思うこと 第140話           2006年9月16日 記

場を与えれば人は育つ

 昨日、思うこと139話で、
『私がオシム監督の登場を感動と共に歓迎しているのは、実は私の恩師の井形先生ならびに私の人育ての方針の軸と同じであることによる。』と述べたが、今日は、井形先生と私の人育ての実例を紹介しよう。 教室では、多くの優れた臨床医、教育者、研究者が育ってくれたが、その原点は、『若者は無限の可能性を持っており、伸びる邪魔さえしなければ、そしてまた、伸びるための環境整備さえすれば、若者は私達では到達できない高いところまでへも伸びてゆくということを私達が知っている』という1点に尽きるように思う。 次に示す図は井形先生と私の教室から巣立った教授12名の一覧であるが、

私は教室からこれらの教授を送り出したたびに、「こんな優秀な人を送り出して、後が大変ですね」とよく言われたが、私はそのことを心配したことはなかた。 やる場を与えれば残された若者達はさらに伸びてゆくと信じているからである。 例えば、教室の生化学・分子生物学の分野を世界の超一流に作り上げた栗山勝助教授が福井医科大学の第2内科の教授に決まり、同君が育てた腹心の部下2人とともに福井に巣立った時にも、多くの人が「あとは大丈夫ですか?」と心配してくれた。 しかし、間もなく、中川正法講師が私達の教室の生化学・分子生物学の分野を世界の超一流のものへと築き上げてくれた。 その中川講師が、京都府立医科大学の教授に決まり2002年に巣立った時、この時ちょうど私が病に倒れ4ヶ月の入院生活を余儀なくされた事もあって、「教室が崩壊するのでは」と心配する人が少なくなかったし、この時だけはさすがに私も一瞬心配した。しかし、教室運営は有村助教授に全てを托し、病気療養に専念させてもらった。 4ヵ月後、職場に復帰した時、私は感動した。 全てを託された有村助教授が、私の不在を乗り切ったというだけでなく、よりすばらしい教室運営をなし、教室がさらに発展していたことに、感動したのであった。  生化学・分子生物学の分野も当時は助手でもなかった高嶋 博君(同君は中川正法講師の教え子の1人で、現在は助手に就任している)が、瞬くうちに再び世界の超一流のレベルに持って行ってくれた(高嶋君に関しては、『思うこと第93話:日本神経学会総会で学術No1と臨床No1の同時受賞に輝いた男』を参照ください。 また、井形先生と私の教室作りの詳細は『夢追って30余年』を参照ください。