たかがクルマのことだけど

ウインカーを出し忘れていませんか


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目次
 
走るためだけに使うのではない
 ●「あいさつ」でなく、「合図」のために使う
 ●こんな使いかたはしてほしくない

 自分がそこにいること(走っている、停まっている、じゃまになっている)を他車や歩行者にわかってもらうために使うのがウインカーである。合図の重要性については、「09 知ってもらうための合図」で触れたが、どうやって実行するかを改めて考え直したい。なお、ここではウインカーにハザードランプ(駐車燈とか緊急表示燈ともいわれます)を含めます。



走るためだけに使うのではない

 動作を始める前にウインカーを出す。これは誰でも知っていて、また誰もが実行しないことである。まわりにクルマや人がいなければ省略してよいと思い込んでいるからだろう。ちなみに、道交法では省略してよいとなっていない。それはともかく、動作を始めるに限っても次のものが含まれている。
 @クルマを走らせるとき。駐車場に路にクルマを進入させるときです。
 Aまがるとき。右折や左折のほかに転回が加わります。
 B進路を変更するとき。複数の車線を使い分けるときです。
 Cクルマをとめるとき。道路付近にある店舗(ファミレス、コンビニ、パチンコなど)に出入りしたり、エンジンブレーキを使う前です。
 D故障などでクルマをとめる。他車を危険に巻き込まないことと自分を守るために行います。

 また、ウインカーは停まっているときや駐車しているときにも使うものである。クルマは道路上では粗大ごみである。歩行者や他車の通行を妨害している側面を忘れてはならないだろう。停める場所によっては、他車の視界をふさぎ、はみだし通行を強い、事故を引き起こす誘因となる。また、歩行者に迷惑だけでなく危険を強いる。ともあれ、とまっているときにもウインカーは出すものだ。

 そして、事故が発生したことを他車に知らせて追突を防止し、自分の身をかばうために使うものである。ハザードランプを点燈し、自分のクルマが操作不能になっていることを知らせるためにある。発炎筒をたいたり、三角停止板を出すのはその次のことだ。相手に危険をまき散らさないために行う。
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「あいさつ」でなく、「合図」のために使う

 コミュニケーションの手段として「あいさつ」としてのウインカーがもてはやされたことがある。ハザードランプをそういうものだと勘違いしているドライバーも多い。でも、それは誤りである。誤解をまき散らして本来の用途が忘れられるもとだろう。ハザードランプは危険を知らせあい、注意を喚起するためにある。愛想をふりまきたかったら、クルマを道路の端にとめてやってほしいものだ。

 自分の思うことを他人に伝えることは運転意外でも難しい。誰もがわかるように決められたお約束が「合図」である。そのお約束が守られなければ運転は危険この上もない営みである。遊びで使おうと仕事で使おうと守るべきお約束は互いに守ってこそ意義がある。それを忘れた勝手な行動はわがままな振る舞いだけでしかない。

 ウインカーは合図を行うための道具である。ご機嫌取りや気分で出すものではない。決められた「とき」に決められた「手順」で、決められたとおりに「実行」して価値がある。硬い言葉でいえば「手順の遵守(じゅんしゅ)」と「動作の励行(れいこう)」である。
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こんな使いかたはしてほしくない

 出さないより出すほうがマシ。私はそう思わない。
出しても、おざなりなら「出さないより危険」というのが私の実感である。合図をするなら、他人に誤解を生まないよう確実に行ってほしい。次にあげるような合図はしてほしくない。

 @行動が終っても合図をしたまま走る。

 ウインカーやハザードランプを点燈したまま走り続けるクルマが多い。運転席の計器類を見て走らせているのかと不安にさせられる。

 Aトンネル内走行中にウインカーを点滅させる。

 追突防止のために行ってるのだろうが、まわりのクルマの気を散らし、追突される危険をまき散らすもとだろう。

 B駐停車しているときに右側(道路側)にウインカーを点滅させる。

 まわりのクルマにはこれから道路に出ると誤解させるだけである。ハザードランプのほうが誤解を生まないだろう。

 Cクルマから腕や手を出す。

 ウインカーが故障しても腕や手で合図をすることができる。エアコンが普及して今どき腕や手を出す人は少ないが、合図かと誤解させるのは罪作りだけでなく、危険である。
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