キャンプと入浴


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 最近は、宿の予約をしておけば寝泊まりに不安がないから旅行計画もずさんになり、そのぶん旅行の印象が希薄になった。ビジネスホテルやロッジに慣れて家族の誰もがテントで寝泊まりしたことを忘れている。暑い日差しのなかを言い争いながら設営した大型テントは倉庫に眠って粗大ごみ扱いである。それでも、夏になると家族の誰かがキャンプを口にする。

●テントを持ち歩いた時代

 20代の頃はテントを背負って海辺や山間を歩きまわった。伊豆諸島の新島や能登半島の尖端に数日間滞在し、丹沢・奥多摩・八ヶ岳などは山歩きの寝床に使った。民宿や山小屋を探して予約をするのも煩わしかったから持ち歩いたまでである。そのうち1週間以上の山歩きを始めると荷物を減らすためにテントはしまった。

 それでも、丹沢の水無渓谷や八ヶ岳の白駒池ほかにキャンプをするために出向いた。 お金の節約と行動の自由さでテントを持ち歩いた。民宿やペンションも使ったが予約や交渉がおっくうだし、行動が制約されるのも煩わしかった。キャンプ場は設営の制限が伴うものの酒を酌み交わし、ラジカセやギターを持ち歩いて歌をがなりたてるには手ごろな施設だった。料理上手な友人もいてきれいな空気を吸いながら舌づつみも打った。戸外のバーベキューに職場の仲間も連れていった。

 とは言っても、強風や雷雨のときのテントは悲惨で、危険なときはテントをホッポリ置いて民宿や山小屋に避難した。中古のクルマもあったからトランクの中には山道具とテントは常備品だった。それはともかく、キャンプをしていた頃は近くに温泉が多くあったのにほとんど入浴しなかった。山に近い温泉は硫黄臭がきつかったり、湯の華が浮いていたから無臭で透明な湯になじんだ身には近寄りがたかった。むしろ、山歩きの後半の北アルプス縦走は露天風呂や温泉に立ち寄って身奇麗にして帰宅した。

●家族と一緒にオートキャンプ

 40代になり、子どもが小学生から中学生の頃に家族でオートキャンプをした。毎月無線交信に家族を連れまわるドライブの罪滅ぼしだった。テントを使ったことのないお嬢様育ちの妻は煙たがったが、子どもはけっこう気に入って富士山周辺のキャンプ場めぐりをした。ものぐさな親父がテントを設営したり料理を始めるのに子どもは驚いていた。娘に至っては誕生祝いをキャンプと言い出す始末だった(その後も誕生祝いに温泉と言い出すから娘も変わり者である)。

 御殿場の乙女キャンプ場、山中湖のみさきキャンプ場、西湖の自由キャンプ場、富士宮の朝霧キャンプ場はブームもあって予約をとるのも大変だった。何度も出向いた乙女キャンプ場は隣りに御殿場市営温泉会館があるからである。この温泉は無線交信の行き帰りに家族を置いてきたが、風呂場から真正面に富士山が見えて今も出向いている。その他のキャンプ場も釣りをしたり、自転車に乗ったり、温泉めぐりをして楽しんだ。

 出向くたびにまわりのテントの広さや備品に目が移り、次第に持ち歩くものが増えて困惑したこともある。一時はランドクルーザーを買うことまで検討したが予算がなくてセダン車で我慢した(走行の安定性や駐車のしやすさでワンボックス車を運転する気は今も起こらない)。ともあれ、日中のテントは日差しがきついので周辺を親子で散策したり見物するのも楽しかった。虫や鳥に子どもが驚くのも団地暮らしのせいだろう。ガソリンスタンドでもらったセミを飼育するために夫婦で早起きするおまけもついた。餌を探すのも大変で、生き物を育てることは生半可でないと改めて知った。

●テントからログハウスへ

 何度も出向いた伊豆のオートキャンプ場にエアコン付きのログハウス(丸太小屋)ができてから我が家のキャンプも変わった。それまでは高台の見晴らしの良い場所を選んで夜空を眺めていたが、ログハウスは林の中に設営されていた。エアコン付きだから外に出ないし、パソコンやゲームまで持ち込む始末である。設営は簡単になったがキャンプに伴う親子の協力が薄れていった。これはトレーラーハウスも同じだろう。互いが自分の好みに夢中になって一緒に何かをしたり、語り合う機会を失った気がする。

 ともあれ、温泉めぐりの幅を広げたことも事実だ。隣りにあるサイクルスポーツセンターの温泉はもとより、天城峠を越えて河津七滝や石廊崎へ出向き、帰りには天城湯ヶ島の「湯の国会館」や「天城温泉会館」に立ち寄り、伊豆長岡の「光淋」や「華の湯」のほかに韮山の「めおと湯の館」を行き来した。ひとつ残念なのは小田原にあった「早川温泉」が廃業したことだ。小田原厚木道路の整備に従って消えたのも寂しい。

●最後の設営は駒ヶ根高原家族旅行村

 転居して無線が出来なくなり、パソコンを始めてから我が家のテント設営は萎縮していった。ログハウスから脱却しようと駒ヶ根高原家族旅行村に出向いたのはもう12年前のことだ。久しぶりのテント設営でペグ(杭)やロープ(綱)を忘れて大慌てし、組み立てにやけに時間がかかった。ここはアスレチック設備のほかに入浴施設も充実していたがそれさえ楽しむゆとりが欠けた。この記録は旅行記(p306)に残してあるが、駒ヶ根ロープウエイを使って中央アルプスを眺めることだった。親族旅行で先行した家族には二度目、わたしには始めての山である。がけ崩れで道路が途切れたり、ロープウエイが満員で2時間も待たされ、あげくの果てには譲り合いもしない勝手な登山者の群れに腹立てた旅だった。

 それはともかく、その後に子どもを連れて乗鞍岳に登り、上高地を散策することにつながっただけマシなのかもしれない。自然に囲まれて暮す憧れでなく、興味がわいたことは自分の身を使って感じることだと教えられたのもキャンプをしたからだろう。我が家の子どもにしても辛いときはキャンプをしたり山歩きをしたときを思い出すようだ。自慢に映るかもしれないが、渋々にしろ何かをやり遂げた経験は自分が成し遂げたことだから少しは役に立つ。過信やうぬぼれも生むがそれをとやかく言うのも萎縮させるだけだろう。そして、入浴の楽しみがあるから今もキャンプが家族の話題になるのかもしれない。【2007/06/29】