沼津あれこれ
狭い市内に寺院が106
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京都や金沢に寺が多いのは驚かないが「沼津には寺が106あるんですよ」という答えに首をかしげた。東海道53次の宿場町に信者がそれほど多くいたわけではあるまい。帰宅後にインターネットで確かめると沼津市仏教会にはそのとおりに掲載されている。
今では合併して同じ市内になった53次の原宿に生まれた白隠禅師の和讃が宗派を超えて使われるのが前から気になっていた。法事で和尚の接待にあたったのでその疑問を何気なく口にしたら和尚がさきほどの説明を始めた。
目と鼻の先に寺院があるから比較されるのもわずらわしいだろう。
「そんなに多ければ過当競争で大変でしょう」と言えば、
「みなさんは宗派争いで仲が悪いと思っているようですがけっこう仲良くやっているんですよ」と若い和尚が加える。
「前の寺は出ているのに、この寺はカーナビに出てないわ」とそばに座った老女が言い出してヒヤッとした。
「あの寺は松原を植林したり、有名な歌人の墓もあるから知名度が高いからでしょう」ととりなしても老女は納得しない。
「インターネットに地図を掲載してるんですが・・・」と和尚が言っても、そんなものに関心がない老女には焼け石に水だ。
インターネットで確かめると仏教会加盟は106で、81寺が個別に紹介されている。臨済宗32、日蓮宗11、法華宗9、曹洞宗8、、時宗7、浄土宗3、真言宗2、真宗2の分布で臨済宗が突出している。禅寺が多いから白隠禅師和讃がどこでもつかわれるわけである。
また、同じ臨済宗でも焼香の回数に違いがあるようだ。我が家の妙心寺派は1回で、僧侶に向かって一礼も不要である。香は高価だから無駄にしないと先代の和尚が説教したが、なぜ僧侶に一礼が不要なのかは聞きそびれた。
寺が多かったから遊び場に不自由はしなかった。墓地は陣取りや花火のほかに度胸試しの場であった。寺守りに追いかけられて逃げ回るのも足腰を鍛えた。罰あたりだけどノビノビと遊べる場が墓地だった。そのために寺があったわけではないだろう。
【参考】
白隠禅師は臨済禅の中興の祖と仰がれる人のようだ。芳澤勝弘著『白隠ー禅画の世界』(中公新書1799、2005年5月発行)によれば、次のような記載がある。
「白隠慧鶴(えかく)禅師(1685〜1768)は日本臨済禅中興の祖として、最も著名かつ重要な宗教化である。いま日本に伝わる臨済禅の法系(宗派)はすべて白隠下になるから、現在の臨済禅は文字どおり「白隠禅」といってよい。」p1
沼津に臨済寺院が多いのもそういう影響力から生じたものだろう。達磨の絵ばかり描いていた和尚ではなさそうだ。
【補記】
最近は寺から葬儀の布施の代金を言い出すのに驚いた。白隠の偉大さと現世の僧の落差を感じている。おちおち死ねないというのが実感です。値段でお寺を選ぶ時代でしょうか。
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