ほんとに秀太は何を考えているんだが、わからない。急に突拍子もないことを言い出すから混乱してしまう。「いい口をしている」と言われたとき、私は体が熱くなってしまった。私の口のことを考えるより、もっと自分のことを真剣に考えてもらいたい。

「そんなことより、これからどうするつもりなの?もうすぐ雇用保険だって切れるんでしょ?」
と私は彼に現実を突きつけた。秀太はちょっといやそうな顔をした。またお得意の思考停止モードに入っていたらしい。彼は現実逃避と思考停止を繰り返しているような気がする。自分でも多少はわかっているらしくて、‘自分が旅行に行くのは日常からの逃避’って言ったことがあった。

「そうだけど、俺は追い詰められないとだめなんだ」
と情けなさそうにいった。私には秀太がどうなろうといいけど、少しは安心させてほしい気がする。だけど、私は彼によって自分に見えない何かを見たいと思っているような気がする。

「もう、十分に追い詰められているんじゃないの?」
「そうでもないよ。まだ、余裕あるような気がする」
「追い詰められる前に何とかした方がいいんじゃない。ほら、貧すれば鈍すっていうじゃない」
秀太は残っていたサワーを飲み干して
「追い詰められるっていっても経済的にじゃなくて、精神的に。確かに今は不安で怖くなるときもあるけど、これに耐えていれば何かが見えて来るような気がする」
って言った。彼も何かを見たいと思っている。それは一体?私の見たいものと関係あるの?彼は店員さんを呼んで、またグレープフルーツサワーをたのんだ。

「何が見えるの?」
「何かが」
彼もよくわかっていないの…?。それとも言葉で表現できないだけ…?。
「とにかくゆっくりと生きていきたい。そして追い詰められたら逃げる。その逃げ出す方向を探しているような気がする」
「逃げるってよくないでしょ?」
「そんなことない。何かが捕まえにくるから、それから逃げる。最後はどうなるかわからないけど」

 彼はまた独り言のように言った。知らない人が聞いていたら、犯罪でも犯して逃げ回っている人と勘違いするのではないだろうか。わかっているのはわからないっていうことだけ…。そんなことを話しているうちにも時だけは律儀に進んで行く。私達は適当に食べ、適当に飲み、そしてしゃべった…。

 秀太といっしょに飲むときは、いつも何を話したのか後になって思い出せないことが多い。どうでもいいような話題が多いためだろう。今日もこれまで何を話したのかよく思い出せない。これから秀太がどうするのかも結局よくわからないし、今日、何をしていたのかも…腹筋とか言ってたような気はするけど。覚えていることは私の口をほめてくれたことだけ。何となく退屈だけど、知らない間に時間が過ぎている。ちょっと酔ったかもしれない。

 腕時計を見るともう十一時をかなり過ぎていた。無職の秀太はいいけど、私はまた明日朝早く起きて勤めに出ないといけない。何か不公平だ。だけど、家で一日ぼんやりしているなんて、私には耐えられない。

「もうそろそろ出ようか?」
秀太が言った。彼は腕時計をしていないけど、どうして時間がわかったのだろう。私の態度からなのかな?それとも超能力者?よくわからない男…。
「そうだね、もう十一時過ぎちゃったし…」
私達は立ち上がった。勘定はいつもの通り、とりあえず秀太が払い、割り勘にした。居酒屋の外に出ると夕方は止んでいた雨がまた降り出していた。ほんとによく降る。傘を電車の中に置いて来なくてよかったと思った。

 秀太は傘を持っていない。私は傘を開いた。一つの傘に二人で入った。傘の柄を持つ私の手に秀太の手が重なった。そして、雨の中を歩き出した。

―完―


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