個人的出来事 第81話 2007年6月16日 記
私の三味線、その後(その3)
− 黒木と2回目の奄美三味線教室 −
私にとって、昨日から今日にかけての1泊2日の奄美市(旧名瀬市)への講演旅行は、極めて実り多く、充実したものとなった。
主目的の私の大島郡医師会・薬剤師会勉強会での講演は昨日夜あったが、折角の機会なので、空港との往復の合間をぬって、上述の赤字で私が書き込んだ所の調査を行った。実は、今日(16日・土曜日)の最終便で帰る予定であったが、知人の告別式に出席のため急遽、朝の第1便で帰ってきたため、蒲生神社までは行く時間がなく、今井岬灯台のところからの遠景撮影だけで帰ってきた。平家落人ゆかりの地を訪ねたのであるが、その詳細は追って近い将来掲載するとして、ここでは私が今回購入した三味線の棹の原木の黒檀(奄美や沖縄では黒木と呼んでいる)の写真撮影に成功した話と、講演会終了後、午後9時から第2回目の坂元先生の三味線教室で起こったことの2つを語る。
タクシーの運転手に奄美の黒木を見たいと話したところ、昔は島を覆っている原生林(下写真・名瀬と空港を結ぶ国道から撮影したもの)に結構あったとのことであるが、今は切り尽くされてずいぶん少なくなっているとのこと。
今でも、時に、大昔に倒れて土中に埋もれていた黒木の巨木が掘り出されることがあり、それは、三味線や高級家具の材料として珍重されるとのこと。それほど巨木ではないが、龍郷町にある西郷隆盛蟄居の時“愛かな”と住んでいたお屋敷の庭に黒木があるとのことで、早朝空港への途中、案内してもらった。残念ながら朝早くなので屋敷の門に鍵がかかっていたので、垣根越しの撮影となった。
この茅葺の家が西郷屋敷で、写真右端にわずかに黒木の幹が写っている。この黒木の、てっぺん部分は垣根越しでもよく見えた(下写真)。
私は、鹿児島に帰りつき、告別式で故人に別れを告げた後、私の愛用の樹木図鑑で黒檀(黒木)について調べてみた(下写真)。
黒檀についてちょっとだけ解説すると、奄美や沖縄産の黒檀(黒木)は「かきのき科」に属しているが、アフリカ産の黒檀は「まめ科」に属しているように、黒檀は色の黒い硬い木の総称である。八重山では「くるき」、沖縄本島では「くるち」と呼ばれている。三線の世界でのブランド品「八重山黒木」が最も有名であるが、南方に行くほど硬い黒檀になるので、アフリカなどからの輸入黒檀も重宝されているようである。アフリカ黒檀よりも「八重山黒木」のほうが少しだけ軟く共鳴効果(しなり)があるとの説もあるらしいが、硬く重いほどいいという人が多いようである。なお、フィリピン産の黒檀は「フィリピンクルチ」とよばれ、「八重山黒木」と同等に扱われているようである。
さて、私が今回購入した三味線の顔つきが気に入ったといったが、それは、下の写真に示すように、
私の棹は真っ黒のみではなく、2箇所に白茶っぽい部分がある。これが、「シラタ」または鶉目(ウジラミー)と呼ばれる部分で、この模様も愛好家にとって三味線の価値を決めるポイントの一つとなるそうである。わたしは、この模様に一目ぼれした。この「シラタ」を理解するには棹の原木(下写真)を見るのが一番だ。
黒檀(黒木)の幹の中央部は黒く、辺縁部は白茶っぽく、この部分が「シラタ」で、この部分を棹の一部にアクセントとして残せた場合、私の棹の様な模様が入ることになる。(ちなみに、この角材一本から2本の棹が出来るそうである。)
さて、黒木の話はここまでとし、講演会終了後、午後9時から第2回目の坂元先生の三味線教室で起こったことの話に移る。
先回同様「カンクル会」のフルメンバーと喜入顧問が勢ぞろいした。
(写真後列左から、橋本、喜入、岩崎、野下氏、前列(座位)左から坂元先生、わたし、そして平瀬氏)
私の、今回購入した三味線は、坂元先生によると、音色に余韻があり、いい三味線とのこと。しかし、平瀬先生からいただいた名器は、音色がしっかりしていて大島の島唄には合うものが多いので、両方を使い分けるといいということになり、平瀬先生にお返しせず、そのまま頂戴したままにさせていただくこととなった。私は、練習の成果を披露したが、やはり出来栄えは良くなく、野下氏から、「あせらず、あわてず、年月をかけて頑張ってください」と励ましのエールをいただいた。その後、皆さんの弾く三味線の音色に酔いしれ、痛風の実験中のため呑まない予定だったが、ついに、黒糖焼酎を呑み始め、最後の六調のしめの踊りの頃にはかなり酔ってしまっていた(下2枚の写真)。