無線と家族(三十歳の手習い)

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【前書き】
 家族を連れてのドライブは無線の交信数を増やすためでした。わたしの30代から40代半ばの旅はそれをきっかけにしています。それを避けて出向いた場所を語れません。温泉めぐりは家族の不満を解消するために始めています。
 とはいうものの、家族の反対も増し、転居先でアンテナが設置できないので無線をやめてパソコンいじりに代えて17年目になりました。

 無線を始めたのは結婚してからだ。長女が産まれた直後にパーソナル無線を始めた。遊び相手もいなくなり、退屈なときだった。通勤時の家庭との連絡手段のつもりで買い込んだが、直に雑談の道具になった。
 クラブを作り、雑誌に投稿し、時には顔を合わせて、二年ばかり、家族的な交信をしていたものの、素人同士の限界を感じてアマチュア無線の免許を取った。クラブ自体がマンネリ化し、私の興味が会話から構造に移り、会報を作るのも飽きていた。
 アマチュア無線の開局は免許を取ってから一年後だった。お金も無かったが、交信自体が億劫になっていた。開局一年目の交信数は百局に満たなかった。ハンデー無線機とGP(グランドプレーン)アンテナでは交信範囲が限られていたし、混信の多い周波数だった。品がいいと思って乗り換えたアマチュア無線は、期待に反して弱肉強食の世界で、違法運用局がまかり通る世界だった。

 私の興味は、タクシー無線や警察・消防無線の傍受から始まった。大学受験の頃、暇つぶしにFMラジオでタクシー無線を聞いていた。山歩きをしていた頃も、非常用にあればいいと思ったものの、理科が苦手な私は諦めた。クルマを運転するようになって、警察や消防の無線を聞きながら運転をしたこともある。
 そんなこともあって、無線は手短に、要領良く話すものだという思い込みがあったが、パーソナル無線もアマチュア無線もダラダラと締まりのない話が続くのに閉口していた。
 電話にしても3分以上かけることは、仕事を除いて、今も少ない。話すことが無いといえばそのとおりなのだが、要点を絞れば一分以内で足りるものを長々繰り返すのは時間の浪費としか思えない。これも無線の傍受で身につけたことかもしれない。私にとって、無線交信も電話も伝達手段に過ぎないからだ。

 とは言うものの、会話の楽しみをアマチュア無線で得たのも事実である。仕事も年代も性別も異なる人たちと、たわいない話題を交わすものけっこう楽しい。それも加わって仲間も増え、会話の中から興味も広がって色々なことに手を出してきた。数十種類の交信カードを作り、電波を遠くに飛ばすためにアンテナや同軸ケーブルを改造し、交信数を増やすために高い場所に出向いたり周波数帯を変えたりした。

 週末になると職場の帰りに秋葉原に立ち寄り、アンテナや同軸ケーブルを買い込んでは半田ごてで火傷をしながら工作をした。ハンダつけは無線を始めるようになって始めたので、初めの頃は緊張した。イモハンダになってやり治したこともしばしばあった。太いケーブルを部屋の中に張り巡らせ、窓に隙間を空けて子供に風邪をひかせたこともある。
 子供が幼稚園前だったので、危険防止のため、作業は夜なべ仕事になった。設置場所や無線機に限りがある以上、いかに効率よく電波を飛ばし、交信相手のいる時刻を効果的に使うかに気を使った。テスターやチューナー(同調器)も何種類も買い込み、アンテナやケーブルもベランダにたまる一方だったので何度も妻に怒られた。
 交信数を増やすために夜更かしもした。終いには、ベランダから1mほど支柱を伸ばし、ローテーター(回転器)をつけ、部屋の中からアンテナを夜な夜な回したが、近所迷惑だったかもしれない。正式に設置許可を受けてない負い目もあって、砂場で自慢気にアンテナを指して子供が我が家を紹介するのも困った。

 交信数を増やすために短波帯にはまったときは、会社から戻ると飯も食わず無線機の前に陣取り、ヘッドホーンをしてコールサインをがなりたてたので、妻は忽ち反対した。非力な電波しか出せず、アンテナも短縮型しか設置できなかったので呼び掛けに応答し、相手が応じてくれるまで待つしかなかった。大きな声を張り上げても音が割れるだけと知っていても、後から応じた無線局に何度も先を越されると、つい大声になった。子供たちも相手にされなくなったので、妻と一緒に反対したものだった。それで、短波帯は六ヶ月で止めた。
 家族の反対に懲りて、家での交信は知り合いに限ることにして、今度は箱根や富士山五合目にほぼ毎月出向くようになった。いずれも片道二時間で済み、近くに日帰り温泉があるのがミソだった。妻も子供もドライブと温泉は好きだったから反対は少なかった。行く途中と帰りのいずれかに一時間程度の交信時間を確保した。
 限られた時間内にいかに多数の局と交信するかを考えるものも楽しかった。場所を選ぶだけでなく、相手を怒らせずに短時間で交信を終わらせ、出来る限り違う場所の無線局と交信するかに気を使い、私が交信を終えるのを待つ家族を退屈にさせないよう気を配った。クルマの走行中に交信できるよう設備を充実し、妻が交信相手を記録した。

 無線交信の難しさと怖さも同時に味わった。
 見えない相手と交信する無線交信は、初めての局と交信するとき緊張した。相手の年齢や職業も分からず話すので、何を話題にするかで戸惑い、切り上げるタイミングが難しかった。自己主張が強くて話していてもつまらない人とか、知りたがることが多くて億劫な人とかに特に気を使った。
 家族がそばにいる環境で交信していたので、声が若い女性(年齢不問)と話すのも苦手だった。断り方を誤って逆恨みを避けたかった。暇つぶしに他の人たちの交信を聞いたが、妨害を受けている無線局も多かった。これも逆恨みが影響しているような面があった。
 また、無線は誰でも傍受できるので不用意な発言をしないように気を使った。自分が気を配っても相手が口の軽い人だと冷や冷やしたものだった。かって雑誌に名前や職業を掲載したばかりに、コールサインを告げただけで名前や職業それに年齢まで並べ立てられ、びっくりするとともに、相手の無神経さに腹を立てたこともある。自分がいかに言葉を濁しても、相手の口を封じるのが無線では難しい。

 どんなことにも、いいことや悪いことがあるものの、子供も大きくなりうるさいと言い出し、年とともに気を使うことが多くなったので無線はここ三年交信休止状態になっている。交信記録を整理するために買い込んだパソコンにはまって、記録をまとめたり、写真を撮り込んだり、簡単なプログラムを作ったりしているうちに、話すことが億劫になっている。
 とはいえ、子供の誕生とともに始めた無線は、自分一人が楽しむだけでなく、家族を巻き添えにして十年ばかり楽しんだ、ひとつの旅だと思う。寄り道ばかりしてきたが、無線をきっかけにして、年齢も職業も趣味も性別も家族構成も異なる人たちと付き合いが出来たと思う。【1998年9月記す】

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