お風呂遊びで十分

前頁   次頁


トップページ  風呂全項目  よりみち解説   旅行解説   お笑い解説


 風呂遊びというと2種類ある。子供が風呂場でたわむれるのと、大人が特殊浴場で遊ぶことだ。それを疑似風呂に出向いて満足しているという皮肉を込めて使われるとむっとする。行き過ぎた自己正当化は誤解を生むだけである。

 温度を満たすだけで成分もはっきりしない「温泉法の温泉」で満足する利用者は温泉マニアにいわせれば
《お風呂遊び》だというそうだ【注】。平地を掘削して得た高温の地下水や源泉に水を加えたり温めた風呂は温泉と言わないそうだ。スーパー銭湯や公共スパで満足しているわたしに当てはまる。

 ちなみに「温泉法の温泉」は、@源泉の湧出温度が25℃以上か、A19の物質のひとつが規定量を満たすかで足りる。温度か成分のいずれかを満たせば温泉になる。あげられている物質にしてもすべてが療養効果を持つわけでない。温かいだけで効果が欠ける温泉もある。

 本物指向のマニアにすれば疑似温泉に満足する者は不逞な輩(ふていなやから)・無知の徒・俗物だろう。でも、風呂嫌いにすればつまらないこだわりだ。お山の大将が同じサルに向かって自分だけは違うと言い張るのに似ている。冷や水を浴びせたくはないが温かい水で楽しめば十分だろう。

 温泉の持つ効果や効能に重きを置くか、入浴に伴う雰囲気を楽しむかは自由である。それはどちらかひとつを選んで他を無視することではないか。効能を楽しみ、入浴を楽しんでこそ温泉に親しみが生まれるのだろう。

 【注】石川理夫『温泉法則』集英社新書0215H、2003年
大浴槽を満たす湯が「温泉」と銘打ってあれば十分で、湯の中身には頓着しない。多彩な付帯設備には関心があっても、温泉そのものにはさほどこだわらない。こういう楽しみ方を私は「お風呂遊び」と呼ぶ。
お風呂遊びは、それはそれで構わない。ただし、本来の温泉の楽しみとは違うことを知ってほしい。お風呂遊びをして、温泉を十分楽しんだと勘違いしては、温泉がかわいそうだ。
」p72


【追記】

 この本を読んだばかりにタイトルを変更し、温泉法関係の定義比較表まで作る始末だ。わたしは第5章の「温泉の雑学」に記載したように温泉には保養・休養および療養の三養があると考えているので療養に偏ることはしない。とはいえ、原則に忠実でスジは通っていて何かと参考になる意見も多い。煙たいことは避けたいというだけである。