミには自分を含む計3名で行き、一年間同じアパートに3人で過ごした。3人で住んで一人あたりの家賃が3万だったのだが、部屋の広さが日本と同じでなくやはり広かった。さらに、部屋の目の前にテニスコートとプールがついていたので、暇なときはいつでもそこで汗を流すことができて、ストレス解消にもなって非常に良かったように思う。
マイアミでの生活は非常に楽しいもので、テニスコートやプールもそうではあるが、夜に時間があるときは同じ実習を回った友人とサウスビーチに飲みに行ったりすることがよくあった。『サウスビーチ市』は全米でも有数の観光地で、バーやクラブの集中する一つの市である。またアメリカ国内やヨーロッパへの渡航費が非常に安かったので、グランドキャニオンやイタリアでの格安旅行も十分に楽しむことができた。
マイアミでは、マイアミ大学医学部と提携している市立病院のJackson Memorial Hospitalで一年間実習をさせていただいた。実習内容はそれぞれ各個人で決定することができる。二週間または一ヶ月を一つの単位としたローテーションであり、マイアミ大学の学生と同じように、数ヶ月ごとに各科に申し込みをして受け入れの予約をするのだが、人気の科は予約が三、四ヶ月前から予約がいっぱいで、しばしば予約を取るのに苦労した。Jackson病院の一番の売りは移植外科であり、一年間の移植の数はアメリカでも有数で、去年は四百件である。その中で、肝臓移植外科のチーム二番手で働いているのは日本人のドクターで、彼の実力はJackson病院のどこで実習していてもその名を耳にするほどであった。昨年日本でも一時期話題となった、日本人初の六臓器移植を手がけたのもそのドクターであり、患者は今でも元気に過ごしていらっしゃるようで、なんとも嬉しい限りである。
Jackson病院の移植外科では、そのドクター以外にも多くの日本人ドクターが活躍しており、実習をするようにと何度か誘っていただいたのだが、訴訟問題もあり学生はあまり患者に触れることができないということもあり、私は内科を中心としたプログラムを組んだ。以下は簡単な一年間のスケジュールである。
八月 心臓内科
九月 Harvey Program(心電図や心弁膜症の身体所見の取り方のレクチャー)
十一月 血液内科、腎臓内科
十二月 外傷センター
一月 総合診療内科
二月 放射線科
四月 呼吸器内科
五月 感染症内科
六月 神経内科
私は元来、内科志望者であったというわけではなく、むしろ一年前までは外科系に進もうと考えていたのだが、Jackson病院での内科での実習が日本でのそれよりも、遙かに魅力的でかつ日本の内科学がまだまだ伸びる余地があるという想いから、一年間内科ばかりを回ることになった。外科は、外傷センターという外傷専門の救急部に一ヶ月間行っただけであった。
実習中はマイアミ大学医学部の三、四年生や、他国からの見学実習者と共に病棟を回っていた。マイアミは南米からの移民が非常に多く、人口の八割はスペイン語を母国語としており、英語を第二外国語として学んでいる人が多い。患者の中にはスペイン語しか話せない人が多く、問診に困ることが多々あった。留学中にスペイン語を学んだ先輩もいらっしゃるようだが、私はスペイン語どころか英語も稚拙であったため、英語の勉強だけで手一杯であった。
Jackson病院は外国からの見学実習者が非常に多く、特にメキシコやチリ、ペルーなど南米からの学生や研修医一、二年目のドクターがそのほとんどを占めていた。彼らの多くはスペイン語を母国語としていることや、地理的にもアメリカの中で最も近くにある大病院ということが南米からの見学実習者が多い理由となっているようである。
コンサルタントチームは教育専門教官、または患者の治療の責任者でもあるアテンディング一人、学生達の監督をするレジデント2〜3年目の医師一人、レジデント1年目で患者の日々の直接的なケア、すなわちカルテの作成、検査や薬の指示、ケースマネージメント全般などを行うインターン一人、医学部3、4年生1〜2人などから構成される。
レジデント 内科、外科などの専門領域の研修を受けているもの。期間は3〜5年と科によって異なる。修了後、専門医試験を受ける。
インターン レジデントの1年目。インターンを修了してUSMLE Vに合格するまでは医師免許は与えられない。
フェロー レジデント終了後、さらに専門科の研修を受けている者、アテンディング
学生、レジデントからなる診療チームを指導する教官クラスの医師。教授から助手クラスまでさまざまな医師が担当する。
さて、実際の実習内容であるが、始めの三ヶ月間非常に辛い想いをした。日本を発つ前にそれなりの準備をしていき、多少なりとも自信を持っていったにも関わらず、実習どころか基本的な会話でさえままならない場面が多々あった。三ヶ月間辛かったと言っても、三ヶ月経って自由に会話ができるようになったわけでもなく、“会話が分からない状態に抵抗を覚えなくなった”だけであった。半年経ってようやくカンファレンスで自分の意志・意見を発言することができるようになり、それからがまともな実習であったように思う。
しかし、多くの患者を持たせてもらうようになるとやりがいも生まれ、あれほどまでに医学生としての勉強や実習が面白かったのは初めての経験となった。患者を自分で診察し、方針を考え、できることは自分でする、そのことを周囲の医師たちが助けてくれ、そして常にもっとよく考えるように励ましてくれた。医学生になって初めて、実際に自分の持っている知識や技術が役に立ちうると言うことを知った。そしてそのことがもっと患者の状態を理解できるうになりたいという動機へとつながっていく気がした。
アメリカの目指す医療とは日本で聞かれるような少数の名医を育てることにあるのではなく、むしろ大勢の質のよい医者を教育することにあったように思う。その中で実習していると、今後日本が目指すべき新しい医学教育・卒後教育・医療制度と臨床のあり方なども深く考えさせられた。
以下に総合診療内科での基本的なスケジュールをしめす。
7:30 モーニング カンファレンス
10:30 アテンディング・ラウンド(ラウンド≒回診)
12:00 昼食(合同カンファレンス、レクチャー)
13:00 アテンディング・ラウンド
14:30 レジデント・ラウンド
17:00 終了
毎朝チームの小規模なカンファレンスがあり、午後は新しい患者をみたり、継続的に診ている患者のケアの残りを終わらせたりする。レジデントや学生は朝7時前に病院に来て患者の前夜の経過を検討し、出てきた検査結果を調べ、夜勤の看護師やスタッフが残した看護記録に目を通す。
モーニング カンファレンスではまずアテンディングに対し、インターンやレジデント、あるいは学生が入院患者の経過報告をする。学生は担当患者の二十四時間以内の経過を詳細に記憶し、手短に(二、三分で)述べなければならない。患者のデータと治療計画について詳細かつ正確に理解をしていることが求められていた。
また、アテンディングはしばしば患者を一人選び、その患者の重要事項について簡単なプレゼンテーションをさせることがあった(例えば肺塞栓の処置や大動脈弁狭窄症の外科的治療について5分間述べさせるなど)。
その後、アテンディング・ラウンドではチーム全体で十〜十五人の受け持ち患者全員を回診する。その中では、ベッドサイドで患者一人一人を診察し、前夜に起きたことについて患者と話し、看護師が残した患者のバイタルサイン、食事の摂取状況などの記録を読んだりする。病棟でも毎日、回診で直接患者を診察し、発見したこと、調べたことを報告するが、レジデントやアテンディングの所見と自分の所見が比較されるので非常に早く診察技術が身に付いていくように思えた。
毎週決まった曜日の昼には、総合内科全体での合同カンファレンスが行われていた。そこでは単なる患者の報告は行われず、診断に難渋した患者や興味深い疾患の症例発表のようなものがあった。症例発表と言っても私が日本で知っていた症例発表とは異なり、レジデントが症例提示を行い、それに対して一人のアテンディングを司会として、出席するその他の全てのドクターが必要な身体所見、検査データを探りながら鑑別診断・治療法の検討を行っていくというものであったカンファレンス中には活発な意見のやりとりが行われ、アテンディングやフェローに位置するドクターの話は非常に勉強になった。
また、毎日昼食時にはドクターや学生のためのレクチャーが様々な場所で行われていた。ここでは各分野の専門医が最新の論文を紹介したり、コモン ディジーズに対するケアマネージメントのレビューを行ったりしていた。
昼のカンファレンスが終わり、午前中に回れなかった患者をアテンディングと共に診ると、次はレジデント・ラウンドが行われる。本来ここでは学生や見学実習者は、レジデントと共に新患や受け持ちの患者のケアに当たるのだが、どの科でも忙しさのためにそれぞれが分担を決めて一人一人患者のもとへと向かっていっていた。学生やインターンが全ての仕事をこなすことはないが、問診をとったり、身体所見をとったり、カルテをまとめたりということは各個人で行う。一通り終わると、別の患者のもとにいるレジデントを呼び、レジデントと共に問診や身体所見の内容をあらためて確認していく。
実習中、学生やインターンはいろいろな人から学ぶことができる。アテンディングだけでなく、フェローやレジデントも常に積極的に指導していた。上級医師は時と場所を選ばずに常にレジデントや学生に語りかけていた。患者の状態はもちろんのこと、疾患の鑑別診断や治療法の適応などについて細かく話す姿がよく目についた。学生は患者の治療に直接責任を持つ医師が次の診察の内容や治療を決める場面に同席して学ぶことができる。プレゼンテーション後の質疑応答、患者への説明、日々変化する患者の容態の観察など全てが学生にとっては不断にフィードバックを受け、知識を獲得、拡大するチャンスになっていた。
アテンディングはその専門分野に関しては、みな非常に深い知識を持っており、感染症内科にいるアテンディングに、なぜそれだけの知識があるのかと尋ねるとこういう答えが返ってきた。
「内科とは恐ろしい分野である。これだけよい抗菌薬ができているのにもかかわらず、院内肺炎の死亡率は非常に高い。1991年から毎年、アメリカの様々な病院で、院内肺炎に対して検査・治療をガイドラインに沿ったものと沿わなかったものとを、患者の死亡率と在院日数で比較した大規模な統計がとられている。結果はこうだ、ガイドラインに沿わなければ死亡率、在院日数ともに約二倍になる。ガイドライン、つまりマニュアルに沿っているだけで君は倍の患者を助けられる。逆に言うとそうしなければ、倍の患者を見殺しにすることになる。外科ならば、ミスがあれば訴えられるが内科ではそうはいかない。君は誰にも罰せられることなく患者の人生を奪っているかもしれない。そう思うと、私はこの年になっても毎日勉強を怠らないし、君らの指導にもつい熱が入ってしまうんだ。」
アメリカでは訴訟問題のためガイドラインを重視する病院が多いらしい。もちろん全てガイドライン通りにやればいいかというとそうでもない。患者一人一人の特徴を軽視するわけにはいかないし、あるいはいたずらにEBMを強調すれば、統計などの落とし穴に陥って医学を間違った方向に導いていく可能性もある。しかし、日本での現状はどうかというと、それぞれが思うところの医療を提供するという、医師の裁量権の枠があまりにも大きく取られ過ぎているのではないだろうか。病院間の医療体制の違いはもちろんのこと、医師間の知識も不揃いなことが多いように思う。あるドクターは、ある程度知識の均一化を図るためにレクチャーやカンファレンスを多く行い、またそれだけでなく常にドクター同士で話をすることを怠ってはいけないと主張していた。
ここまで、彼らの勤勉な部分しか紹介していないが、彼らはよく遊びもする。
「アメリカの学生はまじめだ。彼らは非常によく勉強する。」米国での臨床経験のあるドクターから、こういった話を聞かされることがある。しかし、同じ学生の立場で実習をした者から言わせてもらえば、彼らは決してまじめ一徹ではない。確かに米国の学生はよく勉強をする。早くから専門を決め込んでいるせいもあるのだろうが、持っている知識はみな深いものばかりだと思う。ただしこれは彼らの勤勉さを示すものではないように思われた。試験が厳しい上に一つ落とすと追試を受けるのには余計に費用が掛かる。それでなくても、勉強をしていないと自分の希望する科にすら進めないし、雇われても実力がなければ解雇されることも多々ある。また、学生時代の成績が就職先を左右するということも彼らが勉強せざるを得ない一因であると思う。アメリカでは4年間の大学を卒業してから医学部に入るが、多くは自由の国アメリカでの成功を夢見る人が多い。成績のいい学生は自分のQOLを追求するために眼科や皮膚科への志望が多いことは有名で、彼らすべてが高尚な意識の持ち主ではないのではということも考えさせられる。規制の少ない科にいけば、さぼる学生が大勢いたし、時間があればパーティーを開き飲み明かしていた。親しくさせて頂いていた60歳代のドクターが、自分の誕生日パーティーである有名なクラブに行き一晩中踊っていた、ということを聞いたときにはアメリカ人の遊び好きな一面に感服したのを覚えている。
マイアミ出発前まで留学費用やその他の様々な問題から、留学自体を決心するのに時間がかかったのだが、マイアミでの一年間は他では体験することのできない非常に大きな経験となった。彼らのよく学びよく遊ぶという精神は日本人も学ぶべき点ではないかと思う。
マイアミで、メキシコやコロンビア、ブラジル、チリといった南米の学生やイタリアやスペインなどのEU諸国、あるいは中国や韓国、インドなどの東アジアの学生やドクターと共に実習をする機会があったが、みな問診や身体所見の取り方が非常にうまかった。病院実習の主眼は外科や内科の知識を全てマスターする事ではなく、各診療科に必要な臨床手技・知識についての一般的な洞察を身につけさせ、自分で学ぶ力を養うことなのである。どの国でも、医学校の第一の教育目標は、卒後研修でレジデントとして即戦力となる医師を育成することにあるそうだ。
日本の医療はWHOで世界一と謳われている。確かに、高度な医療が国民全体に平等に与えられ、平均寿命もいまや男女共に75歳を超えている。しかしその実態はどうかというと、私が田舎へ帰れば医療過誤ともとられかねない医療事故や、過剰診療・過剰治療が往々にして行われているのを数多く耳にする。なぜこのようなギャップが生じているのだろうか。ある他国のドクターには、日本人は金で命を買っているというイメージがあるという。国民皆保険は世界に誇れる保険制度で、元となっているイギリスの保険制度より良い成績を収めているのではないかと思われる。一時期、日本の保険に市場原理を導入しようという動向があったが、アメリカと根本的に医療体制の異なる日本では、その弊害のほうが大きいように思える。日本での国民皆保険は必要不可欠のものであり、患者・ドクターどちらの視点からも診療・治療への自由な幅が広がるように思われる。しかし、この自由な幅は前述のような医者の裁量権の枠の過剰拡大にもつながっている。
近年点数制度や保険制度の変更によりこの自由さに規制がかかってきたものの、やはりそこに甘んじているところが多いように感じられる。必要な検査・治療はまだまだ選別されるべきなのかもしれない。
また、他国の医学部の学生との実習を通して、欧米諸国と日本の医療の差というものは学ぶ側の質にあるのではなく制度の違いであると強く思うようになった。日本の学生は意識レベルが低いと言われることもあるがマイアミ大学や他国の学生とくらべて、決して劣るようなものではないと思う。確かに彼らは個々の目的意識は非常に高く、それを実現しようとする積極性・自立性においては日本の医学生よりは優れているかもしれない。しかし、それは何も医学生に関してだけではなく、いわゆるお国柄でありそれをことさら強調する必要もない。もとより日本の医学生も志高くして入学して来る学生も多いはずであるが、受動教育の中で育ってきた学生はその想いを内に秘めたまま卒業、就職し忙しさの中でその想いを忘れてしまうことが多い。日本人に合った教育方法が求められている。未だに日本の指導は見て学ぶ自学自習タイプが大きく占めていて、内科においては勉強するもしないも自分次第である。日本のドクターは医学部に入った時点からあまりにも国から守られ過ぎているからかもしれない。9割の患者は惰性でも診療することができるが、残りの1割はそれだけでは通らない。残りの1割をあきらめても問題とならないのが日本の医療界の現状であるからかもしれない。医療教育制度の早期の改正が必要であると思われる。
優れた医師になるだけの資質の多くは通常の高校のカリキュラムでは教えることはできないし、受験テクニックや学習能力とはまったく関連しない。特に、若くして医師としての進路を選び、理科系科目において好成績をあげることに集中してきた学生は、逆に患者理解や社会的問題や倫理における問題の理解に必要な洞察力、背景知識が不足する可能性も高い。国家試験も同じく、試験を高得点で受かることと、良い診察・治療を患者に提供できるようになるのとは大違いである。机上の勉強だけでは臨床で役に立たないし、これを修正する為にも病棟でドクター同士、あるいはドクターと学生のディスカッションがまだまだ必要とされているのかもしれない。教育とは自由の中ばかりで学ばせるものでもないし、難問・難題を与えて多くの学生や研修医のやる気をそぐことでもないと思う。
ここまで書き留めたことは、マイアミ留学以前には全く考えもしなかったことである。これまで自分自身、試験になんとか受かればいいと思っていたし、試験さえ終われば毎度すべてが忘却の彼方だった。本当に素晴らしい経験ができたと思う。このような留学の機会を与えてくださった、園田先生や上村先生、Dr Byrnes、そして両親に感謝の意を込めてマイアミレポートとさせて頂きます。