たかがクルマのことだけど

安全と安全が事故を生む


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 プラスとプラスをかければプラスになるのは分かりやすいが、マイナスとマイナスをかけてプラスになることを子どもに理解させるのに苦労した。マイナスがプラスに転化するのも考えてみれば不思議である。それと同じで安全と安全がくっつくと事故になるというのも意外である。こちらは人間の思いこみが生むようだ。教訓を並べるのは好まないが講習会に参加して道路には危険が多いことを改めて考えさせられた。

 改正道交法が19日に施行されたので交通講話に参加した。飲酒運転の罰則強化はドライバーだけでなく、同乗者や飲食業者にも及ぶことになった。それはともかくあいかわらず運転中に携帯電話を使用したり、シートべルトを装着しないドライバーがいるのに呆きれる。罰則はともあれ、クルマは使い方を誤れば凶器となるのをドライバーが忘れているのも恐ろしい。これも、ー杯ぐらいという甘やかしと同様に自分だけは大丈夫という思い上りではないか。

 講師は現職の交通警察官だから法律より事故の説明が多い。話が具体的で思わずひきづりこまれた。二車線の道路幅は6mであり、人間の歩行速度は秒速lm(4,000m÷3,600秒)だから横断するのに5〜6秒かかるというのも初めて知った。クルマの場合、時速40kmで秒速14m、70kmなら秒速19mだ。無事に横断するためにはこの5倍以上先にクルマがいないことが欠かせない。40kmなら70m、70kmなら95mである。むろん、気づいてブレーキをかけても空走距離があるからこれでは不十分だ。ドライバーは自分のクルマの長さ(小型車で4〜5m)などで距離はつかめても歩行者はつかみきれないだろう。これに子どもや高齢者には身長、目線、視野の制限が加わるから、成人には理解できない事故もあるそうだ。

 互いが安全を確めて行動しても事故は起きるという。そこには《慣れ》という魔物が介在するからだそうだ。いつも渡っている、止められたという経験が慣れを生むようだ。講師に言わせれば道路には安全などないという。あるのは危険だけというのに改めて気づかされた。信号が青になっても右左を確めてから横断するというのもそのとおりである。赤信号で突っ込むクルマも多いからだ。わたしにしても後続車の追突を嫌って交差点へ黄色で何度か進入した。これは人間不信でなく、現実を直視した対応である。

 止まるべきだ、止まるはずだという教育だけをしても事故は減るまい。ドライバーにも勘のにぶい者や決断力が欠ける者がいる。また、追突防止や路面状況で止められない事情もある。そういう側面を歩行者にも教えることも忘れてはなるまい。それとともに、歩行者には自分がそこにいると分からせる服装や振舞いを自覚させる必要もある。他人まかせの思い込みの安全でなく、相手に分からせる行動や確めるゆとりをドライバーと歩行者がいずれも共有しなければ本物の安全にならないだろう。

 ドライバーも歩行者もルールを守り、安全と思って行動していても事故が起き、亡くなる人が絶えないというのも皮肉である。日ごろは数字で判断をしているわりに、秒速の世界でこんなミスマッチが繰り返えされているのも言われるのに気づかぬのもウカツだった。仕事とはいえ交通事故の処理をしている交通警察官も大変である。そして、亡くなった人は戻ってこないのである。(2007/09/22)