顧問
ボーリング同好会、創立以来ずっと、鹿児島大学第三内科教授の納光弘先生が顧問をしています。先生は医学の分野でも大きな業績を残しておられますが、多彩な趣味の持ち主としても有名です。趣味の一つであるボーリングは、一時期プロの資格を取ろうかと思われたほどの技術とはまり具合です。ボーリング以外にも、私の知っている限りでは、ゴルフ、軽音楽、バスケットボールの顧問をしておられます。
新しいボウリング人生
顧問の納です。ボウリング同好会のホームページが出来たことをとてもよろこんでいます。
この同好会は、13年ほど前に、当時医学部の5年生だった三宅智君(現在は谷山の三宅病院の理事長として活躍中)たちが創設してくれました。
当時は、私も助教授で今よりも暇がつくれたので、よく学生と飲みにいったり、ボウリングをしたりしていましたが、それが発展的に同好会になったもので、同好会の発足と私の教授就任が殆ど同じ頃だったように記憶しています。(私の記憶もやや不確かですので、誰か正確なことがわかったら教えてください!)
ボウリング同好会のテーマというか目的は、大きくいって二つあると思います。
その一つは、やればやるほど奥の深いボウリング道を味わう(=学ぶ)こと、そしていま一つは、こちらの方がより重要かもしれませんが、参加者同士で親睦を深めると同時に人生を語り考えること、と思っています。
私のボウリング人生は、約30年前に始まりました。
卒業後5年経ち、鹿児島市内で開業医の父を手伝っていたころに凝り始め、しばらくして井形先生が第三内科を創設されたときその創設に参画し、そのころが私のボウリング人生のピークでした。学会にもマイボールを持って行って皆を驚かせたほどの入れ込みでした。
(まるで、今の松原コーチみたいでした。)
国際ボウル(昔、与次郎浜にあった建替え前のボウリング場)の会員で、月例大会でいつも平均180点を超えていましたし、7ゲーム投げてその平均が225点というスコアを出したのも、ストライクを7フレームまで続け8フレーム目だけが8とスペアーでそのあとふたたびストライクを4つ続けて278点(すなわち8フレーム以外は全てストライクでぶち抜き)を出したのもそのころの出来事でした。
その後、仕事が忙しくなり、顧問として同好会で投げる以外は練習もしてなかったので、今は見る影もなくなっていますが、でも、これからは違います。再び、燃えてきました。
今、58歳と6ヶ月です。
還暦を迎えるまでの後一年半の間にもうすこしはましな自分をとりもどし、60歳以降はそれを維持してゆこうと夢見はじめています。
松原コーチが私にもう一度夢を追う力(心)を与えてくれたように思い感謝しています。
20年前のアメリカ留学中に優勝賞金で買ったボールと靴をこの20年間使ってきましたが、去る2000年6月25日(日曜日)の夕方、松原先生につきあってもらいトーフクボウルの大山ドリラーにニューボールをこしらえてもらいました。
真っ赤なボールです。心新たに、新しいボウリング人生にチャレンジするつもりです。
これまでのボールも穴をうめて掘りなおしてもらいました。第一投はニューボールでストライクをとり、万一残したら、スペアーは使い慣れ且つ又曲がりがニューボールより少ない古いこれまで親しんだボールで取ろうともくろんでいます。
すごいボウラーの出現にご期待ください。
納 光弘(平成12年6月27日記す)
納先生より
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