たかがクルマのことだけど

趣味は何かと問われても


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 無線をしていた頃、CQ(ー般呼出)で呼びかけるたびに趣味を問われてムッとした。行ってきたことや関心があることは並べてもそれを趣味と言うのにとまどった。同じ趣味でも接し方や感じ方にちがいがある。こんな愚問をなぜするのかと憤慨したものである。無線交信は話しておもしろいか否かにかかっている。つまらぬことを詮索しあうために交信するわけでない。そういうことに気づかぬ人が多いのに呆きれた。

 人をひとつの型にあてはめてとらえるのが人間の行動や判断のパ夕ーンのようだ。年齢・出身地・学歴・職業に加えて趣味もーつの判断基準になるのだろう。でも、それは初対面の人に尋ねるものではない。堅いことを言えば個人情報に関わることを誰もが聞ける無線でぺらぺら話すものか。初心者ならともかくそういうことに無神経なべテランも多かった。これと似たことが誰にも公開しているブログやホームぺージのコメントにあってムッとする。

 趣味は、話したことや書かれたものから推測すれば十分わかることだ。それが感じとれない人に、話したり書いたりして伝えても果して理解されるだろうか。共感や反発は話したり書いたりする中でにじみ出るものである。自慢を並べられてうんざりしたり、その人の深さにひかれるのも互いのやりとりで感じ合うだけである。相手に確かめなければわからないようなものに共感などあるものか。

 資格めいたものを並べて、どうだ俺(アタシ)は偉いんだとかスゴイんだという人と付き合いたくない。趣味は自己満足にすぎず、その程度に優劣はないはずである。ヘタの横好きだって許容されてもいいのではないか。それを拒んで芸道みたいな狭隘(きょうあい=心の狭い)さを持ち出すのも何かうっとうしい。失敗やヘマを笑い合い、それを楽しく語り合うのは下劣なのだろうか。残念ながらわたしが持ち合わせている趣味はそういうものしかないのである。(2007/09/18)