思うこと 第114話           2006年7月12日 記

『オシムの言葉』に感動

 私は第113話で、ジーコ監督の監督としての資質に関して思うことを述べた。
 今日は、W杯の次期監督候補のオシム氏にに関する木村元彦氏の著書『オシムの言葉』(左写真)に、心底から感動したので、そのことについて述べる。
 この本は、『フィールドの向こうに人生が見える』のサブタイトルからもわかるように、単なる『言語録』ではない。 オシム氏の言動・哲学の基盤ともいうべきオシム氏の“生き様”にいたく感動した木村元彦氏による、オシム氏・ノンフィクションドラマである。 オシム氏は1941年5月、現ボスニア・ヘルツェゴビナ、サラエボで生まれた。1941年の遅生まれだから、1942年の早生まれの私とは日本流で言えば同じ学年である。 1986年よりユーゴ代表監督となり、1990年W杯イタリア大会ではユーゴをベスト8入りさせた。 その後、祖国の分裂にともない代表監督を辞任。 敵に包囲されたサラエボに残された妻子とは2年余り会えず、当初は生死の確認さえとれなかった。 そういう中、オシム氏は大きな有名クラブからの監督就任要請を断り、あえてギリシャで、そしてその後オーストリアで、小さな低迷していたクラブの監督を引き受け、いずれも優勝を争うビッグチームに変身させている。 ギリシャ時代とオーストラリア時代の私が感動したオシム氏の言葉を紹介しよう。 まず、ギリシャ時代の言葉、『
とてもベテランの多いチームだった。 それを私が来て若返らせた。 これは無理だなと思った段階で、3人、4人とはずしていった。ベテランというのは長年プレーをしているから、当然、サポーターにも愛されて人気がある。 だから論争にもなるし、勇気がいる。 しかし、日本でもそうだが、ベテランでいい選手なんだけれど、これ以上は無理だと思えば、本人のためにも考えた方がいい。経験のある選手も確かに必要だが、経験ある選手は9人もグラウンドには必要ない。 個人的にはいい選手。ひとりとしてはいい選手。そういう選手がチームにたくさんいたら成り立たない。』 若い選手を育てるのではなく、育った選手を寄せ集めて使うことに腐心したジーコ監督には耳の痛い言葉であろう。 つぎに、オーストリア時代のオシム氏の言葉、『システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウエイラインを越えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これはすばらしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。 これしちゃダメだ。 あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。 システムはもっとできる選手から自由を奪う。 システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。 チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。 でもできる選手がいない。 じゃあ外から買ってくるというのは本末転倒だ。 チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを選手が探していくべきだ。』 私はこの言葉に出会って、オシム氏のチーム作りの考え方と、井形イズムのもとでの私達第三内科の教室作りの理念が全く同じであることに、驚いたと同時に感動したのであった。 私達の教室作りの理念は『夢追って30余年』にるる述べてあるので参照いただきたいが、その中でも、51枚目から54枚目のスライドの「なぜ井形イズムのもとでは人が育つのか? 納のベクトル論」に私の考えが凝集されている。 
 さて、8年間のオーストリア時代にオシム氏はかっての弱小クラブ、グラーツをリーグ優勝2回、メンフィスカップ優勝3回、スーパーカップ優勝3回など目を見張る活躍へと導いた。 ここで、オシム氏は、さらに新たな人生への挑戦を試みた。 欧州の多くのビッグクラブから監督就任の要請は続いていたが、それらをすべて断り、極東Jリーグの最も年間予算が少ないジェフユナイテッド市原からの監督要請を引き受けたのであった。 ここにオシム氏の人生に対する考え方の真髄を見る。 もちろんジェフの祖母井(そぼい)秀隆GMの熱意ある要請にほだされた面もあったとはいえ、他のビッグチームからの要請だって相当の熱意で要請を受けているのであるから、やはり、無名の弱小チームを育てる事へのこだわりがあったといえよう。 オシム氏がジェフ監督に就任したのは2003年の初めであったが、その後の監督手腕は誰しもが感嘆していることである。 就任1年目からいきなり優勝争いを演じ、Jリーグの上位チームにひきあげ、昨年はナビスコカップで優勝し、クラブ史上初のタイトルをもたらした。 上記の、ギリシャ時代とオーストリア時代の言葉通りの選手育成をしているが、この育て方こそはスポーツに限らず、あらゆる職種の仕事場現場に応用できるすばらしい育て方であると思う。 私は、この本を出来るだけ多くの方々に、その様な観点から読んでほしいと切に願うものである。
 さて、この章を閉じるにあたり、朝日新聞発行の週刊誌アエラ7月10日号に、上記「オシムの言葉」の著者の木村元彦氏が寄稿されたページ(左写真)を紹介したい。私も、もちろん同感で、きっと、多くの心ある識者が快哉の気持ちで読んだ事と思う。