個人的出来事 第76話     2007年4月27日記

奄美で三味線教室に入門できた感動

 昨日、『思うこと 第205話』で、慈愛会の会長としての業務で4月2日と4月17日の2回にわたって奄美大島本島を訪問した際、両親の郷里ゆえに血が騒いだことを述べた。この私の血の騒ぎは、名瀬市の私の友人に助けられ、新たな段階まで飛躍・発展してしまった! 事の次第はこうである。 4月2日、奄美郡医師会会長の喜入昭先生を表敬訪問し、夕食をともにした。その時、島の三味線(さんしん)のプロが生演奏してくれた。この演奏を聴きながら私の血が騒ぎ、六調の曲が始まった途端つい踊ってしまった。

このあと、次第に話が発展し、奄美の三味線(さんしん)を習いたいと喜入医師会長に話した。実は、喜入先生は私のふた従兄弟にあたる親戚で、昔から兄弟のように親しくしていたのである。私の夢を聞いた途端、一肌脱ごう、と請合ってくれた。そして2次会に誘われ、そこで喜入医師会長は奄美郡医師会副会長の平瀬吉成先生を呼んでくれた。喜入会長は、『平瀬副会長は20年前から三味線に打ち込んでいる名手だから、三味線のことなら副会長に聞いたらいい』と言って、紹介してくれた。平瀬副会長は私の甲南高校の一学年後輩であり、黒糖焼酎を飲むほどに酔うほどに次第に盛り上がり、私は記憶も定かでなくなるまで極量近くまで飲んでしまった。後で、電話で喜入先生から聞いたところによると、私と平瀬先生は酔いの勢いで大変な約束を取り交わしたとのこと。平瀬先生が家宝のように大切にしていた値打ちものの三味線2本のうちの1本を納甲南高校先輩にさしあげる、お礼はうまく弾けるようになることを約束するだけでいい、との言葉に、必ずうまくなります、と、私が約束したとのことであった。私は、ことの重大さに慌てた。というのも、私は、自他共に認める音痴で、音楽だけはどんなに頑張ってもうまくなれないという変な自信があったからである。そんな名器をいただいたら宝の持ち腐れになり、名器に申し訳が立たない。私は、平瀬後輩の気持ちに感謝しつつも、このことだけはお断りする腹を決めたのであった。
話の第2幕は4月17日の2回目の奄美病院訪問の夜起こった。会長からのメッセージの講演の後、病院の先生方と懇親の夕食会をしたことについては、『思うこと 第205話』で述べた。その懇親会の後、喜入先生から指示された料理屋に行った。
驚いたことに、そこには、喜入先生と平瀬先生を含め計6人の方々が私の到着を待っていた。

前列の向かって右端が喜入先生、私と喜入先生の間の方が平瀬先生、前列向かって左端が三味線の師匠の坂元常広先生、後列の3人が平瀬先生ともども坂元師匠のお弟子さん達。この4名の方々の会の正式名称は「奄美中央ロータリークラブ三味線同好会」で、通称「カンクル会」。
部屋に入った途端に、平瀬先生から私への約束の『名器』の進呈式が準備されていた。

この名器を見た途端、私の心は豹変し、ありがたく頂かせてもらうことにした。
そして、頑張ってうまくなろう、と決意した。
その後、先生からレッスンを受けた。

私は「カンクル会」に入会させてもらえることになり、全員で記念撮影をした。

奄美の空港で、そして、鹿児島の十字屋楽器店で、以下のものを買った。

さて、今後、どうなるであろうか???!!
ともあれ、次回の、奄美訪問が待ち遠しい。