自転車泥棒


 私の朝は襖ひとつ隔てた隣りの部屋に寝ている妻の枕元にちょこんと置いてある目覚し時計の鳴る音を聞くことで始まります。私の部屋にも目覚し時計は置いてありますが、妻は朝食の仕度などがあるため、私の物より三十分くらい早い時刻にセットされているようです。

 若い頃は違いますが、ここのところ私は目覚まし時計のあの耳障りで不快感を催させる音で起こされるということがなくなりました。いつくらいのことかはよく覚えてはいませんが、目覚まし時計が鳴る時刻のかなり前に自然と目が覚めるようになってしまったのです。かといって夜、よく眠れないかというとそんなこともなく、まあまあ眠れているようです。

 それならわざわざ目覚まし時計などセットしなくてもいいではないかと言われるかもしれませんが、もしも目覚まし時計をセットしないで床についたとするとたぶん私は寝床の中で何ともいえない不安と恐怖で煩悶し、その眠りは浅く、さらにはわけのわからない悪夢などが頭のスクリーンに上映され、翌日は廃人のような状態で会社に行き、仕事にかなりの支障が出てしまうのです。妻の部屋に置いてある目覚まし時計の音は私にとっては精神安定剤なのです。

 だから、たまに妻が目覚まし時計のセットを忘れて、朝にその音を聞くことができないと、まだ薄暗い寝床の中で私の心は言い知れぬ不安に苛まれることになるのです。私はそのベルの微かな音を心待ちにしていて、その音を聞くと私の心に春のやさしい陽のような安堵感が広がるのです。

 しかし、その安堵感が完璧になるためには妻が床をでる気配を聞かなくては完成しないのです。目覚まし時計が鳴っても妻が床から出る気配がしないと私の心の中には再び暗雲が低く垂れこめて来るのです。妻はそんな私の心を知らず、目覚まし時計が鳴ってもすぐに起きてはくれません。十分くらいは寝床に中でぐずぐずしており、特に冬になり寒くなるとこの時間はさらに延びます。そんな時、私は首をもたげ、襖ひとつ隔てた隣りの部屋の気配をうかがい、物音ひとつ聞き逃さないようにします。時にはわざと咳などをしてみて、妻の起床を促し、春を待つ木々の芽のようにひたすら目覚めを待つのです。そして私は妻が起きた気配がすると自分のところに置いてある目覚まし時計のセットを解除して妻が起こしに来るの待つのです。

 妻は私の食事の仕度ができると起しに来るようです。私はその時いかにも今、目が覚めたというふうに大あくびや背伸びの演技をするのです。自分でいうのも恥ずかしいことなのですが、私のこの「目覚めの演技」はどんな名優をも上回った迫真の演技ということができるでしょう。よく、テレビや映画で「目覚めの演技」を観ますが、私に言わせればみんな「ダイコン」です。

 それも仕方ないことなのかもしれません。何故なら私はこの「目覚めの演技」をほとんど毎日、それも十年近くやっているわけですから年季が違うのです。目の開け方、口の開き具合や発音の仕方、腕や背や足の延ばし方などほとんど水が高きから低きに流れるような万物の法則さえ感じさせるほど自然な演技なのです。

 妻とはもう十五年近く連れ添っています。私が勤めていた会社に出入りしていた業者に彼女は勤めていました。彼女はその会社の人と二〜三人で一組になって月に一回くらい汚れたマットだとかモップを新しいものに交換しに私の会社に来ていました。そのうち顔見知りになり、言葉を交わし冗談などをいいあえるようになり、いっしょに食事をしたりお酒を飲んだりして親しくなっていきました。彼女といっしょになれたのはたぶんお互いのタイミングがよかったのだと思います。ちょうど二人とも結婚したい時期だったのでしょう。

 始め妻とは安いアパートで生活しておりました。台所と六畳くらいの居間と八畳くらいの寝室の三部屋でした。その頃は目覚まし時計をセットしておいても妻も私も目が覚めず寝過ごしてしまって二人ともそれぞれの職場に遅れていくなどということもよくありました。まあ、明け方近くまで二人でお酒などを飲み、馬鹿話をしていることが多かったのですから仕方のないことです。

 妻と結婚して数年経ったくらいに今住んでいるこのマンションを購入しました。もちろんローンでそれは私が退職する年齢になるちょっと前まで続きます。そうなのです、年が経つにつれ私の会社での地位も徐々に上がっていき、そのうち子供もできるだろうからということでマンションを購入したのです。その頃は全てが右肩上がりで、それがこの先も永久に続くということを何となく信じていました。今、考えると何と純心というか、白痴というか、とにかく目の前のことで精一杯だったのでしょう。

 間取りはダイニングに広いリビング、洋室が1つあり、和室が2つあります。和室の2部屋は襖で仕切られているだけなのでこの襖を開けるとひとつの大きな部屋になります。子供ができたときは洋室を子供部屋にしようなどと妻と相談をしました。しかし、今まで子供ができるということはありませんでした。

 このマンションに越して来て数年、私と妻は和室でいっしょに寝ていましたが、私の仕事が忙しくなり、それにつれて夜も遅くなるものですから、そんな時、妻を起しては気の毒だとの思いから二人で相談して、彼女は空いている隣りの和室で眠るようになったのです。

 始めの頃、妻は私がどんなに遅くなっても食事もせずに待っていてくれました。そして二人でささやかな晩酌を楽しんだこともありました。だけど、私にはだんだんとそれが恐怖になっていったのです。

 夜、会社で残業をしているとき妻が食事もせず私を待っている姿が脳裏に浮かんできて、私の心はいたたまれなくなり、張り裂けそうになっていたのです。妻も妻で仕事を持っていたものですから体力的に辛くなり、二人で相談して別々の部屋で休むことになりました。

 そして「夜の用事」がある方が相手の部屋を訪ねるというルールが知らない間に確立していました。別々に寝るようになってからでも最初の頃はこの「夜の用事」で頻繁にお互いの部屋を行き来していました。しかし、最近では私の方から「夜の用事」で妻を訪問することは全くなくなり、月にニ、三度、彼女の方から訪ねてくるだけになりました。そんな時は本当に面倒くさいのですが妻の期待を裏切らないようにまたはそれに応えられるように精一杯の努力をしております。

 以前、朝食はトーストを焼いてそれにインスタントコーヒーというものがほとんどでした。それに昨夜の残りものの肉じゃがだとかおでんのコンニャクやつみれなどといったのもが付きました。私はやたら妻に怒鳴りまくり、妻もそれに対して大声をあげ、まるで「戦争のような騒がしさ」でした。

 今では昨夜の残り物が付くのは変わりありませんが、私も年をとり、妻も以前に勤めていた会社を辞め、薬剤師の資格を生かして近所の医院の受け付けをするようになってから朝の時間に余裕ができたため、ご飯に味噌汁、それにアジの干物や塩シャケなどの焼き魚、納豆そしてキュウリやダイコン、ナスなどの漬物などといった和食中心になりました。

こうして見るとなかなか優雅な朝食の風景が感じられるかもしれませんが、私は時間に追われ、それらを味わうという余裕はあまりなく、ただ口から飲みこみ胃の腑に送りこむといった動作を繰り返すだけです。以前の「戦争のような騒がしさ」はなくなり、「戦後の廃墟のような静けさ」に変わりました。そして七時十三分に家を出て会社に向かう毎日なのです。


―つづく―

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