思うこと第38話 2005年7月13日 記
宮城 征四郎先生の心意気に感動
「臨床研修病院プロジェクト 群星(むりぶし)沖縄」の招請を受け沖縄に講演で呼ばれ、久しぶりに宮城 征四郎先生にお会いし、感動を新たにした。 宮城先生は、ドクターズマガジン社によりまとめられた「日本の名医30人の肖像」(左写真)の中で、本邦屈指の臨床研修教育者として紹介されている方である(右写真)。 教えを請う若者を一人も拒まなかった偉大な教育者のサブタイトルがついているが、事実、私の教室からこれまでに、呼吸器の専門研修に関しては6ヶ月単位で30余人が教えを受け、救急総合診療に関しても4ヶ月単位で20余人が教えを受けているので、合計50人を優に超える教室の若者が宮城先生の薫陶を受けたことになる。 これらの若者たちは、試験を受けることもなく、ただ宮城先生の懐の深さで受け入れていただいたものであった。 このほか、 レジデントの試験を受けて、2〜6年間の臥薪嘗胆の研修を受けた若者も教室から5名を数えている。 これら60名を超える教室の若者達に共通している思いが、宮城先生の臨床に対する真摯な姿勢と卓越した指導に対する深い憧憬の念である。 宮城先生の下にこれらの若者を送り出した私までもが、宮城先生のお陰で若者達から感謝されるという予期せぬ恩恵をうけている次第である。 もっとも、これら60人の若者よりも、私のほうがはるかに宮城先生の偉大さを知っているつもりではあるが。
先生は沖縄県立中部病院の院長として全国にそのお名前を轟かせておられたが、1年4ヶ月まえ、ご定年までの期間を1年残された状況で、ご英断をもってそれまでの職を辞し、「臨床研修病院プロジェクト 群星(むりぶし)沖縄」を立ち上げ、全力でその推進の任にあたられたのであった。 本プロジェクトの内容に関してはプロジェクトのホームページに詳しく書いてあるので参照願いたいが、私が感動したのは、沖縄県立中部病院の院長として活躍しておられた時よりも、さらに大きな情熱とパワーをこのプロジェクトに注ぎ込んでおられることと、その求めている内容の視点の高さであった。昨年4月より、医学部を卒業し、医師国家試験に合格した医師は、2カ年間の研修が義務付けられたが、実は、宮城先生は国が任命した約10人程度のこの制度のありかた検討委員会のメンバーの一人であった。したがって、制度を知り尽くしておられ、かつ、“臨床の神様”の先生がリーダーであるこのプロジェクトが大きく発展することは、いわば歴史の必然であった。初年度も、そして本年度も、60人を超える若者が、宮城先生のこのプロジェクトに全国から馳せ参じたことは、「宮城先生だから当然」と、私の想定の範囲内の出来事であったが、私が感動したのは、宮城先生の、「私はこのプロジェクトを通じて、真の臨床医の心と力を持った若者を育て、全国に送り出す」、「10年間で膨大な数の若者を送り出した後は、この仕事は後身にゆずり、私はさらに次の夢に取り組みたい」とのお言葉を聴いたことであった。もうひとつ感動したことは、この宮城先生の高い視点の理念を7つの基幹研修病院ならびに多くの協力病院の院長や指導教官が理解し、推進していることと、そのもとで、研修医も熱く燃えていることであった。私は、今回の、沖縄訪問で、厚生労働省が立ち上げた研修医の必修化の試みが、日本の医療をいい方向に、革命的に変えつつあると確信を持たせてもらったと同時に、我々医学生の卒前・卒後教育に携わる大学教官こそは、率先して、宮城先生のように頑張ってゆかなければならない、と決意を新たにしたのであった。幸い、鹿児島でも鹿児島大学病院が音頭をとって、研修プロジェクト「桜島」が多くの基幹病院と協力病院ならびに全国の研修医の賛同を得て、起動に乗っているが、このプロジェクトをさらに、さらに実りあるものに育ててゆかねばならず、「臨床研修病院プロジェクト 群星(むりぶし)沖縄」はそのすばらしいお手本になることはまちがいないし、また、我々は、このようなプロジェクトと補完協力しあってゆかなければならないと痛感したのであった。