沼津あれこれ
スカンジナビアが沈没した 2006/09/07

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 9月2日(土)の夕刊に36年もホテルやレストランに使われたスエーデン製の元豪華客船が、改修のために中国上海へ向けて航行中に和歌山県潮岬沖で沈没した記事が出ていた。沼津市の木負(きしょう)海岸で1年前までレストランとして使われてきた建造後約80年の老朽船を航行させることが意外だった。日本初の海上ホテルというのも知らなかった。

 たとえてみれば、横浜港に係留されている氷川丸を外洋航海させるようなものだ。こちらは60年も係留されているからそんな無茶はしないだろう。ともあれ、36年も係留していれば船体の強度は腐食で落ちていたにちがいない。タッグボートで曳航しても危なかったのではないか。

 故郷に係留されていてなんどか出向いた船が沈没というのも寂しい。外国に売却された青函連絡船の一部もスクラップにされる時代である( 「青函連絡船の行方」)。役に立たなくなれば身売りや解体というのも悲しい宿命だ。今度の事故は再生を目指したにせよ老体に無理を強いたような気がする。

 安らかに余生を送らせようとか保存運動をしようという気はない。もともと観光施設として係留された「よそもの」に金をかけることは無理だろう。維持・保存する費用はばかになるまい。でも、老いた身体に無理強いをさせて死期を早めることもなかったと思う。

【補記】
 以下は2006/09/02朝日新聞の記事のキーワード部分である。
 
「スカンジナビア 1927年にスエーデンで建造されたヨット型客船。地中海や太平洋のクルーズに使われ、現役引退後の70年に伊豆箱根鉄道が購入。ピークの90年度には宿泊やレストラン、結婚式などで10億3千万円を売り上げた。99年に宿泊をやめてレストラン事業に絞ったが、収益は伸び悩み、昨年3月に営業を終えた。優雅な白亜の船体が地元で人気を呼んでいた。

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青函連絡船の行方

 1988年に廃止された青函連絡船に一度だけ乗ったことがある。廃止される前年に青森と函館を往復したが、何かと思い出が多い航海だった。(※)最後まで就航していた八隻のその後が今日(2006/07/16)の朝日新聞「天声人語」に掲載されている。数奇な運命をたどった船もあるようだ。

 ●八隻の行方
   八甲田丸→青森港に係留
   摩周丸→函館港に係留
   羊蹄丸→船の科学館(東京・台場)
   大雪丸→10年間海上ホテルに利用されたあと長崎港に係留
   石狩丸と空地丸→ギリシャの船会社の所有されエーゲ海やアドリア海でフェリーに使われて退役。石狩丸はスクラップとしてインドへ
   十和田丸→フィリピンでカジノホテルとして使われたが自力では動けない
   桧山丸→インドネシアに売られたが自力では動けない

 詳しいことは新聞記事を読んでいただくとして、天声人語は「こう見ていくと、いくら赤字とはいえ、ふるさとに残った八甲田丸と摩周丸は、随分幸せな余生を送っているように思える」と閉めている。青森や函館の係留地を訪れる観光客が激減して維持や保存の資金が不足している記事にしてはなんともしまりがない。20年近くたてば利用した人の記憶や思い出も風化するし、今さら廃止された遺骸を眺めに出向く観光客も少ないだろう。それは、四国と本州を結んでいた連絡船も同様だろう。宇治と高松を結んでいた宇高連絡船はどうなっただろう。シージャックもあったけどあの船はどこに行ったのか。そんなことを思い出すのもノスタルジーにすぎまい。(2006/07/16)


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