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(アメニモマケズの碑と羅須地人協会)
観光地図には載っていますが、
記念館とは少しはなれた辺ぴな場所に、
アメニモマケズの碑が建っています。

そしてそこは、賢治が病で倒れて、
亡くなる前までの2年間あまりを、生活していた場所で、
そこで、羅須地人協会と言う、
農業の改革の為の勉強会を始めた場所でもあります。

細い杉林の道を抜けた小高い丘の上にありました。
アメニモマケズの碑と、賢治が使っていた井戸、
手鉢が残っているだけですが、ここに立って下の畑
(今は田んぼ)を見ていた賢治を思うと、
胸が熱くなりました。ここに来て良かった!

アメニモマケズの碑は高村光太郎が書いたそうです。
白い百合の花が添えてありました。
でもなぜ?あの原文のままにしなかったんだろう?

1日はここまで!
翌日、現在花巻農業高校にある羅須地人協会に
行きました。

実は前日も来ようと探したのですが、
ナビでも道が分からなくなり諦めたのでした。
でも、アメニモマケズの碑の所に行ってから、
やっぱり見に行かなくちゃと言う事で、再度挑戦!
やっぱり昨日と同じコース・・・
工事中の所からしか入れない。エイはいちゃえ!
とろとろ入っていくと、あった!
花巻農業高校!事務所で鍵を借りて建物に向かうと
「あれっ?正門こっち?」どうも、裏から入ったようです。笑

賢治の家は思ったより立派な建物です。
賢治の家は地元の富豪です。
だからあの時代の人にしては良い洋服や、
教育も最高のものが与えられのです。
でも、それをちゃんと生かして、
人の為に尽くすお金持ちはあまり居ないよね。

中に入ると、古いマント
(風の又三郎マントって書いてありました。)
オルガン、賢治ゆかりのものがありました。
ここで座って、お勉強してたんだ。考え深いものがあります。

不思議な事に、この花巻農業高校も、
移転でこの地にやってきたところ、
賢治の家が譲られた人によって先にここに建ってたそうです。
あるべき場所に戻ったって事でしょうか。

民話の里・遠野へ続く
遠野