個人的出来事 第77話 2007年5月12日記
鹿児島で三味線のお師匠さんに出会えた感動
『個人的出来事 第76話』で、奄美で三味線教室に入門できたことを話したが、1〜2ヶ月に一度しか奄美に行く機会がないことに加え、私にとって一人では調弦が難しく、しかも奄美の島唄には楽譜がないとのことだったので、自分で練習しようにも方法がなく、困ってしまった。しかし、ここであきらめては三味線をくださった平瀬先生に申し訳が立たないので、鹿児島で島唄を教えてくださる師匠をさがすことにした。鹿児島の十字屋楽器店の邦楽のコーナーで、鹿児島で奄美の島唄を教えてくださる先生がいらっしゃらないか聞いてみた。答えは、何と、『MBC学園の教室で教えています』とのこと! まさに天にも昇る気持ちでMBC学園に直行した。何と、明日、その教室があります、とのこと。4月入学の6ヶ月間の初心者コースというのがあり、毎月土曜日2時間、月3回で、明日が4月の教室最終日とのこと。早速入学し、翌日(4月28日)受講した。教えてくださる先生は片倉輝男先生。受講生は女性9人で、私を加えて10人。私が最年長の様であった。
片倉輝男先生のレッスンを受け、そしてまた、先生のお話を聞き、私は、すばらしいお師匠さんにとうとう出会えたと、感動した。先生は、片倉式三味線譜(これが、奄美の島唄の唯一の楽譜となっている)を独自に考案され、奄美の島唄の殆ど全てを楽譜として完成させておられるとのこと。教室のテキストにもこの楽譜が使われ、基本を習得できれば、後は練習すればいいわけで、これで、何とか平瀬先生に顔向けが出来る可能性が出てきたことがうれしかった。
私は、その後、ネットで片倉先生について調べ、先生がすごい方であることを知り心底感動した。片倉輝男で検索したところ、先ず一番目に先生のホームページがでてきた。
『片倉輝男の島唄今昔』(下の写真がトップページの先生の写真)
( http://www.kikaijima.com/2ch.html )
そして、2番目に
『片倉輝男の奄美民謡三味線譜』
http://www.kikaijima.com/radio/bangumi/katakura/4wa/sansinfu.html
がでてきた。
私は、購入した先生が企画主演されたDVD(下写真)を聴き、感動した。
先生は、喜界島の御出身で、小さい頃から島唄を聴いて過ごしたが、自分で演奏したことはなかったとのこと。ところが、1988年、49歳の時、美術教師として大島高校に赴任した時に、昔から聴き慣れていた島唄に何か血のたぎる思いを感じ、自分も島唄を弾き、歌いたいという思いを抑えきれなくなったとのこと。それから後は、三味線と島唄の出来る人を訪ねて行っては、毎日毎晩必死で教わったとのこと。先日『個人的出来事 第76話』でお話した、私が奄美でお会いした三味線のお師匠さんの坂元先生こそは、1988年当時、片倉先生が三味線と島唄を教えていただいた方のお一人で、今も先生が尊敬しておられる方とのこと。片倉先生は、瞬く間に上達され、ついには、奄美の島唄の指導者として活躍され、平成3年から平成12年までの大島高校在職中10年間にわたり『奄美民謡大賞』の審査員を務めておられる。私は、先生の最大の、そしてまた歴史的ご功績は、それまで楽譜のなかった奄美の島唄の世界に、片倉式三味線譜を独自に考案され、奄美の島唄の殆ど全てを楽譜として完成されたことであると思う。この様なすばらしい先生に教えを受けることの出来ることになった運命を、本当にありがたいことであったと思う。
ただ、『個人的出来事 第76話』でも述べたように、私は、本物の音痴であり、カラオケを歌うと必ず著しく音程がくるうし、そもそも、ピアノや調弦の笛で弦の調律をすることが出来ない。だから、常識的には、私が三味線をまともに弾けるようになれるはずがないのである。私が音痴であることをこよなく知っている友人に、私が三味線に挑戦するという話をした時の友人のコメントがふるっていた。曰く、『君が日本画を短期間でものにした理由は、素質のある人が努力したからであって、君にとって音楽への挑戦は、素質のまるでないない人が、いくら努力してもやはりだめだということを証明することになるのか、それとも、努力すればなんとか聴けるところまではゆけるという素質のない人への励ましとなるのか、結果が楽しみだ。』と。
私の今の気持ちは、、『なんとか人様に聴いていただける』とういうレベルは無理に決まっているが、せめて、『自分だけでも弾き語りを楽しめる』というレベルになれたらと夢見ている、というのが偽らぬ気持ちである。