個人的できごと第70話 2007年3月2日記
『こてる先生の日記』の『ラスト納杯』に感動!
『こてる先生』こと松原先生の『こてる先生の日記』は私が毎日必ず愛読しているHPである。現在、5日遅れで、毎日、その日の出来事が日記形式でアップされる。(内容が面白いだけではない。先生は私が望んでも出来ない何かすばらしい感性をもっているので、私はこの日記を読むことで、自分の人生に加えてもう一つの人生を味わっている気持になる。文才が抜群との誉れ高い福永秀敏先生の親戚で、私はこてる先生の文才は、福永先生と肩を並べてのNo.1と思っている。) 実は、今回ほどこの5日遅れが待ち遠しかったことはない。というのも、私は“最後の納杯”の打ち上げ会で、『今日のこの“最後の納杯”については、こてる先生が今日の日記をアップされるのを待って、それを引用する形で私もアップするからね!』と宣言していたから、2月24日の日記がアップされるのをかたずをのんで待っていたのである。そしてとうとう、アップされた! 『こてる先生の日記』の表ページの左上の『新こてる日記』のアイコンをクリックして、2月24日の『ラスト納杯』をよんでほしい。 しかる後に、私の以下の文に目を通してほしい。
私は『ラスト納杯』を感動と感傷で当日を思い出しながら読んだ。あの日の感動の全てが語りつくされている。
で、私としては、あの日に撮りまくったデジカメ写真をお見せしながら、感動を振り返ることにする。
まずは、全員の集合写真。
次に、コーチ3人と私の写真(左から、宮里先生、松原先生、私、中薗先生)。
これら4人の第1ゲームのスコア。
私一人が蚊帳の外であった。私は、直前に4ゲーム練習してのぞみ、練習では198も出て、平均160を超え、今日は優勝を狙えるかもと意気込んだのであったが、本番では無残に砕け散った! (日ごろの練習不足で、足腰に安定感がないのが敗因で、退職後の4月からは、走り込みからはじめようと思う。)
3ゲームを終えた優勝の松原先生と私の無残なスコアを対比して示す。
実は今、朝6時になり、これから熊本に日帰りの出張にJRつばめで出かけるので、書きかけの途中ではあるが、とりあえずここまでをアップして、残りは今夜、帰ってからアップする。
では、行ってきます!
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さて、熊本での出張も終え、JRでほどよくアルコールも入ったので、気持ちよく残りを書かしてもらう。
ホウリング同好会が発足したのは、今から約20年ほど前で、私が助教授時代に学生とボウリングを楽しんでいた延長線上で、教授に就任した頃に正式に同好会として登録したように記憶している。
顧問は教授でなければならないので、タイミングよく初代顧問に納まった。毎月、部の例会として試合を行ったが、学生達はこの月例会を『納杯』と呼ぶようになった。そのうち、私が忙しくなったこともあり、また、学生の試験などの都合もあって、『納杯』は年に5回ほどになり、現在にいたっている。その間の幾つかの出来事は、私のHPで紹介してある。
ボウリング同好会にとって最大の転機はコーチとして松原先生をお迎えしたことであった。松原先生の紹介で、宮里先生、そして中薗先生もコーチに加わってくださった。私は、3人のコーチが加わってから、ボウリングが以前よりも面白くなり、かつ、スコアには反映されてないけど技術理論でも深くなった。学生の技術もどんどん向上していった。4年半前、私が病気で倒れ4ヶ月入院した時も、松原コーチ達が、部員を引っ張って、部を守ってくれた。
私はあと1ヶ月後の3月31日をもって定年退職となる。と言うことは、4月からは練習に時間を取れるので、今よりもどんどん上手になり、コーチの3人を驚かすことも出来るかも知れない、と、楽しい夢をみたりもする。でも、とっても心配なのが、私の退職後、顧問をどの教授に頼んだらいいかという難問に答えが見つからなかったことである。 引き受けてくれそうな教授の固有名詞が浮かんでこないのである。 2〜3週間ほど前のこと、教授の名簿を見ながらこのことで悩んでいた時、ボウリング同好会の学生の部長が私を訪ねてきた。 曰く、『納先生、いろいろ考えたのですけど、納先生が退職した後、ボウリング同好会は解散せざるを得ないと判断しました。』と。 理由は、納先生のいないボウリング同好会はありえないとのこと。 私は、素直に感動した。 そして、『わかった!』と答えた。 この結末は、さらに、発展的に展開し、納杯後の打ち上げ会の席で、同好会は解散するが、これまでの顧問、コーチ、部員歴のあるものが年に2回、7月と2月頃に、ボウリングを楽しむ集いだけは続けてゆこうということになり、部長経験者で幹事を務めるということになった。 私にとって、これ以上ない、最高の展開となった。
さて、この項を閉じる前に、せっかく撮影した3人のコーチの華麗な投球ホームと、今回目立った2人の学生の写真をお見せしよう。
まず、松原先生の1投目。
右端にピンが残った時の2投目は曲がりの少ない特別なボウル(ミッキーチャン)を使う。
その2投目のホーム。
宮里先生はいつも華麗で安定したホームである。
中薗先生は最も難しい投球法で米国のトッププロが使い始めたローダウン投法に挑戦して、苦節2年間の末、今回ついに完成の域に達したのであった。 すごい、と思った。
学生優勝の石多君の投球ホームも宮里先生ともども完成した美しさであった。
ちなみに、同君のスコアーを示す。
医学部一年生の上田君はハウスボールにもかかわらず、
下に示すようなすばらしい成績であったので、
ほうびに、私からマイボールの3点セットを送った。今後の精進が楽しみである。
思い出に残る、感動の、『ラスト納杯』であった。