第4回うおのめ文学賞参加作品

うぐいす



 T公園の入り口には自転車やオートバイが乗り入れられないように鉄のパイプでゲートが設置されていた。そのゲートを通ると子供とかが遊べる広場のような場所が広がっている。広場の端には桜の木が所々に植えられていて花の季節にはここで花見が楽しめるようになっているようだ。多くの人が思い思いのござを広げて楽しんでいる姿が浮かんでくる。

 今はやや寂しい季節に入っているのでベビーカーを引いて散歩を楽しんでいる女性やまだ学校に行っていない子供達が数人、親たちと遊びにきているくらいだった。その広場を通り抜けると遊歩道に出る。遊歩道は雑木林の中に数コース作られているようだ。雑木林はコナラやエゴノキ、エノキ、ミズキなどで構成されているようで景観がいい場所にはクロマツが意識的に植えられているようだった。遊歩道の所々にはちょっとした広場のような場所があってベンチで休憩できるようになっている。

 広場からちょっと中に入るとオカリナのどこか悲しげなメロディが聞えてきた。確かこのメロディ聴き覚えがあるなぁ…と思っていたら、思い出した。知らないま〜ちうぉ、旅して〜みた〜い、何処か遠くにいきい〜たぁ〜い… そう「遠くへ行きたい」だ。音のする方向に歩いて行くと遊歩道の休憩場所にあるベンチに座っている老人がオカリナを口にあてていた。

 このおじいさんはこげ茶色の毛糸で編まれた帽子をかぶって灰色のシャツに、帽子に合わせたこげ茶色の毛糸のベスト、そして暗い灰色のスラックスをはいていた。ベンチの横にあるテーブルには水筒がおかれていて、その水筒は派手な色合いでよく見ると昔のマンガのヒーローが描かれていた。私はヒーロー物に詳しくないのでそのヒーローが何か特定できなかったが、確か小さな時に見たような気がする。その塩化ビニールのような素材で作られた水筒もよくみるとかなり年季が入っているようで、全体に黄ばんでいた。始めはお孫さんの水筒を借りてきたのかな?と思ったけど、どうもこのおじいさんの子供が使っていたもののような気がした。

 「遠くへ行きたい」のメロディは林の中に染み渡っていて、その近くに座っているほかの老人達もみんなそのオカリナの音に浸っていた。私も空いているベンチの腰掛けて、その小さな演奏会の聴衆になった。どんなつもりでこの水筒を持ってきたのだろうか?いろいろと想像できるけど、それはあくまでも想像に域を出ない。だけど、このおじいさんがこのメロディを一番聴かせたい人はこの水筒の持ち主なのではないだろうかと思った。そして、その持ち主は今、何処にいるのだろうか?何処か地方に嫁いだのかな?それとも仕事の関係かな?それとももっと遠くに行ったのかな?おじいさんも遠くに行きたいのかな?おじいさんは「遠くへ行きたい」を何回も演奏した。私は席を立ち、遊歩道を散策することにした。メロディはだんだんと小さくなっていった。

 遊歩道はよく整備されていて歩きやすかった。かなりの落ち葉があり、足を踏み出すとそれを踏む音と感触が体に伝わってきて心が落ち着いてくる。落ち葉の上を歩くなんて、ほんとに久しぶりのような気がする。子供のときはよく近所の小山にどんぐりだと松ぼっくりだのを拾って遊んだ。だけど、いつ頃からかそういったものから遠くなってしまった。私はいつから自然と遊ぶことを忘れてしまったのだろう。

 しばらく歩くとこの公園で見ることのできる小鳥の種類が書かれた看板があった。小鳥の声はいろいろと聞えてきている。その看板によるとこの公園ではキジバト、ムクドリ、オナガ、メジロ、シジュウカラ、ツグミ、ウグイス、カワラヒワなどが見られるようだ。それに丁寧のその鳴き声の特徴も書いてあった。たとえばキジバトは「テッテッポーポー」、ムクドリは「リアリー、リアリー」、オナガは「ゲーイケッケッケッ」と鳴くらしい。

 公園の中にはいろいろな小鳥のさえずりが聞えているけど、それらは重なり合ってしまい、なかなかどれがどれと特定できないし、その姿を見つけることさえできない。たまに小さな塊が頭の上や横を過るけど目が追いつかなくて、ただ黒い塊としか認識できない。バードウォッチングって忍耐が必要とされる趣味なんだなって思った。たぶん、何処か小鳥の来そうな場所に座ってじっと待っているんだろうな?私みたいに動きまわっているのはよくないのかもしれないと反省して、ちょっと疲れたこともあり、遊歩道沿いにあるベンチに腰をかけて休憩することにした。

 ベンチに腰掛けて少し時間が経つとちょっと肌寒くなってきたので、リックサックに入れたウィンドブレーカーを着た。のども乾いたので家から持ってきた水入りのペットボトルを開けて一口飲んだ。秋の陽は短くまだ三時をちょっと過ぎたくらいなのに、もう大きく西に傾いて木々の間からやわらかい日差しがもれてきて顔にあたり、ちょっと眩しくまた少しの温もりを感じる。木々の合間からは夕日をうけてきらきらと輝きながら流れている多摩川が見え、光りのモザイク模様を作っていた。

 きらきらと輝いている多摩川をぼーっと見ているとすごく近い距離で「チャッ、チャッ」という小鳥のさえずりが聞えた。その声を聞いた瞬間に私の頭の中には幼かった頃の記憶がよみがえっていた。私の生まれ育ったところは小鳥が多かったが、一番私の記憶の残っている小鳥はウグイスだ。実家の庭には祖父が手入れをしていた盆栽が並んでいたが、その真中に桜の木が一本だけ植えられていた。春になって花が咲くと、その花をよくウグイスが啄みに来ていた。桜の花とウグイス、この美しいコラボレーションは幼かった私の心に焼きついた。いろいろな種類の小鳥が実家の庭には来ていたけど、桜の花との対比によってウグイスが私の中で特化した存在になったのだろう。

 私はその声のする方向に目を向けて注意深く探した。ウグイスはエゴノキの枝にまるで自然に止まっていた。やや茶のかかったウグイス色の体、くちばしから目にかけて黒い線が入っている、幼かった頃の私に美を教えてくれたウグイスだった。ウグイスはひょうきんに辺りを見まわして、時折「チャッ、チャッ」とさえずった。そのウグイスは私にはまるで小さな宝石のように輝いて見えた。野生の美しさがその小さな体から発散していた。慎み深くて、控えめで繊細な感じで気品が漂っている。

 私はいつまでもウグイスを見ていたかった。私の中では時間は止まっていた。だけど時は常に動いている。やがてウグイスはややその身をかがめたかと思うときらきらと輝いている多摩川の方向に飛び立ち、その姿は光りの中に吸い込まれて消えた。その飛び立ったウグイスの姿を見て、何故、私は会社を辞めたのかその理由が何となくわかったような気がした。


―終―

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