たかがクルマのことだけど

考え直してみたいこと


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 近所の本屋に出向いて驚いたのはクルマのコーナーが撤去されていることだ。雑誌はあるが本が見当たらない。山歩きや鉄道、写真や地図はそれなりにコーナーがある。洗車や補修をテーマにした雑誌の特集は見かけても、具体的な利用法やマナーに触れる本が見当たらない。ラリーやF1を扱う本も姿を消した。ニーズが欠けるからコーナーもないということだろう。

 誰もが運転するようになり、オートマチックトランスミッション(AT)車になったからだろうか。教習所で教わり、免許をとれば関心が欠けるからだろうか。ブラックボックス化が激しくて構造など知る必要もなくなったからだろうか。騒音や排気ガスの元だから話題にしにくいからだろうか。

 そのいずれもが影響しているとともに、クルマが当たりまえの道具になったこともあるのだろう。新車や中古の価格という財産価値か、事故に伴う損害賠償という負の財産評価でしか扱われない時代になったのだろう。

 誰でも扱えるから、安易に扱って無知をさらしあう。それが今の時代を反映するような気がする。こむずかしい理屈を並べたり、変なテクニックを持ち出すのはアナクロニズム(懐古主義)なのだろう。でも、設計者が意図した使いかたを無視して無造作に扱う危険がある。また、人と機械の違いを忘れて使えばまわりに迷惑や不快をまき散らす元だろう。

 DOSの呪文を身につけてようやく操作できたパソコンが画面をクリックすればどうにか使えるのとクルマは似ている。それだけ安定し、完成した商品なのだろう。パソコンと同じように何だかわからないけど動かせるのがクルマなのだろう。でも、使い方を間違えれば危険をまき散らすのがクルマである。無造作に扱う使い方を考え直すことも忘れてはならないだろう。

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