第4回うおのめ文学賞参加作品

うぐいす



 あー、毎日、毎日ひまで仕方ない。何で私は会社を辞めちゃったんだろう?短大を卒業して二十歳でついこの前まで勤めていた会社に就職して十年…何故か急に辞めたくなっちゃった。それで辞めちゃった。

 二十歳で就職した会社は大手の電気会社で私はOLというものになった。その頃、女子は技術職の採用枠はなくて、みんな技術補助職として採用された。技術補助職っていうのは技術職の男性社員の補助でパソコンで頼まれた書類を作成したり、データ入力したりするものから書類や図面のコピー、さらには来社したお客さんにお茶を入れたり、男性社員の湯呑茶碗を洗ったりと多岐にわたっていた。男性社員は研修が入社後半年も続くのだけど、私達女子の技術補助職は一週間だけの挨拶だとか電話の応対だとか子供騙しのような研修があるだけだった。だけど、その時はかえって面倒くさそうな研修を受けるより早く働きたかったし、白いシャツに紺のベストと紺のスカートの制服が着られるのがうれしかった。早く職場に出てその制服で闊歩したかった。

 毎日、毎日、ロッカーでその制服に着替えると気持ちが引き締まって改めて会社で仕事をしているんだなということが実感されて新鮮な気分になった。上司や先輩の社員からコピーや報告書のワープロ打ちを頼まれることがうれしくて、何か仕事を頼まれると自然と笑顔がこぼれてしまい、どんなことでも自然と一生懸命にやっていたと思う。その頃を思い出すと私ってほんとうに健気だったんだな?って可笑しくなっちゃう。

 始めの半年が経つと同期で入社した技術職の男性の新入社員が職場に入ってきた。彼らの中には顔見知りの人とかもいて、それまであまり雨の降らない砂漠のような職場にスコールがあって、砂の中に埋まっていた何かの植物の種がいくつか芽吹いたような不思議な感覚になったりした。同期の男女何人かのグループで仕事が終わった後、遊びに行ったりして、中にはいい仲になってしまったカップルもできたけど、何故か私はそういうことに臆病で、知らず知らずのうちに自分から男性を避けていた。

 これは学生の時から何となくそうだったように思う。友達から合同コンパの話しとかあると必ず出かけて行って他の男子大学生といっしょに食べたり飲んだりカラオケにいったりしたけど、そこから先には進まなかった。帰り際に電話番号を交換したりしたのだけれど、実際に後日電話がかかってきたりすると何か気が急に重くなって、体の調子までおかしくなってしまって、そこで終わってしまった。だけど、電話がかかってくるまでは、それがかかってくることを心待ちにしていて、お目当ての人からかかってこないと心の中は暗雲が立ち込めたようになってしまい憂鬱になった。

 まだ、私はそういったことには慣れていなかったと思う。つまりまだ子供だっただけなのかもしれない。そう、波打ち際で遊ぶ子供のようだった。波が寄せてくるのを待ってはいるけど、波が寄せると濡れるのを怖がって後に逃げて、波が返すとまた寄っていく…。

 始めの頃はすべてが新鮮だったが、勤めて一年を越える頃から、職場で私はだんだんと無力感に囚われるようになった。職場のおいて私達、技術補助職の役割というのが何となくわかってきたからだ。私達は職場の中では刺身のツマのような存在であって、マグロの中トロだとかイクラの軍艦巻きだとかは男性なんだなって気づくようになった。みんなの憧れのあの先輩だってこの職場ではせいぜいカッパ巻きくらいのものなんだろうと思った。でも、かっぱ巻きならまだましな方かもしれない。中にはあのセロファンで作られた笹のお飾りのような役割の人もいるのだから。

 そのうち、制服を着ることは完全に習慣化されてしまい、もうあの気持ちにはならなくなってしまった。ちょっとスカートにクセがついてしまってもあまり気にしないで平気で履くようになったし、頼まれる仕事の性質によっては露骨にいやな顔をしたり、だんだんと私はいやな女になっていったように思う。初心を忘れて悪い意味で仕事に慣れてしまったのかもしれない。だけど、いつまでも感情を持たない人形のような役割は続けられないような気もする。

 仕事に対して慣れていったように、男性についても私はだんだんと慣れていった。入社一、ニ年目までは波が寄せると逃げていたけど、そのうち波が足を洗うようになっても私はそこにとどまり、波が足を洗う感触を楽しめるようになった。

 その頃になると同期の女性社員でも結婚する人がぼちぼちと出てきた。同期で最初に結婚した女性社員は彼女の中学生時代の幼友達といっしょになった。どちらかというとあまり女を感じさせないで目元や口元に幼さが残っているような人だったけど、それはもう将来を約束した男性がいて、新しい男性を探す必要がなかったせいかもしれない。結婚祝いとしてみんなでお金を集めて冷蔵庫を買って贈ってあげた。

 その人を皮切りに結婚する人が次々と出てきた。高校時代の同級生だとか、大学時代のサークルでの知り合いとか…。だけど一番盛り上がったのは社内結婚した人が出たときだった。その女性社員は三つ年上の同じ職場の男性といっしょになった。こんなことを言ったら悪いけどその男性はお世辞にもルックスがいいとは言えず、どちらかというとやや小太りでむさくるしい感じさえするような人だった。その時は人の趣味はわからないと苦笑したけど、もしかしたらその内面はすっごい美男子だったのかもしれない。あるいはもっと窺い知れないところに魅力があったりして…。あー、いやだ、いやだ。

 私自身も数人の男性とのお付き合いがあった。だけど、それは本当に波打ち際で遊んでいる子供の状態にまだ近く、波が足を洗う感触を楽しめるようにまではなったが、波を掻き分けて海に入って行こうという勇気はでなかった。海に入れば塩水を飲んで苦しくなったり、尖った貝を踏んでしまったり、溺れて呼吸ができなくなることだってあるかもしれない。私はそういった苦痛に耐える自信がなかった。足で波の感触を楽しむだけだったら、物足りなさも残るけど苦しい思いをすることもない。

 しかし、私も年が二十五を過ぎる頃から結婚願望がときどき起こるようになった。それは潮の満ち引きに似ていてある時期は潮が満ちるように願望が湧き上がってくるが、またいつしか引き潮になってしまい、願望もなくなる。それはまた月の満ち欠けにも似ていた。新月からだんだんと満ちていき、やがて満月になると自分でも抑えきれないほど気持ちは切なく昂ぶってくるけど、あまり長い期間は続かず、また欠けていく。

 私が二十八の時に会社は始めて女性の技術職を採用するようになった。四年生大学の理・工学部出身者が対象になったようで、私は特にキャリアウーマンをうらやましいとは思っていなかったけど、彼女達に嫉妬心を持った。新入社員でもすでに私よりずっと偉いような感じがして、圧迫感と劣等感を感じた。だけど、表面的にはやさしいお姉さんを気取っていて、彼女達からも信頼されていたように思う。私が自宅から作って持っていったお弁当がきれいと昼食の時など彼女たちは誉めてくれて、私も調子に乗って出し巻き卵の出しは白ワインをちょっと入れると後味が爽やかな感じになるとか、タマネギを多めに入れるとハンバーグは甘味が出ておいしいとか講義した。自分でもはなはだ怪しい講義だと思っているけど、ついしゃべってしまう。

 その頃から仕事に対する虚無感がさらに強くなって、男性に逃げたくなったけど、不幸なことに愛せる人もなく、また私に想いを寄せてくれる人もいなかった。私の中の月が満月に近くなると気持ちはほんとに切なくなったりした。太陽が出ている間はまだいいのだけど、陽が沈み夜の闇が落ちてきて、TVの見たい番組が終ってしまうと、寂しさに身を切られるように感じることもあった。夜の闇に捉まってしまうと、そこを振りほどくことはできず、あとはひたすら朝が来るのを待つだけだった。心から愛せる人がほしかった。

 だけど、それほど好きでもない男と暮らすくらいなら独りの方がずっと楽だという気持ちは変わらなかった。短大時代から田舎に住んでいる親と離れて都会で独り暮らしを始めた私はもうその生活に慣れていた。だから、寂しいときの過ごし方の技術は身に付いていて、高度な技術者になっていた。悲しいけどひとり上手だった。

 その技術にはいろいろな方法がある。まずは気を紛らわすものを持つことだ。CDを聴いたりするのもいいけど、一番いいのは生物を飼うことだと思う。部屋の中に何か他の生命体がいると心が和む。ハムスターとかの小動物も好きだけど、旅行とか行けなくなったりして、フットワークが悪くなるので、観葉植物がいい。

 私は観葉植物の中でも特に妖精が住むといわれているガジュマルが好きで育てている。株の根元や幹の途中から根っ子のようなものが出ていて面白くて神秘的な感じがする植物だ。それに葉っぱに光沢があって厚くてたのもしい。育て方がいいと小さな花が咲くらしいけど私のはまだ咲いたことがない。ちょっと愛情が足りないのかもしれない。明るいところを好むので気がついたときは窓辺に出してあげる。そして、土の表面が乾いたときに水をあげるのだけど、そのときが一番幸せな気持ちになる。

 そんなことをしながらわたしは独りの時間を過ごしていた。そして、身動きできなくなっている自分に気づいて怖くなってきた。恋も仕事も生活もみんな小康状態になっていた。恋は心から愛せる男性もなく、たまに波打ち際の恋愛ゴッコをしているだけだし、仕事に関してはここ何年も同じことの繰り返しで毎日、毎日過ぎていく、生活だって休日には友達とホテルのケーキバイキングや中華の飲茶食べ放題とか話題の店に行ったりするけど、心の中には冷たい風が吹いていたりした。そう、ただ楽しそうに演技しているだけだった。しかも始めは自分自身、演技している自分に気づかなかった。そして、楽しそうに演技している自分に気づいて愕然とした。私がほんとに幸福を感じるのはガジュマルを陽が差し込んでいる窓辺に出して、その根元に水をあげているときくらいだった。

 何かを変えなくちゃ…、だけど何をどうすればいいのかわからなかった。特にやってみたい仕事もないし、心ときめく男性も周りにはいないし、ただ全てが過ぎていった。私は自分自身を見つめなおす時間を作りたかったのかもしれない。それで、会社を辞めたくなっちゃった。

 十年も働いたから多少の蓄えはあって、それを計算したら十ヶ月くらいは何にもしなくても暮らしていけそうだし、それに退職金も出るだろうし、失業保険だってあるし、そうだ会社を辞めちゃおうと思った。だけど、自分自身でもなんで会社を辞めちゃったのか、わからなかった。会社の同僚にも「何で?」ってよく訊かれたけど、明確に説明なんてできなかった。だって自分にだってよくわからないんだから、他人に説明できるわけない。上司を含めて寿退社だと勘違いした人が多かったから、私は彼らの勘違いをいちいち訂正しなくちゃならなくて面倒だった。上司からは特に引き止めの言葉もなく、ちょっと表し抜けして、私はやっぱり刺身のつまだったんだなって改めて納得した。

 送別会では私はまた得意の演技で武装し、朗らかに過ぎていった。そして最後に後輩の女子社員からきれいな花束を貰った。それから毎日が日曜日になった。

―つづく―

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